shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年7月31日

○人生はスライドの枚数で決まる

 私の半生を思い返してみると年齢のそれぞれに強烈なインパクトを与えてくれた思い出がまるでスライドのコマのように蘇ってきます。多分いい人生はそのコマの数で決まるのではないかと思うのです。「若松進一の人生ドラマ」を思い返してみると、ごくありふれた田舎街双海町に、ごくありふれたように暮らしている若松進一という還暦を迎えた男にも、幾つかのスライドのコマがありました。10枚くらいスライドを思い出して見ましょう。

 ①青年の船でアメリカ・メキシコ・ハワイへ

 四国土佐清水出身のジョン・万次郎の生涯を描いた一冊の本に触発され、「30歳になったらアメリカへ行きたい思った小学校5年生の頃の夢が叶って、第10回総理府派遣青年の船の班長としてアメリカへ行きました。世界地図の真ん中に日本のない地図を見た思い出は一生忘れません。

 ②実習船愛媛丸で珊瑚海へ

 愛媛県立宇和島水産高校の実習船愛媛丸で18歳の時、オーストラリアの近くの珊瑚海まで遠洋航海に出ました。地球が丸い実感や、大時化の海からの生還はふるさとへの思いや人生観を変えました。

 ③下灘駅夕焼けプラットホームコンサート

 夕日が綺麗とNHKのカメラマンが言った一言で心の中にある夕日の潜在能力が顕在化して、夕焼けプラットホームコンサートをやりました。多分夕日へのこだわりはここから生まれてきたのでしょう。

 ④上灘の地に家を建てる

 26歳で妻繁子と結婚し、4人の子どもが生まれ、31歳の時土地を求めわが家を新築しました。660坪の広大な敷地の一角に私設公民館煙会所を建て、今は海の資料館海舟館、夕観所を併設して全国から多くの人を家に呼び込み交流しました。

 ⑤無人島キャンプ

 21世紀えひめニューフロンティアグループを立ち上げ代表として無人島キャンプを20年間もやりました。丸木舟瀬戸内海航海や竪穴式住居づくり、40回のフロンティア塾は感動の涙を流したよき思い出です。

 ⑥シーサイド公園整備

 まちづくりの拠点としてシーサイド公園、潮風ふれあい公園、しもなだ運動公園の整備を発想しました。特にシーサイド公園は12年間毎日朝5時から3時間海岸清掃をやりました。その成果なのでしょうか年間55万人もの観光客が訪れる県下屈指の観光スポットとなりました。

 ⑦母の死

 私を生んでくれた母が私の誕生日の明くる日80歳で亡くなりました。私の人生で最も悲しかった出来事です。しかし6年経った今も私の心の中で母は生きて見守ってくれているのです。

 ⑧人間牧場できる

 60歳で教育長を辞めて35年の役場生活にピリオドを打ちました。その過去をかなぐり捨ててゼロに戻り、念願の人間牧場を作りました。水平線の家、五右衛門風呂、ツリーハウス、農場は多くの人を集めて楽しい語らいの場となっています。

 ⑨観光カリスマ百選に選ばれる

 これまで様々な賞をいただきましたが、国土交通省の観光カリスマという称号は凄いインパクトがありました。今も全国からまちづくりや観光の仕事が舞い込んで全国行脚をしています。

 ⑩自著「昇る夕日でまちづくり」出版

 55歳で本を出したいとの思いを実現し、「昇る夕日でまちづくり」を出版、「今やれる青春」など相次いで出版、「昇る夕日でまちづくり」は3千部完売し二版を出しました。出版記念の日に何故かえひめ丸が沈没し悲しい思い出となりました。

 ⑩木になるカバン

 ある人に巡り合って木になるカバンを手に入れました。以後この木製カバンは私とともに全国を旅しています。中にはハーモニカも忍ばせています。

 こうして僅か10枚にまとめたスライドの向こうに多くの人の助けとかかわりがありました。とりあえずこの10枚を足がかりに100枚のスライドにまとめてみようと思っています。さてあなたの人生のスライドは如何でしょうか。

  「人生の スライドコマを 出して見る あるあるあるわ いつか整理を」

  「一枚の スライド毎に 思い出を 思い出しつつ 懐かしんでは」

  「俺なんて 田舎の町の 凡人だ それでも少し 非凡なところ」

  「百枚の スライドまとめ 人生を ふりかえるのも 味があるかも」 

       

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