人間牧場

〇水産高校の一人だけの先輩

 私には沢山の先輩がいます。しかし自分の年齢が増えるにつれて、少し寂しい気もしますが先輩たちの数が徐々に減り続けています。昨年末には先輩のご家族から「長年お付き合いいただきましたが、主人(親)(祖父)は〇月〇日他界しました」と喪中のハガキをいただき、用意していた年賀状の宛名から断腸の思いで削除した人も何人かいました。

玉井さんから送られてきた4コマ漫画

 私は親父が病気になって大学への進学を諦めたので最終学歴は高卒ですが、その高校が宇和島水産高校漁業科だったため殆どの先輩や同級生が船乗りなので、その後の出会いや交流も殆どなく、今となっては少し寂しい感じがしています。その中で唯一今も交流を続けている人に、松山に住む玉井恭介さんがいます。

 玉井さんは変わった経歴の持ち主で、マグロの養殖で有名な近大に進み料理人や県庁勤めなどを経て、広告代理店の部長をされました。多芸に秀でていて歌や陶芸にと芸域も広いいわゆるマルチ人間です。20年前にある研修会で出会ってから交友が始まり、私の自費出版した「昇る夕日でまちづくり」や「今やれる青春」という、本の企画や出版では言葉では表せないほどお世話になりました。

 2001年2月10日、玉井さんも私も乗船した宇和島水産高校の実習船初代愛媛丸が、アメリカの原子力潜水艦とハワイ沖で衝突沈没し、9人の尊い命が奪われました。その日が「昇る夕日でまちづくり」の出版記念パーティの日だった偶然の巡り合わせもさることながら、鎮魂歌「希望海」の作詞や高校とハワイに記念碑を建てた企画も玉井さんのエネルギッシュな知恵でした。

 玉井さんからは今でも時々電話が掛かってきたり、時には見事なタッチで絵や書を書いて送ってくれますが、それらの幾つかは書斎やダイニングに飾って毎日のように眺めています。昨日封書で「すべての人を納得させる難しさ」と「世の中がこうなればいいのに」という4コマ漫画2枚が送られてきました。コロナ禍で色々な意見が渦巻いているゆえ、一目瞭然言い得て妙なる2つの漫画に納得しました。私の水産高校漁業科のたった一人だけの交遊深い先輩ですが、いい先輩を持って幸せです。

「自著本を 出版した時 愛媛丸 偶然重なり 沈没悲し」

「鎮魂歌 記念碑などなど 今思う この人なくば 偉業残らず」

「20年 あっという間に 過ぎ去った 人の記憶は 風化の一途」

「世の人を 納得させるは 難しい こうなりゃいいのに 4コマ漫画」 

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