人間牧場

〇蕗の収穫

 人間牧場に春がやって来ました。今年は少し早目に草を刈ろうとか、バックヤードである倉庫や作業小屋を綺麗に片付けようとか、色々策を巡らせているため、いつもの年より少し早目に草刈りやバックヤードの整理整頓の作業手順が進んでいることに、少しだけ安堵している今日この頃です。
 一昨日は蜜蜂の師匠である井上登さんのご指導で、蜜蜂の巣箱に蜜蝋を塗ったりキンリョウヘンを取り付ける作業をしましたが、昨年秋台風で下の道まで転げ落ちながら、不運にもめげず蜜蜂が冬越した、重箱型巣箱の下に2箱追加した巣箱が、大きなコンクリート製の重石を乗せているため仮分数になっていて、また転げる危険性があると指摘を受けていたので、火バサミを再利用した杭を打ち込み、ビニール紐で地面に固定しようと出かけました。

 昨日は前日からの寒さも少し和らいでいたため、単車を倉庫から出して単車に乗り、人間牧場まで走りました。吹きぬける風はまだ寒かったものの、気持ちのいいツーリングを楽しみました。蜜蝋とキンリョウヘンの効果はまだ出ていませんが、そのうちゴールデンウィークころには温かくなって、分蜂してくれるものと、前日蜜蜂に刺されて少し腫れ上がった右手の平を撫でながら思いました。
 巣箱固定の作業を終え、梅の実の付き具合を見るため梅園へ下りて行きました。植えて3年目の若木には沢山の梅の実が付いていて、今年も梅の収穫が期待できそうですが、古い樹はそろそろ寿命かなと思い、いつかの時期に植え替えを決断しなければならないようです。

収穫した蕗
収穫した蕗

 まだ一番草を刈っていない一番下の梅畑には、草に埋もれて蕗が沢山生えていました。草刈機で刈るのも勿体ないと思い、蕗を収穫することにしました。今時の蕗は柔らかくて煮炊きをしたり佃煮にすると美味しいので、早速剪定バサミで収穫を始めました。1時間ほどで少し大きめの束を7束収穫しました。単車の後に採った蕗を荷造りし、シーサイド公園のじゃこ天のお店へ2束、姉の家へ1束とお裾分けしながら帰り、残った2束は生活改善グループの県の会長さんである小西さんに、まちづくり学校双海人に参加した折、持参して差し上げました。
 さて残った2束は今日にでも手袋をして、灰汁が手につかないよう注意しながら、皮をはいで妻に佃煮にしてもらおうと思っています。やはり歳のせいでしょうか、蕗やツワブキ、ゼンマイ、ワラビ、筍、ウド、タラなどの灰汁強いものが口に合うようになってきました。灰汁強いものはガンになるから食べない方がいいと言われていますが、この時期の山菜は季節を感じる旬の食べ物として、ガンになる危険性など無視して存分に楽しみたいものです。

  「単車にて 寒さ堪えて ツーリング いやはや爽快 春を満喫」

  「蜂巣箱 風でひっくり 返らぬよう 杭打ち止めて これで万全」

  「歳だねねえ 苦味あるもの 好きになる 山菜今が 旬とばかりに」

  「蕗取りて あちらこちらに お裾分け これも大事な 付き合い仕方」 

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人間牧場

〇蜜蜂のシーズン明け

 野山の新緑も日増しに濃くなって、春本番だというのにこのところは時ならぬ寒波が南下して、朝の最低気温が10度を下回る日が続いています。終いかけた薄手のダウンをもう一度引っ張り出して上に羽織らねば、風邪を引きそうな感じがして、少し恥ずかしい気もしますが冬支度を続けています。
 この異常とも思える気温は芽が動き出した植物や、動き回り始めた動物にも影響が出て、お茶や煙草を栽培する農家の人は気が気ではないようです。かく言う私もほんの遊び程度ですが、家の横の家庭菜園に植えた苗物や、種を蒔いた野菜の芽出しが心配で、用もないのに畑に出て土の表面を観察する回数がいつになく多いようです。

