shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年7月9日

○瀬戸内海を渡る

 私の場合、所用で島根県へ行く場合には大きく分けて3つのルートを選びます。公共交通機関を利用する場合の一つは松山から特急しおかぜに乗って瀬戸大橋を渡り岡山経由特急やぐもで松江へ入ります。公共交通機関利用のもう一つは松山観光港からフェリーか高速船で広島宇品に渡り、バスセンターから島根各方面行きの高速バスに乗って目的地へ向かうのです。マイカー利用の場合は瀬戸大橋、しまなみ海道、若しくは堀江・阿賀フェリーで瀬戸内海を渡りそれぞれの国道を縦横無尽に走るのです。

 今日は島根県益田市種公民館の招きで益田市へ行くので、行きは松山観光港からフェリーに乗りました。高速船も考えたのですが、午後2時の待ち合わせで宇品まで迎えに来てくれる約束が成立しのんびり旅と相成りました。

 小雨そぼ降る観光港を出港したフェリーは折からの小雨、しかも霧の瀬戸内海を霧笛の音をききながらのんびりゆっくり走りました。高速船が何度か追い抜いて行きましたが、別に気にすることもなく童門冬二の本を読みながらささやかな休息となりました。

 急に船が減速し始めました。瀬戸内海の難所である音戸の瀬戸を通るのです。航路を示すブイの向こうに赤くて美しいループ橋が見えてきました。

 橋の下をゆっくりとした速度で走るのですが両岸には手の届きそうな近さなのです。この音戸の瀬戸は平清盛の時代から海上交通の要所として栄えた所です。

 周りが騒がしくなったので甲板に出て外を見てみるともう呉の港が見え、船内アナウンスが呉港下船の誘導を行っていました。私も気晴らしにデッキを歩きながら霧の向こうに目をやりました。IHIと書かれた巨大なドックではまるで山のような鉄の塊が見えました。10万トンを越す大きなタンカーの建造風景です。瀬戸内の海に育ち船を見続けて育った私にさえ異様な光景に思えるのですから、始めて見る人はその大きさに度肝を抜かれたらしく、盛んに指を指して感嘆の声を上げていました。

 船の名前が英語だったことを考えるとこの船もぎ装作業が済んだら外洋に乗り出し世界の海を航海することでしょう。

 呉はかつて軍港として栄えた港町ですが、今は海上自衛隊の基地として重要な役割を果している港でもあります。大小無数の自衛隊の艦船が沖合いや港内桟橋に係留していました。中でも平和な世の中ゆえに中々お目にかかれない潜水艦がこの港では簡単に目にすることができるのです。戦時中なら軍事機密で写真などご法度なのでしょうが、私はデジカメを取り出し霧の中でしたが潜水艦の遠望を撮影しました。

 ちょっと見えにくいのですが艦船の横に見えるのは浮上した鯨のような潜水艦なのです。またその横にはイージス艦なんて知識しかないのでその艦船の名前は分りませんが大きな艦船の姿も見えました。

 やがてフェリーは呉港に着岸し、船と人を降ろし再び足早に宇品港を目指しました。

 呉の港は最近左に見える大和ミュージアムの影響で大勢の観光客が訪れているようです。今日のフェリーにもその観光客とおぼしき団体が3団体バス毎乗り込みそれは賑やかな酒盛りが行われていましたので、下船した後はまるで灯が消えたような静けさが戻っていました。私たちが何気なく通るこの航路にもその気になってみれば様々な特徴ある見ものがあることに気がつきました、。これに島伝いに走る島の遠望を楽しんだりすると船の魅力は倍加するのです。

  「テポドンの 話題想像 船を見る 知ってか知らずか 艦船長閑に」

  「あの船も 人が造った 芸術品 偉いもんだね 浮かぶのですから」

  「瀬戸内は その気で見れば 見所が いっぱいあります 眠る暇など」

  「二日前 大和の砲弾 見たばかり ミサイル打った 後の衝撃」  

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