人間牧場

〇忙しきなった秋植え野菜の準備
 昨日は新型コロナの感染拡大で、予定されていた講演会が直前になって中止となり、スケジュールが開いたため、これ幸いと1日中畑に出て、長く伸びた雑草を草刈り機で刈ったり、鍬で削ったりして、間もなく始まる秋野菜を植える畑の準備をしました。

すっかり奇麗になった畑

 大失敗に終わったスイカ畑の敷き藁や、黒いビニールのマルチを剥がし、インゲン豆の垣を外して片づけました。垣に使っていた漁網にインゲン豆のつるが巻き付いたのを取り除く作業に、思わぬ手間と時間を取られましたが、何とか丁寧に外すことが出来ました。

 朝晩少し涼しくなったとはいえ、日中の畑仕事は汗だくだくで、時折妻に頼んで水分補給をしてもらい、休憩しながらやったお陰で、予定した畑の雑草取りは終わりました。これからは天気予報を見計らって雑草を片付け、石灰を撒いたり牛糞を振ったりした後、耕運機で中耕をして畝を立て、大根などの種を用意して秋蒔きをする予定です。

「夏野菜 植えた跡地に 生えた草 草刈り・削り 大汗かいて」
「講演が 新型コロナ 影響で 急遽延期で スケジュール空く」
「朝晩は 涼しくなったが 日中は まだまだ暑く 大汗かいて」
「秋植えの 野菜それぞれに 植えるイメージ 頭の中で」

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人間牧場

〇子ども夢会議の企画会議
 隣町松前町に「松前いいとこみつけ隊」という団体があります。結成時から多少関わっていることもあって、今も顧問などという大それた役目を貰い、参加できる範囲で一緒に活動しています。特に主要事業である「子ども夢会議」はこの3年間深く関わっていますが、事業計画では今年度も12月に予定されていて、昨晩その企画会議が福祉センターであり、出かけて行きました。

 これまでは元小学校校長の水本さんが責任者でしたが、今年から久保田さんという若い人に代替わりしたようで、私のスケジュールに合わせてもらい、ラインでのやり取りを行いました。和田さん、神野さん、水本さん、久保田さんと私の5人で机を囲み、久保田さんの作った企画案を基にあれこれ思いを巡らせました。さあスタートです。

 私の役目は、当日集まるであろう小・中・高校生、役員など50~60人を相手に約1時間の夢会議のファシリテーターをすることです。私は長年わが町双海町の子ども教室の実行委員長として、教室の運営に深く関わっているので、その経験を生かしたいい子ども夢会議が出来るよう、出来るだけサポートしたいと思っています。楽しみですが役員会や運営委員会に出席しなければなりません。これから忙しくなりそうです。

「隣町 いいとこ見つけ隊 顧問です 折振れ出かけ 協力惜しまず」
「今年から 若い役員 代替わり 期待大きい 皆でサポート」
「そろそろと 引き時思うが まだまだと 思いもあって 心複雑」
「コロナ禍で 思い通りに スケジュール 動かぬゆえに 多少心配」

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人間牧場

〇放任田んぼの草刈り
 昨日の朝、自宅の下の田んぼで何やら話し声が聞こえました。そのうち草刈り機のエンジン音が賑やかになりました。気になって下道へ降りてみると、顔見知りの人2人が草刈りの最中でした。

わが家から見た下の田んぼ
草刈りの始まったわが家の下の田んぼ

 実はこの田んぼは、作り主のおじさんが4年前から長期入院したため作り手がいなくなり、草が伸び放題になっているのです。田んぼの周りには住宅が沢山あって、この時期になると雑草に花が咲き、胞子が周りに飛ぶので、喘息を患っている住民から、「何とかして欲しい」と持ち主の奥さんにお話ししたようです。

 早速昨年はシルバー人材センターが依頼を受け、それなりに奇麗になりました。今年雑草はさらに勢いを増し、人も立ち入れないほど大きく伸びました。どんないきさつだったのか知りませんが、昨日から草刈りが始まったようです。雑草の伸び具合、広さから考えると2日ぐらいはかかるのではないかと思われます。

 畑や田んぼは日常耕作している時はそれほど感じませんが、一旦耕作を止めると雑草がはびこり荒れ放題になります。勿論土地の保全は所有者の責任ですが、昔のように田や畑を財産と思うような時代ではなく、むしろ負の遺産と思う人も多いようです。

