人間牧場

○海にしずむ夕日が我が家から見える幸せ

一週間前の夕日

 今年はこのところ、わが家から夕日を見れる機会が多く満足しています。そう思って大型手帳の予定表をめくり眺めましたが、例年とそんなに変わった訳でもなく予定が入っているのです。それは多分喫緊の気がかりなことがないため、心に少しだけ余裕ができたのではないかと納得するのです。加えて年末から今年初めにかけて相次いだ親類や友人の葬儀等が重なって、「人生とは何か」を考えさせられたことも大きな要因のようです。ともあれ夕方になると夕日が自宅の周辺や借景として毎日眺めている本尊山周辺を夕日が赤う染めるものですから、その気になってデジカメを取り出し、お粗末ながら写真に収めているのです。

前々日の夕日

 5月から7月一杯は太陽が北寄りのコースを通るため、わが家から居ながらにして海に落ちる夕日が見えるのです。最も私設公民館煙会所や夕観所からだと民家の屋根の上に落ちますが、裏庭とも裏山とも思える高台に登ると絶好の夕日見学スポットがあって、海に沈む夕日が見えるのです。
 昨日は夕方書斎で原稿を書いていると書斎の窓越しに向かいの本尊山が赤く夕日に照らされるのを見ました。急いでデジカメを持って裏山に登りましたが、残念ながらデジカメにチップを入れるのを忘れて、高入りした綺麗な夕日を撮影することができませんでした。それでも庭先から綺麗な夕日を眺めることができ、目と心に焼き付けました。

 私はこれまで色々な夕日を見てきましたし、人様の撮影した見事な夕日の写真も沢山見てきました。でもわが家からの夕日の写真は私だけのとっておきでオンリーワンなのです。たまたま我が家を夕暮れ時訪ねた友人を、美しい夕日の見える裏山に案内したところ、「若松さんは夕日にこだわってまちづくりを進めて来られましたが、自分の家から自慢の夕日が見えるなんて幸せで贅沢ですね」と誉め言葉を送ってくれました。たしかに友人が言うように見える時期が季節限定ながら自宅から海に沈む夕日が見える幸せは何ものにも変え難いものです。今朝の燃え立つような朝日に輝く珍しい雲の形もまた一趣です。この朝日が夕日になるのですから不思議といえば不思議です。

今朝の朝日前

 先日人間牧場を訪ねてきたシステムユニの岡田敏明さんが、かつて私が書いた短詩を覚えていて、「あの詩は良かった」と誉めてくれました。すっかり忘れていて、どこへ行ったか所在も不明でしたが、ふと思いついて私の自著本「昇る夕日でまちづくり」という本の200~201ページに「ふたみの夕日夕焼け物語」と題して書いているのを見つけました。


   西瀬戸の 海と空を染め分けて
   詩情豊にしずむ ふたみの夕日は美しい
   陽がしずみ始めてから 没するまで
   ゆったりとした 時の流れの中で
   人の思いは深くなる
   過ぎ去った歳月への 回想もあれば
   明日への夢や期待もあるだろう
   思えば地球上の人類は
   ひとつの太陽を見て 暮らしている
   同じ夕日をどこかで
   朝日として 見ている人がいるのだから
   不思議である

  「幸せは 幸せ感じる 心にて 感じなければ 幸せ言えず」

  「海しずむ 夕日わが家で 見えるとは これ程贅沢 ないと実感」

  「友人が 私の書いた 詩を覚え 『あれはいいです』 誉め言葉くれ」

  「このところ 夕日に思い 寄せている 自分発見 心境変化か」 

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