人間牧場

〇42年前に書いた原稿(その2)

 今年の年末、私は例年のように400枚の年賀状を出しました。私の年賀状はその年に起こった自分自身の出来事の中から、特徴あることを10項目選んで10大ニュース風に、小さな文字で書いています。虫メガネがないと読めないほどですが、町内に住むかつて私が公民館主事として青年団を指導した当時の団長Sさんさんから、新年早々電話がかかってきました。Sさんが私の年賀状で見つけたのは「6月12日 6月に向こう脛を梁4針縫う怪我をし、11月には帯状疱疹を発症しました。後期高齢者となり病院代は1割で助かりましたが、健康が一番を実感しました」という記事でした。聞けば彼も2年前少し重度の帯状疱疹を発症し、苦しい目に遭ったとのことでしたが、Sさんはかつての青年団活動に明け暮れていたことを懐かしみ、かなり長い時間の楽しい通話となりました。

48年前社会教育えひめに書いた記事

 私は42年前の昭和53年8月20日付け県教委社会教育課発行の「社会教育えひめ」という雑誌に、「私の提言・千金の重み千五百三十二円 ー公民館事業は心をつかめー」とう記事を投稿していますが、その中に「◎ある若者との出会い」という中身出しでSさんのことを書いています。「それは、エレキバンドの華やかなりし頃だった。『性差のない社会』を象徴するように、その若者も髪をたらし、赤いシャツを着て、強烈なライトの光を浴びながら、ある田舎のスナックでエレキを弾いていた。公民館主事二年生の私が、なんでそのスナックに立寄ったかは、七~~八年も前のことなのではっきり覚えてないが、その若者との出会いはここから始まるのである。その青年は私との出会いを、青年団の機関紙「双海の若人」に、『追憶』と題しこう書いている。」~後略~

 余談ですが文中の「◎ある出来ごと」では昭和の咸臨丸と銘打った青年の船で建国200年のアメリカへ行く時、公民館で出会ったおばあちゃんが「海の向こうのアメリカは水が悪いだろうから梅干しを」と届けてくれたこと、子ども会指導をしていた子どもたちが「貯金箱を割って持ち寄った小銭1532円を、選別にと公民館まで持って来てくれたこと」の感動の場面が書いてあり、「◎私の思うこと」でまとめられています。いやはや懐かしい思い出です。編集後記には★白石知事は、教育の基本について、教育とは、子どもたちが持っているさまざまな知的な能力や肉体的な能力を引き出し、伸ばし、はぐくみ教え、世の中を生き抜くたくましい力を教え学ばせることだと強調された」と書かれています。私にとっては懐かしい雑誌のスクラップ記事でした。

「年賀状 帯状疱疹 文章見て Sさん電話 楽しいお喋り」

「そう言えば Sさんのこと 書いた記事 あったあったと 見つけてスキャナー」

「公民館 主事をしていた 若い頃 出会い重ねた 故に今ある」

「私には 金や財産 ないけれど 心の引き出し いっぱい詰まって」

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