人間牧場

◯野良生えの甘夏みかん

 すっかり冬景色となった人間牧場の入り口に、背丈の三倍以上もあるような甘夏みかんの木が、今年も黄色い果実を沢山つけました。実はこの甘夏みかんの木は植えたものではなく、こちらの方言で「おのればえ」という自然に生えた野生のものです。人間牧場を造リ始めた時、敷地内の木々は邪魔になるので、防風垣として使っていて生き延びた杉の木以外は、伐採抜根して処分したつもりでしたが、周囲に雑木が残っていたらしく、その中に紛れ混んで生き延びたようなのです。

 どういう訳か三年前から実をつけ始め、今では枝もたわわに実って農道を通る車の邪魔をし、特に軽四トラックの屋根は高いため、しょっちゅう擦り始めました。仕方なく太い被覆電線で誘引しましたが追いつかなくなり、昨日は軽四トラックの荷台に上がって、実のついたまま剪定をしました。これで何とか大丈夫なようでホッとしました。

 柑橘類はヤノネカイガラなどの病害虫に弱く、防除をしなければ枯れてしまうのですが、原種に近い甘夏みかんは病害虫に強いようで、今年も元気に沢山の実をつけています。一昨年と昨年収穫して食べたり、無農薬なのでマーマレードの原料にして味わいましたが絶品でした。ゆえに今年もみんなでマーマレード作りの、講習会でも開こうかと思っています。殺風景な冬の人間牧場に彩りを添えてくれる甘夏みかんは、心を和ませてくれています。

  「牧場の 隅に野良生え 甘夏柑 背丈三倍 今年も鈴なり」

  「実の重み 枝がしなりて 車邪魔 仕方がないので 幾つか剪定」

  「無農薬 ゆえに安全 マーマレード 原料にして したたか味わう」

  「自然とは 偉いものだ 殺風景 冬の景色に 彩り添えて」

 

今年も沢山の実をつけた甘夏みかん

 

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人間牧場

〇タオルで鉢巻をすると元気が出ます

 私は元漁師です。宇和島水産高校漁業科を卒業して直ぐに、ガンで闘病生活をしていた親父に替わり、若吉丸の船長として7年間漁師をしました。双海町下灘の漁師は朝が早く、午前1時・2時に豊田漁港を出港して佐田岬沖の漁場へ向うのです。その頃の癖が治らず、体調を崩して役場に転職してからも、余程のことがない限り午前4時には起床します。お蔭様にて地域振興課長になった頃始めたシ-サイド公園の人工砂浜や水槽の掃除は、毎朝5時から約3時間、12年間も続けることができて、観光カリスマ百選にまでなりました。

 

鉢巻を締めた私
鉢巻を締めた私

 昔は、港に行けば頭に鉢巻をした漁師さんに何人も出会いましたが、今は鉢巻をしている人など殆どなく、ましてやタオルで頬かむりをしている人など見るべきもないのです。頬かむりはさておいて鉢巻をすると、どこか威勢がよく、「よしやろう」という気になるのも、やはり昔の癖の現れでしょうか?。先日シーサイド公園で水仙祭りのイベントに餅つきが行なわれました。私もボランテァとして参加しましたが、餅つきは昔から神聖なハレの行事だし、威勢よくやりたいと思うからでしょうか、私は無意識のうちに自宅からタオルで鉢巻を締めて軽四トラックで会場入りしました。

 この日は漁協の役員さんがテントを張って出店していましたが、私の姿を見て「進ちゃん、まるで漁師みたいじゃな!!」と言われました。漁師に「漁師みたい」と言われるのもどこか変ですが、まあこれもお愛嬌です。鉢巻をして手臼をする私の姿を見た知人友人は、「若松さん、やる気じゃな!!」とも声をかけてくれました。自分も鉢巻をするとどこか身も心も引き締まったような気分になるから不思議です。昔は田舎のおばちゃんたちは白い日本タオルで姉さん被りをして、白い割烹着を着ていました。今はもうそんな風情も遠い昔の記憶となってしまいました。私の鉢巻姿もまんざらではありません。

