人間牧場

〇ゼロをテーマに思いつくまま

 一ヶ月ほど前、地域おこし協力隊の富田さんから口頭で、ほたる祭りの明くる日県外からお客さんが来るので午前中1時間ほどまちづくりについて話してくれませんか」と言われました。「どんな人が来るの?」と聞き返せば、小さな名刺ほどのメモ用紙を手渡されました。用紙には「ほたるまつりの翌日6月2日(日)AM研修、一国多制度推進ネットワーク、トミタ」と書かれていました。「どんな話をどの程度」と矢継ぎ早に質問しましたが、日時以外は会議の名前も来る人も10人程度とアバウトで、結局の見込めないまま予定表に書き込みました。前日ほたる祭りに孫たちと出かけた折、それらしき10人ほどの人に会いあいさつを交わしましたが、富田さんから「明日の朝9時に潮風ふれあいの館に泊まっているのでお願いします」だけで、結局は内容も分らず朝を迎えました。

P1030022P1030023 さて何を話せばいいのか、「まあいいか!!」と思い潮風ふれあいの館に出向き、昨晩遅くまでやったであろう交流会の名残を感じながら、研修室で10人ほどの前で一時間も、思いつくままお話をさせてもらいました。昨日の私の話のキーワードは「ゼロ」でした。ゼロから始めた双海町の夕日によるまちづくりの話や、私がゼロに戻った退職後の生き方、更には人間はゼロから始まり限りなくゼロに戻っていく人生について話をしました。日本人は積み重ねの好きな人種で、ゼロに戻る訓練ができていないようで、いつも過ぎ越し過去の上に胡坐をかき、急激な変化を望まないのです。しかしどこかで自分の考えや生き方をゼロに戻したりしないと、「何のために」という焦点がボケてマンネりになってしまうのです。私の話の後の2時間近くの議論討論もそのことが話題になりました。

 「行政はどういう立ち位置で住民と接しなければならないのか?」、とてもいい話でした。長年やっているからやる、補助金があるからやる、役所の職員が書いた原案で物事が進んで行く、世の中にはこうしたことに多少不満があっても、ゼロに戻す意見など言おうものなら、たちまち地域のバッシングに会ってしまうのです。絶滅したほたるを復活しようと始めたホタル保護活動も、環境問題への意識啓発のために始めたほたる祭りもいつの間にか、「何のために」という基本コンセプトが忘れがちとなり、行政の手厚い主演で進んでいくのです。行政が手を引けば、補助金を打ち切れば、たちまち潰れる田舎のイベントの実態を思えば、現在の勧め方も仕方がないことなのかも知れませんが、どこか気になるとみんなが話しました。
 今朝京都から参加していた方から、昨日の私の話に対するお礼のメールが届きました。束の間の出会いでしたが、こうして文明の利器を使って情報交流できることはとても嬉しいことです。早速お礼の返信をしようと思っていますが、世の中には私より一枚も二枚も上の人がいて、そういう人に出会っただけでも昨日の日曜日は、とてもハッピーな一日でした。富田さんありがとうございました。

  「お話を 頼まれ肌で 感じたこと 即興話す 一時間ほど」

  「人間は ゼロに始まり ゼロ目指す 六十定年 これもゼロなり」

  「リセットが できないようじゃ 進化せず ダラダラ生きて ダラダラ終る」

  「一枚も 二枚も上の 人に会う 昨日のサンデー ハッピーでした」

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〇心配の種は尽きない

 他人から見れば幸せそうに見えるわが家にも、心配の種は幾つもあります。その一つは何といっても今年の9月で95歳を迎える親父の老化です。若い頃鼻ガンを患い上顎を切除しているため、入れ歯の噛み具合が難しく、食べるのに人苦労なのです。食べ物は固い物や柔らか過ぎるものも駄目で、母が亡くなってからこの13年間、ずっと食事の世話をし続けてくれている妻には、相当な苦労をかけていますが、それ以上に本人が辛いだろうと思うものの、どうすることも出来ず、ただただ愚痴をこぼす親父の話しを、親身になって聞いてやる以外方法はないのです。
 先日親父の従兄弟の若松繁雄さんが79歳で亡くなりました。親族が亡くなると親父の気分の状態を見て話すようにしていますが、少し気分が良いようなので話すと、「いよいよわしの番かも」と直ぐに落胆してしまいました。

