人間牧場

〇家に居たらいたであれこれと忙しい

 新型コロナの影響で、不用不急の外出自粛のお触れが出ているため、予定していた講演も全て中止延期となり、この1週間はホームグランドである松山へも行かず、家にいる時間が増えています。これまでは妻の仕事だった月曜日と金曜日のゴミ出しも、このところは殊勝にも私が手助けするようになり、また妻は近所の歯科医院へパートで勤めていて何かと忙しいため、あれこれと用事を頼まれ、仕方なくやっていますが、優しくなったような私のそぶりを見て妻は喜んでいるようです。

 2~3日前から庭木の剪定を始めました。厄介なのは庭に4~5本ある松の木で、丁寧にしようと思えば1本の木でも1日以上かかります。親父の生前中は自分が植えた庭木なので、親父が全ての庭木の世話をしてくれていましたが、今となっては私以外やる人もなく、ましてや年金暮らしなので庭師さんをに頼むこともできず、脚立の上に登ったりしながら見よう見真似でやっていますが、本格的に習っていない素人なので、自己満足の域程度でお茶を濁しています。

 季節は巡り日中は残暑が厳しいものの、朝夕はしのぎやすくなりましたが、待ち構えているのは菜園の種蒔きです。夏草を削り取って除去し、石灰や牛糞を撒いて耕運機で中耕するのも一苦労で、作業着は瞬く間に汗で濡れてしまいます。先日の雨で中耕した畑もしっくりしたようなので、今日は畝を立て大根やカブ、高菜、春菊、小松菜などの用意した種を蒔こうと思っています。210日は過ぎました。明日は雨模様なので今日は忙しい一日になりそうです。

「暑かった 夏も峠を 越しました 私の仕事 あれこれあり過ぎ」

「コロナ禍で 中止延期が 相次いで 不用不急の 外出自粛」

 

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人間牧場

〇義兄の納骨法要

 昨日は7月18日、82歳で亡くなった義兄(姉の夫)の49日目の法要と納骨の日でした。11時から兄弟と近親者が本覚寺というお寺に集まり、しめやかに諸行事を行いました。和尚さんの読経や法話を聞いた後、お寺の境内にある墓地へ行き、待ち構えていた石材屋さんの手助けを借りて、無事納骨を済ませました。

 姉の家の墓地は由並小学校の運動場や瀬戸内海が一望できる小高くて見晴らしの良い場所にあり、わが家の墓地と近い場所なので、彼岸や正月など折に触れ一緒に墓参りができるのです。夏の終わりと秋の始まりが同居するような少し蒸し暑い天気でしたが、心配された雨もなく終わりました。

 本来ならみんなが集まり、会食をしながら義兄の思い出話に花を咲かせるのですが、愛媛県では新型コロナのまん延防止中なのでそれも叶わず、心づくしのお料理を持ち帰り、式服を着替えた後、妻と二人自宅にて小宴を催しました。あとに残された気分的に沈みがちだった姉も、幾分元気を取り戻し、同居の家族たちと平穏な日々を過ごしているようで、とりあえずホッとしています。私は休む間もなく急いで食事を終え、夕焼けコンサート会場へ単車で出かけました。

「7月に 義兄亡くなり 意気消沈 昨日早くも 納骨法要」

「本堂で 読経と法話 聞きながら 在りし日偲ぶ 遺影の笑顔」

「墓石を 動かし納骨 無事終わる 姉も幾分 元気回復」

「コロナにて 会食かなわず 散会し 自宅に戻り 妻と会食」

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人間牧場

〇サワラをいただきました

 昨日の朝、懇意にしている漁師の奥さんから、「サワラが獲れたので差し上げます」と電話が入りました。魚大好き人間なので早速貰いに行きました。立ち話によると昨日はサワラが170本も網にかかったようで、久し振りの大漁だったようでした。魚の処理で少し眠そうでしたが顔はとても嬉しそうでした。