  「鉢巻を 無意識のうち して出かけ まるで漁師と 漁師に言われ」

  「鉢巻を すると何故だろ 身と心 締まったような 気分になりて」

  「手拭は 日本の文化 あれこれと 使えて便利 鉢巻までも」

 

 

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人間牧場

〇毎日一万歩と周りの景色

 一日一万歩歩くことを自分の日課にして、自分がウォーキングパラダイスと呼ぶ、家の周辺を歩くようになって、早くも10年近くが経ちました。最初は一万歩歩くことが目標で、ズボンのポケットに忍ばせている万歩計内臓の、携帯電話の歩数だけが気がかりな毎日で、急な坂道では息遣いの音さえ余り気づく余裕もありませんでした。ところが最近は急な坂道にも慣れて、少し負荷をかけて小走りしたり、周りの季節の移ろいにも目が向くようになり、時にはデジカメやタブレット端末を持ち歩くことすらできるようになリました。

 秋の頃にはどこからともなく匂う銀木犀の香りを探したり、最近は野鳥が媒介したと思われる万両や千両の実を写真に撮ったりと、道端のそこここで新しい出会いを感じています。今朝はご近所の空き地で釣り鐘状のそれは見事な花を見つけました。以前この花の名前が「トランペット」だと聞いた記憶があります。定かではありませんがその時見た花は真っ白い花でした。

 あいにくデジカメを持ち合わせていなかったので、急いで自宅へ戻り、タブレット端末を持って再び出向き、花の姿を写真に収めました。毎日歩いている道なのにいやはや驚きでした。皇帝ダリアもそうですが、こうした外来種の大柄の花木は得てして寒さに弱く、冬になると立ち枯れしてしまうものです。この花は暖冬の影響かも知れませんが、暖冬といいながら小寒に入った花の少ないこの時期ゆえ、一際見応えを感じました。

  「一万歩 目指し毎日 ウォーキング しているけれど 暗い朝ゆえ」

  「まあ綺麗 思わず傍に 近づいて 目と鼻近づけ 花を観賞」

  「花の名は トランペットと 言うそうな 本当か嘘か 分らぬままに」

  「南方の 花なら冬の 寒さゆえ 間もなく霜に やられてしまう」

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人間牧場

◯後味の悪い一日

 私はせっかちな性格で、講演を頼まれて出かける時も余程のことがない限り、30分から1時間は早目に会場へ到着するように出かけます。ゆえに時々会場の準備が出来ていなくて、一緒に机や椅子を主催者と一緒に並べる手伝いをすることがあり、相手を慌てさせたり恐縮させたりしています。

 昨日の夜にある公民館に講演を頼まれて出かけました。冬の夜19時30分からの予定なので、カーナビを頼りに行ったお陰で道に迷うことなく、某公民館へ約1時間前に到着しましたが、会場である公民館は人の気配もなく真っ暗でした。不安にかられながらも車の中でずっと待ちましたが、10分前になった頃、主催者でなく参加者が2〜3人やって来たものの、この人たちも外で震えながら待っていました。

 公民館の担当者がやって来たのは3分前でした。時間に間に合ったのですから、科学的には何の問題もないのですが、首を傾げたくなるような出来事でした。それよりもその後です。私の紹介が終わるとその担当者が会場を出て行きました。担当者が会場ヘ戻って来たのは私の講演が終わる10分前でした。これ以上話すと相手に悪いので止めますが、その後後味の悪い会場を後にして帰路に着きました。

 私は何のために講演に出かけたのだろうと、今日この文章を書きながら思いました。昨日の講演の演題は「心豊かに生きる」でした。勿論担当者の求めに応じて私が考えた演題ですが、講演を聞きにこられた30人ほどの参加者は、私の話に共感共鳴し、帰り際「今日の話はとても楽しかった。またお話に来てください」と言われましたが、この心豊かでない公民館担当者からお呼びがかかっても、私はもう行かないかも知れません。