 昨日は一日中雨模様で、畑に出て身体を動かすことができないもどかしさもあって、いきなり私に「このままだとお前たちに迷惑をかけるから、施設へでも入れてくれ」と言うのです。この話は何も今日始まったわけではなく、体力の衰えを自分自身が感じ始めた4~5年前から時々言うようになりました。時々様子を見に々やって来る姉や妹にも言うそうですが、「施設へ入ったらもうこの家には戻れん」と諭すのですが、私たちの世話になることへのすまないという気持ちなのか、もっと世話をして欲しいと言うシグナルなのか、正直判断に迷うところで、最近は折に触れ隠居に顔を出して親父の話し相手になるよう心がけています。
 昨日はわが次男が帰省して親父の所へ挨拶に行くと、「わしはもう長くはない」と言ったそうで、「爺ちゃんは10年前から同じことを言う」と笑って話していました。

 もうひとつの妻の最大の悩みは、今年37歳になる次男と35歳になる三男の結婚のことです。男女交際が苦手だと思われた長女と長男はそれなりの人と、それなりに恋愛で結婚をしましたが、普通考えれば次男と三男の極楽とんぼとう条件からすれば、結婚は時間の問題と思っていたのに、何故かまだ良縁に恵まれないのです。妻はそのことが気になって、それとはなしに知人や友人に頼んでいるようですが、看護師と警察官という不規則な仕事柄、未だに良縁に恵まれないのです。結婚は年齢もあるので気を揉んでいますが、本人たちは「そのうちそのうち」と、まさに「親の心子知らず」といった手合いです。
 昨日は久しぶりに帰省した次男に、妻が色々と説教していたようです。「あんたはもう若くないのだから」「お父さんももう若くないのだから安心させて」などなど、私の年齢も引き合いの出しての説教でした。

  「心配の 種は尽きない いつの世も なるようにしか 世の中ならない」

  「交際が 下手と思った 長男が 結婚相手 自分で見つけ」

  「看護師や 警察官は 不規則な 仕事だからと 仕事のせいに」

  「親長寿 親も心配 するけれど 息子夫婦も 介護心配」

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〇伊予市のタウンミーティングに参加(その2)

伊予市のタウンミーティング
伊予市双海地区でのタウンミーティング

 今回伊予市のタウンミーティングのテーマは市役所庁舎と文化施設の建築問題でした。まず場所をどこにするかという入口議論が話題になりました。市長さんの話も出席者から出された意見ももっともな話です。市役所は伊予園用地や埋め立て用地も考えられますが、交通導線から考えれば現市役所用地がベターのようです。問題は文化施設ですが現中央公民館用地だと投資や様々な問題が多過ぎるような気がするのです。
 今伊予市が抱えている問題は、①市街地の活性化、②中山・双海の活性化、③8億円で買ったウエルピアの活性化、④文化で人を呼び込む活性化、⑤防災視点などが上げられますが、市役所庁舎と①市街地の活性化は今の計画でいいと思うのですが、中山・双海の活性化のためには、市役所をこれから進むであろう人口減少に対応し、計画人口を3万に程度に落とし、市役所機能を中央集中型から地域分散型にすれば②は自ずから解決できるような気がするのです。

 文化施設では③と④を結びつける方法が再浮上してきます。それは「伊予市は松山の衛星都市ではない」という市長さんの意見に賛成するからです。じゃあ伊予市が恒星(光星)としてどういう道を歩むのかという問題です。既に周辺の松山市や松前町や砥部町は光星の道をそれぞれ歩んでいます。ゆえにそれらの街の存在を広域的に意識して独自性を出さねば、少なくても文化面での生き残りは難しいような気がするのです。そのためには中央公民館用地では多いに問題があるような気がします。3階建ての立体駐車場への投資は少し無駄なような気がしています。もしこの地に作るのなら、かつての芝居小屋じゅらく座のような町家に相応しい木造の文化ホールにすれば、内子座に抜きん出たアイディアで、間違いなく日本に発信できる文化的オンリーワンのアイディアだと思うのは素人な私の考えです。
 多目的は無目的だと言われますが、現計画は多目的過ぎて無目的のような気もするのです。

