人間牧場

〇愛媛養育研究大会(中学校の部)(その2)

 講演の演題は研究主題と同じ「未来を拓く力の育成」でした。さて何を話そうかと壇上に上がって考えましたが、取っ掛かりとして人間四つの願望(①幸せになりたい、②お金持ちになりたい、③健康で長生きがしたい、④望みを叶えたい)ということをまず話し、次に私の人生を振り返りながら、私の人生に大きな影響を与えたことについて、次のことを話したようです。
 ①小学校2年生の時母校の校庭にあった二宮金次郎の銅像を見て、「金次郎さんは何の本を読んでいるのだろう?という疑問が湧き、台座の上によじ登りました。校長先生に見つかり校長室でお仕置きの正座をさせられましたが、そのことが後の二宮尊徳翁夜話の学習につながり、今も讃岐幸治愛媛大学名誉からいただいた金次郎のブロンズ像と、同行二人の案が矢を繰り返しています。大学や論語に興味を持ったお陰で、人間が人間として生きる基本を学びました。

 ②小学校5年生の時、私の誕生日に教室の私の机の上に新聞に包んだ一冊の本が置かれていました。「ジョン万次郎の生涯」という本でした。もしかして漁師の私でも万次郎と同じようにアメリカへ行ける、も知れたいと、淡い夢を抱くようになり、昭和の咸臨丸と銘打った第10回青年の船で太平洋を渡り、建国200年のアメリカに夢が実現して、本当に行けたのです。まさに「夢はドリームではなくターゲットである」でした。アメリカで見た「世界地図の真ん中に日本のない世界地図」は私の価値観を大きく変え、私の町の青年を海外や国内の先進地に派遣して育てる、人づくり10年計画はここから生まれたのです。

 ③高校3年生の時、宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋珊瑚海へ実習に出かけました。その時見た夕日の思い出は忘れることができず、私の潜在能力となり、後の夕日によるまちづくりへと発展し顕在能力に変わったのです。地球が丸いという実感やグローバルな気持ちで、ローカルな行動をすることの大切さを学びました。
 ④愛媛県青年団連合会の会長をしていた時、東京で「愛媛・松山・道後・瀬戸内海・25キロ西」と枕詞を幾ら並べても自分のちを語れませんでした。私の町の子どもが松山の高校に進学しても、自分の町を語れない悔しい思いをしていることを知りました。自分の町を語る物語を作り、自らも語り部となることを誓って夕日や花・ほたるによるオンリーワンのまちづくりを始めました。今やっと自信と誇りを持って、自分の町を語れる子どもがいることを嬉しく思います。

 (今治市、伊予市へ会議に出かけるため、続きは帰宅後書きます。悪しからず。)

私にとってこの①~④の出来事は、後の自分の活動や人生に大きな意味を持つことになったのです。私と青少年とこのかかわりは、①8年間の青年団活動で仲間・故郷・主張・感動・夢という5つの道具を手に入れました。②子どもを4人産み育てました。③社会教育で地域の青少年を育てました。④今やれる青春・一年一事業・社会への揺さぶりという3つのテーマのもと、21世紀えひめニューフロンティアグループで無人島キャンプ・丸木舟瀬戸内海航海などの活動をやりました。自費で人間牧場を造り子ども体験塾やねんりんじゅくなどの活動をしています。
 こうしたことを紹介し、三浦学部長さんとの対談の糸口を掴んで講演を終えました。

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〇出版物を送る

 私のプロフィール末尾に、私の自著本を幾つか紹介しています。最近は電子図書の普及等もあって、紙ベースの出版物が中々売れないと、関係者は嘆いているようですが、私の自著本も私の売る気が満ちてないことから、それほど頻繁に注文が来る訳でもなく、少し本腰を入れて販売しようと思っていますが、講演先相手に嫌がられても困るので、程々を目途にしています。
 それでも今年は春から幸先がよく、福岡県行橋・都自治振興協議会から研修のテキスト用にと、「夕日徒然草」を100冊注文してもらった他、先日は長年ご愛顧をいただいている私のパトロンともいえるギノー味噌の田中正志社長さんに、「夕日徒然草・空の書」をこれまた100冊単位で買っていただき、すっかり舞い上がっているところです。