  「ある場所へ 講演頼まれ 出かけたが どこかしっくり こずに傷心」

  「公民館 勤めた経験 あるだけに 首をかしげる ことも時々」

  「担当者 これでは先が 危ないと 思うが口出し できぬ悶々」

  「講演は もう止めようと 腹に決め 一夜明けると そうは言っても」

 

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人間牧場

〇「若松さんお幾つですか?」

 昨日、「若松さんお幾つですか?」と初春水仙祭りの行われているシーサイド公園で、何人かの久しぶりに出会った人に尋ねられました。「はい71歳です」と答えると、「まあお若いですね」という言葉が返ってきました。その言葉には二つの意味があって、実年齢より若く見えたからと、美辞麗句の誉め言葉のようでした。まあどちらもうれしいことなので、「はい歳をとっても老松ではなく若松ですから」といつものように駄洒落で相手の人を笑わせました。

 しかし「まあお若いですね」という言葉には言った人と私の歳の違いもあるのです。昨日久しぶりに出会った人の中には、私より歳を重ねている人もいて、この歳になっても元気にボランティア活動をしている私を羨ましく思ったようでした。私は現役だった若い頃シーサイド公園を造ったり運営をするのに腐心しました。そのお陰でシーサイド公園は開業以来20周年を向かえ、大勢の観光客が訪れていますが、それを誇りに思う心は多少持っていても、それを自分の功績だと胸を張る必要はさらさらなく、むしろ小さなボランティアを重ねながら守り立てて行くことの方がもっと大事なことなのです。

 昨日私に歳を聞いた人は、満年齢と数え年年齢の両方が分る人でした。ご存知のように正月には「歳をとる」といわれるように、みんなが一斉に歳をひとつ重ねるのです。私が生まれた頃は数え年でした。今日の新聞によれば私が生まれた1944年の5年後1950年に、日本人の年齢を満年齢で言い表すよう定めた法律ができ、年齢=満年齢となったのです。ゆえに正月の度に「数え年は幾つだったっけ?」と頭が混乱するのですあ。私も満の71歳、お正月に数え年は73歳になりました。

 「歳は関係ない、心が若ければ」と言いつつ、体力は嘘をつくことなく「歳相応」となっています。毎日新聞のお悔み欄を見ながら、死んだ人の年齢が自分の歳と余り違わなくなっていることに気がつき、一優するこの頃です。自分の満年齢も数え歳さえも忘れる老いは、強がっても死なない限り誰もが迎えなければなりません。年末大晦日に「年忘れ」という言葉をよく聞きますが、自分の年齢さえ本当に忘れそうな雲行きです。もし可能なら若い時代に戻りたい。そんなことを考えることこそ歳をとった証拠です。さあ歳に関係なくもう一分張り、頑張らずに頑張りましょうか。「私は老松ではなく若松ですから・・・」

  「歳幾つ 尋ねた人に 歳答え お若いですねと 言われニヤニヤ」

  「歳幾つ 尋ねた人に 比較して お若いですね 言われただけだ」

  「歳幾つ 満か数えか 言われたが 自分の歳さえ 瞬時にえ~と?」

  「歳幾つ 聞かれ私は いつまでも 若松ですと 笑いを誘う」

 

 

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人間牧場

〇また自給レパートリーが増えた干しシイタケ作り

 今年の冬は年末から年始にかけてかなり気温が高かったため、豊作だった渋柿を使った干し柿作りで、カビが生えたり腐らしたりした人がかなり多かったようです。幸いわが家では少し遅れて干し柿を干したため、何とかすり抜けて、おいしい干し柿ができました。また西条に住む井上さんから珍しい横野柿という品種の丸い渋柿を送ってもらい、サナに干して干し柿を作りましたが、水分が多いため何度も戸外に出したり入れたりして世話をした結果、カビの兆候が見られたものの何とか甘くて美味しい干し柿が出来上がり、毎朝1個ずつその味を楽しんでいます。