漁師さんからいただいた立派なサワラ

 帰宅後早速包丁を研いで、裏の流し台でさばきました。サワラは身の柔らかい魚で鱗もなく調理のしやすい魚です。その上尾っぽと内臓、それにエラ程度のほんの少ししか捨てる所がありません。昨日はゴミ出しの日だったので、まだ収集に間に合うようだったので急いでゴミ置き場へ持って行ったお陰で間に合いました。

 わが家では魚を貰うと私が粗調理しますが、同居している息子家族に半分分けししてやります。3枚に下ろした片身を若嫁に渡し、わが家の分はパレットに入れてラップをかけ、魚専用の冷蔵庫へ収めました。漁師さんの話によるとサワラの身はその日のうちに食べるより、1日冷蔵庫に入れて熟成させて食べると美味しいそうですが、私は新鮮第一主義なので、昨晩は妻の手料理でサワラの刺身が食卓に出ました。

 残りはフリーザーに入れているので、漁師さんが言うように、今日と明日は冷蔵庫で熟成したサワラの刺身を食べ比べしたいと思っています。サワラの照り焼きや西京焼きも楽しみたいと妻と話していますが、田舎に住んでいると貰ったり差し上げたりの交流が盛んで、とても幸せな気分になれます。

「漁師さん 昨日は大漁 お裾分け サワラ一匹 貰って調理」

「半分こ 片身若嫁 手渡して わが家も片身 昨晩刺身」

「漁師さん 熟成すれば より旨い 耳より話 聞いて早速」

「旨いねえ 幸せだねえと 言いながら 妻と二人で食卓囲む」

 

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〇不用になった3本の杖

 私は今年の4月、長年靴を履く度違和感や痛みを覚えていた左足の外反母趾の手術をしました。たかが外反母趾くらいの軽い気持ちで手術に臨みましたが、これが意外と小さいながら大手術で、親指の付け根を切断して曲がりを補正し、金具で留めるという大胆なものでした。全身麻酔だし骨の切断をしたり金具を埋め込んでも、様子を見ることもなく全く記憶にない離れ業でした。

やっと不要になった3本の杖

 時々行うレントゲン撮影で骨の具合を観察した主治医からは、手術は成功しその後の傷の具合も順調と告げられたものの、抜糸までの10日間と要観察10日間、転院してリハビリの1ヶ月半は、片足の自由が全く効かず、車椅子や杖を使い身体障害者として日々を過ごしました。手術とリハビリにに関わってもらった多くの方々のお陰で、また退院後は家族の支えもあって、身体障害者の域を脱し、今では多少違和感は残るものの杖の助けも必要なくなり、何とか2本足で歩いたり軽い農作業ができるようになりました。

 今日本では東京オリンピックに続いて東京パラリンピックが開かれています。多くの障害を持ったアスリートの活躍を心を熱くして見ていますが、たった3~4ヶ月の身体障害でさえ心まで病んだわが身に比べ、彼ら彼女らは一生障害と向き合って生きて行かなければならないのですから、その心労たるや相当なものがあるものと思われます。ほんの1か月前まで使っていた3本の杖は幸いお払い箱となり、隠居の傘立てに入れましたが、次は加齢からくる足の衰えの補助具として、いつの日か日の目を見るかも知れません。

 健常になると身体障害だったことをいつしか忘れるものです。この貴重な経験を活かし、せめて身体障害を持った人の気持ちになり、ささやかながら寄り添って生きたいものだと思っています。健常に暮らせることの幸せを嫌というほど感じた今年の夏でした。

「玄関に 不用になった 3本の 杖がひっそり 隠居へ終う」

「一時の 期間だったが 身障に 今はどうにか 健常になる」

「パラ競技 見る度ハンディ 克服し 活き活き競技 感動見入る」

「3本の 杖の厄介 ならぬよう したいがやがて 加齢必要」

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〇酔芙蓉の挿し木

 3年前近所の人から、夏に真っ赤な大輪の花を咲かせる芙蓉の剪定枝をいただき、ダメ元でプランターに鹿沼土を敷いて挿し木をしました。腕が良かったのかその後の管理が良かったのか分かりませんが、挿し木した全てが根を張り芽を出して、15本ほどの苗木ができました。裏庭路地に降ろして植えた所、今年の夏は枝葉も広がって沢山の花を咲かせてくれました。