 いずれにしても今まで計画作りに関わった、多くの人の汗と智恵も無にする訳にはいきません。⑤の防災視点も今日的テーマで多少費用がかさんでも勧めなければならないと思います。これだけの大きなプロジェクト事業なので、市長さん始めみんなそれぞれ悩むのは当然です。でも合併して8年が過ぎ、そろそろ「伊予市らしさ」というキーワードを見つけなければ、伊予市に未来はないのです。
 伊予市はいい街です。JRも伊予鉄もあり、平地あり、山あり海あり、県庁所在地にも近くて便利です。でもそれらの利を活かしきるアイディアと方法は、まだまだ未利用な部分が多いようです。「タウンミーティング」で始まった、新しい手法のまちづくりのために新市長さん頑張って下さい。大いに期待しています。勿論私たち市民もそれぞれの立場でまちづくりに持てる力を出したいと思っています。

  「新市長 熱弁ふるい 私たち 市民に参画 意義を強調」

  「合併を してから8年 経ったけど 未だ私にゃ らしさ分らぬ」

  「問題の 整理をしつつ あり過ぎる 中から選ぶ これは大変」

  「これからは 是々非々 言いつつ 参加参画」 

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〇今月の五行歌

 今月もいつもの通り月末の昨日、松山五行歌会代表の見山あつこさんから、5月歌会の結果が送られてきました。早速鋏で丁寧に封を切り、4枚のプリントを取り出しました。歌会の結果は出席歌、欠席歌の順に掲載されていて、出席歌の部の今月の一席はさすが見山あつこさんの次の歌でした。
  日毎に
  揺れが激しくなる
  この
  心にも
  耐震補強を

 欠席歌の一席は銀桂さんの次の歌でした。
  切手の貼られた
  かわいい葉書
  簡潔な文章
  やさしい文字
  なんだかうれしい

 私も欠席歌の部に、いつものことですが督促され、締め切りギリギリに即興で作った、次の駄作歌を送りました。
  横文字で
  話され私
  問い返す
  「エコって何?」
  「エコはエコだ!」と・・・・

 作品歌の後に次の講評が載っていました。
 ☆【エコ】は【エコロジー】の略。そのくらいわかっているわよ。で、エコロジーって? そんな声まで聞こえてきそうで、思わず「クスリ」と笑えました。当たり前のように横文字を使う日常ですが、改めて「その意味は?」と聞かれたら、案外答えに詰まるものです。ちなみに【エコ】は和製英語で、【地球に優しい、環境にいい】などの意味で捉えられています。安全に暮らせることを切に望みます。
 いつもながらの言い得て妙な講評に、作った作品より講評に感心しながら読ませてもらいました。末尾のぬくぬく伝言板に書かれた、手書きの私信もどこかほのぼのでした。