順調な冬を越した巣箱1号の中
順調な冬を越した巣箱1号の中

 私は人間牧場と裏山で蜜蜂を飼っています。もう5年になりますが、最初は一箱から始めた巣箱も一つ二つとその数を年々増やし、去年は8つとなりました。お陰様で昨年は巷の養蜂家たちは不作だったというのに、10升の大豊作で新記録を樹立したのです。
 去年から冬越しをしている種蜂が人間牧場2箱、家の裏山に2箱あるので、今年こそはと意気込んでいますが、前述のようなこのところの天候不順で、気温に敏感な蜂たちももろに影響を受け、4月も下旬だというのに活発な動きには至らず少々心配をしているところです。

巣箱設置作業をする井上さん
巣箱設置作業をする井上さん

 それでも遅まきながら分蜂の準備をしようと思い、蜜蜂のお師匠さんである野村町山奥組の井上登さんに電話を入れ、蜜蝋塗りとキンリョウヘンの協力を要請しました。2~3日前早速井上さんからメールが入り、22日の午前中に蜜蝋とキンリョウヘンを持参して、作業をする旨の連絡が入りました。昨日は前日の北東の風も治まり雲ひとつない好天に恵まれました。軽四トラックで待ち合わせ場所の人間牧場へ9時に到着し、約束の10時までツリーハウス周辺の先日刈り残した草を段取りよく刈り終ったところへ、井上さんは約束どおり来てくれました。早速空き部屋となっている四つの巣箱を集め、作業小屋の前の日当たりの良い場所で、二人で巣箱掃除と蜜蝋塗りをやり、それぞれの場所に設置しました。

 去年から冬越しをした2つの巣箱の下板掃除をしながら観察をしましたが、昨年の晩秋に大風で下の道に転げ落ちた重箱型の巣箱は、心配を余所に営巣の状態は順調で、下に2つ重箱を継ぎ足しました。この時期のミツバチは気が荒く、被った防虫ネットめがけて何匹かの蜜蜂が攻撃を仕掛けてきましたが、刺されることもなく作業を終え、わが家まで戻って残り2つの空き家を同じように掃除し蜜蝋を塗ってキンリョウヘンを括り付けました。ところがその作業中にゴム手袋の入口から進入した一匹の蜜蜂が手の平にチクリ一刺ししてしまいました。慌てて手袋を脱ぎ棘を抜きましたが時既に遅く、少し痛みが走りました。家の庭に置いている鉢植えのアロエの葉っぱをちぎって塗りつけたお陰で、大して腫れることもなかったようで、まずは一安心の朝を迎えました。

裏山4号の巣箱設置作業
裏山4号の巣箱設置作業

 今年は昨年より二つも巣箱が増えて10箱になりましたが、上手く分蜂入居してくれるでしょうか。連休にはしっかりと観察したいと思っています。それにしても私のためにはるばる遠い野村町から、指導や作業に毎年のようにキンリョウヘンと蜜蝋を持参して来てくれる、井上さんには感謝のしようがありません。5年目で五升の目標も、去年は倍の10升で早々と達成をしました。今年からは余り欲張らず愛情を込めて養蜂に精を出したいと思っています。そういいつつ、やはり私の闘争心に火がついて、今年もあわよくばとなんて気持ちが頭を持ち上げているようです。

 

 

 

  「山緑 今年も養蜂 時期迎え 師匠の指導 仰いで準備」

  「手袋の 裾から一匹 蜜蜂が 侵入チクリ 早くも一刺」

  「天候の 不順は蜂にも 影響し 活動鈍く 先行き心配」

  「蜜蝋と キンリョウヘンで 誘いこむ 作戦上手く 行って欲しいと」 

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人間牧場

〇わが息子に受け継いだ私のDNA

 最近歳をとったせいか、家の将来のことを時々考えることがあります。それは同居している親父が加齢とともに少しずつ衰えて行く姿を目の当たりにしたり、家庭菜園や家の周囲の管理、人間牧場の草刈り等をする度にふと、「これらの仕事でない仕事を息子は果たしてやってくれるのだろうか?」という思うからです。妻にそのことを話すと、「お父さん大丈夫よ、あなたの息子だから」と答えが返ってきますが、草刈機を一回も持って草を刈ったことのない息子に、「明日から草を刈れ」と言ったところでそれは危険過ぎてできない作業なのです。妻は「あなたができなくなったり、息子ができないのならシルバー人材センターにお金を出して頼めばいい」と楽観視していますが、はてさてどうなるのでしょうか。