天日乾燥した干しシイタケ
天日乾燥した干しシイタケ

 今年は一昨年植菌したクヌギのホダ木に沢山シイタケが生えて、これまでの人生でこれほどシイタケを食べたことがないほど、その味を堪能しましたが、少し開き過ぎたり傷んだものは、サナに広げて干しシイタケを作ることを思い立ちました。ご存知のように生のシイタケは鍋物や付け焼きなどにして食べますが、うどんの出汁や巻き寿司の具材として使うには干しシイタケでないと水分が出て駄目なのです。わが家では知人のシイタケ農家から、干しシイタケを分けてもらって使っていますが、本格的に干しシイタケを作ったことがないので、何事も挑戦だし、私の目指す自給率向上のために何としても作ってみたい一品でした。

 冬は北風が吹くのでシイタケの乾燥にピッタリだと思って始めたものの、これまでは期待していた北風が殆ど吹かず、むしろ雨が頻繁に降って、その都度干したシイタケが湿気を吸って元に戻ろうとしましたが、ここに来てやっと冬らしい北風が吹いたため、乾燥は最終段階に入ったようです。乾燥が甘いと残った水分で保存中にカビが生えるので、そろそろ仕上げて湿気が入らない1斗缶に入れて保存したいと思っています。シイタケの旨味成分は煮干しや鰹節、大豆などの旨味成分と合わせると、日本料理に欠かせない特別美味しい出汁が出ます。特にうどんの出汁などには重宝で、妻の作る出し汁を使った料理は絶品です。干しシイタケは妻のリクエストなので、これからも春秋のシイタケが生える季節には是非挑戦したいと思っています。

  「また一つ 自給の数が 増えました 干しシイタケが 沢山できた」

  「出汁取るに 干しシイタケは 必需品 旨味成分 煮干しとともに」

  「巻き寿司に 干しシイタケを 水戻し 味付け巻き込む 味は最高」

  「何でだろう 干したシイタケ 栄養分 増して身体に いいと聞きます」 

 

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人間牧場

〇散髪して男前を上げました

 「お父さん、講演に行くのだったら散髪くらいはしてください」と一昨日の朝、妻に言われました。私は頭の髪を短くしている髪形のため、これまでは毎月1回程度、近くの理髪店へ散髪に行っていますが、歳をとったせいでしょうか、その散髪へ行くのでさえも面倒くさくて、「そのうちそのうち」と先延ばしをしてしまうのです。妻には「一日散髪を遅らせたら一日113円の勘弁になる」などと雲に巻き、1回3400円の散髪代を計算根拠にして説明してやりますが、妻は「それを大木流しの木っ端拾いという」などと反論され、「人の前に出るのに見苦しい」「歳をとったら清潔にしないと嫌われる」を理由に、結局散髪に出かける羽目となりました。

DSCN2243 昔から散髪屋は噂話の根源のような所で、下ネタから国際情勢まで話が及ぶのです。背もたれ椅子にもたれて散髪をしながら、気持ちよくうとうとしていると、知人がやって来て、隣の席に座って散髪を始めたようです。私の顔を見るなり大いに話が弾みました。私は顔の髭を剃ってもらっていたので、噛み殺したような声で相槌を打ちつつ話を聞きました。やがて散髪を終えて理髪店を出ましたが、暖かいといっても真冬の小寒ゆえ、背筋がゾクゾクしつつ家に帰ると、冬休みで在宅の孫たちが、「おじいちゃん散髪したん?」と言って、私のまるでタワシのようなうなじを撫でてくれました。

 バリカンでうなじを刈り上げる髪形を私は「あぜ道カットだ」と言って、人を笑わせていますが、ブログを書くようになってからは時々「自画像もいいかも」と思いつつ、デジカメをオートタイマーにして撮っています。ゆえに私がいつ死んでも、PCに遺影用の写真がストックされているのです(大笑い)。自動シャッターで撮った醜いアヒルの子のような自画像を見ながら、年々増える顔のしわと白髪にため息を漏らすのです。顔のしわはさて置いて、私はまだ白髪の数は少ないようで、髪の毛も若い頃のようにふさふさはありませんが禿もせずです。毎日風呂に入りその度に洗髪し、髪をドライヤーで乾かしたりヘヤートニックをつけるでもなく、いたってシンプルなほったらかしの方法で髪を維持しています。妻の言うとおり歳をとったのですから、何は勘弁してでもせめて散髪ぐらいは月一でして、綺麗さっぱり暮らしましょうか。