  「今月も 駄作に添えて 講評を 書いてもらった 感心して読む」

  「一席は さすが上手いと 納得し わが歌比較 反省しきり」

  「短いが 私気遣う 直筆の 私信楽しみ ホッと癒され」

  「末尾読み 締め切り近い ことを知る はてさて次は 何を書こうか」

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〇天草の晒し作業

 未利用資源の天草を地域づくりに利用できないか?、私の実験事業が始まっています。最も干満潮の激しい大潮は、旧暦15日を挟んだ4~5日ですが、今年の旧暦4月15日は5月24日でした。24日も25日もそれぞれ予定があって忙しかったため、旧暦17日の午後3時頃、偶然にも大潮で干潮を迎えた海岸を通りかかったため、天草利用のことを思いつき、取るものもとりあえず何の準備もせずに、漂着ゴミの中から発泡スチロールのトロ箱を2個拾い、1時間ほどで天草を採り集め、単車の後ろに積んで持ち帰りました。その日のうちに水洗いをしてサナ8個に干しました。明くる日は四国地方が入梅したとテレビで報じていたものの、まだ雨が降っていなかったため、急いで前日取り残した海岸へ行き、前日より少し少なめながら天草を採って帰り、前日と同じように水洗いをしてサナに干しました。梅雨といいながら夜来の雨も上がってまずまずの天気だったため、半乾きになった天草を発泡スチロールのリンゴ箱に水を貯め、綺麗に水洗いしながら晒し作業を始めました。

庭に大量に干された天草は磯の異臭を放っています
庭に大量に干された天草は磯の異臭を放っています

 水洗いをしながら根株に付いた貝殻や雑海草を丁寧に取り除き、水洗いをして再びサナに干して行くのですが、これが中腰作業なのでかなり腰に負担がかかり、途中から親父が庭の草を引く時使う、低い木製の椅子に座り作業を進めましたが、サナ14個分もある大量の天草の晒し作業は予想以上にきつい仕事のようでした。これから梅雨に入って足繁く雨が降る予定なので、天気予報を注視しながら折角採集した天草を腐らさないように進めなければならず、朝晩は忙しい日々が続くようですが、晒した天草を使って妻の協力を得ながら、色々な試作をやってみたいと思っています。
 ネットで読んだ記憶のある山口県で大ヒットとなった、甘夏ゼリーにも挑戦してみようと思っています。幸いわが家の家庭菜園の果樹園には、まだ名残の甘夏柑が残っているのでチャンスかも知れません。

 妻はこのところ私が大好きな天草ゼリーを作って冷蔵庫で冷やし、食事の後のデザートに出してくれています。暑さで食欲が減退しそうなこの時期、喉越しの良い天草ゼリーはとても美味しく、来客にもお茶請けに差し出して喜ばれています。金儲けとまでは行きませんが、せめて天草を自給食品のひとつに加えただけでも今年は大成功です。
 天草はダイエットにもよいアルカリ食品で、天草ゼリーを食べるせいでしょうか、お通じも順調この上なく、健康な日々を過ごしているのです。今使っている天草は何年か前、伊予市まで伊能忠敬の地図を見るイベントに離山海岸を歩いた際、見つけて採集した自然晒しの天草ですが、今年は晒しに手間はかかるものの良質な天草を確保することができたので、離山の天草採集はどうしようか迷っているところです。
 さあ今朝も朝飯前の運動として、少し天草晒しの作業を進めたいと思っています。

  「天草を 水に晒して 天日干し これから先は 天気に注意」

  「天草で ゼリーデザート 作る妻 田舎の女性 何でもこなす」

  「わが家では 天草自給 またひとつ 健康人生 楽しみながら」

  「天草で 作ったゼリー お裾分け 孫や近所も 喜び食べる」

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〇同居と活力

 先日道後の文教会館で開かれた社会教育実践交流集会ゴングの会で、久しぶりに伊方町岬平磯に住んでいる浅野さんに出会いました。浅野さんとは彼が国立大洲青少年交流の家に勤務していた頃知り合い、意気投合してその後もあれこれ交流を続けていますが、現職は三崎中学校の先生です。私の住んでいる所が田舎なら、浅野先生が住んでいる平磯は失礼ながらド・田舎だといつも笑って話しますが、まあ五十歩百歩、どちらともいえない目糞鼻糞のドド・田舎ですが、私も浅野さんもその田舎に満足し、むしろ田舎暮らしを楽しんだり、見せびらかせて生きているのです。弟さんとともに古い民家を使い、喜久家プロジェクトと称して、外国人を呼び込む国際交流はとても有名で、私の人間牧場など足元にも及ばない、立派な成果を上げています。この日は酒が出る集会だったので、集会が終ればにぎたつ会館へ泊まるのだと言っていましたが、一泊二日をかけて来る熱意にはいつもながら感心するばかりです。

