人間牧場

〇新春草々の訃報

 今年は新春から訃報が相次いでいます。思い返せば昨年も新春草々叔父と叔母が同じ日に亡くなり、同じ日に葬儀をしたり、その一週間後に従兄弟が亡くなるなど最悪のスタートでしたが、人が生まれたり死んだりするのは世の中の常なので、どうすることもできないのです。
 一昨日の夕方親父の妹の義母が亡くなったと知らせがありました。遠隔地ならいざ知らず田舎は従兄弟やはとこでも親しく付き合っているので、早速妻と二人でお見舞いに駆けつけました。この家では昨年叔父が72歳で亡くなっていて、二年続きで正月草々葬儀を出さねばならない寂しさに打ち沈んでいましたが、昨年の叔父の死で覚悟も葬儀の仕方も分かっていて、96歳という高齢での最後なので叔父の時ほどの涙はありませんでした。

 昨晩は午後6時から自宅でお通夜があるので、午後5時にわが家を出て下灘へ向かいました。冬至も過ぎたこの頃は、日の入りが午後5時15分と随分遅くなって、シーサイド公園から唐崎に通じる海岸国道から、西に沈むそれは見事な夕日を拝むことができました。
 通夜は親類縁者が部屋に入りきれないほど集まって、慶徳寺住職の枕経で始まりました。お経や焼香は30分ほどの短い時間でしたが、通夜式の最後に住職さんの「山鳥の声」という説教がありました。「ほろほろと山鳥の泣く声聴けば父かとぞ思い母かとぞ思う」という歌のお話でした。親というのは生きている間は「あれをしろ、これはしてはいけない」と言い、何かと煩わしいものだが、いざ亡くなったり自分が子どもを育ててみると、いちいち最もなことばかりだったと思うもので、亡くなって初めて親の恩を感じるが、「親孝行したいけれども親はなし」となるものだそうです。通夜は現世で親の顔を忘れないようにしっかり記憶するためにあるので、しっかりと親の顔を覚えて下さいと締めくくられました。

 昨日の夕方通夜に行く前、94歳の親父に叔母さんの死を伝えたところ、叔母さんが一つ歳上だということを覚えていて、「そろそろわしの番だ」と悲しそうでした。親父は12人兄弟姉妹の長男ですが、既に3人の弟と3人の妹が亡くなっています。それでも親父を含めて6人がまだ存命で、大阪に住んでいる叔母を除けば4人の妹が町内で暮らしていて、何かにつけて声を掛け合って、ある意味幸せなのです。
 私が今年の目標の一つに掲げた通り、今年からは今までの不義理を悔い改め、老いた親父の面倒を見る覚悟をしっかりとしたつもりですが、身近な人の死に直面したり、和尚さんの説教を聞けば、「人生とは何か」「死とは何か」を考えさせられるのです。
 今日は納棺や葬儀と急に予定が入り、人に会う約束を延期せねばならず、兵庫県から来る予定の人や松山から来る人たちに、お詫びと延期の電話やメールを入れましたが、あいにく昨日は日曜日とあって連絡がつかない人も何人かいて、今日の連絡に持ち越されています。

  「今年も 新春草々 また訃報 悲しきことぞ これも現実」

  「通夜式で 住職説教 聞きながら 老いし親父に 孝行誓う」

  「人は皆 いつかは死ぬと 心得る 故に毎日 思いを込めて」

  「今頃は 一足先に 旅立った 叔父とあの世で 親子仲良く」

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