shin-1さんの日記

○木の名刺入れ

 私が木になるカバンと呼んで持ち歩いている姿は、このブログの愛読者の皆さんの殆どがご承知だと思うのですが、皆さんの知らない持ち物がもう一つあります。それは木でできた名刺入れなのです。機のカバンでさえ奇妙に感じるのに木の名刺入れとはお思いでしょうが、これが中々おしゃれなのです。私は名刺入れを3個持っています。一つは従来から持っている皮の名刺入れ、これはもうすっかりくたびれてお払い箱って感じで、余程のことがないと使いません。今使っているのはコカコーラ環境教育賞とう賞を頂いた時に、全日空ホテルで祝賀会を開いて頂きました。その折に貰ったものなのですがこれが中々高価なもので、長年使っていますが気に入っています。

 さて本日公開する木になる名刺入れは木でできています。難点を言えば名刺が余り入らないので普通は木になるカバンの中に忍ばせて持ち歩いています。この名刺入れは双海町で製材業を営む私の従兄弟の西下芳雄さんから頂いたものです。西下さんにはまちづくり草創期に随分お世話になりましたし、今も私のよき理解者です。私が現在使っている木になるカバンも実は西下さんの息子、つまり共栄木材の若い社長さんから譲り受けた3代目のカバンなのです。

 先日東京で観光カリスマ百選の会合に出席したとき、木になるカバンとセットで木になる名刺入れをお披露目しましたが、全国の仕掛け人の注目を集めました。ざまあ見ろって感じで一泡吹かせたのです。ところが懇親会が終わってホテルへ帰ってポケットや木になるカバンの中を探しましたが、何処へ置き忘れたのか紛失してしまったのです。仕方なく諦めていましたら、名刺入れの裏に「若松進一」と書いた千社札を張っていましたので、主催者がわざわざ送り返してくれました。感謝感謝でした。私のパフォーマンスはふるさとを売る、この一転に凝縮されています。夕日も私もふるさとを売るための道具なのです。

 かくして私の木になるカバンと木なる名刺入れはセットでまた新しい話題を提供するでしょうが、嫌がらずとお付き合い下さい。昨日ある人から電話がありました。「あのカバンと名刺入れは何処に行ったら手に入るのか」と。私は言いました。「あんたのようなシティボーイには木になるカバンも木になる名刺入れも似合いません。あれは私のようなカントリーボーイだから似合うのです」。納得して電話を切りました。彼は本当に自分が格好よいシティボーイと思ったのでしょうか。馬鹿たれが・・・。

  「木のカバン 持って歩いて 十五年 今ではすっかり 体の一部に」

  「木でできた 名刺入れ持ち 家を出る 今日も何だか いいことありそう」

  「千社札 貼ったお陰で 持ち主に 届いた名刺入れ これから大事に」

  「十枚か 入らぬ名刺 だからこそ 大事に配る 気遣いせねば」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○運が付くか運の尽きか

 今年の冬は寒かった双海町の海にもやっと春が訪れ、昨日の海は鏡のように凪いで穏やかでした。この頃になると水ぬるむという表現がピッタリのように、海岸のあちこちではワカメを獲ったりする人が磯遊びに興じていました。冬を絶えたカモメの群れも長閑に高く低く跳んで、春の海の演出に一役といったところです。

 久しぶりに内子町の大御所岡田さんが宇和島の藤田圭子女史を伴って人間牧場へやって来ました。昨夜来の雨上がりで自慢の瀬戸内海遠望は見せれなかったのですが、それでも春霞に煙る海や山を見て納得した様子でした。藤田圭子女史は目出度く早稲田大学を卒業らしく新聞社への就職も決まって、内子町や水ガ浦をテーマに書いた卒業論文まで持参してくれました。4年前にお父さんに連れられて我が家にやって来たあどけない少女の面影は消えて、すっかりいい女になっていました。私は若い女性の顔を忘れる癖があり、かつて見合いをしたわが妻の顔を忘れていたように、先日のサロンで会ったにもかかわらず忘れていたのお断りをしました。

