人間牧場

〇思わぬわが家のハプニング

 わが家では大晦日から正月三ヶ日の昨日まで、おご馳走の毎日でした。うどんやソバに加えお餅を主食に、おせち料理やお魚料理がふんだんに並び、少し食べ過ぎた感じがするほどでしたが、正月こそ体力づくりをと思っていたので、朝・昼・夕方とジョギングや散歩に出たお陰で、1日一万歩の目標を大幅に超え、大晦日を含めたこの4日間は毎日1万5千歩を記録することができました。1歩60cmと見積もっても36キロ歩いた計算になるのですから、まあそれなりに体力維持は出来たものと満足の手合いです。

 昨日わが家では思わぬハプニングが起こりました。2日に妻が作ったカキフライが原因と思われる軽い食中毒に私、息子、若嫁、孫希心がなってしまったのです。カキはあたった経験があるからと食べなかった者は難を逃れましたが、4人は水のような便に悩まされたものの比較的症状が軽く、私は正露丸を飲んだお陰で直ぐに症状が回復し、夕方には食欲も出てホッとしました。自分の調理したカキフライが原因らしいと思った妻は少し落ち込んでいましたが、妻を責める訳には行きません。

 一年中休むことなく家族のために働いている妻には、本来ならせめて正月くらい休ませてやりたい心境ですが、わが家は本家ゆえ大晦日から正月にかけて親類縁者が沢山訪れます。台所に4日間立ち続けて料理方を一手に引き受け、飽きないようなメニューを考え、私たち家族に食べさせ、お客のもてなしもしてくれ、「いつ休むのだろう」と思うほどの活躍ぶりです。先日近所の60歳くらいの女性が脳梗塞で倒れたと、そのご主人から立ち話で直接話を聞きました。この人も私と同じで厨房へ等入ったこともない、亭主関白だそうで、入院した奥さんに替わって炊事洗濯や年老いたお母さんの世話等しなければならず、パニックになっているようでした。

 私はこの話を聞いて他人事ではないと大いに反省をしました。もしわが家で同じようなことが起こったら、私は一体何が出来るのでしょう。親父が15年前母に先立たれた時も同じようなことが起こりましたが、気丈にも親父はその後何でもできる男に変身し、今は妻の支援を受けながら何とか一人暮らしをしています。亭主関白が格好いいと思う私のような時代は完全に終りました。むしろともに支えあうパートナーシップ夫婦にならねばと思った正月のカキ騒動でした。

  「正月も 休まず営業 台所 妻はせっせと 家族のために」

  「カキフライ 食べた4人が 食あたり 意気消沈な 妻を慰め」

  「私など 下痢になっても 正露丸 三粒を飲めば 元気回復」

  「もし妻が 病気になると どうなるの? ならぬようにと 祈るばかりで」

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〇一枚の年賀状で初笑い

 数えてはいませんが、私の所へ届いた年賀状の枚数は積み上げたその高さからして、おおよそ700枚ほどのようです。毎年の事ながらその年賀状の一つ一つを、コタツに入って読み返し、差出人の顔や出会った場所などを思い出しています。
 届いた年賀状の中に玉井千恵さんからの素敵な顔写真入りの一枚があり、失礼ながら思わず家族全員で笑ってしまいました。玉井千恵さんは私が双海町教育委員会で教育長をしていた頃の、下灘小学校の校長先生です。私と同じように根っからの明るいポジティブ人間で、好感の持てる人でした。下灘小学校のシンボルであるイチョウの木が老衰して枯れそうになったのを見て、子どもたちと「イチョウの木プロジェクト」という事業を立ち上げ、樹木医や林業農家の協力を得て見事に再生させたのです。

玉井千恵さんから届いた年賀状で家族全員で初笑い
玉井千恵さんから届いた年賀状で家族全員で初笑い

 その後松山の小学校の校長として転任し退職されましたが、退職後も度々双海町のシーサイド公園に出没したり、講演先で出会ったり、また昨年の10月には高松全日空ホテル総支配人をされていた、一色さんたちと人間牧場にも来られ旧交を温めましたが、笑いのヨガを推進したり能をやったりと、まあ楽しい人です。今回届いた年賀状には、昨年訪れたというモロッコのサハラ砂漠の日の出を、まるでアラビアンナイトのような衣装を身にまとって表現していて、いやはやそのスケールの大きさや発想の豊かさに驚かされました。