かく言うわが家も、さしたる財産のない自称貧乏人ですが、田舎らしい660坪ある広い自宅面積と、人間牧場周辺の敷地を有していて、今では私にはその保全が少々重荷となり、時々手伝ってくれる息子にとっては、まさに負の遺産となりそうな雲行きです。他人事とは思えない昨日の出来事でした。

「3~4年 作り手病気 不在にて 雑草伸びて 放任園に」
「草刈り機 ブンブン回し 作業する おじさんたちは シルバー人材」
「田や畑 昔は財産 羨まし 今は誰もが 負の遺産だと」
「わが家にも 貧乏人だが それなりの 財産あるが 息子窮屈」

 

 

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人間牧場

〇大洲市長浜町豊茂公民館を訪ねる
 昨日は宇和島からの帰り道、急な思い付きで肱川に架かる出石橋を左折して、長浜町豊茂公民館に立ち寄りました。公民館の主事をしている藤岡さんとつい最近facebook仲間となり、盛んに交流をしていてそのことがご縁で、2日前大きなスイカまで届けてもらってお礼もかねての急な訪問でした。

公民館前にて

 運よく藤岡さんは人面岩のテレビ取材が終わったところで、それから30分ほど事務所にて女性職員を交えて雑談にふけりました。藤岡さんは長浜町役場に勤めいた時代に深い親交があり、定年退職後は再雇用でこの仕事を続けているようで、特に人口300人ほどの豊茂地区の過疎問題に取り組んでいる地域づくりは、素晴らしいものがあります。

大事に柵で囲った二宮金次郎像

小学校跡地の運動場隅に二宮金次郎像がありますが、像の周りを鉄柵で囲っている珍しいもので、まるで檻の中に入っているようでした。聞けば運動場の活動でボールが当たり損傷しないように保護柵で囲ったとのこと、納得でした。私がいつも言っている①100歳まで生きる超高齢化社会、②人口減少社会、③情報化社会、④自然災害多発社会という社会現象をもろに受けている、地域づくりの最前線で頑張る藤岡さんに、大きな拍手を送りました。

「帰り道 急思いつき 左折する 谷筋の道 豊茂地区に」
「つい最近 facebookで 親交を 重ね先日 スイカが届く」
「過疎の地は 地域づくりの 最前線 知恵汗出して 地域守りぬ」
「金次郎 鉄柵囲い 大切に まるで檻中 思わずウフフ」

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〇完熟トマト
 夏野菜も連日の暑さで水不足となり、中には萎れて枯れたものもありますが、先日の少しの雨や、水遣りのお陰で少し息を吹き返したものもあって、連日蚊に悩まされながら収穫をしています。

真っ赤に熟れた完熟トマト

 今年はトマトとナスの栽培方法を直立方式栽培に替えたため殊の外豊作で、完熟したトマトが沢山取れ、連日妻が美味しい完熟トマトジュースを朝食に出してくれるため、暑さで体調を崩すこともなく元気に日々を過ごしています。

 出回っている市販のトマトは、少し色が付くと早めに収穫し、消費者に届くころ色づくようセットされていて、いわば未熟なトマトなのです。ゆえに味もイマイチで、トマト特有の匂いもそれほど気にはなりません。

 そこへ行くとわが家のトマトは、完熟して収穫するので真っ赤に熟れ、無農薬ゆえ水洗いして冷蔵庫で冷やして食べると味も抜群で、少し傷のついた部分をカットしたトマトも利用できる100%のトマトジュースは、何よりもご馳走です。これぞ田舎暮らしの醍醐味です。今日もこれからいただきま~す。

「畑にて 完熟トマト 収穫し リコピン満点 毎日食卓」
「連日の 暑さに負けず 何のその トマトのお陰 夏バテもせず」
「100% トマトジュースは 最高だ 田舎暮らしを 堪能してます」
「さあ今日も ファイトで行こう 食卓に トマトジュースが 並べられてる」

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人間牧場

〇葬儀会場にて
 たった16人の家族葬の葬儀会場ゆえ、こじんまりした会場ながら広さを感じるほどでした。一応受付に誰かが座らなければならず、娘から「お父さん、一応座っといてね」と頼まれ、葬儀場の担当者から説明を受け、言われるままに受付に座りました。