 潮路という食事処で食事をする事になりお店へ立ち寄りましたが、そのお店の国道を挟んだ防波堤の上にカモメが群がっていました。潮路の大将がカモメの餌付けをしているのです。真赤な足に白い羽毛のカモメは愛くるしく小まめに餌を啄ばんでいましたが、驚いた事にカモメに混じって黒いカラスが数羽餌をあさりにやってきてきました。カモメとカラスの壮絶な餌の奪い合いです。多勢に無勢とでも言うのでしょうか、海は俺たちの縄張りと言わんばかりにカモメに軍配が上がっていたように思いました。

 ふと数年前のことを思い出しました。私たちがまちづくりを始めた草創の頃、このカモメを餌付けできないか真剣に考え行動したのです。最初は魚で餌付けを試みましたが、結局は餌代が高くつきタダのテンカスとパンの耳で餌付けに成功したのです。ところが漁師さんから苦情がありました。餌付けしたカモメが停泊している船の上に糞をひり、運(ウンコ)の尽きだというのです。私はその漁師さんに運が付くかもしれないと説得しました。その漁師さんは笑いながら漁に出ましたが、その日のサワラ漁で大儲けをして喜ばれ、お礼にサワラの大きいやつをいただいたという逸話です。しゃれにもならない話ですが、カモメを見る度に懐かしく思い出されます。

  「カモメ見て 運の話を 思い出す 若気の至り 楽しかったな」

  「この海は 俺の縄張り 言うように カラスと喧嘩 カモメ軍配」

  「春霞 長閑な海の その向こう 凝視をするも 島山見えず」

  「あのカモメ どうして冬を 越したやら 春を喜び 高低飛んで」 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○女性とアリは甘いものがお好き

 今日ある女性と二人で喫茶店へ入りました。甘いBGMの音楽が流れ雰囲気は最高です。窓辺の席に相対して座り、「いらっしゃいませ」とウェイターの女性がウォーターを運んできて「何にいたしましょう」と聞くのです。普通だとここで格好よく「コーヒー」なんて言うのでしょうが、私はあいにくコーヒーが飲めないのでホットミルクを注文しました。相手の女性はコーヒーと思いきやケーキとレモンティを註文しました。お互いが上目使いに顔を見合わせ、しばらく沈黙の時間が過ぎて行きました。

 「こんなドラマのシーンだったら最高だろうなあ」とうっとりしていたら、「お父さんミルクが来たよ」でわれに帰りました。「おいさっきお昼ご飯を食べたばかりじゃろうが。ケーキなんか註文して食べれるのか」私が聞くと妻は「ケーキは別腹、ここのケーキは美味しいのよ。お父さんもどう」。運ばれてきたケーキをさも幸せそうに食べる妻を見て、「太る原因が分った」というと、「せっかくのケーキが不味くなるじゃないの。食べるときぐらい太るなんて禁句を言わないで」と文句を言いながらただ黙々と食べるのです。

 私は妻の食べっぷりを見て、「ひょっとしたら妻の先祖はアリではないのか」と疑いました。妻は実によく働きます。妻・女・女性・母・嫁・祖母などを全てをこなしていますが、コツコツ働く姿も何とはなしにありに似ています。一昨日孫がやって来て寝る前にせがまれて「こぶとりじいさん」と「アリとキリギリス」の二冊の本を読んでやりました。「こぶとりじいさんの話が終わると孫が「このおじいさんは誰」と聞くのです。私は妻を思い出しふと「こぶとりじいいさん」を「小太りばあさんにしてもう一度読み聞かせることにしました。また「アリとキリギリス」はアリを妻に見立てアドリブ創作で読み聞かせてやりました。孫は大はしゃぎ笑い転げながら話を聞いてくれました。まさに妻が小太り、妻が働きアリでした。