書斎にお目見えした風力発電用風車
書斎にお目見えした風力発電用小型風車

 それでも40歳近くになった息子の日常の暮らし方を見て、時々「息子は確実に私のDNAを受け継いでいる」と思うこともあるのです。息子は建築設計の仕事をしていますが、そのご縁で伊予市中心市街地のまちづくりにも積極的に参加していて、時々みんなの前で発表もしているようなのです。親から見ればまだまだ未熟者ですが、まあ「習うより慣れろ」という言葉もあるのでそのうち少しは高まることでしょう。
 一昨日出張先の広島から帰ってみると、私の書斎に灯りがともり、中で息子が何やら大きな風車のようなものを組み立てていました。「これが前に話していた風力発電の装置か」と思いながら、息子の説明を聞きましたが、ネットで購入した小型の風力発電装置のようでした。

 息子は自宅車庫の屋上にソーラーパネルを5枚自分で組み立て、微量ながらバッテリーに充電して自分のダイニングに置いたテレビはソラー発での電気を使っているのです。私のパソコンもバッテリーを使うよう促されていますが、面倒くさいのでまだ実験程度の利用に留めていますが、息子の夢は太陽光や風力発電で売電したいようですが、いかんせんその条件にあった土地と資金が伴わないようで、夢はドリームの段階のようです。何にでも興味を持って、何にでも挑戦する姿は私の若い頃の姿に良く似ていますが、「夢はドリームではなくターゲットである」ことを、時々議論し諭すのです。若さゆえまだまだ荒削りですが、そろそろ結果を出して欲しいものです。
 昨日は家の車庫付近に風力発電装置を取り付ける支柱を取り付ける作業をやっていて、鋼管杭を打ち込む作業を手伝わされました。いやはや面白い息子です。

  「わが息子 見てて時々 思うのは わがDNAを 受け継いでいる」

  「ソーラーと 風力発電 小遣いで 始めた息子 まだまだ幼稚」

  「ネットにて 買った風力 発電機 使ってどれほど 発電できる?」

  「息子には 口で勝てても ネットでは 勝てぬと内心 一歩譲りて」 

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人間牧場

〇広島県府中町を訪ねる(その2)

 府中町は広島市に隣接し、狭い土地に5万人余りが暮らす人口密度の高い地域です。平成の合併で広島や安芸郡との合併も考えたようですが、住民投票によって合併をしない方法を選択しました。バスや電車の便もよく、便利この上ない活気に満ち溢れた町のようでした。
 この日は町内にある府中南公民館と府中公民館の2ヶ所で公民館開講式が行なわれるため、午前中は府中南公民館で、午後は府中公民館でダブルヘッターの記念講演なのです。人使いの荒い町だとみんなを笑わせながら、とりあえず午前中は南公民館で、「新しい発想で生きる」と題した90分の講演を行いました。南公民館の大ホールは200人以上が詰めかけ、立ち見ができるほどの満員でした。

府中南公民館大ホールでの記念講演
府中南公民館大ホールでの記念講演

 持参した「進ちゃん頑張れ」というDVDを名刺代わりに5分間鑑賞してもらってから始めましたが、会場ののりは最高でいい雰囲気の記念講演だったと、手前味噌ながら嬉しい気持ちになりました。昼食で出かけた割烹で美味しい食事をご馳走になりましたが、この店の入り口に「ご自由にお持ち帰り下さい」と書かれた容器に4~5匹入れられたメダカを見つけ、大将にお願いしていただいて帰りました。
 午後は南公民館とそんなに離れていない府中公民館に会場を移し、二回目の講演を行いました。同じ町内といいながら参加者から受ける雰囲気は微妙に違いました。予定していた話の内容を午前中と半分ほど変えて話しました。対象が違うので別に帰る必要もないのでしょうが、何人かは両方の会場を掛け持ちの人もいるようなので、対応しました。結果的には用意したDVDは結局使わずじまいで終ってしまいました。

