shin-1さんの日記

○厄払い

 私と妻は年齢が一つだけ違い私が上の申年です。妻は酉年なのでこの4年余り、還暦の前厄・本厄・後厄と毎年のように厄年がやって来て、その厄払いのために菊間町のお寺へお払いをしに毎年行っています。昨年は娘の33歳の厄年とかも重なり、一緒に出掛けたのですが、今年は娘婿の厄除けもからめて孫と3人で先週の日曜日に出掛けました。

 好天に恵まれ吹く風は寒く感じられるものの太陽の光はもう春の足音を感じさせるような強い日差しを感じました。厄除けの仏様とあって参拝客や願掛け願解きの人も多く、境内はかなりの人でした。間もなく立春ですがその日は縁日なので混雑を避けたつもりでも、厄払いの仏事は少し待ち時間があるほどでした。

 私たちが本道に案内され、さあいよいよ護摩法要という時になって同行の孫が、大きな太鼓の音と、護摩を焚き読経が始まると異様な雰囲気に恐れて泣き始め、車の中で寝ていたこともあってオシッコを漏らしてしまいました。結局後厄お願いに来た当の妻はその処理に追われてしまいました。

 孫のオシッコで濡れた妻のズボンも孫のズボンも全て厄だったのだと思うと何か軽い気持ちになって、途中のスーパーでズボンを買って履き替え、帰りに温泉で洗い流す結果となりました。まさに予期せぬことで厄払いが出来たと、孫だから思えるのでしょう。

 厄払いで全ての厄が払われるとは思いません。事実初詣に行く途中、あるいは88箇所参りに行く途中で事故に会う人だって要るのですから一寸先は分からないのです。私も本厄の一昨年、チェンソーで足を切って入院の羽目になったことだってあります。妻は風呂上りに私の足の傷を見ながら「よくそのくらいな傷で済んだねえ」と言ってくれますが、これもご利益と考えれば有難いことなのです。

 人間は文明の発達によって目に見えない神仏や迷信などは科学的な実態がないだけに信じない傾向があります。そこへ行くと文明の発達していない地域では神仏は絶対的なものとして崇められています。子どもの頃のような神仏に祈る年中行事が廃れたのもそのためのような気がします。でも人間は神仏を忘れ自然の偉大さを忘れてはならないと厄払いをするためお経の経典でお坊さんが背中を思い切り叩く痛さを感じて思いました。

 「ああ私も妻も還暦という人生の節目まで生かせてもらった」「有難う」と感謝せずには要られません。これからは「自分で出来る幸せ」はもとより、「人のためにしてあげる幸せ」を少しでもして行きたいと心に念じました」

  「孫小便妻にひりかけ小厄だと笑い転げてお札授かり」

  「前厄も本厄さえも超えてきた後は後厄妻よ元気で」

  「酒さえも飲めぬ体になりました還暦生きて後は何年」

  「同年のあの人逝きしあの世とはどんな世なのか一度は行かねば」

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shin-1さんの日記

○大学見つかる

 二宮金次郎の銅像は日本全国の学校に今でも多く建っていますが、私が質問した限りでは二宮金次郎が左手に持っている本の中身が何であるか、知っている人は少ないようです。ある人は「修身」や「論語」などと言う人もいますが、中身は中国の古書「大学」の一節なのです。

 昨日私は尼崎市で開かれた研修会に講師として招かれましたが、講演が終わって大阪に出て、梅田の駅近くにある古本屋通りを時間つぶしに歩いていました。さすが大阪古本といってもグレードの高い本が店先から奥までぎっしりと積まれた店がズラリと並んでいました。とある一軒の店に入り、無造作に置かれている古本の山の中に、これまた古くなってノジの抜いた一冊の本が目に留まったのです。柿渋を塗った表紙を開けてみると何とこれが捜し求めていた「大学」だったのです。

