人間牧場

〇今年最後の愛媛海区漁業調整委員会

 この2日間、私は愛媛海区漁業調整委員会の委員をしているので、松山市にある水産会館で開かれた委員会に出席しました。普通は2ヶ月か3ヶ月に一回、半日程度を費やす会議なのですが、今回は10年に1回の共同漁業権、区画漁業権と、5年に1回の定置漁業権、特定区画漁業権合計910件もの、県知事から諮問のあった免許内容の事前決定が議題なので、事前に送られてきた資料に基づいて事前に目を通し、慎重な審議が行なわれました。委員に就任して6年目になりますが、漁業のことについてはそれなりに知っているつもりでも、まだまだ分らないことが多く、ましてや漁業権免許となると始めての経験なので、少し右往左往してしまいました。

 昨晩は1年に一度の委員による親睦会が、関係者や県職員も招いて国際ホテルで開かれました。隣に座った委員長の佐々木さんは戸島ハマチ、委員の武田さんは久良ハマチの産地出身なので、最近の浜での話題などについて興味深い話を沢山聞かせてもらいました。赤字の漁協があったり、後継者不足に悩む地域があったり、また浜のお母さんたちが宇和島市内にレストランを出店したり、明暗悲喜こもごもの話でしたが、全体的には漁業も右肩下がりのような感じを受けました。ふともし私が26歳で転職して役場職員にならずに漁業を続けていたら今頃どうなっていたのだろうと、思いを巡らせました。

 私は漁業が嫌で転職したのではなく、体調を崩して断念しただけなので、今でも幾らか漁業には未練があるのです。35年間の役場職員生活の中、4年間水産行政を担当して、漁業構造改善事業の推進に情熱を燃やし、水産物荷捌き所や漁村センターを造ったのも、多分そんな思いがさせたのではないかと思っています。人間は幾ら未練があっても過去に戻ることはできないので、これ以上は深入りしませんが、松山の大木組合長がいつも口癖のように言っている、「漁師の意識の変革なしに漁業の発展はありえない」のであれば、「もし私だったらこんなことをしてみたい」という夢の部分を何とか実践し、明るい漁村作りの手伝いをすることだってできるのではないかと思ったりしました。

  「10年と 5年に一度の 免許ゆえ いつも以上に 慎重審議」

  「親睦会 悲喜こもごもの 話聞く 右肩下がり 否めないかな」

  「もし私 あのまま漁業 続けたら 今頃何を しているだろう?」

  「人間は 後に戻れぬ ものなので 悔やんでみても 後の祭りだ」

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