 浅野さんと最近の暮らしについて立ち話をしました。浅野さんも私も双方のブログを、毎日のように読んでいるので、会話をしなくてもそれなりのことは知っているつもりですが、やはり裏話が聞きたいのです。浅野さんは「息子さん家族との同居は楽しそうですね!!」と切り出しました。「はい楽しいですよ」と言いながら、はてさて同居を始めて2年が経った息子家族との同居はどうなんだろうと、聞かれるままに頭の中で話をまとめてみました。
 朝起きると直ぐに「お早う」とわが書斎にやって来る孫、手をつないで保育園に一緒に送って行く孫、夕方には一緒に風呂に入る孫、泣き笑いが聴こえる孫など、今では孫の存在はわが家の活気の源のようです。若嫁の優しい笑顔や会話も嬉しく、心配した妻と若嫁の確執もなく同一屋根の下のお隣さんとして、楽しい近所づきあいが続いています。

風を受けて回る今朝の風車
風を受けて回る今朝の風車

 松山で建築関係の仕事をしている息子は、仕事の帰りが遅く毎日殆ど顔を合わせることはありませんが、親子の関係はとても良好で、蜂蜜の精製も共通の趣味だし、アウトドアー派なので、パソコンの指導とともに何かにつけて相談をしながら、日々を暮らしています。
 浅野さんのとの会話でふと気がついたのですが、息子家族が同居によって私にくれたものはやはり「夢」のような気がするのです。家をリフォームするのに、それ相当な資金は要りましたが、息子の発案でリフォームした台所やトイレ等の水周り改修は、日々の暮らしの格を上げて快適にしてくれました。また車庫の上に置かれた息子の趣味で始めている、ソーラーパネル発電や風力発電風車は、私のこれまでの暮らしになかった、未来への夢のようなものを感じさせてくれるのです。今朝も折からの夏の到来を告げる南西の風で、私の書斎の窓越しに見える風車が、時折ブンブンと回っていて、まるで私の心に新エネルギーを充電してくれているよな気持ちになっています。「老いを感ずる暇があったら未来を探せ」とは、今朝感じた私の偽らざる心境です。「浅野さんともまた出会いたい!!」、先日の出会いや会話を思い出しながら迎えた朝でした。

 

 

  「同居して 何が変わった? 問われたら 夢ができた!!と 即座に答え」

  「老いの身は 後ろ向きする ことばかり 暇があったら 未来を探せ」

  「ブンブンと 風受け回る 風車見て 新エネルギー 俺の心に」

  「何したい 何が出来ると 自問する 何でもいいや 何でもやろう」

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〇掃除諸々

 掃除と言えば小学校の頃、木造校舎の長い廊下の掃除を思い出します。7~8人の子どもが横一列に並び、ブリキのバケツで洗い絞った雑巾を両手で押さえ、お尻を上げて「ヨーイドン」と声をかけ、一目散に進むのです。廊下を拭くというよりは濡らす程度で、掃除というよりはゲーム感覚を楽しんだものでした。
 掃除と言えば雑巾です。「汚くなればなるほど綺麗になるものは何~んだ?」「雑巾!!」、「座れば高くなり立てば低くなるもの何~んだ?」「天井!!」などと、なぞなぞを言い合いながら、雑巾を天井目がけて投げ合った子どものころの学校の思い出は、古希を間近に控えた今でも、懐かしく思い出される、田舎の小学校の思い出です。

 新学期を迎えると担任の先生が、「月曜日には雑巾を一人3枚づつ、お母さんに縫ってもらい持参して下さい」と言われれば、母ちゃんにそのことを告げ、ミシンとてないわが家では、母ちゃんが押入れから古い寝巻きを取り出して手バサミで解き、四つ折にして針に糸を通し、夜なべ仕事としてリズミカルに縫ってくれましたが、その鮮やかな手さばきと、等間隔の正しい縫い目に感心したものです。マイ雑巾と分るよう母ちゃんは最後に識別できるよう別の糸で、「しんいち」と名前を刺繍してくれましたが、その雑巾も僅か1学期で穴が開くほどぼろぼろにほつれ、まさに雑巾となりました。その代償として学校の廊下も柱も年輪の堀が分るほどピカピカに黒光りがしていました。