 明治41年に出版されたその本は薄っぺらい和紙の袋綴じで多分版木印刷されたもののようでした。全部で15ページ程度の本ですが、凡人の私には漢字ばかりで読めないため意味さえも分からないのです。しかし二宮金次郎が読んでいる「一家仁一國興仁一家譲一國興譲一人貪戻一國作乱其機如此」という箇所は確かに9ページに載っているのです。少しばかりでしたが私は身震いするのを覚えました。

 早速店番のお姉さんに「これ幾らする」のと尋ねました。「社長があいにく留守をしているんで分かりません」というのです。「お客さん幾らだったら買うんですか」と逆に尋ねられたので、「そうですね古いのは古いんですがノジが抜いて紙切れ同然で判読も難しいので千円以下じゃないですか」と切り出しました。骨董的価値からすると5千円くらいはするだろうなと思いつつ、「いいですよ。じゃあはるばる四国から来られているので700円に負けときましょう」で商談成立と相成りました。「お客さんもお若いのにこんな趣味があるのですか」などとお世辞を言うお姉さんと、口相撲をとりながら「社長が帰ったらどうしよう」と内心「シメタ」と思いながら、千円札を出して300円のおつりを頂き店を後にしました。

 それからの旅は言うに及ばずこの古い大学の本と首っ丈、近所にいる人が物珍しそうに見たのも無理はありませんでした。安い買い物をしたものです。社長さんが帰って報告したら多分叱られたに違いありません。でも私は合意の基にかったのですから、ホルエモンみたいに捕まったり罰せられたりすることはないのです。

  「長年の夢がかなって見つけたり大学古書がたった700円」

  「ノジ抜きしカビの匂いの大学を誰が持ちしか思いを馳せる」

  「間抜けなり店番姉さん俺に惚れ大学売ってまだにお釣を」

  「行燈の灯り頼りに読んだ人今はあの世で俺の来る待つ」

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shin-1さんの日記

○金で解決できないことはない

 ライブドアという会社の堀江社長さんが捕まりました。ホリエモンという愛称で呼ばれ、彼の言った「想定外・想定内」という言葉は昨年末流行語大賞を受賞するなど、様々な分野で注目を集めていました。東大在学中に会社を興し僅か700万円の小さな会社を700千億円の大会社にしたのですから、想定内どころか想定外の偉い出世でした。ライブドアの躍進によってインターネット産業の株価は留まるところを知らないほどの成長を遂げ、日本テレビやプロ野球に進出しようとした姿を見て、このままだと日本の全ての会社を乗っ取るのでhないかという勢いさえ感じさせるようでした。彼の発言や行くところ必ず話題が生まれ、新人類として落選はしたものの岡山選挙区で立候補し政界にまで触手を示しました。

 今晩会合が終わって自宅に戻ると、妻はテレビの前に座ってこのニュースの行方をじっと見ていたそうで、風呂の元栓を締めるのも忘れて流しっぱなしなったと興奮気味に話すのです。任意の事情聴取の後逮捕され、今晩は氷点下の独房で眠れぬ一夜を過ごすのだと報じていました。

 経済界、しかもインターネット業界のことなので、我々庶民にはインサイダー取引だの何だの言われてもピンと来ませんが、要は汗水垂らさなくても、頭を使ってキーボード操作で巨万の富を築いたその手法が人をだました行為に当るというのです。人を殺したような犯罪なら分かりやすいのですが、我々庶民には何ら関係のない話のようにも思えるところが大きな特徴なのです。

 プロ野球を買収しようとした時彼は取材に対し「金で解決できないことはない」と豪語していたのが印象的でした。事実金で巨万の富を築いたのですからこれまでの彼の人生は文字通り知識が生み出したマネーでした。しこしこれからは果たして金で出来るかどうかまでは想定外のことだったのかも知れません。

 「策士策に溺れる」という言葉があります。若さゆえに突っ走り、彼の側近も彼のアクセルの踏み過ぎに対してブレーキを掛けることを勧めなかったのでしょう。

 明日の新聞はこぞって一面トップ記事で「堀江社長逮捕」を報じるでしょうが、これも長い時の流れの中では、平成17年の10大ニュースの一項目として記憶の彼方に消えていく運命にあるのです。