広島宇品港発のスピーダー
広島宇品港発のスピーダー

 講演終了後直ちに館長さんや職員さんたち3人に宇品まで見送ってもらい、雨の降る中午後5時30分発の高速船スピーダーに乗ることができましたが、瀬戸内海の中海まで帰ると、海は北東の風が強く大時化で、高速船は右に左に大きく揺れ、速度を落として航行したのか10分ほど到着が遅れました。携帯電話を忘れて出かけたため、妻とも連絡が取れず、帰宅は遅くなるかもしれないと言って出かけておきながら、7時過ぎに自宅へ帰り、孫たちと一緒に風呂に入って夕食となりました。
 ダブルヘッターで合計3時間の記念講演は少々疲れましたが、私の話を聞いた方から何件か、私の元へメールが届き、双海町を訪ねたいという人もいました。有難い反応でした。

 

 

  「講演を ダブルヘッター 三時間 少々疲れ 反応喜ぶ」

  「このところ 天候不順に 見舞われて 傘気を取られ 携帯忘れ」

  「帰宅する 早速感想 メールにて 嬉しき反応 返信小まめ」

  「午後からは 雨が降るとの 予報あり 的中雨が しっかり降って」

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人間牧場

〇大風に遭い苗物に被害

 地元の氏神様の春祭りが近づくと、春祭りの寄付を宮総代の人が組内を廻って集めます。お札とお餅代、それに福まきなどの費用として一戸2千円のようでした。8年前退職した矢先、地元集落の区長と宮総代に選ばれ、寄付を集めたりお宮の屋根の葺き替え工事に伴う騒動が持ち上がり、難儀をした思い出が蘇りつつ、宮総代の人に2千円を渡しました。宮総代の突然の訪問だったため財布を持ち合わせず、在宅の若嫁に立て替えてもらいました。その後妻が帰宅したので2千円を若嫁に返しましたが、神仏の付き合いももうそろそろ代替わりだかと、若嫁を交えて笑いながら家族で話をしました。
 「氏神様の春祭りが来れば苗物を植える」とは、ばあちゃんが生きていた頃教えてくれた歳時記です。この季節になると遅霜にも合わず順調に育つという生活の智恵でしょうが、その言葉通り一昨日の午前中伊予市の親友水口マリ子さんのお店へ出かけて、苗物を大量にいただいてきました。

風の被害に遭ったトマトの苗
風の被害に遭ったトマトの苗

 早速昨日は一日遅れで植えようと畑に出ました。前日までに植える畑を耕運機で耕し畝を立てていたので、作業は順調にはかどるように思いました。ところが植え始めると、この時期としては珍しい北東の風が吹き始め、折角植えたナスやトマトの苗を揺らし始めたのです。急いで裏山に出かけ支柱用の竹を切ってきて立て、ビニール紐で固定しましたが、その作業が大風について行けず、結局は折角植えたトマトの苗の何本かは接木した部分から折れて吹き飛んでしまいました。傍で見ていた親父も多少手伝ってくれましたが、時既に遅く、犠牲になった苗は買い求めて植え替えなければならないようです。ふとばあちゃんの顔や言葉が蘇りましたが、今年に限ってばあちゃんの金言も当らなかったようで、天気を無視して植え始めた私の不徳の致すところだと、自分の予定表の4月19日欄に「苗物植え、北東の突風で被害甚大」とメモを入れておきました。多分来年の参考になるわが家の歳時記です。