ゲーム感覚で賑やかに掃除をする子どもたち
ゲーム感覚で賑やかに掃除をする子どもたち

 先日年輪塾の浜田さんと話していたら掃除談義となり、子ども体験塾の時、雑巾を何枚か用意して子どもたちに、掃除をしてもらったらどうかという話になりました。妻にそのことを直前になって伝えたため、雑巾をミシンで縫うのが間に合わず、結局使い古しのタオルを8枚用意してくれました。勿体ないと思いつつ、その古いタオルをビニール袋に入れて前日の準備の時、人間牧場へ持参しました。人が来る前には水平線の家の板間に掃除機をかけたり、トイレを掃除したりするのは主人の仕事と決めているので、狭いながらもいつも思いを込めて掃除をしているため、この施設ができて8年目になりますが、比較的綺麗に保たれています。特に一年に2回程度、友人の浜田さんが清掃奉仕に来てくれ、ワックスをかけたりしているお陰もあるのです。

 子ども体験塾のプログラムが全て終わって、帰り支度をしている子どもたちに私が、「これから5分間だけ、使った板間の掃除をします。一班1枚の雑巾を渡しますので、ヨーイドンでみんなで掃除をして下さい」と声をかけると、みんなが我先にゲーム感覚で掃除を始めました。時計を持たない子どもたちは、「進ちゃん、あと何分?」などと掃除をしながら聞くので、5分が経っても「あと2分」などと時間を追加したため、結局は8分程度40人の子どもが掃除をしてくれたお陰で、板間は「来た時よりも美しく」、ピカピカになり大感謝です。
 「掃除もできない奴は大口を叩くな」と、昔言われたことに発奮して、自分で作ったシーサイド公園の掃除を、2年間もやった思い出ももう過去のこと、息子家族と同居し始めて2年になりますが、息子はこの2年、家の1階と2階のトイレを綺麗に掃除をしてくれています。わが息子ながら感心しつつ日々を暮らしています。

  「木造の 校舎の廊下 一列に 並んで掃除 懐かしきかな」

  「天井を 目がけ雑巾 投げつけた その跡あった 学校教室」

  「汚れると 綺麗になるもの 何~だ?と 雑巾なぞなぞ 言ってた昔」

  「お下がりの タオルで掃除 する子らの 姿うれしい お陰で綺麗に」

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〇アルコールゼロのビール

 胆のうの摘出手術をしたのは、もうかれもれ13年前でした。健康診断で引っかかり、県立中央病院に入院して手術を受け、退院したものの術後の回復が思わしくなく、68キロ程度あった体重が2ヶ月で13キロも一気に減り、家族は勿論自分自身も、「もしやガンだったのでは?」と疑ったりもしましたが、体調も体力もそれほど悪くはなく、その頃の体重55キロを維持しながら今日まで、死線を越えることもなく元気に過ごしているのです。この13年間にやったことは、二ヵ月毎の健康診断と、あれ程大好きで毎日飲んでいたビールを、あっさり止めたことです。時折夏の暑い日やビヤガーデンに行った時などは、ビール漬けだった昔の酒飲み虫が頭を持ち上げて、「飲みたいなあ」と思う時もありますが、もう少し長生きがしたいのでぐっと堪えて、自分の意思の強さにあらためて惚れ込んでいます。

ゴングの会で讃岐先生とともに
ゴングの会で讃岐先生とともに(おや?、後で熱弁をふるっているのは松本さんと朝野さんでは?)

