shin-1さんの日記

○忘年会

 「若松さん、今何してる?。私たちは忘年会で○○さんたちと○○で飲んでるの。ちょっと電話変わるね。」などと、忘年会の宴会の席から携帯電話が多くかかる頃になってきました。こちらは真剣な会議をしているというに、ポケットの携帯バイブレーターが振動しっぱなしで困ってしまい、結局は「ちょっと失礼」と会議を中断して外に出て、「会議中なので後でかけ直します」と小声で対応し部屋に戻ることなどしばしばなのです。こちらは真剣に会議をしているというのにあいつらはチクショー」とも思ったりもしますが、まあ酒の席の戯言だし、酒の席にせよ私を思い出してくれるのは嬉しい」と思いつつ、会議が終わって電話を入れると、相手のボルテージは最高に上がっていて、電話ながら絡まれることだってあるのです。

 昨日は私が代表運営委員を務める「えひめ地域づくり研究会議」の2ヶ月に1回の運営委員会があり、今年最後の会議なので終了後街に繰り出し忘年会をやりました。大酒飲みだった昔は11月頃から年末まで、「あなたは松山から通っているの」といわれるほど毎日のように忘年会と称して酒を飲んでいました。「相手変わって主変らず」と妻がいうように相手は変わるものの自分は変ることなく飲んでいました。その回数や酒の量も半端ではなく、今だったら完全に酒気帯び運転でひっかかるような状態で職場に行っていたようです。

 酒を飲むと運転できないため妻が「10円タクシー」と名前を替えていくら遅くなろうが松山まで迎えに来てくれたものでした。帰りには小腹が空いたと言っては途中ラーメン屋に立ち寄り、ビールを飲みながらラーメンを食べ、飲み足らないと言っては家に帰ってビールを飲み、そんなやんちゃ坊主のような男に飽きもせず付き合ってくれた妻は偉い人だとつくづく感謝をするのです。あの時飲んだ酒代は「亭主持ち逃げ」という項目で妻の家計簿に記帳されているので、妻の昔の家計簿を見るのが怖いくらいです。

 酒を止めたのだからあの時の飲み代はお金が残るはずだのに、やはり昔の諺のように「下戸に建った蔵がない」のでしょうか、一向に金など貯まらないのです。それでも考えてみれば先日出版した「夕やけ徒然草」という本も、自分のポケットマネーでどうにか出版始末が出来たのですから、酒を止めた効果は絶大なものがあるようです。酒が文化に変わった典型かも知れません。

 昨日は事務局の松本さんがみんなの意見を反映して鳥料理の専門店を選んでいました。このところ体の都合で肉料理など殆ど食べない私ですが、鳥刺しからモモ肉焼き鳥、酢物、鳥サラダ、鶏飯までこれでもかと言わんばかりの鳥にこだわった料理を堪能するほど食べました。美味しかったのでついつい食べ過ぎたかな?と思うほど食べ、ウーロン茶も2杯飲んで、腹がはちきれんばかりでしたが、風邪回復の手助けにはなったようです。

(これが特区で造った噂のドブロク「なっそ」です。県知事さんもその味を推奨しているそうです)
(酒は人を呼ぶのです。酒好きの清水さんもご満悦)

 昨日はいつになく話が盛り上がりました。というのも宇和島市津島町の森田さんがドブロク特区で仕込んだドブロクを持参していたからです。「なっそ」という南予の方言【何故=それがどないしたん】というよな意味だそうですが、前日愛媛県知事が試飲する姿がテレビで紹介されていたため、関心が高く、盃一杯程度の試飲なのに群がって味わっていました。酒を飲まない私も話のネタに試飲したかったのですが、飲酒運転になっては大変と自重し、鼻で匂いを嗅ぐ程度に留めました。

 午後9時でお開きでしたが、若者組や酒飲み組は三々五々夜の街に消えて行ったようです。私は今日から国立大洲青少年交流の家で始まる「大人を考えるフォーラム」の実行委員長として泊り込みの研修に出かけなければならないので、誘われましたが付き合いが悪いと思われながら後ろ髪引かれながらも10時前に帰宅しました。「まあ早かったのね」は妻の弁、「いい旦那でしょう」と自画自賛し玄関の内鍵をかけました。

  「忘れたく ないのに何故か 忘年会 これほどやると 忘れ過ぎます」

  「ドブロクを 特区で造った 試飲会 飲めぬ私は 匂い嗅ぐだけ」

  「酒飲まず 貯めたお金で 本を出す 今年も私 いい年でした」

  「飲んでるの 携帯電話が 雰囲気を 伝えてくるも こちら会議で」

 

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