  「昨日までチヤホヤされてたあの人が今は冷たい拘置所の中」

  「庶民には何のことやらチンプンカンノーネクタイにどんな罪なの」

  「風呂さえも元栓忘れ釘付けに妻も馬鹿だなそんなニュースで」

  「金もなく被害さえない我が家にはホリエモンさんお気の毒です」

 

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shin-1さんの日記

○親子への話は難しいものです

 毎日仕事であくせく働いていると(自由人ですから講演等が仕事といえるかどうか)、勤めていたころに比べ曜日の感覚が余りありません。「今日は日曜日」だと言われても、サンデー毎日の私にはあまりピンと来ないのです。かつては日曜日が待ち遠しい感じがありましたが、今は日曜日なんて何の意味もないのです。

 今日は日曜日ながら、市内の北山崎小学校の子育て講演会に招かれました。何気なく講演依頼に応じていたのですが、出発間際になって講師派遣申請を見たら、何と小学校5・6年生もPTAの皆さんと一緒に話を聞くようになっているではありませんか。少々驚きましたが仕方がないこととあきらめて学校へ出掛けました。これまでにも親子で一緒に話を聞く企画は何度もありましたが、話す本人としてはこれが中々難しいものなのです。親のレベルに合わせると難し過ぎるし、子どもに焦点を当て過ぎると少し幼稚だし、どっちを取ればいいのか本当に迷ってしまいました。

 それでもやはり子どもを中心にしなければならず、そんな話に終始しました。幸い学校側がワイヤレスマイクを一本用意してくれていたので、子どもにインタビューしながら1時間程度の話を組み立てました。最初は私のインタビューに多少たじろいでいた子どもたちもそのうち心の扉を開いてくれて、活発なやり取りが出来ました。校長先生の話によるとこの学校でも年々生徒数が減少しているらしく300人余りの児童ですが、各学年2クラス合計12クラス、全て40人学級以下だそうです。講演会終了後花束までいただき学校を後にしましたが、迎え方送り方にほのぼのとした温かさを感じました。

 その後所用を終えて家に帰ってインターネットを開いてみると、参加したある女性から素敵なEメールが入っていました。私の話を聞いての感想ですが、こうして反応があるのはとても嬉しいもので、早速お礼のメールを送りました。いやはや便利になったものです。

 子どもにとって私の話はどう感じたのだろうと少し気がかりです。まるでNHKの「課外授業」ばりのざっくばらんな授業だったので面食らったところもあるでしょうが、日ごろ聞いている先生方の話とは一味違う話に興味を持ったことは体感反応として感じました。

  「5・6年子ども相手に授業するまるで蜂の巣みんな元気だ」

  「君の夢マイク向ければサッカーの選手なりたい言う子どもあり」

  「この子らは100年生の木と同じ残った人生あと80年余」

  「ふと漏らす会長リストラされるとは世の中厳し雪の重みか」

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○舩木上次という男

 今日は私が代表を務める「えひめ地域づくり研究会議」の年次総会フォーラムです。松山のにぎたつ会館と郵便貯金会館を会場に夕方遅くまで勉強会が繰り広げられます。毎年この集会に県外からめったに聞けない人の話しを聞こうと講師を招くのですが、今年はこの2年間私と急接近している山梨県清里萌木の里の舩木上次さんをお招きしました。舩木さんは既に昨日の飛行機で愛媛入りしていますが、昨晩彼の歓迎会をごく内輪の人間だけでやりました。

 彼と知り合ったのは2年前、東京で行われた観光カリスマシンポジウムでした。観光カリスマ100選という制度は内閣府や国土交通省が中心になって観光立国を目指して、特徴ある観光地を仕掛けた人たちのノウハウを全国に広めようと国内から選りすぐりのカリスマを剪定しているもので、既に100人の人が選ばれています。及ばずながら私も撰ばれてその末席を汚していますが、選ばれている人はそうそうたる顔ぶれで舩木さんもそのうちの一人です。