 最近結婚式や法事、呑み会で少し私の心情を汲み取ってくれる出来事がありました。それは酒を飲まない私のために、「ノンアルコール」のビールを用意してくれていたのです。これまではビールのまがい物的で、余り見向きもしませんでしたが、最近のノンアルコールのビールは、泡といい味といい喉越しといい、まるで本物そっくりに作られているから驚きです。勿論愛飲家にはその違いは歴然なのでしょうが、最近は第三のビール等安いビールも出現して、どれがどれやら分らぬままに、飲んでいる愛飲家もいるようなので、ノンアルコールのビールは次第に勢いを増す傾向にあるようです。
 一昨晩、道後の文京会館で社会教育実践交流集会のゴングの会がありました。世話人代表の讃岐先生があいさつし、私が指名を受けて乾杯の音頭をとらせていただきましたが、私のコップには並々とノンアルコールビールが注がれ、久しぶりに乾杯宜しく飲み干しました。いやはや爽快でした。

最近飲む機会が多くなったノンアルコールのビール
最近飲む機会が多くなったノンアルコールのビール

 一昨日は人間牧場で子ども体験塾があり、ピザ釜でピザを焼いて、子ども達に振舞いましたが、移動式ピザ釜の片付けやピザ焼きで大汗をかいた浜田さんと戸田さんとともに、冷蔵庫に冷やしていたノンアルコールのビールで、喉を潤わせ感謝しました。
 昨日の夜、食卓に妻が冷えたノンアルコールの缶ビールを一本出してくれました。有難いことですが、このところ喉の調子が悪いので、気持ちだけ受け取り冷蔵庫へしまってもらいました。いやはや幾ら昔ビールが好きだったからといって、さすがにこうノンアルコールのビールで、度がなくても度が過ぎると、少々ヘキヘキで、体内に潜むビール虫が頭を持ち上げそうです。
 明日の夜、会費制の宴会が予定されています。多分明日も宴席に、ノンアルコールのビールが用意されるでしょうが、種類的には炭酸飲料に属するノンアルコールビールも、ウーロン茶と同じく飲み過ぎると害がありそうな気がするのです。

 

 

 

 

 

 

 

  「ゼロゼロと 書かれた数字 目に付くが 飲めばビールを 飲んだ気分に」

  「このところ 何かにつけて ゼロビール 身体にいいか 分からぬままに」

  「ゼロビール 昔の喉を 呼び覚ます 危ない危ない 虫は生きてる」

  「夏が来た 夏はビールだ ビヤガーデン 私ゃひっそり 行く当てもなく」

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人間牧場

〇ふたみのこども什の約束

 双海町こども教室実行委員会主催のふるさと体験塾が、今年もいよいよ始まりました。こうした事業は長年やっていると、得てしてマンネリ化に陥りやすく、募集をしても参加者が集まりにくい難点がありますが、募集をかけたところ今年も41人の申し込みがありました。長年実行委員長を務める私は、ある意味社会教育の半プロですから、理想を求めて色々なアイディアを出しながら、共催と事務局を担当している公民館の職員さんと、毎年色々な仕掛けをやっています。
 そのひとつが「ふたみのこども什の約束」です。私が双海町の教育長をしていた頃学校と協力して作った、「ふたみの子育て10の約束」は今でも使っている子育ての戒めなので、そのこども版を作り、みんなで守ろうという話になりました。時あたかも今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、会津の「什の掟」が話題になり、それも参考にしながら、発足したジュニアリーダ会にも意見を聞いて、みんなで考えました。

ラミネート加工して配布されたふたみのこども什の約束
ラミネート加工して配布されたふたみのこども什の約束

 実行委員会には町内小学校3校の教頭先生や、新たに由並の幸先生も加わってもらっているので、原案を基に叩いてもらい、このほど「ふたみのこども什の約束」が出来上がり、昨日こどもたちを連れて来た父兄にラミネート加工をして配り、お披露目となりました。
 そして昨日人間牧場で開かれた開講式でも、こどもたちに初披露となり、私がこのことについてショートなレクチャーを30分ばかり行ないました。今年の子ども体験塾は低学年のこどもが多いため、一気に什の約束を全て説明しても頭に入りにくいので、差し当たり昨日は1、命を大切にしようと、2、笑顔であいさつをしようの二つを説明してやりました。約束の説明文に書いている「いのちはひとつしかかりません。じぶんのいのちはもちろん、友だちやどうぶつ、しょくぶつのいのちもたいせつにしょう」とか、「『おはようございます』『こんにちは』など大きなこえでだれにでもあいさつしましょう」とかを中心に話し、最後はみんなで大きな声で復唱しました。全員のとても大きな声が初夏の山々や谷間にこだましていました。

