shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年7月20日

○昔の名前で出ています

 小林旭が歌って大ヒットした「昔の名前で出ています」ではありませんが、近頃何かにつけて名前が変わっている事に驚くことが沢山あります。先日宇和島市役所を訪問した時偶然にも昔馴染みの文化課長さんにお会いしました。この方の名前は私の記憶では確か竹田さんという人だと思うのに、胸のネームはまったく別の名前になっているのです。「失礼ですが」と前置きし、「養子にでも?」と尋ねたところ、そうでもないのに改名したのだそうです。「へーえ、そんなことが出来るのか」と思いました。

 平成の大合併で愛媛県も70市町村が20市町になりました。私のように愛媛県をフィールドにくまなく歩いている人間にとっては、何処と何処が合併し、何というまちになったかすぐ分るのですが、広域になって遠いと思っていた地域がすぐ隣になったり、先日も長浜の沖合いで貨物船が衝突し沈没したニュースが流れると大洲市沖と紹介するので、「えっ、大洲市に海があったっけ」なんて疑問はざらなのです。私の町の隣はもう大洲市なのですから信じられないようなことがいっぱい起こるのです。

 先日も人間牧場にやって来た子どもたちがなぞなぞをやっていました。「進ちゃん、大洲に最も早く行く方法を知ってるかい」と聞くのです。「伊予市に出て高速に乗って・・・」と答えると、「一番早く大洲へ行く方法は双海町と長浜町の境目にある喜多灘の駅付近の双海町にいて、ヨーイドンで走れば僅か5秒で到着する」というのです。参った参ったでした。

 国立愛媛大学が独立行政法人という名前がプラスされたり、農業改良普及所が普及センターになったり、改名はとどまる所を知らないようです。でも名前が変わったからといって中身が変わったわけではなく、かえって混乱を招いただけのことも多いようです。今晩お邪魔する高知県四万十市西土佐総合支所という名前もやはり馴染みにくい呼び名のような気がしてなりません。

 昨日青少年指導者基本研修の講義で国立大洲青年の家に出掛けました。この青年の家は私たちが若い頃、青年運動の成果として誘致した思い出多い施設なのですが、国の機関の統廃合によって独立行政法人国立青少年教育振興機構とかいう組織に組み込まれ、青年の家という呼び名が「青少年交流の家」と改名されました。30年も慣れ親しんだ名前がいとも簡単に変えられるのです。まさに東京霞ヶ関の理論なのです。これまで全国に13合った青年の家は青少年交流の家に、14あった少年自然の家は青少年自然の家に改名したのですが、機構の傘下に一元化された施設は効果効率の競い合いで画一化されつつあり、予算もままならない状態になっているようです。主催事業も特徴ある事業がどんどん姿を消し、東京で考えた企画がやらせのような形で逆輸入されつつあることを肌で感じるのです。

 時代の変革の中で施設や組織の名前がどんどん変わる事はやむを得ないことと諦めてはいますが、はてさて名前の変更だけで、住民サービスが低下する状態はこれまた諦めざるを得ないのでしょうか。

 古きよき時代を生きてきた私たちにとっては何とも住みにくい世の中になったものです。今朝そんな思いもあってハーモニカで小林旭の「昔の名前で出ています」を吹いてみました。「♪京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの 神戸じゃ渚と 名のったの 浜の酒場に 戻ったその日から あなたを信じて ここまで来たわ 昔の名前で 出ています♪」。いい歌ですね。「あー俺も 昔回顧の 歌うたう 歳になったか 少し寂しく」

  「この歳で 名前変えられ 覚えれず パニック当然 そんな歳です」

  「青年の 家が名前を 変えました 交流の家 ジジババ連想」

  「えっとする 看板地名 記憶なし それもそのはず 架空の名前」

  「横文字の JA・JR 慣れました 伊予市に慣れるに 一年かかった」  

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