今年は酔芙蓉の挿し木をしてみました
朝・昼・夕と色を変える珍しい酔芙蓉の花

 芙蓉の花は朝顔と同じで朝咲いて、夕方萎む短命ですが次々とつぼみが膨らみ存分に楽しませてくれました。1本だけ一日の内朝真っ白、昼ピンク、夕方真っ赤になって萎む「酔芙蓉」という私が別名「夕日花」と名付けた珍しい花を植えていますが、昨日は発泡スチロールに鹿沼土を敷いて枝を10㎤ほどに小切りして、3年前と同じように挿し木をして、木陰に置きました。

 挿し木した枝がまだ少し充実していないのもありましたが、挿し木した20本の内ダメ元4~5本つけばいいと思っています。今年の春お裾分けした次男嫁の実家から花が沢山咲いたと、大層喜ばれたので、もしついて苗ができれば差し上げたいと思っています。真っ赤な芙蓉の花ははまるでハイビスカスの日本版のような花ですが、酔芙蓉もまた八重咲の珍しい花で、楽しみがまた一つ増えました。

「今年も 真っ赤な芙蓉 裏庭を 夏中彩り 楽しみました」

「植物を 挿し木で増やす 術覚え アジサイ・芙蓉 花を楽しむ」

「今年は 朝・昼・夕と 花の色 変える珍し 花の挿し木を」

「花が好き 思えばツツジの 生け垣も 挿し木で増やし 今があるのだ」  

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〇あっ、猿だ!!

 昨日の夕方少し涼しくなったので、家庭菜園のトマトの後片付けをした後、雑草の草削りをしていました。すると隣の田んぼの隅に植えているイチジクの木の中で、何やら動く物体が見えました。オヤッ!!と思いよーく目を凝らしてみると猿のようでした。近年猿の目撃情報は近所でも相次いていますが、幸いわが家付近では昨年妻が家の入り口付近の市道で見たのを最後に目撃されず、少し安心していました。

わが家の付近で目撃し始めた猿

 私がイチジクの木に近づくと猿は逃げ足早く、倉庫の屋根伝いに裏山へ逃げて行きました。ところが今朝息子たちがダイニングで食事をしていると、突然2階の屋根から猿が飛び降りて、孫たちのミニハウスの下に入りました。驚いたのは若嫁で、「キャー、お父さん猿だ!!」と叫びました。すぐに私と息子が外に出て猿の後を追いました。猿はさっさと裏山の中に消えてい行きましたが、今日から夏休みが終わって学校の始まる孫たちが帰宅することを思うと気が気ではないようでした。

 こちらの方ではイノシシやハクビシン、カラス、モグラといった有害鳥獣の被害は枚挙に暇がなく、様々な知恵を出して防備はしているものの、ある程度の被害は仕方がないと諦めていますが、イノシシやハクビシンの地上戦、カラスの空中戦への対応できても、猿の地上+空中、それに猿知恵には勝てるはずもなく、さてこれから人間への被害も含めて覚悟が必要なようで、また新たな悩みが増えそうです。

親友竹本英子さんから送られていた庚申堂の手も足も出ない猿のお守り

 3日前広島県竹原市忠海の親友竹本英子さんから、地元八坂庚申堂の至る所に奉納されている「くくり猿」という布で縫った猿のお守りが送られてきました。くくり猿は手足をくくられて動けなくなった猿の姿のお守りだそうで、欲望のままに行動する猿を動けない姿にすることで、欲に走らないよう人間を戒めているそうですが、人間よりも「見ざる・言わざる・聞かず」の猿に、どうか人里へ出て悪さをしないようにして欲しいとの願いを込め、家と畑にお守りのつもりで吊るしてみたいと思っています。

