人間牧場

〇久しぶりの忘年会

 大酒を飲んでいた若いころは、師走のこの頃になると妻が、「お父さん師走は松山から双海町へ通っているほど忘年会をしていたよね」と、懐かしむほど連日忘年会がありました。私が誘うのか仲間が誘うのかは、もう賞味期限の切れた話なので、深く詮索するつもりはありませんが、確かによく飲んだものだと、すっかりへこんだ下腹を撫でながら、当時を懐かしく思い出すのです。
 若いころの私は、酒を松山辺りで飲むと必ず妻に迎えに来てもらっていました。仲間内から妻のことを「10円タクシー」とあだ名が付けられていました。携帯電話が普及していなかったため、もっぱらお店や近くの公衆電話から家に電話して、迎えに来てもらっていました。妻が家を出て松山に到着するまでの約40分を有効に使おうと、2次会3次会に繰り出し、妻の迎えに来たことも忘れて飲んだこともありましたが、最後頃は待ち合わせ場所を「市駅前の角」と定めていたので、寒風吹きさらすベンチで酔いがすっかり覚めたことも幾度となくありました。

 10年前、体の都合でお酒を断ってからはそれもなくなり、「10円タクシー」は姿を消しましたが、「10円タクシー」で帰宅途中馴染みのラーメン屋に立ち寄って、ラーメンを食べビールを飲んだ、今にして思えば不健康極まりない行動もなくなり、妻も私も飲食門限午後8時を守る健康夫婦に生まれ変わっているのです。
 昨日は私が委員を務めている愛媛海区漁業調整委員会が水産会館であり、その流れで道後グランドホテルで忘年会をしました。委員と漁業関係団体、県庁農林水産部との合同忘年会なので、かなりの数の賑やかさでした。ホテルでの忘年会には大学生と思しきコンパニオンが5~6人呼ばれていたようでしたが、酒を飲まない私の前にはコンパニオンも必要ではなく、横の席に座った委員さんや団体関係者も、あちらこちらに酒を注ぎに出て席が空くため、私はもっぱら料理に舌鼓を打ちながら、2時間という長丁場を過ごしました。中締めをしたのは午後8時でしたので、2次会の誘いもありましたがすんなり車を運転して午後8時45分にはわが家へ帰り、優良亭主と妻に褒めてもらいました。

 現職を去ったせいか、年齢を重ねたからか、はたまた酒を飲まなくなったからかは分かりませんが、忘年会の数も年々減って今年は4回のようです。既に昨日で3回は終ったので後一回で幕引きです。まあこの程度が今の私には丁度いい回数のようです。
 自宅に帰って居間に入ったころを見計らったように、携帯電話がかかりました。電話の向こうの相手は日ごろ親しい仲間でした。かなり酒に酔っていました。聞けば忘年会が終って繰り出した2次会の店からのようで、電話の声もカラオケの音に紛れて聞き取れないほどのボリュームでした。酒に寄った人の話は同じような話を何度も繰り返すのです。自分が酩酊した経験があるだけに、邪険にすることもできず延々と15分も話を続けました。
 私が朝早く起きることを知っているその人から、今朝6時前に携帯電話がかかってきました。聞けば昨晩は3次会まで行って、帰宅したのは12時近くだったそうです。奥さんに叱られたそうです。それでも私と電話で話したことはおぼろげながら覚えているようで、あれこれと詫びていました。
 忘年会は忘れたい忘年もあれば夢を語る望年もあります。一年のうちには忘れたい事もたくさんあったことでしょうが、忘れたいことは早く忘れ、新たな気持ちで新年を迎えるような望年にして欲しいものです。私はどちらかというと望年のポジティブタイプで、あと一つ予定されている最後の忘年会を乗り切りたいと思っています。

  「忘年会 望年会と したいもの 忘れたいけど 忘れられずに」

  「十円で 妻を呼びつけ 懐かしい これも思い出 忘れられない」

  「飲んだあと ラーメン食べて 下腹に 溜めた贅肉 やっとなくなり」

  「二次会の 呑み屋カラオケ 賑やかに 電話かけ来る 友の話し聞く」

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