 私の自著本はネット最大手のアマゾンでも扱っていて、私の手元を離れている自著本がどういうルートか分かりませんが巷に流れているのです。まあその話は今度ゆっくり書きたいと思いますが、数日前広島の友人宇田和博さんからお手紙が来て、来週2月27日に宇田さんの仲立ちで、広島双葉ライオンズクラブの例会で講演をする予定になっていて、その際自著本を販売したらどうかという提案があり、もし荷物になるようだったら事前に送って欲しいというのです。
 私のようなものの書いた本が売れるほど、世の中は甘いものでないことはよく知っているつもりなので、半信半疑といったところですが、お便りまでいただいて悪いと思い、思い切って小さな丁度本が入るほどの段ボール箱の空いたのがあったので、とりあえず「夕日徒然草各10冊」「昇る夕日でまちづくり6冊」「今やれる青春2冊」を萬パイにして郵便小包で昨日送りました。

 届くことは間違いないと思われますが、はてさて本の行方はどうなるのでしょうか。私は本の売り上げは別貯金にしてこれまで一切手をつけず、次の本を出版する時の資金として使ってきました。お陰様でこれまで出版した全ての自著本の初期投資資金は自転車操業ながら、妻の懐をあてにすることもなく全て回収することができたのです。多分その後の自著本販売もそこそこ順調に進んでいるので、そろそろ次の自著本を出したいと、よからぬ計画が心の中で頭を持ち上げているようです。
 人間牧場へ来た人たちも、私と松本小番頭の巧みな誘導作戦に誘われて夕日徒然草を買ってくれているのです。さあもう一分張りしましょうか。

  「自著本を あの手この手で 販売す お陰様にて 資金回収」

  「本売れる 甘い考え 持たぬよう 心戒め 少し控え目」

  「さて次は どんな内容 書こうかな 夢は次第に 大きくなりて」

  「送ったが 売れずに送り 返される それも覚悟で 郵便窓口」

 

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〇今日はお地蔵様の縁日で赤飯の接待をしました

 今日は家の入口近くに祀っているお地蔵様の縁日で、妻はいつもより少し早く起きてお赤飯を炊いていました。わが家がこの地に引っ越して来て36年近くになりますが、その時道沿いに置いてあったお地蔵様を粗末にしてはいけないと、少し高台へ移転してもらい、近所の左官さんに頼んで小さな祠を造ってもらいました。それ以来36年間、妻は毎月21日を縁日と定め、お赤飯を炊いてパックに詰め、近所へお接待を続けているのです。月に一度といいながら毎月赤飯を炊いてお接待を、36年間続ける妻の信心深さには頭が下がる思いです。作った赤飯を配るしか能のない私ですが、今朝は孫たちが私と一緒に隣近所4軒に一緒に赤飯を配って、喜ばれました。

妻が作ったお接待用の赤飯
妻が作ったお接待用の赤飯

 「お父さん、最近は歳をとったせいかしら、21日があっという間に来るような気がする」と言うのです。私も同感で日々の過ぎるスピードが、年々早くなっているような感じがするのです。さて今朝はこれから下灘の親類へ赤飯を配ろうと思っています。長年やっていると頭の中に、配る人とコースが浮かんでくるのです。私が毎月赤飯を配る相手も徐々に歳を加えていて、私の来るのを心待ちにしている人もいるのです。昔は祭りなどに呼んだり呼ばれたりして頻繁に付き合っていた親類も、こんなことでもないと出会う機会が殆どないのです。そういう意味では毎月一回のお赤飯接待の定期便は、お地蔵さんのお引き合わせかも知れないと喜んでいるのです。