  「散髪を 年末年始 せずにいた 少し伸びたと 妻に注意を」

  「散髪を 一日伸ばせば 100余円 勘弁できる 減らず口言う」

  「散髪屋 今も昔も 変わらずに 噂話の 温床なりて」

  「自画像を デジカメとって まじまじと 顔のシワ増え 髪の毛少し」

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人間牧場

◯早くもレンゲ草が咲いています

 昨日歩いて近所の散髪屋へ行く途中、道端でレンゲ草の花を見つけました。暖冬でタンポポの花が例年より1ヵ月も早く咲いたり、つくしが出たりと、異変のニュースがあちこちから届いていますが、私もさすがにレンゲ草の花には驚きました。

 私の友人は北は北海道から、南は沖縄まで沢山いますが、数日前北海道の北見に住む北川恵子さんから届いた絵葉書は、一面銀世界の厳しい冬の姿や近況でした。四国は南国というよりは西国です。しかも寒いといってもこの時期にレンゲ草が咲くのですからしのぎやすいのですが、相変わらず朝晩のあいさつは「今日も寒いですねえ」のようです。

 昨日は小寒、寒の入りでした。今日は七草粥を食べる日です。今の時刻は5時47分ですがまだ夜は明けず外は真っ暗です。季節の暦は少しずつ動いていて、日没はすっかり遅くなったものの、待ち遠しい夜明けは午前6時30分ころなので、ブログも2本書き終わりそうなので、ストーブに当たりながらゆっくりと新聞を読みながら夜明けを待っています。

 昨日は北朝鮮が水爆実験をしたというショッキングなニュースが世界を駆け巡り、私たちを震撼させました。北朝鮮のやることは理解に苦しむことばかりで、もし水爆実験が本当ならば、放射能汚染も気になるところです。道端で見つけたレンゲ草や菜の花の美しい姿が一際気高く感じました

  「散髪に 行く道端で レンゲ草 花を見つけて しゃがみ込み見る」

  「菜の花も レンゲも綺麗 春近し 北住む友人 雪国ハガキ」

  「北朝鮮 水爆実験 したという レンゲ菜の花 放射能気がかり」

  「道端の 花に心を 動かせる これを幸せ 言うのでしょうか」

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人間牧場

〇水仙が満開です

 昨日の愛媛新聞の朝刊に、双海町下灘下浜の水仙畑が紹介されていました。このところ下灘串駅近くの鉄橋を渡る列車が紹介されたり、地域おこし協力隊の本多さんさんや私が載ったりと、新年早々双海の記事がタイムリーに出て何かと賑やかです。ちょっと目を話すと見落としそうな小さな記事ですが、新聞記事は読者の残像として残るだけに、こうした小まめなことの積み重ねによる情報発信はとても大切です。

img792 ところでこのところ、今年は冬が来ずに春が来たような暖かさで、昨日テレビで見ていると梅の名所梅津寺公園では、例年より一ヶ月も早く梅が開花したと紹介されていました。歳をとると寒いのは苦手で暖かいのは大助かりなのですが、どこか異常さを感じて、会う人会う人まるで気象予報士のように、「これはエルニーニョ現象だ」とか、「温暖化の影響で暖冬」などと、テレビの受け売りのような話をしています。

 水仙も例外ではなく今年は例年より20日間ほど早い開花のようで、今週末に予定されている初春水仙祭りはどうやら満開の水仙が楽しめそうです。冬のイベントは集客に苦労するといいますが、水仙はただでさえ人の来ない冬場に、人を呼べれるありがたいイベントです。今ではすっかり有名になりこの時期になると、初春の風物詩として新聞やテレビに必ず紹介してもらえるまでに定着しました。水仙畑を守り育ててきた金山さん親子の努力と、水仙祭りを開催する花の会の努力が相乗効果を発揮したからこそ、ここまで成長してきたのです。