 肩書きに元校長、元教育長などとつけて、過去の肩書きにすがり付いている人をよく見かけますが、退職して役職がなくなればただの人であり、その点玉井さんも私も過去等に何の未練もなく、ただただ人間らしく生きている点では尊敬できる人なのです。
 私の元へは沢山の人が集まって来ます。殆どの人は在職中に受けた社会からの恩に感謝し、恩に報いるべく骨身を惜しまずボランティア活動をしています。私も初心に帰ってしっかりとそういう生き方をしたいと思っています。玉井千恵さんの年賀状はわが家に初笑いを届けてくれました。

  「沢山の 届いた中の 一枚で 家族全員 初笑いする」

  「辞めてなお しっかり生きる 凄い人 見習い生きる これから先も」

  「モロッコの サハラ砂漠の 朝日です 映画出てくる アラビアンナイト」

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〇出した数以上に届いた年賀状の山

 新年元旦の楽しみといえば何といっても届く年賀状を見ることです。今年も吹き荒れた北西の季節風をものともせず、郵便局の配達員さんが寒い中届けてくれました。わが家に届いたハガキは郵便受けの窓からは入らないほど多いので、太いゴムバンドで5束にして入っていました。早速居間のコタツの上に置いて、時折年賀にやって来るお客さんの対応をしながら一枚一枚めくって読みました。今年の年賀状で圧倒的に多かったのは、今年の干支である未の絵をあしらったもので、それぞれ工夫が凝らされていました。中には自分の名前を書くのを忘れているもの、裏書が表書きと天地反対のもの、同じ人から同じはがきが2枚来たものなどなど、パソコン入力印刷の妙が随所に出ていました。

市原実さんから届いた年賀状
市原実さんから届いた年賀状

 私に年賀状をくれる人には一風変わった人が多く、取っておいて永久保存したいようなはがきも何枚か見受けられました。その中に千葉県習志野市に住む市原実さんの年賀切手の遍歴がありました。市原さんの調べた説によると、毎年私製年賀状に使用するために「年賀切手」が発行されているようです。昭和11年から3年間発行されましたがその後中断、昭和25年に再開したようで、今回いただいた年賀状には昭和25年から64年まで、昭和の切手の絵柄と額面一覧表が載っていました。切手の絵柄は昭和29年から干支に関連した郷土玩具が選ばれているようで、納得して見入りました。

 もう一枚松前町神崎にある晴光院というお寺の住職曽根彰道さんから、立派な手書きの達磨大師絵年賀状が届きました。晴光院というお寺へは何年か前招かれて講演に行き、本堂で薀蓄を垂れましたが、以来境内に植えられた牡丹の花が咲く頃になると、牡丹回向の案内状が届き、妻を誘って出かけて立派なお茶室で、お茶をいただいています。晴光院の本堂の襖絵は住職さん手書きの水墨山水画らしく、行く度に感心して見せてもらっていますが、達磨大使の絵ハガキも見事な筆捌きで、大切に取っておきたい心境でした。達磨は七転び八起きで、縁起物とされています。七回転ぶ、つまり七回失敗しても八回再起すれば最後は大願成就するのです。今年は新年早々ジョギングの途中転んでしまいましたが、殆ど怪我もなく起き上がり、今日もこれから転ばないよう注意をしてジョギングに出かける予定です。達磨大使の庇護かも・・・。

  「山のよう 届いた年賀 状を読む 顔と名前を 思い出しつつ」

  「年賀状 切手の値段 細やかに 5円の頃を 知ってる私」

  「年賀状 達磨大使の 絵が画かれ 転んだことを 思い出しつつ」

  「同じ人 同じハガキを 二枚くれ パソコン入力 ゆえの手違い」

晴光院曽根彰道さんから届いた達磨大使の絵の年賀状
晴光院曽根彰道さんから届いた達磨大使の絵の年賀状
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〇粋な人にはなりにくい

 「今年の冬はやたらと寒い」と感じるのは私だけでしょうか。そんな会話をすると決ったように相手から、「歳をとると寒さが一段と身に染みる」と反論されそうなので、余り口には出しませんが、最近まで下着も長袖でなくランニングで一年中通していた私も、ついに今では下着までユニクロで買ってもらったヒートテックを着ているのです。ところがわが家の今年42歳になる息子は、この寒い真冬だというのに、家にいる時は半袖シャツと半ズボンで通しているのです。そんな姿を見ているとこちらまで寒そうに、鳥肌が立つほどですが、当の本人はいたって平気で、毎朝戸外に出て木刀を振ったり自分流のエクササイズで体力増進に努めています。