家の入口にあるお地蔵様
家の入口にあるお地蔵様

 縁日には親父が幟を立てていましたが、この1~2年は親父も歳をとったため幟を立てるのを止めたようで、何処となしか寂しく感じます。近所の左官さんに造ってもらった祠も鉄筋が露出して少し傷んできたので、設計をしている息子に頼んで設計させ、二人で木造の祠を造ろうと計画していますが、親父は別として私たち親子は不器用なので、上手く行くかどうか心配しているところです。
 今朝も11軒に赤飯のお接待をしました。神仏にあやかって神仏のために働くということは、私のような不信心な人間でも、何処か清々しい気持ちになるものです。何の見返りも求めないところがいいのかも知れません。今月は28日までしかないので、次の3月21日は妻が言うように幾分早く巡ってくるようです。

  「毎月の 21日を 縁日と 定め赤飯 接待配る」

  「よく続く 妻の行い 誉めながら 赤飯食べて 今日も元気に」

  「疎遠なる 親類回り 赤飯を 配って会話 弾み音信」

  「妻炊いた 赤飯神仏 供えつつ 今日の元気を 手合わせ感謝」

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〇サラリーマン川柳

 毎度お馴染みとなっている第一生命保険という保険会社が、毎年一回募集選考しているサラリーマン川柳の入選作100句が発表されました。毎度のことながら前年の国民的話題や職場、家庭夫婦の哀歓を取り入れたものが多く、いずれの作品も頷くことばかりでした。入選作は3万4千9百句の応募作から選出し、ネットによる人気投票で、5月下旬にベスト10が発表されるそうです。

  【サラリーマン川柳の主な入選句】

 「IPS 再生したいな 国・経済」

 「政治家も ビールに負けじと 第三に」

 「党名を 覚える前に 投票日」

 「新入りを 待って幹事を 九年間」

 「電話口 『何様ですか?』と 聞く新人」

 「やな上司 退職したのに 再雇用?」

 「携帯と 亭主の操作は 指一本」

 「読みきれぬ 妻の心と 円と株」

 「すぐキレる 妻よ見習え LED」

 「ノーベル賞 家(うち)にないのは 平和賞」

 「『辞めてやる!』 会社にいいね!と 返される」

 先日私は出張で京阪神方面へ行きました。久しぶりに満員電車に乗りましたが、電車内では殆どの人が指先でスマートフォンの操作をして過ごしていました。私は自分の携帯電話が時代遅れな機種であることに多少違和感を感じながら、スマートフォンを操っている人の様子を遠目で眺め、買うべきか買わざるべきか正直なところ迷っているのです。時流といわれるスマートフォンも使えない、時代遅れなアナログ人間で一生を終るか、思い切ってスマートフォンを買って操作を学ぶか、何年か前思い切って携帯電話を手にしたりパソコンを手にし、大きな成果を得たことを思うと、一歩前に踏み出す勇気が必要なのかも知れません。

 しかし一方では、必要でないものは買わないという、ミエ・ムリ・ムダを省いて生きる勇気も必要なのです。これまでにも私は、その信念でシンプルライフを実現してきたのです。自分らしくどう生きるか、いよいよ真価が試されようとしています。気がつけば私の回りの友人の多くはいつの間にか、スマートフォンにモデルチェンジしているようです。でも私は私として、「携帯と 亭主の操作 指一本」ではない妻の温かさも感じています。
 もう一度自分の生き方を見つめ直してみましょうか。

  「気がつけば スマートフォンが 主流なり 私しゃ遅れた 携帯持って」

  「買えないと 買わない違う 思いつつ 迷う自分は 弱い人間」

  「川柳に 読まれた言葉 ごもっとも 17文字が 時代を映す」

  「俺のこと 時代遅れと 言うのかも それでもいいと 胸張り生きる」

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〇愛することよりも愛されることを望む人が多い世の中

 全ての人ではありませんが、人間は自分が人や動物を愛することよりも、他人や他動物に自分を愛して欲しいと願う気持ちの方が強くて、多いような気がするのです。義理チョコにせよ、いただいた相手に悪いので一概には言えませんが、バレンタインにチョコレートを贈る最近の風潮も、相手の気持ちがどうであれ、自分が相手を愛することより、愛されることを望んでいるような仕草にも見えるのです。
 最近は何を考えているのか分からず、信じ難い同類の人間より、従順な動物の方がまだましとばかりに、ペットを飼う人が増えています。わが家の近所でも、あの家もこの家も家の中で、猫や犬をペットとして飼っていて、ヘヤーサロンにまで連れて行って綺麗に着飾らせ、まるで雑誌の中から飛び出したような、メルヘンタッチなお犬様を抱っこしたり、車に乗せて買い物に出かけたりしている姿をよく見かけるのです。