 水仙は花を見て楽しみ、花と球根を売って儲けようと、まちづくりの草創期には多いに夢を膨らませましたが、残念ながら経済効果は思ったほどにはなりませんでした。でも町のイメージは確実にアップしたのです。金山さんの畑から見える豊田漁港の防波堤も、どこか函館の五稜郭に似ていると、昔記事に書いたことがありましたが、いみじくも昨日のfacebookで、地域活性化センターの前神さんが、そのことに気付いてくれたようで、わが意を得たりの心境でした。昨日の新聞を見て多くの人が水仙を見にやって来ることでしょう。さあ週末は初春水仙祭りです。

  「今年は 暖冬影響 水仙が 早くも満開 昨日の新聞」

  「水仙の 花は清楚で 美しい まるであの人 みたいとニヤニヤ」

  「週末は 水仙祭りに 沢山の 人が動いて 町が賑やか」

  「何年か 前に書いたな 五稜郭 どこか似ている 同じ人あり」

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人間牧場

〇1月4日のお墓参り

 私たちの町では古い習わしとして正月三ヶ日が終ると、1月4日にお墓参りに出かけます。昨日は餅と干し柿を切り、お米と葉つき小みかんを用意して午前8時30分に妻と二人で出かけました。まず最初は自分の家のお墓です。年末綺麗に掃除をしてシキビを新しいのと替えていたので、掃除をすることもなくお水だけを替え、線香を手向けて手を合わせました。昨年の7月に亡くなった親父の戒名が歴盤に新たに加わり、いつもと少し違った雰囲気でした。

 その後同じ墓地内にある親類のお墓にも同じように、お供えをしたり線香を手向け、今度は少し遠い下灘の親類のお墓へお参りした後、一気に妻の実家のある八幡浜まで海岸国道を走り、大法寺というお寺の境内にあるお墓にお参りしましたが、指折り数えれば昨日だけで、15ヶ所ものお墓にお参りしたようです。一年の始まりにお墓参りをすることは気持ちのいいもので、特に最初にお参りした自分の家のお墓と、最後にお参りした妻の実家のお墓では、この一年の報告と新しい年への希望を述べ、家内安全・健康を祈念しました。

 行き帰りの道すがら、車の中で妻と久しぶりに色々なお喋りをしました。今年は年末に亡くなった伊予市の友人谷岡さんのご主人の葬儀が1月3日にあり、私は奥さんの友人として、息子は蒸せ目さんの友人として参列しました。正月の葬式は悲しさが余計込み上げて、思わずもらい泣きをしましたが、喪主を務めた息子さんのお礼のあいさつや出棺を送り家路に着きましたが、その時の私と息子との会話が話題になりました。息子は息子さんの立派なあいさつを聞いて、「お父さんが死んだら僕があいさつをするのだろうが、余り自信がない」と唐突にいいました。「おいおい、俺を殺すな」と思いました。

 そういえば私が親父の葬儀にお礼のあいさつをしました。涙を堪えてあいさつをしましたが、思ったことの半分も言えなかった昔と違い、今は思っていないことまで喋れる自分ゆえ(大笑い)、それなりのあいさつは出来たように思いますが、さて息子は私が死んだ時、多分喪主になるであろうあいさつを、どんな手合いでするのでしょうか?。それこそ見ることも聞くことまできませんが、見てみたい、聞いてみたい心境です。人は必ず一度は死ぬのです。最近墓参りをして気がつくのは、墓地のいたる所にまるで無縁仏のように、草に埋もれた墓地が増えていることです。悲しい日本の行く末です。今から私の死んだ時のあいさつを考える息子は、とびっきり親孝行な息子かも知れません。

  「墓参り 次から次へ 十五軒 供え懇ろ 線香手向け」

  「三ヶ日 過ぎればお墓 お参りし 会う人ごって あいさつ交わす」

  「わが息子 私が死んだ 時のこと 早くも心配 孝行息子?」

  「墓参り する人もなく 草埋もれ どこか悲しい 日本の行く末」

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