人間牧場

〇中江藤樹を学ぶ前に(その2)

 中江藤樹は他の人のように功をなした人ではありません。学校を造り村人に黙々と地道に人の道を教えていました。ところがあるきっかけで藤樹は無名の存在から見出されて世に知られる存在となりました。

 一人の青年が師と仰ぐべき聖人を求めて岡山を旅立ちました。近江の国に来て一夜の宿を過ごしていると、隣の部屋で話す二人の会話に青年はひきつけられました。主君の命で首府に上り数百両の金を託されて帰る途中だった。その金を肌身離さず所持していたがこの村に入った日のこと、財布をその日の午後雇った馬の鞍に結びつけておいたことを忘れ、孫と一緒にその馬を返してしまった。大変な忘れ物をしたことに気付いたが、馬子の名も知らず、探し出すのは不可能で、例え探し出したとしてもその金を馬子が使ってしまっていたらどうなるだろう。弁解の余地もなく途方に暮れ、一通は家老、もう一通は親族に詫びの手紙をしたため最後を迎える決意を固めた。苦境に陥った真夜中遅くになって、誰か宿の戸を叩く者があった。やがて人夫の身なりをした男が私に面会を求めていることを知らされた。その男はその日の午後馬に私を乗せた馬子馬子本人だったのだ。男はすぐさま言った。「お侍さん、鞍に大事なものを忘れていませんでしたか。家に帰るなり見つけて、お返ししようと思い戻ってまいりました。これでございます」。そう言って孫は私の前に財布を置いた。「あなたは私の命の恩人である。命の助かった代償として、この四分の一を受け取られたい。命の親と言ってよい」。しかしも語は聞き入れなかった。「私はさようなものを受け取る資格はありません。財布はあなたのものです。あなたが持っているのが当然です」と言って前に置かれた金に触れようとしなかった。その後十五両、五両、二両、最後に一両を渡そうとしたが無駄だった。ついに馬子は言った。「私は貧乏人です。このことで家から四里の道をやって来たので、わらじ代として四文だけお願いすることにしましょう」。私がその男に渡すことができた金は二百文だった。立ち去ろうとする男を引き止めて尋ねた。「どうしてそれほど無欲で正直で誠実なのか、そのわけを聞かせて欲しい、このご時世にこれほどの正直者に出会うとは思いもよらなかった。

 貧しい男は答えた。「私のところの小川村に、中江藤樹という人が住んでいまして、私どもにそういうことを教えて下さっているのです。先生は利益を上げることだけが人生の目的ではない。それは正直で正しい道、人の道に従うことであるとおっしゃいます。私ども村人一同先生について、その教えに従って暮らしているだけでございます。この話を聞いた青年は、「この人こそ私が捜し求めていた聖人だ、明日の朝にも訪ねて下男なり門弟にしていただこう。次の日青年はただちに小川村に行き聖人を訪ねて会いました。青年は来意を告げ頭を低く下げ弟子にしてくれるよう心から懇願しました。藤樹は驚きながら、「私は村の教師にしか過ぎません。遠方から来た立派な人に頼まれるほどの人間ではない」と頼みを断わりました。藤樹の謙虚に打ち克つ決意をして、家の玄関の傍に外衣を広げ姿勢をただし両刀をかたわらに膝に両手をついて座り、日に晒され雨露に打たれ、道行く人々の噂にもなって座り続けました。三日三晩の間の懇願を察した母親の意見を聞き入れ弟子になりました。

 この人こそのちの岡山藩の役人となって敏腕をふるった熊沢蕃山でした。蕃山にまつわる岡山藩主池田光政公との逸話などは、中江藤樹の人となりをよく表しているようです。

  「誰決める? 自分の値打ち やはり人 俺は偉いと 思うは大馬鹿」

  「馬子馬に くくった財布 届けたる 正直これぞ 藤樹の教え」

  「まず自分 人に迷惑 かけぬよう さらに磨いて 人に影響」

  「四十で この世去ってる 藤樹だが いやはや偉い 足元及ばず」 

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