被害を免れたナスの苗
被害を免れたシシトウ・ピーマン・キウリの苗

P1010799 昨日植えたのはナス22本、トマト20本、ピーマン10本、シシトウ10本、キウリ5本、ゴーヤ3本、カボチャ3本、オクラ5本、唐辛子3本、パセリ5株でしたが、家庭菜園にしてはえらい数の苗物ですが、お裾分けにはこれくらいは植えないと用が足せないのです。
 私たちの地域では、「夫婦喧嘩とくだりの風(北東風)は宵に凪ぐ」という諺がありますが、あれほど気違いのように吹いた風、も諺どおり夕方にはピタリと止みました。夕闇迫る頃ショロに井戸水を汲んで植えた苗にたっぷりと水をやりました。今日は昼頃から雨が降る確立が80%とかなり高いようで、これで吹き飛ばされなかった苗物は息を吹き返すことでしょう。
 (今朝は間もなく広島府中町へ講演に出かけるので、続きは帰宅後に・・・・4月20日4時39分記す)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「北東の 突風苗物 吹き飛ばし 心沈んで 水を汲みやる」

  「諺や 言い伝え等 信じ込み 野菜作りに 挑戦の春」

  「親友が 毎年くれる 苗物を 今年も植えて 夏を迎える」

  「農業は 遊び間は 楽しいが 飯のネタだと 棒に振るほど」

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人間牧場

〇9年目を迎えた人間牧場(その②・施設の運営)

 人間牧場が年々充実してくると、マスコミや口コミでその存在を知られるようになり、訪れる人の数も段々増えてきました。極めつけは昨年NHK西日本の旅で全国に紹介されたため、一時は私のスケジュールに支障がでるほどの人気ぶりでしたが、今はそれも落ち着いたものの相変わらずの人気です。人が来れば施設が汚れトイレが満杯になり、電気代も多少跳ね上がります。それらの費用は全て私の財布から出費されます。そんなこともあろうかと当初から考え、著述した本を販売して資金を稼ごうとよからぬ企みをしました。「昇る夕日でまちづくり」は勿論のこと、人間牧場の日常活動を組み合わせた「夕日徒然草」という自著本の出版が当り、5冊出版した「夕日徒然草」の売れ行きも順調で大いに役立っています。
 ただ5年間で5冊の「夕日徒然草」という本を、出版する目論見は達成しましたが、書いた150話を150年生高知県馬路村産魚梁瀬杉の高座で演じる落伍には、即興だけにかなり骨が折れているというのが正直な話です。

 人間牧場で始めた私塾「年輪塾」も清水塾頭、松本小番頭、米湊大番頭、浜田塾生1号の絶大な支援を受け、少しずつ広がっているし、教育委員会と連携した子ども体験塾や、愛媛新聞カルチャースクール「街中の人間牧場移動塾」なども絡んで楽しく運営ができています。
 毎年やって来る愛媛大学農学部スキルアップ講座の受講生や、大学生を相手の講義も順調だし、全国から研修生を受け入れて活動をしています。ただ惜しむらくは人間牧場までの道幅が狭、く大型バスが乗り入れられなかったり、国道から県道・農道・私道を通らなければ来れないため、迎えに出たり送ったりする手間暇が予想以上にかかり、時には来訪者が道に迷ったりするハプニングにも見舞われています。来訪者からは道しるべとなる看板や、駐車場の確保を望む声もありますが、私はそんなことはしたくないと突っぱねて、我流を貫いているし、今後もその方針を変えるつもりはないのです。