 20分後喫茶店を出ましたが、妻は満足そうな顔をしていました。多分明日はまた1グラム体重が増えている事に今は気付いていないようです。

 ところでアリは偉いものです。実はありの実験と言うのがあって、砂糖を使ったケーキと、人口甘味料で甘くしたお菓子をありの近くに置くとどうなるかという実験です。質問は①どちらもアリが群がる、②砂糖を使ったケーキに群がる、③人口甘味料を使ったお菓子に集まる。④どちらも集まらない、さて正解はと聞かれたらあなたはどんな答えを出すでしょう。正解は②の砂糖を使ったケーキで、③の人口甘味料を使ったケーキには群がらないというのです。何故なのかはアリに聞いても教えてくれないそうですが、人間の考えるには天然甘味料にはカロリーが多く、人口甘味料は刈りリーがないから群がらないのです。アリは本能で動く動物です。アリさんは私の妻よりい偉い。何故なら甘みのカロリー計算をちゃんとやっているのです。

  「アリですら カロリー計算 ちゃんとして サッカリンなど 見向きもせずに」

  「アリよりも 知能指数の 劣る妻 さっき食べたの 明日増えてる」

  「食べて肥え 食べずに痩せて 帳尻が 合うもスカート 何故だか合わぬ」

  「せっかくの 喫茶雰囲気 台無しに 体のことなど 言わなきゃよかった」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ご存知でしたか

 3月3日は上巳、5月5日は端午、7月7日は七夕と、どの日も旧暦では季節の変わり目にあたります。中国から伝わった5節句に数えられるこの日は、古くから厄払いなどをして大切にした由緒ある日だそうですが、今は左程のこともなく今年の3月3日がそうであったように通り過ぎて行きます。月と日が同じでいわばゾロ目の日なので、3時33分など時間を組み合わせて意義ある日にしようと企てる人もいるようです。

 ところが驚いた事にこの日が何と毎年同じ曜日であるということを知っている人は少ないと思うのです。「本当かな?」とカレンダーや手帳を繰って見るとあらまあ、不思議や不思議本当にこの日は同じ曜日なのです。ちなみに今年の場合は3月3日、5月5日、7月7日全てが金曜日なのです。

 「ちょっと待って、閏年の日はどうなるの」なんて質問が出そうですがご安心下さい。閏年でもちゃんと同じになるのです。

 一月1日から換算すると3月3日は62日目、5月5日は125日目、7月7日は188日目です。この数字はみんな1週間の数字である7で割ると余りが6になります。だから必ず同じ曜日になるという計算が成り立つ

のです。それが閏年であっても全ての日が2月末日より後の日だから同じ曜日と決まるのです。

 まあこの話は信じ難い話でしょうから是非自分の目と計算で確かめてから人には話をしないと、説明ができなくて恥をかくことになりますのでよくよく気をつけてください。

 こんな単純な話ではなくもっと面白い数字の魔術を教えましょう。これは私と永六輔さんがNHKのBSで「夕日を見ない子どもたちへのメッセージ」と題したテレビ番組に出た時のことでした。双海町のシーサイド公園の海岸で福本夏芽さんと魚見真理さんに永六輔さんがある数字を思ってください。その数字に1を+してください。その数字に2を×て下さい。そしてその数字に4を+してください。その数字を2で÷てください。そしてその数字から最初思った数字-してください。はいその答えは3ですとズバリ当てたのです。二人の女性は永六輔さんの知恵に感心しました。永さんはその後食事をしながらわたしにそっとこの方程式を教えてくれたのです。でも偉いでしょう。私だってもう6年も前の数字と数式を覚えているのですから・・・・。

 この計算式は最初に思った数字をXとして方程式を作れば直ぐに分る仕組みになっています。若い女性は「えーっ、何故」ってな事になって、その人の知的能力の凄さにひれ伏すのです。私もやってみましたが答えは必ず3になりますから一度お試し下さい。

 数学は仕組みさえ分れば簡単で、むしろ国語の方が難しいと言います。でも国語的な私としてはやはり数学は難しいですね。

  「知らぬ知恵 教わり使うと 人たまげ 利口な人だと 感心鼻高」

  「3・3と 5・57・7 皆同じ 曜日になるとは 誰が見つけた」

  「あのですね 知識と知恵は違います 知っているだけ それは知識だ」

  「あんたブス 言われ腹たて 謝った 世辞でも本当 言うんじゃないよ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○宅配新聞