告別式に参列し愛嬌をふりまく5歳の孫娘

 そのうち次男息子家族がやってくる予定でしたが、次男は日赤松山病院に勤務する看護師で、感染症担当なので最近は土日もなく忙しく働いているようで、結局昨日も勤務とあって出勤職場から遅れての参列となりました。ゆえにとりあえず家族別々の参列となりました。

 母親に連れられて参列した孫娘は5歳の幼稚園児です。制服を着ての参列となりましたが、5歳の孫が来ただけで重苦しい雰囲気の会場が一変しました。みんなの目が孫娘に移り、賑やかにお喋るする孫娘を囲んで、談笑しました。

 孫娘はやんちゃ盛りで 私の元へやって来て しんちゃん(孫娘の私の呼び名)の手伝いをしたいというのです。「今日はお暑いところありがとうございます。ささやかですがお返しです。ありがとうございました」と葬儀にやって来た警察官の3男にお返しの品を差し出しました。まあ何というこましゃくれた孫でしょう。

 その後孫娘は神妙に椅子に座っていましたが、やがて告別式が始まると和尚さんの読経が子守唄に聞こえたのかスヤスヤと眠ってしまいました。やがて告別式が終わりいよいよ出棺のころ目を覚まし、何事もなかったように玄関先で霊柩車に手を合わせて見送りました。

「家族葬 5歳の孫が 来ただけで 雰囲気一変 和やかになる」
「受付を 手伝いたいと やって来る こましゃくれてる 言われた通り」
「告別の 読経が流れ 子守唄 孫はスヤスヤ ほほえましくて」
「わが名前 『しんちゃん』と呼ぶ 孫娘 20歳になると 私92歳」

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人間牧場

〇待ち遠しい蜂蜜収穫
 歳をとったせいでしょうか?、今年の夏はとりわけ暑く感じてます。それでも立秋が過ぎ残暑見舞いが届くこの頃になると、網戸の外ではまだまだか細いながら虫の鳴き声が聴こえ、季節の移りを感じています。

 毎年この時期になると蜜蜂の巣箱の前にスズメバチがやって来て、蜜を抱いて巣箱に帰って来る蜜蜂をホバーするのです。見つけ次第袋網で捕まえて処分をしますが、捕まえ損ねると攻撃を仕掛けてくるので用心をしなかればなりません。

 今年から蜜蜂の世話は代替わりで、私から長男息子に譲りました。何事にも研究熱心な息子は、早速蜜蜂の生態や飼育方法をネットで調べ、蜜蜂を傷めず冬越させる方法を思いつき、早くも総取りを主張する私と真っ向から対立しています。

去年の蜂蜜絞りの写真

 「去年の今頃は」と考えていた矢先の昨日、パソコンfacebookに、絞った蜂蜜を持ったご満悦の写真がいきなりアップされました。予定では今年もこんな写真を撮るはずだったのに・・・です。残念ながらこんな写真はもう少し先か?、あるいは幻に終わるか?、悩ましい日々です。

「秋が来た 去年の今頃 蜂蜜を 採って満悦 いきなり写真」
「今年から 養蜂息子に 代替わり 私しにせと 言いたいけれど」
「息子には 息子の考え あるようだ 理想と現実 大分開き」
「今年は 4箱も入居 蜜蜂が 息子俺より 上かも知れぬ」

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人間牧場

〇もしもピアノが弾けたなら
 この2~3日何を思ったのか、中3の孫希心が私の書斎に置いているピアノを弾き始めました。多分気分転換のつもりで弾いているのだろうと思っていましたが、ピアノの鍵盤全てに、何やら「ドレミファソラシド」と書いたテープを張り付けて弾いているようでした。

 このピアノは長女娘が小さいころ、ピアノを習っていた時に使っていたものです。お嫁に行く時持たせるつもりでしたが、マンション住まいには不必要だったので、その後も私の書斎に眠ったままで、処分をしたいと思いつつ、また邪魔だと思いつつ今日まで居座り続けているのです。

 私も家に誰もいない時を選んで時々弾いていますが、何曲か弾けるものの上達もせず遊び半分といったところです。西田敏行が歌って大ヒットした「もしもピアノが弾けたなら」の歌詞そのままの気持ちを持っていますが、多分思いだけで一生を終わりそうです。

