人間牧場

〇よく似た境遇とよく似た人生

 一昨日事故で亡くなった大洲市長浜町豊茂の菊地邦求さんとは、生まれた場所こそ海辺と山の中こそ違え、思い出せば思い出すほど私とよく似た人生を生きてきたと思うのです。
 ①私は昭和19年生まれ、菊地さんは昭和20年生まれ)
 ②青年団活動を経験(私は伊予郡連合青年団長、愛媛県青年団連合会長、四国四県
   青年団連絡協議会長、菊地さんは喜多郡連合青年団長)                       
 ③後継者活動を経験(私は漁業後継者、菊地さんは農業後継者として農漁業従事)
 ④転職中途採用で役場勤務(私は双海町役場、菊地さんは長浜町役場を経て最後は
   合併のため大洲市役所勤務)
 ⑤結婚式は生活改善公民館結婚式
 ⑥教育委員会で社会教育担当、特に公民館主事として活躍、同じ主事集団煙仲間を
   結成し活動
 ⑦県公連主事部会正副部会長(私が会長、菊地さんが副会長で6年)
 ⑧論文入選(私は海外派遣30周年総務大臣賞、菊地さんは全公連論文優秀賞)
 ⑨地元の地域づくりに関わる(私は夕日によるまちづくり、菊地さんは仲間と豊友会)
 ⑩私は平成17年退職、菊地さんは平成18年退職
 ⑪10年前ころから体調を崩し酒を飲まなくなった
 ⑫私は昇る夕日でまちづくり、今やれる青春、夕日徒然草を相次いで出版中、菊地
   さんは先年愛媛新聞門欄に投稿した記事100編を選んで出版

 私と菊池さんの違うことといえば、わが家は母が死に、菊地さん方は父親が死に、わが家は妻がパートで顔はそれなり、菊地さん方は奥さんが保母で美人、わが家は子どもが4人、菊池さん方は子どもが2人くらいでしょうか。それにしても列記しただけでもこのくらいあるのですから、まあ似た境遇似た人生と言わざるを得ないのです。こうしたよく似た境遇がそうするのかお互い気心が合って、若いころから何かにつけて酒を鱈腹飲みました。大洲に住んでいた故松田寿雄先生を介して仲間が集まり、大風呂敷を広げて将来への夢を語ったものでした。夕日によるまちづくりも、人間牧場構想も元根はこの当たりにあると思われるのです。お互いがライバル意識を持つこともなく、むしろ悩みを打ち明けたり、時には色々なアドバイスを受け合いながら人生を過してきたように思うのです。

 菊地さんは私のブログの愛読者で、時々電話をかけてくれましたが、今年の春何を思ったのか、「ブログに書かれている人間牧場を見てみたい」と、一人で人間牧場へやって来ました。海の見える水平線の家のウッドデッキに、背もたれ椅子を二つ並べて置き、体を沈めて半日他愛もない過ぎ越し人生やこれからの夢を大いに語り合いました。
 もう一ヶ月も前のことでしょうか、菊地さんの夢を見ました。菊地さんのことが妙に気になり電話をしたら奥さんが出られて、検査入院しているとの事でした。そのうち入院中の菊地さんから電話が入り、30分間も長話をしたのが最後の言葉でした。
 幾ら元気で長生きしようと思っても、人は必ず老いるし死にます。その老い方や死に方が分からないから生きていけるのかも知れません。菊地さんのように予期もなくある日突然死ぬことだってあるのです。年齢順に順番に老いて死んでいくのであれば、一歳年上の私は菊地さんより先に逝かねばならないのに、順番が狂ってしまいました。残念ながら菊地さんに私を見送ってもらうことは出来なくなってしまいました。願わくば菊地さんの分まで長生きするからねと、弔問の言葉を菊地さんのご遺体にかけ、ご自宅を後にしました。

  「まあ何て 俺によく似た 人だろう 指折りながら あれやこれやと」

  「今だから 思える予兆 あれやこれ もっと出会って  おけばよかった」

  「俺の分 長生きせよと 言うように 見える死に顔 涙止まらず」

  「あの世にて 今度会うときゃ また酒を 鱈腹飲もう 涙で誓う」

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