 「粋」という言葉は私のような凡人には縁遠いと感じていますが、人並み外れた生き方をしている人のことを「粋な人」と呼ぶのであれば、芸者遊びや旅三昧、風流遊び等に現を抜かす人と同じように、寒さの中で寒さをどこ吹く風と思う生き方をしている息子も、ある意味はずれこしの「小粋な人」かも知れません。
 私も人様から見れば、少し変わった生き方をしていて、私は普通だと思っていますが知人から「粋な人」と呼ばれたことがあります。金持ちでもないのに貧乏どこ吹く風とばかりにボランティア活動に現を抜かして生きています。その最たるものは家の横に私設公民館煙会所や海の資料館海舟館を造ったり、家から少しはなれた海の見える場所に、隠れ家とも思える人間牧場を造って、結構楽しんでいるのです。

 「粋な人」とはどうやら、人様の目を気にせず人様がやろうとしても真似のできない遊びを、自分流で貫いて生きている人のことだと分ったつもりでいますが、まだまだ自分は「粋な人」=「遊び心を持った人」=「自分流を貫く人」には残念ながらなり得ていないようです。人は周りの人の目が気になるし、周りの人に勝ちたいと思うものです。また時代の進展に乗り遅れまいと色々思いを巡らせ手を出すものです。「超自我」の世界はそう簡単なものではないことを、「粋な人」を見て思うのです。でもそろそろ自分の限界を悟れるような年齢になったのですから、少しだけ「小粋な人」になってみようと思っています。「大」を目指すのはしんどいが、「小」なら私でも・・・。そんな考えをしながら迎えた正月一日でした。

  「寒いのに 半袖姿で 平気とは 粋な息子の 姿に感心」

  「凡人の 私小粋に 生きようと 思ってみるが 煩悩多く」

  「元旦は これから先を 生きること 色々思う そんな一日」

  「粋だねえ そんな掛け声 掛けられる ような生き方 目指してみよう」

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○年越しそば
今日は朝から暖かく穏やかでした。そのため外に移動用かまどを出し、年越しそばを作る準備をしました。前もって一ヶ月前からこの日のために薪を割って、畑の隅に積んで乾燥しておいたものを運び、鍋釜に水を張り焚き付けました。まず鍋で煮干しと昆布を入れて出汁を取りました。この出汁で煮物や年越しそばの汁を作り、そばとうどんを茹でました。うどんは20分,そばは5分のタイマーをかけ、妻は慣れた手つきで作りました。
昼ごはんは釜揚げ熱々のうどんに、生醤油と卵をひとつ落とし、薬味の刻みネギを入れ、釜玉にして食べました。
その後前日息子が友人から頂いていた猪肉でチャーシューを作りました。猪肉を二度湯ではえ、その後砂糖と醤油、
味醂などを加え、煮詰めてゆくのです。途中雷が鳴って天気が急変し、東屋へかまどを移動するハプニングにも遭いましたが、どうにか煮詰めて美味しいチャーシュウが出来上がりました。妻はせっせとおせち料理を作り、夕方年越しそばを作って一年の食を締めくくりました。

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〇何げなく使っている「消毒」という言葉

 昨日の朝新聞を読んでいて、面白い記事が目に留まりました。日常何の疑いもなく何げなく使っている、「消毒」という言葉です。漢字で書く「消毒」とは、読んで字の如く「毒を消す」ことです。切り傷をするとオキシドールで消毒し、切り傷についた雑菌を殺して清潔にし、化膿しないようにリバテープや包帯で保護するのです。この時使うのが「薬」です。薬は草冠に楽と書きます。浅学な知識しかないので深くは分りませんが、薬の源はやはり自然に生えている野草、つまり漢方薬草のようだと想像できるのです。

 私たちが子どものころは、少々の軽い切り傷ならそこら辺に生えているヨモギを取って手で揉み、傷口に当てておく、といつの間にか血は止まっていました。また傷口が化膿したり出来物が出来ると、オバコという草を取ってきて軽く火であぶり、傷口に当てておくと膿を吸い出してくれました。一事が万事病院にも行かず、市販の薬などに頼ることもなく、祖母や母から漢方薬療法を学んでいました。まさに自然を味方にした治癒力でしたが、今はそうした草等には見向きもしなようです。