 田舎は人のことが気になるのか、よく噂話が聞こえてきます。「あの人は・・・」「あそこの家は・・・」とまあ人の不幸を喜ぶように、あることないこと1が2になり、2が4になり、まるで倍々ゲームのようです。何年か前、私が胆のうを患って13キロも体重が一気に痩せた時、「若松の進ちゃんはどうやらガンらしい」という噂が、私の知らない間に隣の集落まで一気に広がりました。自分では口が堅いと自認している集落一番のお喋りおばさんが、私に面と向かって「あんたガンじゃとなあ」と言われ、「どこのガンぞな?」と質問されました。「誰に聞いた?」と聞き返すと、「みんなのえらい噂で、町中知らない者はいない!」というのです。少し頭にきたので「私のガンはキンガンです」と笑い飛ばしてやりましたが、それにしても噂話を信じて、本人に面と向かって聞くこのおばさんも相当いかれているようでした。

 人よりも幸せになりたいという気持ちも、自分が愛されたいと思うことと同じで、そこには愛するという本質的なものが抜け落ちているような気もするのです。数日前所用で出かけた隣の集落で、引越し業者の車が荷物を降ろしていました。狭い道だったので大きな荷物を降ろすしばらくの間、車を止めて待ってあげました。聞けば娘さんが子ども二人を連れて、離婚して親の元へ帰ったようでした。この家には長男夫婦と子どもも2人同居しているそうなので、両親は複雑な心境のようでした。ここにも愛し方と愛され方を間違った小さなミスマッチがあったようです。
 ギリシャの哲学者アリストテレスが「愛というものは、愛されることよりもむしろ愛することに存する」といっているように、「愛されたい、さらば愛せよ」、つまり人は好きになることが好いてもらう大前提であることを、肝に銘じなければならないようです。

  「人は皆 勝手なもので 愛せずに 愛して欲しいと 願うものなり」

  「愛すれば 必ず愛は 報われる 報われないは 愛が足りない」

  「愛の国 生まれ育って 暮らしてる 愛の尊さ 誇りに思う」

  「従順な 犬猫好きは 分かるけど 対立人間 もっと大事に」

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〇広島県福山市内海町からの視察研修(その2)

 視察日にこの日を選んだ相手が幸運な団体だったのか、その日を受け入れた私が幸運者だったのか、まあどっちでもいいことですが、前日も雨、今日も雨の目まぐるしく変わる昨今の天気のことを考えると、昨日はラッキーにも風もなく穏やかな好天の一日でした。
 研修に来た人たちを何処へ連れて行くかは、相手と時間、季節によって直感で決めますが、昨日の振り出しは翠小学校を選びました。学校は日曜日にも関わらず催しがあったのか、運動場は開いたままだったので、事後承諾の形で運動場から校舎を見学する程度の見学をさせてもらいました。12mの最も大型なバスだったため、運転手さんは苦労されていたようですが、車内からグリーンツーリズムやピザ釜についても説明をさせてもらいました。

菜の花畑にて
菜の花畑にて

 その後シーサイドを越えて、閏住の菜の花畑へ向かいました。この時期は菜の花が見ごろを迎えていますが、昨日は椿さんの影響なのか見学者が余りなくて、記念写真を撮影したりしながら、のんびりゆったり見学することができました。また時間がないので次の機会にしたしもなだ水仙畑はコミセン裏のバスの中からの見学となってしまいました。
 内海町も場所や方向こそ違え同じ瀬戸内海側に位置していますが、内海町が遠浅汽水域を利用した海苔の産地であるのに対し、わが双海町は小石の浜が広がる伊予灘に面した波の荒い漁船漁業が主体の町なので、風土も気質も根本的に違うのです。それでも菜の花や水仙が辺り一面咲き誇る綺麗な町を見て、皆さんは感心しきりでした。多分昔私が旅先で私の町の汚さを感じた、異文化ギャップのような感じ方を持たれたようでした。まさにこれぞ視察研修の最大の研修成果なのかも知れません。