 2年前東京高輪のプリンスホテルで開かれたシンポジウムで舩木さんと私が登壇者6人の中のそれぞれ一人として意見を述べたのですが、それ以来気が合って交遊を続けています。先日も山梨県で予定も立てない旅の途中で連絡がつき、楽しい出会いを重ねたところです。

 舩木さんは凄い人です。ポール・ラッシュの精神を受け継ぐばかりでなく、清里フィールドバレーの公演をもう17年も続けている人です。

 昨日は東京へ出るため高速道路を猛スピードで走っていてパトカーにつかまったそうですが、そのことも笑いのネタで笑い飛ばし、スーパーマンのTシャツを着てさっそうと登場して参加者をあっと驚かせるパフォーマンスを繰り広げました。

 彼の口利きで私も随分全国を講演で回っていますが、南牧村の中島美人村長さんたちとの出会いは深くて交流の輪は大きく広がり新しい時代の到来を予感させてくれます。

 今日は彼をメインゲストに物語を進めますが、多分大きな収穫が参加者にもたらされることでしょう。

 人との出会いは不思議なものです。長い友達もいれば舩木さんのように短い間に濃密な関係が出来る人もいます。私にとって舩木さんという人間の存在は観光カリスマとしてでなく、人間牧場構想の北極星のような存在かも知れないのです。

 今日は舩木上次さんの全てをしゃぶります。

  「人に惚れ人に惚れられ人を掘る掘り出し物の宝に出会う」

  「まだ四・五度だけしか会わぬこの男百年前から知っているよな」

  「人違うポールを目指す二人だが生き方似てる強く生きよと」

  「甲斐は山伊予は海なるお国にて見る目視点が全然違う」

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shin-1さんの日記

○平成の傘地蔵物語

 昔々ある所におじいさんとばあさんが住んでいました。年の暮れも押し迫ったある日、おじいさんはまちまで傘を売りに出掛けました。しかしその日はどういう訳か7枚持って行った傘は一枚も売れませんでした。傘が売れれば正月用の餅を買おうと思ったのですがそれも適わず帰路につきました。帰りの峠道で雪が降り始めました。峠には8つのお地蔵さんが寒そうに立っていました。心の優しいおじいさんは持っていた7枚の傘を「お寒いでしょう」と被せ、足りない一枚は自分の被っている傘を取ってお地蔵さんに被せて家へ帰りました。おばあさんに訳を話すと「それはいいことをしました。傘はまた作ればいい」と喜んでくれました。

 その夜二人が布団にくるまって寝ていると雪を踏みしめる足音がしますが二人とも昼間の疲れで寝入ってしまいました。あくる朝鶏の鳴き声で起き、外に出てみると沢山の足跡とともに戸口に沢山の餅とお金が置いてありました。     

 これは多少表現は違いますが久万地方に残る、ご存知傘地蔵物語の要約の一節です。

 今日久万高原町立明神小学校で開かれた人権教育研究大会に招かれました。国道33号の急な坂道をどんどん登って三坂峠を越え明神小学校へ行きました。道の両側には白い雪がまだ残る寒い一日でしたが、私は凄いものを発見しました。明神小学校の玄関に二宮金次郎の銅像が寒そうに建っているのですが、その銅像の首に何とネッカチーフが巻かれているのです。普通であればこんな偉い人の銅像に布を巻くとはけしからんとお叱りを受けるのでしょうが、私はこれこそ平成の傘地蔵物語ではないかと思ったのです。校長先生にお聞きすると、金次郎さんが雪で寒いだろうと子どもが首にネッカチーフを巻いたのだそうです。私は嬉しくなりました。殺伐とした世の中にあって明神小学校の子どもたちの心根の何と優しいことか、時あたかも人権教育の大会だったものですから、そのことを参加者に話しました。そして帰り際運良く持参していたデジカメで一枚パチリ写しました。「明神小学校万歳」と叫びたい心境でした。