 

 

 さて「ふたみのこども什の約束」は次のとおりです。
 一、いのちをたいせつにしよう
 二、えがおであいさつをしよう
 三、きまりをまもろう
 四、いじめはしません
 五、うそをついてはいけません
 六、かぞくをたいせつにしよう
 七、はやねはやおきをしよう
 八、しっかりごはんをたべよう
 九、せいりせいとんをしよう
 十、たくさんほんをよもう

  「ふたみの子 什の約束 守ろうと 大きな声で 暗唱唱和」

  「印刷を してラミネート 加工した 什の約束 父兄に配る」

  「子どもには 子どもの守る ことがある ジュニアリーダー 智恵働かせ」

  「体験が 大事とばかり 昨年に 続き今年も 塾を開講」

 

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人間牧場

〇人は何歳まで活躍できるのか!!

 昨日の新聞朝刊一面に、エベレスト最高齢登頂に成功した30歳の三浦雄一郎さんの快挙が載っていました。冒険家ですから色々なことに挑戦するのは当たり前でしょうが、三浦さんは70歳の2003年と、75歳だった2008年に2度、同じ山に登頂しているのです。76歳の時スキーの事故で骨盤と大腿骨を折る大怪我をしたにもかかわらず、その怪我をリハビリで克服しての登頂だけに、世界最高峰8848m+史上最高齢を4歳上回る快挙の裏には次男豪太さんや、シェルパ6人の献身的なサポートもあったようですが、それにしても「凄い」の一言に尽きるのです。

 エベレスト登頂のこれまでの記録は、08年に76歳で成功したネパール人の男性(81)ですが、この男性も登頂を目指しているという情報もあり、成功すれば三浦さんの記録は塗り替えられることになりますが、記録とはいつかは破られるものだから、今の記録に大きな拍手を送りたいと思います。
 ふとあくなき挑戦を続けている三浦さんと自分をダブらせながら、「人は何歳まで活躍できるのだろう」と思い始めました。私は今68歳です。三浦さんに比べればひと回りも若いのに、少し体力と気力の衰えを感じながら日々を生きています。気力も体力も衰えないよう極力努力しているつもりですが、それでも折に触れ年齢を感じ、年齢のせいでこうなると年齢のせいにして、諦めているようだと、三浦さんのことを思いながら、「まだ老け込む年ではない」「まだ鍛えようと思えば鍛えられる」と思うことにしました。

 ある心理学者が、「人は希望を失った時年齢に関係なく老いる」「希望を持て生きれば青春は永遠にその人のものである」と言っています。私より若くても既に希望を失っている人だっているのですから、三浦さん程はできないけれど、これから先も希望を持ち続け、気力と体力と知力を鍛えながら、希望的目標に向かって頑張ろうと思いました。妻に言わせれば私は「頑張り過ぎる」で、年齢相応の生き方をして欲しいようです。気力も体力も知力もないのに過度に頑張ると、「取り返しのつかない失敗をする」と危惧しているようですが、まあそれなりに少しだけ背伸びをして、老いのスピードを遅らせなければならないようです。
 最近人間牧場へやって来る人から、「あなたの次の夢は何ですか?」と聞かれることがあり、ドキリとすることがあります。適当にお茶を濁す言葉で言い逃れしている自分に、思わずハッとするのです。ああまた心に湧き始めた夢がうごめき始めました。

  「ヒーローにゃ ナンバーワンや ベストワン 色々あるが 努力の結果」

  「ある人が 山があるから 登るんだ 言った言葉を 思い出しつつ」

  「平凡に 生きて欲しいと 言う妻に これが俺流 平凡という」

  「次の夢 実現するにゃ それなりの 覚悟必要 言い聞かせつつ」

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