shin-1さんの日記

 双海~長浜~大洲と車を走らせ、「須崎100キロ」と書かれた旧肱川町の国道197号を更に進むと、長い三つのトンネルがあります。まるで「反対では?」と見間違うような立体交差の橋を左折すると、野村町方面を示す看板がありました。何度も通った道なので間違うはずもなく進むとそこは西予市野村なのです。道の緑地帯にはこの日お邪魔する野村高校が管理する立派な花壇が目につきました。師走を感じさせる葉牡丹が行儀よく並べて植えられていて、「おっ、野村高校、やってるな」とまちづくりにいささかなりとも関わっている私はつい嬉しくなりました。

 学校は街の入り口付近にあり、その場所を示すカーナビの画面を見ながら、少し早めに着いたので旧野村町の自慢の一つである乙亥会館を見学しようと急に思い立ち、信号を右折し三つ目の信号を左折すると、川沿いに乙亥会館が見えてきました。この会館は相撲処野村がその自慢として、両国国技館を模倣して建てたと何かの記事で読んでいたり、野村の友人から聞いていたいたので一度は訪ねたいと思っていたのですが、残念ながらその暇もなく延び延びになっていました。

(太鼓櫓)
(乙亥会館)

(吊り屋根天井と中の様子)

(相撲博物館)
 両国国技館へは足を運んだことはありませんが、大相撲中継の度に映し出された国技館の姿が頭の中にあるため、そっくりな姿と色合いに何か懐かしい感じがしました。櫓も組まれ、九州場所のご当地出身玉春日の星取表まで残っていました。確か玉春日は負けが込んでいたにもかかわらず終盤連勝し勝ち越した記憶があり、幕内でも古く高齢にもかかわらず黙々と頑張る姿には感動したものです。

 入口付近には御茶屋さん風のお店も並び、私の顔が売れているのか?、こんな田舎町でも出会う人がいて、「若松さんではありませんか」と声をかけてもらう有様です。中に入ると相撲博物館があり時間がないのでさっと目を通し会館の中へ入りました。木造の高い天井には大相撲と同じ吊り屋根があり、可動式の椅子は収納され、体育館のような会場では老人会が集会をしている最中でした。温泉も併設されているのでしょうか、会館前の駐車場は一杯で止める場所を確保したものの写真を2~3枚撮って足早にその場を立ち去りました。友人原田課長さんにも会いたいとも思ったのですが野村高校へ行く時間が迫って後ろ髪を引かれる思いでした。

 全校生徒400人を前に「人間としての在り方生き方」を話して欲しいと頼まれていたため、15時から50分間の短い時間ながら熱を込めて話しました。この高校出身の人で県庁の旧友井上課長さんや鶴井局長さんの顔を思い出しながら、高校生なので短めの話をつなぎつなぎ出来るだけ分りやすく話したつもりですが、反応はどうだったのでしょう。でも壇上にいる私への直接反応は真面目な聞く態度も話への感心も申し分のないものでした。講演の前後に校長室でお茶をいただきながら清家校長先生、近藤教頭先生と面談しましたが、清家校長先生は八幡浜高校の創立記念イベントでウォークラリーを計画した折、目的地がシーサイド公園だったため、花火を用意するなどいささかの手助けをしていた思い出を話され驚きました。

 仕事柄県内の公立高校は殆ど足を運んでいますが、少子化の影響で田舎の高校は定員削減という方針に基づき生徒数が減っており、また就職組より進学組が多くなって、少し活気が失われているようにも思えました。ひと頃の学校が荒れた時代はもう遠い昔のことのようです。でも裏を返せば将来を見据えた真面目な態度になっているのですからそれはそれとして喜ぶべきでしょう。

 水産高校の練習船愛媛丸で遠洋航海に旅立った40数年前の自分の姿を短い時間ではありましたが、思い出しながら話すことが出来て、いい一日でした。

  「二つの目 八百の目に 見られてる そんな緊張 話に凝縮」

  「ついでにと 乙亥会館 見学す 太鼓櫓の 音を想像」

  「九州の 熱戦の後 星並ぶ 黒と白とが 勝ち越し告げて」

  「青春を 語る自分の 青春を 思い出しつつ ショートな話」 

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