地域おこし協力隊の研修
地域おこし協力隊の研修風景

 人間牧場のメイン施設である水平線の家には北に面した板壁一面に5段の大きな書棚を作っています。そこには私がこれまで読んだり集めたりした本や、私がこれまでに書いたブログ記事の綴りが所狭しと並べられ、小さいながら知的空間を演出しています。訪ねてきた人の中にはそれらを手にとって読む人もいますが、私の至福はそれらの本に囲まれ、背もたれ椅子に寝転んで本を読みながら昼寝や瞑想にふけることなので、満足の空間なのです。
 風音や雨音、小鳥のさえずり、漁船のエンジン音、時折下を通る気動車の汽笛音に加え、茫洋と広がる瀬戸内海の海や、満点に星をちりばめた夜空、西の空を茜に染める夕日など、人間性を回復するエキスが一杯詰まっています。
 昨日は夕方からそんな空間で、地域おこし協力隊の3人のメンバーと、松本さん、赤石さん、久保さんたち6人がやって来ました。研修を兼ねているため私のレクチャーと議論を2時間ばかりした後、持ち寄った美味しい春の料理を食べながら、一夜泊まりの合宿研修をやりました。実に楽しく実に充実したひと時でした。

  「楽しいし 新しいこと 目論んで ワイワイガヤガヤ 作戦会議」

  「よそ者と 言われる人が 集まりて まちをどうする 熱心議論」

  「本売りて それを資金に あれやこれ 目下のところ 上手く運営」

  「背もたれの 椅子に寝転び ただ一人 風雨小鳥 声聞きウトウト」

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人間牧場

〇ジャガイモの根寄せ

 すっかり春めき、自宅の書斎窓から見える本尊山界隈は新緑燃えるように衣替えをして、毎朝清々しい気持ちで朝の空気を吸っています。それでも早朝は少しひんやりした空気に包まれていますが、書斎に置いたストーブには今週から火を入れることもなく過ごしていて、そろそろストーブの油を抜き、空焚きして倉庫にしまおうと思っています。
 晩秋から妻の勧めで始めた下ズボン(パッチ)着用も、長袖のヒートテック着用も、今週から春着に衣替えをしようと決意し、とりあえず下ズボンは虫が脱皮するように脱ぎましたが、やはり朝の冷気は身に染みて、妻から「年寄りの冷や水」と笑われています。

 氏神様の春祭りを間近に控え、そろそろ夏野菜の苗物を植える準備をしなければならない時期になりました。毎年のことながら友人の水口マリ子さんに電話をして、苗物を注文し買いに行きたいと思っています。そのために地ごしらえをしようと思いつき、冬野菜として楽しんだ花が咲いている春菊やホウレンソウの残菜を雑草とともに取り除いて片付けました。地中深く根を張ったこれら残菜を引き抜いたり、ハコベなどの雑草を取り除く作業は一苦労で、思わぬ大汗をかいてしまいましたが、耕運機を掛けてすっかり見違えるような新地になり、いつでも苗物を植えれるよう準備が整いました。
 今年もナスやトマトをメインにして、インゲンやオクラ、ピーマン、シシトウ、カボチャに加え、ツルなしツルありインゲンやトウモロコシも作ろうと思っています。

根寄せの終わったジャガイモ畑
根寄せの終わったジャガイモ畑

 今畑の大半は昨秋植えたタマネギと、春に植えたジャガイモが占有していますが、小まめに芽をかいだジャガイモが一気に大きくなり始め、今のところ順調に育っているようです。新聞によると宇和島遊子の段々畑では早掘りのジャガイモの収穫が始まったそうですが、わが町は気温の低い瀬戸内に面しているため、ジャガイモもやっと芽を出し始めた程度です。でもこのところの陽気に誘われて日増しに緑色の部分が増え始めました。昨日はジャガイモの根寄せをしました。生え始めた雑草を鍬で削りながら土を畝の高い部分に根寄せして行くのです。こうすれば芽かき作業とともに、白い肌のジャガイモが大きく育つのです。今年は一畝だけ黒いビニールシートのマルチをかけてみました。マルチを敷いたジャガイモは、保温効果なのか他の畝とは比べ物にならないほど大きく育っているようなので、根寄せや草取りもせずに済むので、来年はこの方法で作ろうかと思っています。もう間もなくジャガイモとタマネギを使った肉じゃがが食べれると、楽しみにして根寄せ作業を行い、すっかり綺麗になりました。