 先日のブログで「新聞を買いに行って新聞の値段の高さに驚きました」と書いたら、「えっ、新聞ってそんんなにするの」と改めて新聞の値段の高さに驚いた意見やメールが沢山寄せられました。私だって今朝妻に「おい、新聞の一ヶ月の購読料なんばだ」と尋ね、「また藪から棒にどうしたの。3000円です。男の人はいいわねえ。新聞の購読料も知らないで日々が暮らせるのだから」とひねくらられました。「聞くんじゃなかった」と後悔しましたが、言われるとおり新聞の購読料も知らずに暮らしているのです」。この3000円を単純に30日で割ると一日一部の購読料が100円です。「えっ」と不思議に思いました。だって毎日の新聞は毎朝新聞少年によってわざわざ宅配してもらうのに100円、私がわざわざコンビニに買いに行った朝日新聞が130円なのです。この30円の差は何なのだろうと思ったんです。「お前それも分らないのか、ようそんな事を考える暇があるなあ」と馬鹿にされるのが落ちなのでこの辺で止めますが、それにしても「買いに行く。安いはずなのになあ」。あー止めた。眠れなくなりそうです。

 私たちの暮らしはリズムの中で成り立っています。水も水道も、テレビの受信も、インターネットの交信も人が直接持って来ないものだから、宅配していることにはまったく気付いていません。ところが新聞や牛乳は人が直接宅配してくれるので実感はしますが、それとて私たちが眠っている早朝6時頃に届くものですから当たり前のように受け取り利用してるのです。

 新聞の定期購読は新聞社にとってみれば契約によって発行部数が確保できるという点でのメリットがあります。これが今日は要らない、今日は要るなんてことになったらそれこそパニックになってしまうのです。言い換えれば一部30円の差額は安心料とでもいえるでしょう。しかし最近の新聞には頼みもしない広告がやたらと入っていて、特に人が動くこの季節はそれはひどいもので、新聞の重さより広告の方がはるかに重いのです。ある一人暮らしの老人が新聞の広告などの紙ごみが多くて困るからと、広告無縁宣言をしに販売店へお願いに行ったそうです。そりゅあそうでしょう。車に乗って買い物にも出かけられないその老人にとって見たら新聞広告などただの紙ごみなのです。私はこのおじいちゃんは偉いと思いました。おじいちゃんの行動の落ちは「あの広告分だけ新聞代を差し引いてくれ」と言ったそうです。

 困り果てた販売店の人は、「あれはタダで入れているので新聞代はまかりません。もし広告が必要でないのなら入れませんが」と言ったら「タダじゃあ文句は言えないな」と引き下がったそうです。もし私だったら「タダなら余計要らないものは要らない」と開き直っているのでしょうが、新聞販売店にとってこの折り込みチラシが一部1円とか5円の収入になるのですから、折込みチラシを否定されるとそれこそ死活問題になるのです。折り込みチラシと新聞広告は知らず知らずのうちに人々の暮らしの中に溶け込んでいるようです。

  「新聞は 取るといったが 広告は 要りませんから まけてくれとは」

  「広告も 毎日こまめに 見ていると 暮らしの知恵が 隠されている」

  「新聞は 高いようでも 安いもの 高いと思う 読み方足らない」

  「宅配は 荷物とばかり 思ってた 新聞牛乳 水も電気も」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○男と女の区別がつかない

 芸能界にカバちゃんや三輪明宏、美川憲一などの男が女のような格好をして登場し始めてから、世の中は「この人女?、それとも男?」と首をひねる時があります。今は性転換手術などが可能となったし、結婚すれば男性の姓を名乗ることが普通だと思っていたことだって夫婦別姓が認められ、その傾向は益々顕著になってきました。

 普通男性と女性は骨格の違いから見ただけで「ああの人は男」と見分けが付くものですが、最近の若い男性が労働やスポーツで鍛えることもなしに社会に出てくるものですから、「えっあんた男?」といえるような色の白い男性に出会うのです。しかもその男性諸君がイヤリングやお化粧をしていると、もうこれは男性の女性化としか言いようがないのです。