 その夜の集会で明神小学校での金次郎の首巻についてあいさつ代わりに話しましたら、みんな感心して話を聞いてくれました。これぞ現場主義なのです。

 私たちは人権について様々な知識を持っています。しかしいざ自分のことになると本音と建前の違いがもろに出て中々実行できません。学校で靴をきちんと並べられる子どもが家では何故並べられないのでしょう。まさに本音と建前の違いなのです。授業参観では人権や差別の現実を発達段階に応じて微細にすばらしい授業が行われていましたが、空想の世界を教材にするのも指導要領に沿っているからいいのかも知れませんが、金次郎さんという生きた教材を使うことも教員には必要な知恵かも知れません。

 教えに行って教えられた今日の出来事は私の心に長く残り、他所で語ってあげたい美談でした。

  「ふと見れば首に布巻く金次郎雪寒かろう子ども優しく」

  「全国に金次郎さんは多かれど首巻きつけた見たの初めて」

  「この子らにこんな優しい心根を持たせし親や導く学校」

  「司馬遼も峠という本出している越えた向こうに理想のふるさと」

 

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shin-1さんの日記

○仕事辞めても来る手紙

 3月いっぱいで仕事を辞め4月から自由人になった私には、手紙など縁のないものと思っていましたが、今でも手紙類は量で我が家に届きます。看護士を目指し専門学校に通う息子が毎日登校前にポストから取り込んでくれるのですが、「何でうちには毎日こんなに手紙が届くの?」と驚くほど届くのです。先日も3・4日家を空けているとダンボールで作った手紙入れは満杯になるほどの量でした。一つ一つ封を切って見るのですが、これが中々の作業なのです。見かねた息子は「お父さんアルバイトでお父さんの秘書になってあげようか」とも言われますが、私にか分からない書類だけに人にも任せられず見処理のものがうず高く積まれています。

 先日ある仲間から「原稿依頼の文書を送ったが見てくれたか」と電話がかかってきました。「えっ、そんな文書いつ送った?。見てない」、「いや確かに送った」のやり取りの末手紙類を調べてみるとありました。直ぐにお断りの電話を入れ、忙しいながら徹夜をして原稿を書き上げて送った始末です。

 これ以外にも講師派遣申請なる文書が沢山舞い込みます。「プロフィルを送れ」「何時に何処へ着くか連絡を頼む」「講演に用意するものは何か」「振込先を同封の用紙記入の上返送してくれ」などなど、もうそれは大変です。相手のスケジュールにあわせ期限を切られるのですが、こちらはそのことをいちいち覚えていないので結果はご承知の通り遅れる始末です。ましてや最近はインターネットで届いたメール返事も余分な手を取られます。

 今年の年賀状も現役のころと変わらぬ枚数でした。出した人、出さなかった人様々なのですが、現役のころのようなチェックが出来ず不義理をしている人もあると思うのですがご容赦下さい。

 えひめ地域づくり研究会議代表運営委員、金融広報アドバイザー、広報区長、観光カリスマ、愛媛大学法文学部非常勤講師などが只今私の公職ですが、その一つ一つに文章がついて回るのです。もう少しの辛抱でしょうが、当分は忙しい文書処理の仕事をこなさなければなりません。手紙を見る度に憂鬱な日々が続きます。

  「出す人がいるから手紙届きます私の名前書く人多し」

  「秘書を置く余裕もなしの身分にて遅れお詫びの電話度々」

  「弁護士の封筒届きギクリする何だ元気か時候あいさつ」

  「女性から私に届いたハガキ読む妻驚ろかずもっと驚け」

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○朝食はリンゴとキャベツと牛乳と黒酢にパン

 「健康にいいものは何だってやる」を合言葉に、人それぞれ色々な健康のための実践をしているようです。私の仲間に朝食をフルーツだけで10キロ以上も痩せたという人がいます。彼は農家の後とりながら勤めに出て、体が不自由になった父親に代わって土日曜日はもっぱら農業をやっていますが、自分の作ったみかんが最近消費者離れになっている原因を突き止めようと仲間で研究会を発足させました。自分の作った果物の抜群の味を改めて再確認し、「朝の果物は金」といわれる実践を自らがしようと「朝フル運動」を思いついたようです。つまり朝は旬の季節の果物だけで済ませようというのです。効果は抜群で2年前に出会った彼はでっぷらふっくらの人でしたが、今は身体も引き締まり精悍な人間に見事変身しているのです。