 ふと私たちが田舎で何げなく使っている「消毒」という言葉を思い出しました。みかんや野菜に農薬をかけることを、「消毒」と言っているのです。農業で言う消毒とは果樹や野菜に群がる害虫を駆除したり、病原菌を駆除することですが、これはひょっとしたら大きな間違いのような気がするのです。農作物を見た目健康的に作るのには、肥料と農薬の手助けをしなければ殆ど不可能なことは、家庭菜園をやっている私でも知っている周知の事実です。最近は農薬に馴れた害虫と病気が蔓延するため、さらに強い農薬を散布しなければならず、トレーサビリティなどと口では格好良く言っていますが、残留農薬は目に見えないため、どこまで信じていいか疑問も多いのです。

 農作物に農薬をかけることは、害虫や病気に対する消毒ですが、消毒した農作物は農薬を被った人間にとっては危険な食べ物となるのです。私はそのことに疑問を感じて無農薬に極力徹して、この5年間土作りに励んだお陰で、消毒しない野菜を作り毎日食べています。お陰様ですこぶる健康な体で、すこぶる幸せな日々を過ごしています。虫が食べて穴の開いたキャベツや白菜を毎日のように食べていますが、虫が食べても安全な見た目劣等品な野菜より、見た目綺麗な野菜を何の疑いもなく食べている皆さん、また消毒という言葉を何の疑いもなく使って農薬を振り撒いている皆さん、もうそろそろこんな疑問に気がついてみませんか。

  「消毒と 言いつ農薬 振り撒いて 野菜を作る 田舎危うし」

  「消毒を し過ぎ病気に 弱くなる 現代人は いつか滅びる」

  「見た目さえ 良ければ食べる 現代人 農薬漬けの 漬物食べて」

  「虫食べて 安全宣言 野菜食べ 毎日元気 これから先も」

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〇ウラジロ採り

 昨日の夕方、正月用の注連縄飾りに使うウラジロを採りに裏山へ行きました。僅か5分ほどの距離に、ウラジロが生えている場所があるのは何かと便利で、他の人のようにかなり遠い場所へ、車で行かなくても立派なウラジロが調達できるのです。先日地域おこし協力隊のメンバーが、わが家の煙会所で注連縄作りをした折は、漁協女性部のじゃこ天のお店でいただいた、ウラジロを使って作りましたが、わが家で使うウラジロは、やはり縁起を担いで自分で採ろうと思っていました。うっそうとした急峻な桧の森に分け入り、ウラジロを探しましたが、私のとっておきの場所とあって、誰も知らないのか造作もなく10分ほどで50~60枚をゲットして山を降りました。

 次に玄関先に飾る笹竹を切りに行きました。これも私の取っておきな場所なので、持っていた鎌で切り、要らない部分の笹枝を落とし、ウラジロとともに家に持ち帰りました。裏白は乾燥しないように透明なナイロン袋に入れて煙会所に収納し、これで今日の注連縄飾りに必要な物は全て整いました。今日は朝から妻はシーサイドの加工場へ出かけ、生活改善グループの友人とともに、正月用の餅つきをする予定です。昔は家族総出で自宅でやっていた餅つき作業も、便利な加工場を借りて自動餅つき機でやるため、大助かりです。本当は臼と杵やセイロを使って昔ながらの餅つきをやりたいのですが、そういう体験は孫たちには先日人間牧場で経験させているので、どおってことはないのです。

 「♯もう幾つ寝るとお正月~♭」と、歌いながら指折り数えて正月を待った少年の頃の思い出は、忘れることはできませんが、今は「また一つ歳をとるのか!!」とため息交じりで迎えなければならない歳になりました。「正月は冥途の旅の一里塚 目出度くもありめでたくもなし!!」といったところです。でも歳をとることをネガティブに考えず、ポジティブに考えて生きなければ、いい人生はありえないのです。
 今年の10月3日、私は70歳の誕生日を迎え、70歳代の人生がスタートしました。退職後の60歳代の人生が楽しく充実していたように、既に始まっている70歳代もいい人生でありたいと願っています。そのため、今日と明日の二日間で70歳代の大まかなライフサイクルプランを立てたいと密かに思っています。