 昨日も男性と女性の見分け方について話に花が咲きました。ある人が「そりゃあ簡単ですよ。上の出ているのが女性、下が出ているのが男性さ」と会場を笑いの渦に巻き込みました。するとある男性が「でも女性だからってペチャパイの人だっているし・・・・」と、会場の特定の女性にみんなの目がそれとはなしに集中し益々エスカレート、「これってセクハラじゃない」と同席女性の一言で会場に衝撃が走り、先ほどまでの議論が何だったのかと思わせるようにすっかり白けてしまいました。

 神様はこの世の中に男性と女性を作りました。しかし世の中には自分が男性であること、女性であることにコンプレックスを持ったり満足せず、異性への憧れを抱いている人が少なからずいるのです。まあそれはそれとして人間の自由ですからとがめるつもりもありませんが、男女の区別と言う人間の基本的な部分の混乱は同性愛などに発展し、永遠の課題として人間のある限り続くものと思われます。

 最近発見したことなのですが、そういえば女性は赤味を帯びた口紅を塗っています。口紅は書いて字の如く紅赤なのですが、口紅ならぬ黒紅もあるので一概には言えません。しかし女性が赤い口紅を塗ることには奥深い訳があるのです。子どもの頃修学旅行でお猿さんで有名な別府の高崎山へ行きました。その時雌猿のお尻が赤いのを見ました。雌猿は発情するとこの赤いお尻を更に赤くして雄を呼び寄せ交尾すると言うのです。「雌は性的に興奮すると性器が大きく膨らんで充血して赤くなり、顔もほんのり赤くなります」なんてことを私たち小学生に飼育係の人は詳しく話してはくれませんでした。でも実は人間の女性もちゃんと雄にサインを送る方法を持ち合わせているのです。その場所は唇で、性的に興奮すると女性の唇は赤味を増して膨れるののだそうです。女性は興奮すると女性ホルモンの代表格であるエストロゲンが働き出します。エストロゲンは発情ホルモンで性欲を起す主要な働きをします。

 町中で、口紅をまるで唐辛子のように真赤に塗った超ド派手な女性を見かけることがありますが、これは猿の世界でいうと「私は発情してます。男性の皆さんいらっしゃい」と言ってるようなものです。はいこれは猿の世界の話です。

  「色白の 瓜顔見れば 女性だと 思うは常識 それ非常識」

  「口紅を 真赤に塗る人 ご用心 猿の世界じゃ 発情信号」

  「そういえば いやちょい待って この人は はてはてどちら うーん分らぬ」

  「この性に 生まれてよかった 思わねば 次に進めぬ 人の愚かさ」  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○泣いてた子どもが大笑い

 今日はツーリズム研究会の委員をしているので最後の会合のため広島市へ行きました。あいにくの雨模様で海も荒れていましたが、往復2時間半余りのスーパージェットの船旅は、船のローリングが心地よい眠気を誘いウトウトしながら広島半日帰りの旅となりました。遠いと思っていた広島へ公共交通機関を使ってビジネスを組み合わせても半日で往復できるのですから便利になったものです。でもスーパージェットは早いだけ料金が高く、今日は主催者が旅費を出してくれるので助かりましたがまるで飛行機並みの料金なのです。

一時間おきに出る船の中は閑散としてゆったり座れ、リグライニングシートに体を沈めて本を読んでいると、突然隣に座っていた若妻、若妻の母親、孫とおぼしき3人連れの孫が何かにたまげて泣き始めました。最初は若妻の母親がぐずる孫を抱いてあやしていましたが、泣き止まないので若妻に孫を手渡しました。先ほどの若妻の母親ほどに上手く抱けない若妻の手の中で益々激しく泣き始め、周りの人は口にこそ出さなかったのですが「俺たちは金を払って乗っている。この鳴き声何とかしろ。テレビの音声も聞こえないじゃあないか」と言わんばかりの渋い顔です。