  「春植えの 準備おさおさ 農作業 麦藁帽子 日除けのつもり」

  「マルチかけ 太陽恵み いただいて ジャガイモ順調 育っているよう」

  「体力が 落ちているのか 鍬を持つ 手と腰痛み 時々休む」

  「氏神の 祭り近づき せかされて 畑耕す 今年も元気」 

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人間牧場

〇朝日輝く桜島と夕日に映える開聞岳、そして夕日の佐賀関(その6)

 

朝日に輝く桜島
朝日に輝く桜島

 鹿児島と言えば桜島と開聞岳を思い出すほど、二つともく鹿児島県の観光ポスターに出てくる名山です。錦江湾に浮かぶ桜島は活火山で、今も休むことなく噴煙を上げていますが、私たちのように遠くから旅して見る噴煙光景は絵になりますが、ここで暮らしている人にとっては、黄砂のように降る火山灰で、風向きによっては洗濯物も干せない悩みの島でもあるのです。国分市にある大学に三男息子が4年間遊学していたこともあって、火山灰の話はいやというほど聞かされました。
 鹿児島港を午前7時45分に出航した高速船トッピーの船内客室の窓越しに、朝日に輝く桜島を見ましたが、「わが胸の 燃える思いに 比ぶれば 煙は薄し 桜島山」という言葉の意味を反芻しながら、その先の洋上には、かつて青年団の研修旅行で訪ねたことのある、日本最南端佐多岬半島も見えました。

夕日に映える指宿開聞岳
夕日に映える指宿開聞岳

 屋久島からの帰り際、宮之浦港を午後5時10分に出発した高速船は、寄港地である指宿の港を目指して走っていました。やがて4月13日の夕日が南シナ海に沈もとしていましたが、この夕日が開聞岳の山頂に綺麗にかかるシャッターチャンスに巡り合いました。30年を越えて夕日夕焼けに思いを寄せいている私としては、願ってもない降って湧いた好機に心は高鳴り、持っていたデジカメで窓越しに開聞岳に沈む夕日を何枚も写しました。残念ながら私のカメラの機能不足と腕前不足で、いい写真は撮れませんでしたが、開聞岳に落ちる夕日を私の心の記憶に焼き付けることはできたようです。
 開聞岳は別名薩摩富士といわれる名山です。近くにイッシーで有名になった池田湖もありますが、洋上から開聞岳の勇姿と夕日をセットにして見れる幸せはもう最高でした。

 

夕映えの佐賀関
夕映えの佐賀関

 「どっきり屋久島とあったか南九州」3日間の旅を終えて、佐賀関へ帰ってきました。佐賀関港では親友渡邊又計さんとも久しぶりに出会い、旧交を温めました。三崎を目指すフェリーの船上から夕焼けを見ました。天気予報ではその後雨が降るという予想通り、夕焼けを見た後にわかにかき曇って雷鳴が轟き、帰りのバスはあいにくの結末になりましたが、八幡浜駅、大洲駅とツアー客を降ろし、私が降りる松前エミフルでは雨も止んで、結局私は雨に合うことなく迎えに来た妻の運転する車で、10時前に帰宅することができました。予定より一便時間早くフェリーに乗らなかったら、佐賀関に落ちる夕日も見れなかったのですから、ラッキーとしかいいようがありません。
 私は年中日本全国を旅していますが、純然たる観光を目的の旅は殆どせず、講演などで訪ねた町をついでに観光する程度です。船の中で開いた21世紀えひめニューフロンティアグループの総会で、来年は栃木県日光の世界遺産を目指します。これから一年健康に注意して来年も元気に世界遺産を巡る旅に参加したいと思っています。

  「三日間 雨にも合わず 上天気 おまけに夕日 夕焼け鑑賞」

  「開聞の 夕日格別 デジカメの 記憶辿りつ 感激浸る」

  「良かった?と 妻が尋ねて 良かったと 私答える いい旅でした」

  「来年は 世界遺産の 日光を 元気に参加 するよう頑張る」

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人間牧場

〇屋久島への旅(その4)