  「一年の 終わり始めの 準備する ウラジロや竹 野山に入りて」

  「さあ今日は 既に作った 注連縄に ウラジロつけて 家中飾る」

  「10月に 70歳に なりました これまで10年 これから10年」

  「昨日明日 二日の間に 色々と ライフサイクル プラン考え」

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〇田舎に住む人たちの日々

 田舎に住んでいると当たり前のようですが、たまに都会へ行き帰郷して感じるのは人の少なさとお年寄りの多さです。いわゆる過疎化と高齢化、それに少子化が同時に進行していて、「このままだと将来はどうなるのだろう」と、心の中に暗雲が漂います。遅きに失した感じは拭えませんが、政府もこのことに重い腰を上げ、地方の再生を国の重要課題に取り上げたようですが、地方公共団体にその重要性はまだまだ認識が乏しく、国からの助成や補助金を待ってるような有様です。田舎に住む私たち市民も相変わらずの手合いで、役所への不満を言いつつ自らが何かを始めようとはせず、してもらうことへの期待感ばかりで、これでは地域はよくならないと自らの非力も含めて嘆いているところです。

 昨日人間牧場へ出かけた帰り、顔見知りの女性のお年寄りに出会いました。この人の年齢は多分75才前後だと思うのですが、かく言う私も70歳の高齢者なので、ついつい自分と同年齢の人の所作や暮らしぶりが気になるのです。この女性は60代半ばから急に腰が曲がり始め、医者に相談しても歳のせい程度の対応しかしてもらえず、今では「上を向いて歩こう」ならぬ「下を向いて歩こう」だと、寂しく話ていました。女性にとって美しくありたいという願望は誰もが持っている憧れです。腰が曲がると人の目が気になり、それまで生活改善グループや婦人会等の活動に積極的に参加していた外出も次第に億劫になり、今は野良仕事に行くのにもマイピアしか乗れない有様です。ご主人も病気がちだし、山村の農家に嫁いでからこれまで、苦労をして生きて来た結果がこうでは報われないと、淋しく涙ながらに語っていました。

 帰り道、杖をついた、これまた顔見知りの女性に出会いました。この方は私より一つ歳上ですが、転げて膝を怪我し手術してから、膝の具合が思わしくなく、杖がないと歩けないようでした。幸い車の運転が出来るので、今のところ暮らしに支障はないようですが、モンペ姿で町内対抗バレー大会で活躍したかつての勇姿を知っているだけに、変貌ぶりに驚いてしまいました。同級生だというのに若年性痴呆症にかかり、デイサービスに杖をついて通っている友人が奥さんの付き添いで散歩をしている場面にも出くわしましたが、その同級生のことも気がかりです。田舎ではこのように忍び寄る高齢と病魔、それに将来への不安を感じながら生きている、杖をついて歩く人の姿をよく見かけますが、明日はわが身と感じることが多くなりました。
 さりとて不安ばかりを気にしていては生きて行けません。田舎でも見方ややり方を変えれば楽しいことはいっぱいあります。これから25年間、私は思い切って楽しい人生を過ごしたいと思っています。今日一日を楽しく、これがいい人生の基本です。3人とも別れ際、「今も活き活きと輝いて生きているあんたが羨ましい」と言われました。

  「出会う人 体の不調 訴える 田舎危ない 危機感持ちつ」

  「この歳に なっても輝き 生きている あんたの姿 羨ましいと」

  「前かがみ 下向き暮らす 人の背に わが身重ねて 明日はわが身か」

  「人生は 今日の連続 だからこそ 1日1日 大切生きる」 

 

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〇カモメの餌付け

 今年の12月は北西の季節風が吹いて寒い冬を実感させています。寒いといっても海沿いに面したわが町では、風が強くて体感温度は低く感じるものの、雪が降ったり積ったりはしないため、寒さが苦手な私でも少し厚着をすれば、風邪を引くこともなくどうにか過ごせるのです。しかし96歳になった親父の体には寒さが堪えるようで、今年の夏に冷房用として隠居にエアコンをつけたものの、結局一度も使うことなくシーズンを終えていましたが、ここに来て冷房を暖房に切り変えたエアコンは大活躍で、室温を少々低い20度に設定していますが、今のところディサービスに出かけて留守の、水曜日と土曜日の昼間以外は24時間フル稼働しています。お陰で親父は少し薄着とも思える格好で過ごしているようです。

餌場にやって来たカモメ
餌場にやって来た白いカモメと黒いちゃっかり烏

 この時期海岸線には暖かい頃は海上で暮らしていた、多数のカモメが飛来して、時には船の舳先に仲良く並んで羽根を休めている姿をよく見かけるようになりました。昨日人間牧場での作業を終え、近くのレストラン潮路で昼食を取っていると、窓越しにカモメの姿を見つけました。お店の前の国道護岸にレストランが設置している餌場に、餌を置くとカモメが集まり、先を奪うように餌をついばんでいました。その白いカモメの群れの中に真っ黒いカラスも何羽か紛れ込んで、ちゃっかり餌を食べていました。レストランの窓腰に見える野鳥の群れの行動は、まるでショーを見ているような楽しい光景で、食事に来ていた子どもたちも大喜びでほほえましく窓に顔を寄せて見ていました。