恋人岬にて
恋人岬にて

 レストラン夕浜館で刺身、天ぷら、マナガツオの煮付け、シラスの釜揚げ、鯛めしなど豪華な昼食をいただきました。昼食後注文していたじゃこ天ができるまで、シーサイド公園を揃って散策し、多いに盛り上がった話をしました。
 午後一行は内子町へ向かいました。双海町に来たついでに内子町へ行くのか、内子町へ来たついでに双海町へ立ち寄ったのかは、聞いてないので不明です。でもどちらにせよ、わが町に来た人たちを心を込めてもてなせばいいのです。漁協女性部の松本洋子部長さんは、同じ海の名前のついた町からお客様である上、私の紹介ということもあって、ラブじゃこ天をサービスしてくれたり、バスの運転手さんにお土産を持たせたり、また丁寧な笑顔のお見送りをしてくれました。いやはやいい交流会でした。

  「隣来た ついでに来たか 分からぬが 真心込めて お世話しました」

  「花を見て 怒る人など いるものか 菜花・水仙 思わず笑顔」

  「ああ今日も 楽しかったと 喜んで 出会いし人の 顔を浮かべて」

  「二十年 近く商売 していると 漁協のおばちゃん しっかりコツを」

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〇郡中いっぷく亭の歌のCDをいただきました

 先日郡中いっぷく亭で、私の小噺講演会が催された折、お世話役の谷岡和美さんから「郡中いっぷく亭の歌」という、わりとしっかりした市販用ケースに入ったCDとDVDを、それぞれ一枚ずついたいて帰りました。私は根っからの自称アナログ人間なので、各方面からいただいたCDやDVDも、最低必要なものしか利用しないため、机の横の書棚と引き出しに入れたままのものが、まるで宝の持ち腐れのようにうず高く積まれていて、「いずれ暇でもできたら、整理をしたり見たり聞いたりして見たいと思うのですが、退職して自由人になって8年だというのに、その夢は実現の糸口さえつかめないでいるのです。ゆえにこの夢は見果てぬ夢として、いずれプラスチックごみという運命をたどるのかも知れないと思うと、少々憂鬱になったりするのです。

CD表紙
CD表紙

 谷岡さんからいただいて帰った2枚のCDとDVDも、本当に失礼ながらこの一週間机の隅に置きっぱなしだったのです。今朝嫁が「お父さん昨日の手紙類です」と書斎へ運んでくれた手紙類の中に、谷岡和美さんからの便りが入っていました。そういえば私へのメールに「あなたの映像がボケていたので、手直しして送ります」と、丁寧なメールが入っていたのを思い出しました。この一週間風邪で今一な体調だったため、全てが上の空で、いっぷく亭での小噺講演会もうっかり忘れるところをでした。そのことについては、ありのままの身上を吐露しお断りをしましたが、またまたうっかりしてお断りをしなければならなかったようでした。

CD歌詞カード
CD歌詞カード

 やばいと思い、以前に貰ったものも封を開け、「♭ちょっとおよりんか」と、「♭ありがとう」の歌詞カードや表紙をスキャナーで取り込みました。そして机の上のパソコンに今回送ってもらったDVDを挿入して見たり聞いたりしました。前回講演会場で粗方は見ていましたが、今晩は書斎で一人椅子に身を任せながらのんびりとした気持ちで聞かせてもらいました。
 私も「双海音頭」や「双海恋歌」、「双海町紹介ビデオ」など数多くの仕事を遊び半分で手掛けましたが、歌ができるまでの水面下の作業はかなりの労力がいるものなのです。谷岡さんはご主人が私と同年代ですが、音楽に詳しいしパソコンだって使いこなせるし、私の不得意なものを全てクリアーしている素晴らしいい人です。向学心は私と同じくらい(笑い)かも知れませんが、レベルもセンスも梯子段のの上と下ほど違うのです。伊予市と合併したお陰で、いい人たちと出会い、同じ市民となりました。