 子ども好きな私はその様子を少しの間見ていましたが、ひょっとした拍子に泣きじゃくるその孫さんと目が会いました。私はあやすような顔をして声なき声で語り掛けました。するとどうでしょう。あれ程泣いてた孫さんの鳴き声が小さくなり、数分したら笑顔を見せるようになったではありませんか。私は嬉しくなって「いないいないばー」なんて年甲斐もなく孫さんを必死になってあやしました。若妻さんも若妻の母親も泣きじゃくる孫に途方にくれていただけに大助かり、私の存在に気付いて会釈をしてもらいました。その後その孫さんはしゃっくりを繰り返しながらもげらげら笑って、結局は私のひざの上にやってきたのです。「済みません。大助かりです。お父さんと間違ったのでしょうか。子どもをあやすのがお上手ですね。お礼にどうぞ」と船を下りる時には、何処かで買ったのでしょうか、固辞するもモミジ饅頭の小箱まで頂だいてしまいました。

 預けていたいた車に乗って室内ミラーで自分の顔を映しながら思わず笑ってしまいました。あの孫さんは私の顔が可笑しくて機嫌を直したのか、それとも私の顔芸で笑ったのか、しまった、お孫さんに聞いておけばよかったと思ったものです。

 私たち人間は通りすがりに犬に出会うと吠えられます。ところが不思議な事に犬を自宅で飼っていたり犬好きな人だと、動物の勘が働くのでしょうか吠えないのです。お孫さんも同じで私に子ども好きという安心感が受け入れられたのかも知れません。お孫さんにゲラゲラ笑われたこの顔はひょっとしたら道化師、いやひょっとしなくても三枚目、でも石原裕次郎だったら顔もスタイルもいいけれど絶対に泣く子を笑わせることはできなかっただろうと思うと、この顔に自信が持てました。

  「船中で 泣く子も笑う いい仕事 顔が得する 饅頭頂く」

  「俺の顔 子ども笑いの 造形美 親に感謝し 今日も出歩く」

  「泣く子ども 笑わす術は 心理学 催笑術だよ ほらほら笑った」

  「泣く子さえ 止めさせられぬ 若い母 人の前でも お乳飲ませろ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○人の生き方に影響を及ぼす言葉の数々

 人生の後半戦に生きる私のような人間にとって「自分の生き方に影響を及ぼした言葉は何だったのだろう」と振り返ってみると、様々な言葉に出会います。「温故知新」「過ぎたるは及ばざるが如し」「位置を聞いて十を知る」「巧言令色少なし仁」「義を見てせざるは勇なきなり」などなどの言葉が思い出されます。誰が言った言葉かさえも知らず何気なく使っていたこの言葉の殆どが、中国古代の思想家孔子とその門弟たちが「人間はいかに生きるべきか」ということをテーマに語り合った問答を整理した「論語」の一節だとは驚きました。広辞苑で孔子について調べてみると、孔子が生きた時代は紀元前550年ころだそうですからまだ日本の歴史が始まっていないのです。こんなに長い時代を越えて語り継がれているのですから、永遠性のある真理と言わざるを得ませんが、私たちは何故かその心理について学ぶこともせず、ただ上っ面をかじっては知ったかぶりで引用しているに過ぎないのです。

 よく「論語読みの論語知らず」という言葉も聞きますが、原本は余程の博学やルビが打っていないと読めないばかりか意味さえも分りませんが、論語の奥深い意味を学習することは人生の生き方の学習という点では多いに推奨すべきことだと思います。それは物の豊かな時代でありながら心が貧しい現代だからこそ

そして乱れが生じた日本だからこそ、真の心を取り戻さなければ取り返しの付かない社会になるという危機感から感じることなのかも知れません。

 「論語」、聞いただけでも何か難しそうな感じがしたり、中国の古書と聞くとなおさらとっつきにくいもののように思われますが、今は難解なこれらの本も偉い先生が解きほぐし現代流に解説しているので、入門偏でも一冊か二冊購入して暇を見て呼んでみるのも悪くはないでしょう。特に管理職という地位にある人は部下の育て方の、あるいはサラリーマンのマネージメントに役立つことがいっぱいあるようです。

