人間牧場

○長崎県諫早へ行って来ました(その2)

諫早公園の眼鏡橋

 人の記憶はあやふやと言いつつ、私の記憶もまんざらではないと思ったのは、諫早市社会福祉協議会から今回の講演依頼の話があった時、直感で諫早=眼鏡橋=楠の大木=友人の武次さんや松本さんを思い出したことです。眼鏡橋と楠の大木はさておいて、今回の講演依頼が長崎市と合併した元香焼町の公民館に勤める武次さんの推薦だと小川課長さんから聞かされた時、懐かしくも嬉しくなりました。間髪を入れず武次さんから「再会が楽しみ。できたら長崎へ泊まって松本さんを交え一杯やりましょう」との誘いの電話が入っていました。しかしよくよく日程を調整してみると、明くる日の午前中既に予約が入っていて、諫早へ行く数日前に武次さんにその旨を電話連絡し、呑み会を断わった始末です。

城跡の大楠の木(樹齢推定600~800年)

 諫早といえば、物議を醸し今も相対する意見が真っ向から対立している、諫早湾の干拓や水門の話を思い出すほど、開発か保全かで話題になっている人口10万人を超える長崎県第三番目の大きな街です。特急列車白いかもめに乗って佐賀県から長崎県に入ると、列車の左側には有明海が、そしてその向うには大爆発を起こし、多くの犠牲者を出した雲仙普賢岳が見え始め、そして水門が見えてきます。
 諫早駅に降り立ち、とりあえずタクシーに乗って諫早神社まで行き、大楠群を見学しました。またそこからは少し歩いて眼鏡橋まで行きました。大楠も眼鏡橋も私の記憶どおり威風堂々として私を迎えてくれました。大楠は樹齢500年を越えていて、その根回りや枝張り、根張りは神社の境内ゆえに注連縄が張られていて、木霊が宿っているような雰囲気でした。
 また石造りの眼鏡橋も今まで全国を渡り歩いて見て来た橋の中でも一、二を争う見事なものでした。眼鏡橋を左右、裏表、上下から見学しましたが、改めて先人の技術の確かさに感嘆してしまいました。

蛍塚句碑

 木になるカバンと着替えを入れたもう一つのカバンを両手に抱え、加えて今回はカバンの中に講演で使うため金次郎の銅像を入れていたため、腕や肩が張って諫早公園の中にある城跡の大楠に辿り着くころには、大汗をかいてしまいました。それでも城跡の山頂から見える諫早の街の眺めは最高で、吹き渡る初夏の風に癒され、つわものどもの夢の跡に思いを馳せました。
 眼鏡橋の周辺には蛍の幼虫を育てるカワニナ養殖水路があって、防虫ネットを張っていました。また眼鏡橋の袂には句碑や中学生の蛍塚なども立っていました。再び汗をかきながら河川敷の中の散策道を歩いて、飛び石等を渡り諫早駅まで帰り、前もって送られているタクシーチケットを使って、講演会場である諫早文化会館まで辿り着きました。少し早い到着に準備をしていた社会福祉協議会の皆さんは、一応に驚いた様子でしたが、皆さんとレストランで名刺交換したり、用意していただいた食事をして時を過ごしました。

  「わが記憶 この歳なりて 定かなし されど記憶の 糸を手繰りて」

  「眼鏡橋 大楠群に 感激し もう一度みたい 念願叶う」

  「金次郎 までも同伴 した故に 手や肩ズシリ 大汗かいて」

  「日本には まだまだ誇れる ものがある 諫早湾を 何と聞くらん」  

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