  「CDと DVDを いただいた 今夜しみじみ 一人聞き入る」

  「アナログな 人間自称 私には 進む文明 ついても行けず」

  「作詞まで できるあの人 何歳か? 詮索よそう 相手に失礼」

  「世の中にゃ 達人と呼ぶ 人あり手 一歩前行く 羨ましいな」

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〇同じ敷地内に住みながら

 わが家は親父・私たち夫婦・息子夫婦・孫二人と、今時珍しい大家族なのです。同じ敷地内にある別棟隠居に住む、94歳の親父を除けば、後の六人は同じ屋根の下に住んでいますが、息子家族とは食事も別だし、建築設計の仕事をしている息子等は、帰宅も深夜になることが殆どで、同じ屋根の下に住んでいるといいながら、顔をあわせるのは朝飯頃だけなのです。

 最近孫たちが、通う保育園から頻繁に風邪を貰って来るものですから、極力孫に近づかないよう注意をされていましたが、ついに私にうつってしまいました。この4~5日は逆に孫たちが私に接触することを極力避けているため、孫たちとの接触は朝のあいさつと風呂に入って二階に上がる時「お休みなさい」というあいさつ程度で、怪獣ごっこや雑談さえもできず、育爺の出番などどこにもないのです。ああ嘆かわしや大家族といったところです。

 そんなこともあって、親父にだけは命取りになりかねない風邪をうつしてはいけないと、家族全員が気を使っているため、親父と接触するのは唯一、夕食を作って運んでいる妻だけなのです。そのことが気になるのか親父は妻に、「進一はどうしているのか」とか一心は昨晩も帰りが遅かったようだが」とか盛んに消息を聞いているようですが、「「進一さんも風邪を引いているので、爺ちゃんにうつしたら大変と、隠居へ来るのを遠慮している」と、説明はしているものの、私の顔が見えないのはやはり寂しいようでした。

 家族とは、親子とは、夫婦とは、一家団欒とは、風邪を引いたこの4~5日養生しながら色々なことを考えさせられました。早く風邪を治して親父の隠居へ顔を出し、話し相手になってやらねばと思いを新たにしました。今日は少し気分が快方に向かい身体も軽くなったようなので、余り無理をしない程度のウォーキングをやってみました。今日から伊予路に春を呼ぶといわれる椿さんも始まったようで、道沿いの斜面にはユリ根の新芽が幾つも顔を覗かせていました。もうすぐ春ですね。

  「大家族 同じ敷地に 住みながら 暮らし別々 出会い少なく」

  「一週間 親父の顔を 見ないため 親父気がかり 私気がかり」

  「年寄りにゃ 風邪と骨折 命取り 本人わきまえ 近寄るべからず」

  「春を呼ぶ 椿祭りも 始まって 道沿い斜面 ユリ根新芽を」

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〇占いを信じましょうか!

 毎日1万歩を目指して歩いていた私の携帯電話内臓の万歩計が、13日から1万歩はおろか1千歩にも満たない数字になってしまいました。原因は簡単で風邪による、妻からのきつい外出禁止令によるものです。私のように毎日の暮らしをリズミカルに暮らしていると、1万歩歩くというリズムが狂っただけで、食べられないし元気が出ないのです。運動と食欲は相対的なもので、運動量が少なくなると食欲も出てこず、妻が病院食のようなお粥等を作って食べさせてくれますが、熱のせいでしょうか、食べるもの全てが味がないのです。

 たかが風邪くらいと鷹を食っていたしっぺ返しを受けたのでしょう。昔から「風邪は万病の元」と言われるように、最近は治りにくい風邪もあるものですから、病院が嫌い、注射が嫌いとまるで子どものようにぐずる私に、妻は置き薬や栄養剤を織り交ぜて看病をしてくれていて、気分的にはやっと峠を越したかなといった感じです。年末から年始にかけてスケジュールが込み合い、多少オーバーワークのような感じもしていましたが、旅先での気分転換や持ち前のファイトで乗り切ってきました。