 「私もやってみよう」と思いましたが、果物の手配は長続きしないだろうと実践はしていません。でも私は只今痩せる必要もないので自分の健康朝食を続行しようと思っています。

 私の朝食はこの30年余りリンゴとキャベツと牛乳と黒酢少々です。南国四国愛媛は日本一のみかん王国です。リンゴの代わりにみかんでもよいのかも知れませんが、妻は何故か毎日一個のリンゴをむいで食卓に置いてくれます。今はリンゴも年中出回っているので助かりますが、妻の買い物籠には必ずリンゴが入っています。キャベツも私の常食です。厳冬の今年はキャベツが平年の3倍の値段とか、知る由もありませんがキャベツのシャキシャキ感は朝食って感じです。

 黒酢は5年くらい前に始めたのですが、黒酢が効くのかこの5年間風邪は引いたことがありません。主に玄米黒酢を愛飲しています。勿論カルシューム補給のため牛乳は欠かしません。パン一枚を加えたこれが私の昼食メニューです。普通の人と違うのはリンゴとキャベツと黒酢の常食常飲でしょうが、お蔭様で健康で日々を暮らしています。

 快食・快眠・快便の日々は気持ちがいいです。5年前胆嚢摘出手術の大病、1年前のチエンソー怪我と

それぞれ綱渡りしてきた自分の健康をもう一度肝に銘じて自己管理したいと思います。

  「この頃は顔色良いと人が言う嬉しい評価に心ウキウキ」

  「朝飯というのに飯のない暮らしリンゴキャベツに黒酢加えて」

  「同じもの喰ってあなたは何故肥える水を飲んでも太る体質」

  「漫画見たポパイ食べてるほうれん草私はキャベツどうりで力が」

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shin-1さんの日記

○はるばる女性議員がやって来た

 私のインターネットにある日東京都大島町議会の議員さんから一通のメールが届きました。要約すると「東京丸の内の東京フォーラムで開催された全国監査委員研修会で私の話を聞いたから、是非あなたに会って勉強したい」とのことでした。素敵そうな名前の女性の議員さんのことでもあり、日程を調整したのですが、残念ながら日程が合わず断念のメールを送ったところ、「あなたの日程に合わせるから」と食い下がられ、それではと引き受けることになり本日東京から3名の女性議員さんが私の所へやって来ました。東京といってもあの伊豆大島ですから驚きはしませんが、そんな遠い所からわざわざ来られるのですから、取材の日程を早朝に早めたりテレビ出演を早めたり、のんびりすることも出来ず日程調整に追われました。結果的には終日対応することが出来、夕方無事伊予市のタクシー会社まで送って夕方の会合に間に合うように帰って来ました。

 現職を離れたので幾分視察の受け入れは減りましたが、それでも私に会いに来る視察者はまだまだ多く、その都度視察者から逆に学びながら楽しい交流を行っています。合併して交流の窓口が狭められ折角双海町へ来たいと役所に連絡してもやれ「日曜日や土曜日は休みで受け入れられない」とか、「担当者が忙しい」とかで断られることが多いと、結局は私の所へ電話がかかってくるのです。残念だと思いつつ現職を去った私の役場批判になっては困ると思いつつ何か割り切れない気持ちのモヤモヤが続いています。

 議会議員の研修は沢山受け入れてきましたが、往々にして松山に泊まるついでの研修が多いようですが、今日の3人の女性は遥かにグレードの高いやる気の議員さんとお見受けしました。そうなると私も張り切ってわが家までご案内する熱の入れようで、楽しいおしゃべりと交流が出来たように思います。メンバーの中には女性ながら副議長さんもおり椿の花びらで染め上げた素敵な絹のスカーフやくさやの干物をお土産に頂きました。