 私は自分で思うほど低能な人間ですから、大学も出てないし大した知識も持ち合わせていません。しかし「人間いかに生きるか」という永遠のテーマを追求しようと思うと、当然生き方の勉強をしなければなりません。雑学ながら色々な本を読み、色々な人の話を聞き、色々なものを見てきました。しかしいくら本を読んでも、いくら人の話を聞いても、またいくら色々な物を見て知識が増えても、自分の心の扉を開けるキーワードがなければこれらの知識は生かされません。論語は自分の心の扉を開けるキーワードと言ってもいいかも知れません。論語は難しいことを分りやすく考えるヒントのようなものなのです。

 さああなたも論語に挑戦しましょう

  「論語読む 論語知らずの この俺が 論語のような 論語喋りぬ」

  「過ぎたるは 誰が言ったの 問い返す 昔の言葉と お茶を濁して」

  「人の道 今も昔も 変わらない 不変が何故か 変わってしまって」

  「中学生 温故知新と 言う言葉 決意の習字に 大書している」  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○日本人が日本人と感じること

 私たちは日本人です。といってもこれだけ国際社会の交流が頻繁になってくると、日本人という感覚よりも地球人といったほうが早いのではないかと思われるほど国の壁はなくなりつつあります。ソ連とアメリカの冷戦や南北ドイツの崩壊が国と国との無意味なゆがみあいに気付かせてくれ、自由主義と共産主義の隔たりでさえなくなっていますが、一方ではイラクやアフガニスタン、それにイスラエルとパレスチナのように宗教上のトラブルによって戦渦に巻き込まれている国も多いのです。

 日本人が日本人であると強く感じることは、日の丸という国旗を目の当たりにした時に強く思います。特に外国を旅していて旅先で日の丸を見たときの印象は民族として血の騒ぎを覚えるのです。

 昨日王ジャパンがアメリカでとてつもない大偉業を成し遂げました。野球の世界一を決める試合でキューバに勝ったのです。胸に日本の日の丸を縫い込んだユニホームは野球の本場アメリカで本当に世界一になったのです。しかも第一回という記念すべき時に・・・・。時あたかも今年はオリンピックの年でしたが荒川選手の金メダルに湧いた直後の出来事なので余計喜びが大きく、国内のあちこちではそのドラマチックな勝利への軌跡が号外となって国民に配られました。

 私が日本人であると意識したのはやはり二度の海外体験でした。最初は18歳のところ、愛媛県立宇和島水産高校の練習船愛媛丸で珊瑚海へ遠洋航海に行った時でした。寄港したイギリス領エスピリッツサント島は珊瑚海海戦のあった激戦地、その海岸に無造作に痛々しく残った日本軍の上陸用舟艇の残骸を見ました。戦後という言葉も遠くなった昭和38年の出来事ですから衝撃は大きく、心に深い感動覚えたものです。二度目は青年の船に乗ってアメリカ・メキシコを旅したとき、ロスのディズニーランドで丁度12時、アメリカの国歌がスピーカーを通して流れましたが、遊んでいたアメリカ国民が全て立ち上がり手を胸に国旗に向かって国家を口ずさむ姿でした。その衝撃冷めやらにメキシコアカプルコで青年の船の団員が船上から持っていた日の丸の小旗を2~3人無造作に桟橋に投げたのです。そのことがメキシコの新聞のコラムに書かれました。国旗を大事にしない日本人って感じでした。私はこの光景を思い出しながら野球の観戦をしました。角の民族意識は地球に醜い争いを作ります。しかし私たちが日本人であることの誇りは当然持たなければならないと思うのです。

 シンプルな、それでいて気品漂う日の丸も、昨日の様な国民の祝日ですら家の角々に立てられなくなりました。町中を歩いてみても昨日は余程しっかりした家庭でないと日の丸は見えませんでした。わが家に日の丸を立ててたら、友人が夕方やって来て「若松さん今日は王ジャパンが優勝したから日の丸を立てたのですか」とジョークにも似た発言があるほどでした。