 「あなたは若そうに見え、若そうに振舞っているけど、来年は古希なのよ」と、妻から皮肉めいた言葉を言われています。人生50年や60年の短命な時代の言葉だと思っていましたが、いざ自分がその歳に近づくと、「古来稀なり」という70歳という年齢の重さにただただ驚くのです。
 友人の谷岡さんからメールで、「あなたの運勢において今年は注意をした方がいい。来年はまた運が上昇する」という忠告を受けました。今年さえ注意して過ごせば来年は運が開けるという、何とも楽しい占いですが、妻に話すと「今回の風邪はその兆候かもしれない」と脅されました。

 私は余り占いを信じないたちですが、23歳の時松山の銀天街を歩いていると、一人の易者さんに呼び止られました。断わる私を無理やり座らせ、私の手相や顔相などを見ながら、「あなたは病気をするかも知れない。将来教育の仕事につくかも知れない。26歳から運勢が開けるかも知れない」と告げられました。当時私は漁師をしていたので、そんなことあるものかと、「いい加減なことを言うな」とばかりに、易代千円を払ってふてぶてしくその場を去りました。
 驚いたことに26歳で大病を患い、そのことが元で転職して公務員となり、13年間教育委員会に勤め、最後は教育長まで勤めたのです。残念ながら運勢が開けたかどうかは疑問ですが、自己満足の範疇ながら言い得て妙な易者の眼力にただただ驚いています。谷岡さんの言うとおり本当に来年は運気上昇であって欲しいと、年甲斐もなく思うのもまた、占いのいいところでしょうか。

  「占いに よると今年は 自重して 熱にうなされ 頭ぐるぐる」

  「若い頃 街角易者 見抜いてた 信じるものか 言いつつ信じ」

  「来年は 運気上昇 するという 年甲斐もなく 淡い期待を」

  「歯車が かみ合わない日 続いてる 悶々しつつ 明日に期待を」

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〇私にもチョコレートが届きました

 今日は聖バレンタインデーとか、女性が男性にチョコレートを贈るようですが、初老の私のような人間にチョコレート等贈る人はいないと思いきや、手渡し、手紙同封等の方法で沢山のチョコレートが届き少々驚いています。妻も昨日職場の人に贈るため、チョコレートを買いに出かけたようですが、いやはや面白い風習が流行るものです。チョコレートを贈ってくれた人には義理チョコにせよお返しをしなければなりませんが、私にはそのことすら余り知らないのです。

 一番最初にいただいたのは、いっぷく亭で小噺を頼まれた折、谷岡和美さんから手渡しで貰いました。自宅へ帰ってみると大洲市田処の西田和子さんや、沢山の人から手紙に添えてチョコレートが届いていました。チョコレートもさることながら、こうして私の存在を覚えていてくれる人がいることは多きな喜びなのですが、女性から贈り物をされて悪い気はせず、「お父さん嬉しそうじゃねえ」と妻に冷やかされてしまいました。多分このお返しは妻に頼んで買ってきてもらわなければ、私は何にもできないのです。

 私は13年前に体の都合で酒を止めました。酒を止めると甘いものを欲しがる人が多いようですが、私は甘い物をそれ程食べないのです。ゆえにいただいたチョコレートを狙うのは、同居をしている孫たちです。チョコレートを目敏く見つけた孫たちは私の書斎へ頻繁にやって来るのです。昔パチンコをしてその景品にいっぱいのチョコレートを持ち帰った経験がありますが、虫歯が気になる若嫁は、孫たちにチョコレートを渡さないように言われてしまいました。ここでも孫の教育方針で私と若嫁はぶつかってしまいました。

  「義理チョコを 貰い喜ぶ 歳でなし だけどルンルン この日ばかりは」

  「義理チョコを 目敏く見つけ 孫たちが 私の書斎 立ち寄り渡す」

  「お父さん 虫歯になったら どうするの 若嫁注意 一本取られ」

  「感謝チョコ 書いた手紙が ほほえまし 今年が最後 毎年思う」

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