shin-1さんの日記

投稿者: | 2009年10月20日

○知らぬ土地を訪ねたら高い場所に上がって見るべし

 名著「忘れられた日本人」の著者で知られる民俗学者宮本常一について書かれた、ノンフィクション作家佐野眞一のこれまた名著「旅する巨人」の中に、宮本常一の父親が言った言葉が紹介されています。あいにくその本は来訪者の供覧のため、人間牧場・水平線の家の書棚に並べられ手元にはありませんが、宮本常一の父親が「旅をしたら訪れた町を必ず高い場所に登って見ればその土地のことが良く分かる」というくだりがあったように思うのです。その話に同調し旅のつれづれにその街の高台に登ってみると、納得することが多くあるのです。

 昨日は大洲へ行きました。公民館に勤めていた若いころには、当時師と仰ぐ松田寿雄先生が大洲市大洲、つまり大洲のど真ん中に住んでいて、折に触れて自宅を訪問し、時には破天荒な先生と大洲の街中を荒すがごとく飲み歩き、大洲の町を知り尽くしたような錯覚を持っていました。その恩師も今は亡く、国立大洲青少年交流の家や町の駅、それに大洲商工会議所に行く程度の出会いになっていることに気づき、少し早目に出て意味もなく臥龍の淵を訪ね、とっさの思いつきで大洲の街が一望できる冨士山へ宮本常一ばりに登ってみました。

若松進一ブログ
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 建築物に詳しい友人である岡崎直司さんから聞いたうろ覚えの知識ゆえ記憶は定かではないのですが、大洲の名勝臥龍の淵にかかる沈下橋辺りから臥龍山荘を見ました。ここは大洲藩主加藤家の庭園だった場所です。明治の貿易商河内寅次郎が構想10年、工期4年をかけて造ったという建物が川面に映えて建っていました。私の2~3度訪ねたことがありますが、臥龍院、不老庵、知止庵の建築物は数寄をこらした匠の技ぞろいで、見る人をうならせるのです。見ながらふと宮本常一のことを思い出し、山道を冨士山に向かって走りました。

 つつじの咲く春五月は多くの人で賑わう冨士山も、シーズンオフの今は散閑として僅かに2~3台の車が登っている程度で、夏の名残の草刈りをしている作業員が草刈り機のエンジン音を響かせながら長閑に作業をしていました。一面つつじの山頂は花もなくゆっくり散策しながら歩く園内は緑のみが目立ちましたが、つつじの木々も老木老域に達してどこか元気がないようにも思えました。

若松進一ブログ
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 展望台から見る臥龍辺りや市街地の眺望は澄み切った秋空がそうさせるのか絶景で、深まりゆく秋を気づかせるようにハゼもみじが赤く色を染め始めていました。180度の大パノラマに目を奪われながら見飽きぬ風景を眺めましたが、視線の向こうに大洲市柳沢一二三会(ひふみかい)の平谷さんたちが造った雲海展望台が見えました。間もなく雲海の季節かと思いつつ一度訪ねて欲しいと先日平谷さんから電話があったことを思い出しました。

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 僅か1時間ほどの短い時間でしたが、久しぶりにリラックスし目と心の保養をすることができました。華やいだつつじ咲く頃の冨士山もいいですが、この時期のひっそりした季節をたったひとり歩いたり見たりするのも悪くはないものです。知ったつもりの大洲でも知らない場所や見所が沢山あると、展望台の掲示板に張られたポスターの数々をみて再認識しました。肱川町や河辺村、それに長浜町と広域合併した大洲には、鵜飼、シャクナゲ、屋根付き橋、長浜大橋、金山出石寺、稲荷山、白滝、矢落川のホタルなどなど、見所満載なのです。


  「常一の 親父の教え そのままに 冨士に登り 一人散策」

  「雲もなく 秋空青き パノラマを 独り占めする 冨士の眺め」

  「あの辺り 暖簾くぐりて 酒を飲む 若かりし頃 思い出しつつ」

  「工場が 不況あおりで 去るという 眼下で起こる 悲喜はこもごも」