 時あたかも教育基本法の文言に国家愛などの表現をするかどうかで主義主張が大きく分かれて議論されています。国を愛することは自分を愛する事に繋がります。それを教えてくれたのは王ジャパンだったのかも知れません。もう一度国家とは、日の丸国旗とは何かを自分自身に問いたいものです。ジョン・F・ケネディは大統領の就任演説で「国家に何かを求めるのではなく、国家のために何ができるか考えよう」と問いかけました。私も国家のために何ができるか考え、行動したいものです。

  「日の丸は 日本の象徴 だのに何故 祝日日の丸 町中見えず」

  「日本人 意識しました 王ジャパン 多分イチロウ 一番意識」

  「戦争の 記憶を持った 人減って 平和尊さ 分らず過ごす」

  「国旗見て 野球勝ったと勘違い 今日は春分 国民祝日」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○お払い箱になった筆記用具

 私の書斎をはじめ家のあちこちには筆記用具が散乱しています。マジックインキ、ボールペン、シャープペンシル、鉛筆、マーカーなどその種類はおびただしいのです。昨日はハガキを書いていて途中で文字が書けなくなり、ボールペンに八つ当たりして雑記メモ帳に何度も書いて見たのですが結局は書けず終い、芯を取り出して見てみると、何とインクがまったくなっていることに気がつきました。普通ボールペンを使い切るなんてことは殆どありませんのっで、少々嬉しくなりましたが残念な事にその後はこのボールペン、ゴミ箱行きの運命と相成りました。

 半永久的とも思えたボールペンの出現は私の暮らしに大きな変化をもたらしました。それまで愛用していたインクをつけて書く万年筆さえもカートリッジとなって便利を感心していましたが、さらに追い討ちをかけるようにシャープペンシルの出現によって筆記用具は大革命となりました。それまで削って使っていた鉛筆さえ手動から電動の鉛筆削り機となり、何不中なく文字が書けるようになったのです。私が町の広報ふたみを担当していた初期の頃は鉛筆と消しゴムのご厄介になって原稿を書いていましたから、まだ三十年弱しか経っていないのにこの変化ですから驚きです。

 こうした変化の影で急速に消えゆく運命にあるのが鉛筆です。色の薄さや濃いさでHBを基準にHとBを沢山持っていましたが、今の子どもたちはこうした基準さえも分らないほどで、毎日鉛筆を削って筆箱に入れた少年時代が懐かしく思い出されるのです。昨日久しぶりにペン立ての鉛筆を取り出してカッターナイフで削ってみましたが、削りたての鉛筆はプーンと木の香がして、五角形の鉛筆を握った感触がとても新鮮に感じられました。まざまざと見つめる鉛筆には、何やら分らぬ文字が書いてあり、中にはお土産として貰ったのでしょう、温泉地別府の文字がPR用として書かれていました。一時代を築いた鉛筆も既にその役割を終えており少し寂しい気もしますが、この際整理しようと使わなくなった筆記用具を捨てる事にしました。

 ところで、ボールペンと鉛筆で線を引いた場合どちらが長く引けると思いますか?。こんな単純な質問を考える私は単純馬鹿かもしれません。でもそんな単純馬鹿を実際に試した人がいるのです。多分大方の予想ではボールペンに軍配を上げるででしょう。書き方にもよるのでしょうが鉛筆は50キロメートル、ボールペンは僅かに1.5キロメートルだそうです。この比較を見ていかに人間の作った鉛筆が優れているかが分ります。消えゆく運命にある鉛筆をいとおしく思うのは私だけではないと思うのです。

 24色の色鉛筆を買ってもらった時の嬉しさは今も忘れるることはできないし、鉛筆が全て折れて学校の授業にならなかった悲しい思い出もあります。鉛筆とともに過ごした少年時代が懐かしいですね。

  「鉛筆は どうして丸か 五角なの 不思議な疑問 今でも消えず」

  「筆箱に 削った鉛筆 忍ばせて 入試受けたな 鉛筆倒して」

  「鉛筆の 芯は本当に 鉛なの これも疑問で 鉛筆割ったな」

  「鉛筆で 書いた文字消す ゴムもある 小刀ともに 昔持ち物」 

[ この記事をシェアする ]