 私がまちづくりに取り組んでいた若い頃、このカモメを観光資源に出来ないか考えた末、カモメの餌付けを思いつきました。松山のパン屋さんからパンの耳を大量に貰って来て、漁港の突堤に振り撒いたりして餌付けは成功したものの、カモメが運(ウンコ)のつき」だと漁師さんに悪評を叩かれました。私は「運(ウンコ)がつく」とネガティブをポジティブに考えましたが、思わぬ反対に遭い餌付けを断念した苦い経験を持っているだけに、餌場に群がるカモメの姿を懐かしい思いで眺めていました。カモメの一番の好物はテンカスであったことも分り、天ぷら屋さんにテンカスを貰いに行った思い出も忘れることはできません。カモメが縁ですっかり仲良しになった天ぷら屋へは今でも時々顔を出し、カモメの話に花を咲かせています。

  「レストラン 窓辺に座り 海を見る 瀬戸内長閑 カモメが飛んで」

  「あのカモメ 餌付け観光 一儲け やってはみたが 漁師に怒られ」

  「運のつき それはネガティブ ポジティブに 運がついたと 思えば楽し」

  「白カモメ 黒いカラスに ちゃっかりと 餌を横取り されてしまった」

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人間牧場

〇貯金箱のご開帳

 地元新聞の文芸欄には、正岡子規や高浜虚子などを輩出した影響でしょうか、他県の人が驚くほど沢山の俳句や短歌、川柳が載っています。私も嫌いな方ではないので、毎日朝食を取りながらそれらに目を通し、時々は横に座って一緒に食事をしている妻に読み聞かせながら、会話をつないでいますが、特に妻の笑いを誘うのは川柳で、今朝も愛南町の前田重信さんの「家が建つほど呑んだという酒豪」という一句が目に留まり、自分もそのとおりだと納得しながら笑いました。

2万7千円も入っていた貯金箱
2万7千円も入っていた貯金箱

 私は元々酒が余り好きなタイプではありませんでしたが、青年団活動で酒を呑む修行をしたお陰で随分酒が強くなり、若くて元気な頃は年末ともなると連日忘年会のはしご酒をやっていました。酒を呑む場所は殆どが松山だったため、酒を呑むと「10円タクシー」と命名していた妻に迎えに来てもらっていましたが、時には代行運転の車での帰還もあり、酒代やそれらにつぎ込んだ費用は、前田さんの句の中に出てくる酒豪ほどではありませんが、かなりの金額でした。

 今思えばあのお金はどこから工面してたのでしょうか?、今でも私の七不思議のひとつなのです。その不思議は今も続いていて、酒を呑まなくなったのに酒につぎ込んでいたお金は手元に残らず、一向に貯まらないのです。体の不調を訴えてから、あれほど好きだった酒を14年前、断腸の思いできっぱり止めました。コーヒも煙草も飲まないことから、喫茶店に入ることも殆どなく、小銭を使うことさえ少ない私のやっていることといえば、机の横に置いている貯金箱に、残金の小銭を小まめに入れることくらいですが、これが結構貯まるのです。

 昨日若嫁とお茶を飲みながら新聞広告に出ていた、一眼レフデジカメの話になり、私の郵便局でもらった赤いポスト型の貯金箱を開けることになりました。底ぶたを開け中の小銭を取り出して数えてみると、何と何と2万7千円もありビックリしてしまいました。カメラの値段が2万7千円というのも偶然でした。早速息子に相談したところ、「これは安過ぎる」と反対されましたが、どうせ妻に内緒の酒を飲んだつもりの貯金箱貯金なので、あまりこだわるつもりはないのですが、息子の言い分も一利あると思った次第でした。

  「消費税 値上げきっかけ 始めたが 貯金箱には 二万七千円も」

  「酒呑んだ ころが懐かし 酒代は 要らなくなったが どこへ消えるか?」

  「酒代で 家まで建つとは 思えぬが かなりの出費 妻を騙して」

  「貯金箱 貯めたお金で デジカメを 買いたいけれど 息子反対」

 

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