孫希心のピアノ弾きもまだぎこちなく、お遊びの域を抜け出しませんが、夏蝉の鳴く音とともに、ピアノの音色が聞こえる長閑なひと時に、少し癒された様な気がし、私も昨日はソ~ッと弾いてみました。

「悪戯の つもりで中3 孫ピアノ この2~3日 何を思うか」
「もしもだが ピアノが弾けたら いいだろな 残念ながら 私は弾けない」
「蝉の声 一緒にピアノ 音響く 幸せ気分 夏昼下がり」
「わが娘 忘れて書斎 片隅に 置いてけぼりの ピアノ寂しく」

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人間牧場

〇連日の来客
 この歳になってもまちづくりなどに深く関わって生きていると、あれやこれやと人に出会う機会が多いのですが、とりわけ最近は連日の来客で、今週の2日前は伊予市から人間牧場へ3人、一昨日は松前町から3人、昨日は松山市から1人がそれぞれわが家へやって来ました。

私を訪ねて来られた来客

 来客の目的に合わせ講演などの打ち合わせはわが家で、希望すれば人間牧場へ案内しますが、いずれも半日ほど手を取られますが、昨日はカーナビを頼りに来たもののわが家の場所が分からず、右往左往のハプニングがありましたが、何とかゲストハウス煙会所に到着案内し、お話しをすることが出来ました。

 昨日の来客は、先日松山市コミュニティセンターで開かれたまちづくりパワーアップ推進大会に参加していて、講評の私の話を聞いたことをきっかけに、市役所つながりでの訪問でした。海外勤務が長かったようですが、しっかりした考えを持たれていて、2時間ばかり対話をして帰られました。気付きや教わることが沢山ありました。 

「カーナビを 頼りに来客 毎日の ようにわが家へ その都度対応」
「煙会所 若しくは人間 牧場へ 希望に合わせ 来客案内」
「海外の 勤務経験 長い人 鳥の目鋭く グローバル的」
「理論など 教えることは できないが 得意の論理 それなり教え」

 

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人間牧場

〇隣のおじさんが亡くなりました(その2)
 日本人の寿命が延び、世界一の長寿国となりました。織田信長の時代は「人生50年」と言われていましたが、今では町内のあちこちに100歳を超えた人が元気で暮らしているのですから驚きです。隣のおじさんが97歳で亡くなりました。7年前亡くなった親父も98歳でしたから、ひょっとしたらかく言う私も100歳まで生きるのかも知れない?と淡い期待を抱いていますが、私の年齢は77歳ですから1大歳まで生きると仮定すれば、あと23年は生きる計算になるようです。

自分の生活設計

長いようで短く、短いようで長い自分の人生を考えれば、過去の77年は過ぎたことですからもう取り返しはつきませんが、23年間の未来はバラ色ほどではないにしても、目標を持って意識と行動をすればある程度充実したものになるかも知れません。私は23歳の時青年学級で生活設計を学びました。私の描いた夢を一枚の紙に書きました。85歳まで生きる、26歳で2歳年下の人と結婚する、子どもを4人産み育てたい、30歳で家を建てたい、30歳でアメリカへ行きたいなどなど沢山の夢を書いたのですが、驚いたことにその夢はことごとく実現しているのです。

 ふと私が55歳の時に考えた、「夢はドリームではなくターゲットである」というフレーズを思い出しました。私に影響を与えたポール・J・マイヤーの言葉「鮮やかに想像し 熱烈の望み 魂を込めた熱意を持って行動すれば 何事もついには実現する」という言葉を信じて生きた結果だと、人から見れば他愛ないささやかな成果ながら、ある程度自己満足をしています。私を訪ねてくる人から時々、「あなたの夢は何ですか?」と問われることがあります。勿論当初目論んだ歳までの人生は8年しか残っていませんが、98歳まで生きた親父の歳まで生きるなら、字余り人生は13年延びて未来は21年となるのです。よし健康寿命を延ばすために努力しよう・・・。

「お隣の おじさん97歳 亡くなった 親父享年 98歳」
「若いころ 85歳まで 生きようと 生活設計 夢を描いた」
「これまでの 過去はそれなり 生きてきた 未来をどのよう 生きるか勝負」
「字余りの 人生まだまだ これからだ 健康寿命を 伸ばす努力を」

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