 屋久島へ行く目的は、世界遺産に登録された洋上のアルプスといわれる島特有の植物に出会うことです。特に海抜ゼロmの亜熱帯植物から、九州最高峰といわれる1936mの宮之浦岳の亜寒帯植物までが、まるで植物図鑑のように見えるのです。その中でも注目は標高800以上の土地に生息する樹齢千年を越す屋久杉の原生林です。縄文杉は樹齢6千年と言われていますが、実際に放射性炭素年代測定によるとおおよそ2千年くらいだそうですが、それにしても2千年も枯れずに行き続ける生命力にはただただ驚くばかりで、人間の寿命が長生きしてもたかだか100年であることを考えれば、言葉もないのです。今回は紀元杉にしか出会えませんでしたが、その幾つかをパンフレットから索引しましたので、私のブログ画面で堪能して下さい。

夫婦杉
夫婦杉
縄文杉
縄文杉
大王杉
大王杉
三代杉
三代杉
紀元杉
紀元杉
翁杉
翁杉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウイルソン株
ウイルソン株

 

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人間牧場

〇世界遺産を巡る旅(その2)

 私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループは、もう30年にわたってボランティア活動をしています。セスナ機でふるさとを空から見る活動をしたのを皮切りに、無人島に青少年を連れて行って無人島に挑む少年のつどいをやったり、丸木舟瀬戸内海航海、竪穴式住居語り部のつどい、フロンティア塾などなど、若い頃から仲間とともに先進的な活動を続けてきましたが、数年前からそれらの活動に一区切りをつけて世界遺産を巡る旅を計画実行してきました。

 これまでに訪ねた国内の世界遺産は広島原爆ドーム、安芸の宮島、石見銀山、姫路城、熊野古道、奈良・京都寺社仏閣、雪の飛騨高山合掌造りなど、比較的近い場所でしたが、今回は自然遺産として名高い九州鹿児島の南に浮かぶ屋久島を選びました。私はこれまでに2回ほど屋久島に出かけていますが、仲間12人は殆どの人が初めてとあって楽しみに出かけました。私たちの仲間もいつしか歳をとって年金暮らしとなっているため、さほど金をかけた豪華な旅行はできないため、阪急交通社が募集している安いツアーに応募しました。

 ホテルに2泊しても4万円を切る安い値段ですから、昼・夕食はオプショナルで、多少小遣いはいりますが、グループが長年の活動で溜め込んだ資金を、少し助成することにしているので、気楽に参加できるのです。松山市駅前に他のツアー客と一緒に集合した私たちは、松前エミフル前、大洲駅前、八幡浜駅前で客を拾い、三崎~佐賀関をフェリーで渡り、大分から鳥栖ジャンクションを経由して、鹿児島へ向かいました。今回のツアーには南九州観光もパックされていて、途中南九州の小京都といわれる人吉に立ち寄り、焼酎工場や幽霊寺を見学しました。

酒飲み組
酒飲み組
真面目組
真面目組
大真面目組
大真面目組

 午後5時30分に予定通り鹿児島市内のホテルに到着し、その夜はホテルの豪華な黒豚&海鮮蒸籠蒸しバイキング料理を堪能しました。私たち12人の一行には3人の女性と私のように酒を飲めない4人の男性もいて、5人が飲み放題コースを選び、薩摩の焼酎をしっかりと楽しんでいました。
 ホテルはグレードの高いセキュリティの行き届いたシティタイプでしたが、私たちのような古いタイプの人間には、多少窮屈な感じもしました。何はともあれ無事屋久島を目指す拠点となる鹿児島市内までやって来たことを喜び、天文館の夜の街をみんなで散策して少し長めの一日を終えました。

  「貧乏な 年金暮らしの ゆえあって 安いツアーで 旅を楽しむ」

  「海山を 越えて南の 鹿児島へ バスは行く行く 仲間とともに」

  「焼酎の 工場見学 皆試飲 私は手持ち ボトルのお茶で」

  「便利だね 朝出て夜に 鹿児島へ 黒豚海鮮 美味しく食べる」 

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