人間牧場

○ミニ四国八十八ヵ所歩き遍路(その3)

上灘八十八ヵ所歩き遍路の灘町地区最終は29番石仏が本覚寺にありました。石段を登り山門を入ったところに6地蔵が安置され、その横にありました。この境内から見える双海町のシンボルである本尊山の眺めは素晴らしく、大洲藩主の詠んだ歌の歌碑が建っていました。丁度お昼になったこともあって、一区切りして教育委員会に立ち寄り弁当を食べました。3時間歩き少し疲れましたが、先を急がねば陽が暮れるかも知れないという焦りもあって、宮栄館長さんの痛めたスネの傷を気遣い、3人で協議の結果、午後は車を利用することになりました。仲宮の長岡栄一さん宅前のお堂に30番と31番の石仏があり、更に進んで三島の広沢熊市さん宅前の32番石仏をお参りしました。32番石仏の石積みには立派な藤の蔓があり、居合わせた広沢の奥さんと色々会話を交わしました。

三島集落の川本さん裏にはトンネルが・・・
 私たちの一行は公用車の運転を宮栄館長さんに任せ、私と赤石さんと二人で、三島公民館横の33番、34番、35番、36番と4つ並んだ石仏を拝みました。その後川本将稔さんの庭と倉庫を通らせてもらって裏道に出ました。ここの37番石仏は、石垣に見事に組み込まれていて、歴史のようようなものを感じました。その横には立派なトンネルが残っていて、戦争中は防空壕に使っていたらしい話を聞きましたが、中が二手に分かれたトンネルは今回の遍路めぐりの大きな発見だったようです。
 そこから裏道を通って三島の坂本さんというお宅の近くにある38番の石仏へ行きましが、坂本さんの家は住む人もなく空き家になっていました。
 八十八ヵ所は阿波の国23、土佐の国16、伊予の国26、讃岐の国が23と合計八十八ヵ所ですが、石仏にはそれぞれ漢数字で番号と、阿波、土佐、いよ、さぬきという国の名前、お寺の名前などが書かれています。何と石仏に刻まれた仏像は四国八十八カ所のそれぞれのお寺の本尊なのです。1番であれば阿波、霊山寺、釈迦如来が彫られているのです。

 私たちはその後地蔵寺へ車で到着しました。このお寺は最近屋根の葺き替え大修理を行なったばかりで、銀ねずの日本瓦がまばゆく、そして重厚さを増していました。お寺の境内に入って直ぐ左に40番、41番、42番、43番、44番、45番、46番と8体もの石仏が行儀よく並んでいましたが、今回の屋根替え普請のついでに石仏をジェット噴射機で洗ったらしく、8体全てが空に向かって寝かされ、まるで日向ぼっこか虫干しでもしているような珍しい光景に出会いました。間もなく元の位置に安置されるのでしょうが、いやはや面白い光景でした。
 人の話によると地蔵寺は向かいの山の中腹にあったらしいのですが、火災にあって今の場所に移ったようなのです。その際石仏も一箇所に集まられたものではないかと推察するのです。
日尾野の石仏は西岡猪夫さん宅前に47番、48番、49番の3体、日尾野公民館横に50番、51番、52番、53番の4体が安置されていました。福島県から移住してきた渡辺さんが西岡猪夫さん宅に入居しているため、在宅だった渡辺さんや子どもさんと飼育している黒豚の前で色々なお話をさせてもらいました。

  「一円を 供え手合わせ 石仏の 顔に会釈し 次々参る」

  「石仏の どの顔見ても 慈悲深く もっと笑顔と 言ってるようだ」

  「阿波と伊予 越えて讃岐に 入ったが 険な路ゆえ フウフウ言って」

  「住む人の 絶えた屋根には 草が生え 壁も崩れて 寂しかりけり」

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