 一人の女性が研修会で講師の話を聞く。面白かったと人に伝える。それじゃあ行こうと相談がまとまる。

インターネットで検索し都合を聞く。都合が悪いと返事が届く。あなたに合わせると再度メール。それじゃあ会おうと商談成立。町へやって来る。まあこんな具合で小さな種はまるでタンポポのように風に乗って四国まで届きました。小さな種は太陽と水と空気を与えられ再び島へ帰って行きました。多分彼女たちは旅の恵みを島おこしの力にすることでしょう。頑張れ3人の素敵な女性議員たち。あなたに拍手送ります。

  「成功も失敗話も聞きたいと視察研修遠い町から」

  「偉そうな議員バッチを取り外し本気やる気で町中歩く」

  「人あれば町は必ず活性化だってこの町何もないのに」

  「町愛し町のためにと議員さんもひとつ忘れず町を導く」

 

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shin-1さんの日記

○風呂敷よさらば

 もう15年も前のこと、私は一枚の風呂敷を愛用していました。資料を小豆色の風呂敷に包み、提げて歩くのを見て「田舎臭い」とか「東京ぼん太に似ている」とか散々悪評を叩かれましたが、それでも20年にわたって使い古しました。昨晩書棚を整理していたら、何やら古い風呂敷が出てきました。まるで旧友にでも会ったような懐かしさで思わず頬ずりをしてしまいました。妻に「おいこの風呂敷覚えているか」と尋ねたら、「まあ懐かしい。何処にあったの」と思い出してくれました。少々かび臭くなっていますが、この風呂敷包みを持って私は、東京で一人の学者先生と会ったことを思い出しました。

 当時の町長にお願いして、何処へ行ってもいい「武者修行費10万円」の旅費を組んでもらった私は、一路東京を目指しました。ある人のコネを頼りに新宿のある喫茶店で、立教大学教授岡本包治先生と会ったのです。岡本先生も大の風呂敷包み通で、私が風呂敷包みを抱えているのを見て「あんたも相当田舎者じゃあねえ」、「先生こそ田舎者ですよ」とお茶を飲みながら大笑いをしました。以後先生の監修した生涯学習シリーズの本に執筆陣として名を連ねさせていただくなど、深い深い交流をしました。当時私の町には宿とてなかったので、わが家にも2度ばかり宿泊してもらいましたが、「煙会所」での楽しい語らい今も忘れられない思い出です。残念ながら先生は先んじて天国へ召されましたが、この風呂敷にはそんな思い出が隠されていて、捨て難く取っておいたのでしょう。

 でも妻が言うように思い出を引きずり過ぎると新しい発想は湧きませんから、この際捨てようと一大決心しゴミ袋へ入れてゴミに出しました。あの風呂敷はゴミ収集車に乗せられて焼却場に行くに違いありませんが、せめて心の隅に風呂敷の思い出は大切に残しておきたいものだと心を新たにしました。

 風呂敷は日本人が生んだ最高の生活道具だと思います。大は大、小は小なりに包めるし、頬かむりや首に巻くことだって出来ます。最近は手染めの渋さが受けてインテリアとしての価値も高く、染め抜きの風呂敷の深い味わいが見直されています。でも最近はお祝い事のお返しにいただいていた風呂敷もめっきり減ってきました。私たちの暮らしが洋風化してきた証拠でしょう。

 昨年息子が結婚した時、結納や披露宴などの厳粛な祝い事にには風呂敷が重宝され大活躍しました。はったりや夢を語る人間のことを「大風呂敷」と悪口をいうのですが、さしずめ夢を語ることが好きな私も「大風呂敷」人間の一人かも知れません。シンドバットやアラジンのようなジュータンでなく風呂敷に乗ってドラえもんのように大空を飛びたい気持ちです。

  「一枚の風呂敷包んだ思い出も今は懐かし記憶の彼方に」

  「若き頃大風呂敷を広げては夢を幾つも語り明かした」

  「洋風の暮らし風呂敷消えてゆく傘下駄着物巾着までもが」

  「唐草の風呂敷背負えば泥棒とイメージ描ける私は古い」

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