「あっ猿だ 突然イチジク 茂みにて ガサゴソ枝葉 揺れて驚く」

「イノシシや ハクビシンなど 現れて 農作被害 今度は猿か」

「夏休み 終わって孫が 午後帰る 注意しないと 危害心配」

「くくり猿 親友お守り 届きたる 家外吊るし ご加護狙おう」

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人間牧場

〇大ぼらを吹く

 私は若い頃双海町の夕日を日本一だと思うようになり、何かにつけてそのことを多くの人に言うようになりました。出来もしないことをさもできそうに言いふらすことを「大ぼらを吹く」や「大風呂敷」と言いますが、時には私のことを仲間内の人は親しみを込めて、「日本一の大ぼら吹き」とまで言われてしまいました。

大ぼら吹きの吹くメキシコ人の友人から貰った角笛

 ところがどうでしょう。JR下灘駅のプラットホームで開いた夕焼けコンサートを皮切りに、次々と夕日を売り出す活動や仕掛けを作り活動をした結果、自称ながらどこにも負けないような夕日の物語が生まれ、夕日百選、恋人の聖地などの後押しもあって、オンリーワンながら今では自他ともに認める夕日のメッカとなったのです。

 何年か前、人間牧場へメキシコ人のお客さんがやって来ました。もう名前さえも忘れかけていますが、彼は私への手土産に水牛の角で作った笛をくれました。今も人間牧場の書棚に置いていますが、子ども体験塾で集まった子どもたちに夕日の物語の顛末を話しながら時々この笛を吹いて、夢を持つことの大切さを話してやるのです。

 先日一人で人間牧場へ草刈りに出かけた折、ウッドデッキで休憩しながらほら貝ならぬ角笛を吹いてみました。腹に染み入るような角笛の低い音色は周囲の山々に木霊しました。もう年齢的に大ぼらを吹く勇気も気力もありませんが、活き活きと生きていた青春時代の思い出が蘇りました。

そうそう、わが家の横の海の資料館「海舟館」にある、船舶が霧が出た時、自船の位置を刷らせるため鳴らすフォグホーンも、同じような腹に答えるような低くて鈍い音が出ます。今度人間牧場へ持って行ってウッドデッキで競音したいものです。

「わが町の 夕日を日本で 一番に したいと語った 大ぼら吹きです」

「大ぼらも 今では正真 正銘の 日本一に なっているよう」

「メキシコの 友人貰った 水牛の 角笛吹いて ほら吹き再現」

「角笛と 海舟館の フォグホーン いつか競音 デッキでしたい」

 

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人間牧場

〇苦手なZoom会議

 私は学校でパソコンを習っていない世代の古いタイプの人間なので、パソコンが大の苦手です。年齢や苦手を言い訳に、極力パソコンから離れようとしていますが、講演や役目などの行きがかり上、どうしても使わなければ前に進むことができないので、右往左往しながら仕方なくというのが正直なところです。

 ところがつい最近は、新型コロナの感染拡大の影響で、世の中は一気にオンライン化が進み、家庭にいながらオンラインで仕事をする人までいるのですから驚きです。はてさて私が代表を務める地域教育実践ネットワークえひめでは、毎年国立大洲青少年交流の家に200人程の人が集まって地域教育実践交流集会を開いて来ましたが、昨年はコロナで集まることができず、13回目にして初めてオンライン形式で行いました。

 私自身は慣れないこともあって右往左往しましたが、実行委員会のメンバーにはその道に長けた人も沢山いて、200人を超える人が参加し予想以上の成果を得ることができました。さて今年の集会をどうするか、既に執行部会や2回の実行委員会を行い準備を進めていますが、一昨日第3回の実行委員会がZoomで行われました。

 いつもながら、上手く参加できるか不安ですが、何度も繰り返しているので、少し慣れて上手く参加できるようになりました。この日は30人を超えるメンバーが参加し、1時間の予定を20分も超える議論がネット上で行われました。人の顔を画面上で見るだけの会議は消化不良気味で、私は好きではありませんが、松山までの往復2時間も必要でなく、便利といえば便利です。

昨年までパソコンの画面上についているカメラの存在する知らずに使っていた時代遅れな私ですが、この1年少しパソコンに近づいた感じですが、相変わらずパソコンへのアレルギー反応は続いています。時々中2・小6の孫や同居の息子に、パソコンの使い方を教えてもらっている、ダメな高齢者の苦難の日々は続きます。

「最近は 苦手なパソコン オンライン 会議多くて お疲れモード」

「歳のせい 理由にパソコン 逃れたい それもできずに 毎回あたふた」

「二時間も かけて往復 するよりも 自宅居ながら 便利は便利」

「世の中の 進歩の速度 早過ぎて ロートル私 置いてきぼりに」

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人間牧場

〇シーサイド公園界隈

 暮れなずむシーサイド公園で夕日を鑑賞しながら、私が監修して造った童謡の小路に設置している歌碑を巡りました。恋人岬の突端に設置したモニュメントには「赤とんぼ」、園内道路沿いには「ぎんぎんぎらぎら」「夕やけこやけ」「あの町この町」などの歌碑が設置されていて、思わず口ずさみました。

夕日に映える童謡の小路の歌碑

 国道と公園の境斜面には、私が別名で「夕日花」と名付けた酔芙蓉の花がそれは綺麗に咲いていました。朝真っ白な花を咲かせ夕暮れになると、ピンクに花の色を変え夜真っ赤になって萎んで落ちる珍しい花ですが、多分そんなことに気づいたり、気づかせようとする意図もなく、少し雑草が伸びただ咲いているだけのようでした。

朝・昼・夕と色を変える珍しい酔芙蓉の花

 昨年挿し木して増やした真っ赤な花の芙蓉の苗木を2~3本、施設を管理している市役所に頼んで植えようかとも思っています。今年は花季が終わり剪定する時期に酔芙蓉の枝を2~3本貰って挿し木して苗を作ろうとも思っています。

「歌碑巡り 歌詞を見ながら 口ずさむ 童謡夕日 言い得て妙なり」

「園内の 斜面に植えた 酔芙蓉 朝・昼・夕と 色変え咲いて」

「25年 前に植えたる 酔芙蓉 今は知る人 殆どなくて」

「今年は 枝を貰って 挿し木する 替わりに真っ赤 芙蓉を植えよう」

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〇家庭菜園の中耕

 前日雑草やスイカ・トウモロコシなど夏野菜の残材を取り除き、白い石灰と黒い牛糞を万遍なく撒いていた家庭菜園を、涼しい間の朝一番に耕運機で中耕しました。夜の間に降りた夜露で石灰も牛糞もしっとり馴染み、埃も立たず作業は進みましたが、草の根や残った枯れ草が耕運機の刃に絡みつき、時折作業を中断して取り除きながらやりました。

すっかり綺麗に中耕を終えた家庭菜園

 畑はすっかり綺麗になりました。このまま4~5日土を落ち着かせ、210日の過ぎた9月に入ると畝を立て、いよいよ冬野菜の種蒔きです。大根やカブ、高菜、小松菜などの種は既に用意をしています。今年も秋分の日頃に水口種苗店に出向き、キャベツ、白菜、ブロッコリー、カリフラワーなどの苗を貰い受け定植する予定です。

収穫した完熟トマト

 昨日は伸びたサツマイモのつる返しをしたり、熟れたトマトの残りを収穫しました。少し長手のアイコという品種は、果実の表皮が固く長雨でも果実が割れたり病気になることもなく収穫でき、妻はこのトマトを使い、毎朝トマトジュースを作って飲ませてくれます。完熟トマトのジュース、それに自家加工したブルーベリーのジャムをヨーグルトに入れて食べています。お陰で夏バテすることもなくすこぶる元気に過ごしています。

「石灰と 牛糞撒いた 菜園を 耕運機にて 中耕さっぱり」

「大汗を かいて中耕 種蒔きの 準備ができて ホッと一息」

「完熟の トマト沢山 収穫す 毎朝妻が ジュース搾って」

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