人間牧場

〇しもやけお手々が痛い
 年齢を重ねると酷寒の冬や猛暑の夏は苦手で、あれほど薄着だった私もつい最近は着ぶくれするほど重ね着をして防寒しています。それでも今年の冬は特に寒く感じられ、これも年齢のせいだと納得して、「寒い寒い」と言いながら日々を過ごしています。

 この近頃両手に違和感を感じるようになりました。例年のことなので気にも留めていませんでしたが、どうやら「しもやけ」のようなのです。昔の火鉢で暖を取る時代ならいざ知らず、家の中はコタツや暖房器具が置かれ、夜は最近になって夜具布団に湯たんぽまで用意してくれるので、「しもやけ」なんて少年の頃の思い出だとばかり思っていました。

しもやけで晴れた右手

 妻や若嫁に見て貰いましたが、「病院で診て貰って塗り薬を処方してもらったら」と勧められ、それもそうよと思いつき、昨日の昼頃近くのたけます診療所へ出かけ、診察をしてもらいました。診察したお医者さんの話だと、妻や若嫁のお見立て通り、「しもやけ」だそうで、塗り薬と飲み薬を隣のエンゼル薬局で貰って持ち帰り、昨日の夜は寝る前に手のしもやけに塗り込んで寝たお陰で、今朝は少し良くなっているようです。

 私たちが子どもの頃は、殆どの子どもが冬になるとしもやけやアカギレになっていました。特に妹はひどくて、アカギレに悩まされていました。薬草の入ったぬるま湯を洗面器に入れて、祖母が子どもたちの手足のしもやけを手当てしてくれた思い出も懐かしいです。折角前立腺のお薬を飲まなくなって喜んでいたのに、また朝夕食後の薬が復活し始め、妻が「お薬飲んだ?」と気遣いの言葉をかけてくれています。

「しもやけは 少年の頃の 思い出と 思っていたが 今頃なって」
「若嫁と 妻に相談 見て貰う 見立てしもやけ 医師も同じ」
「病院へ 行くよう勧め られました 塗り・飲み薬 貰って帰る」
「昨晩は 軟膏塗って 寝たお陰 腫れも収まり 快方向かう」

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人間牧場

〇今月の五行歌
 まだ一度も例会に参加したことのない幽霊会員のような私ですが、年末に退院してすぐさま投稿締め切りの知らせを受け、いつものように思いつくまま即興で次の歌を作り、とりあえずメール便で送っていました。

 一昨日その報告書が手元に届きました。私の歌は相変わらず欠席歌の部で、入選もしないただの駄作でした。
  スマホ・パソコン・オンライン
  益々肩身が狭くなる
  トラブル起きれば
  グリコの看板
  取り残されそう

 五行歌に違いはないのですが私の歌は、いつも俳句と川柳の違いのような、笑売啖呵(しょうばいたんか)なので、自分の歌ながら少し冷めた気持ちで笑っています。批評には・お手上げグリコの看板とは面白い、IT・デジタル・AIもあるがスマホ・パソコン・オンラインの片仮名にうんざりしている作者の困惑顔が目に浮かぶ。故障が起これがこの身がフリーズする。

 ・四行目の「グリコの看板」という表現がユニーク、「お手上げ」という意味でとったのですが、合っているでしょうか?、とにかく面白い歌。・本当にトラブルの壁にぶち当たると肩身が狭いですよね。昭和を思わせる作者のノスタルジックな雰囲気に少しの寂しさを感じました。・諦めるか頑張るか。大げさに考えるとこれからの世をどう生きるかの分岐点かも知れません。無いは無いでどうってことも無いような気もします。言い得て妙な批評に感心しました。

「年末に 退院すぐさま 思いつき 送っておいた 五行歌作品」
「パソコンの トラブル加え 体調も これまたトラブル 年末年始」
「わが作品 さすがと思う ご批評が 納得しつつ 一人にんまり」
「今日あたり 会費納入 しなければ 忘れていたでは すまぬ出来事」 

 

 

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人間牧場

〇立ち話会話
 昨年末日赤松山病院で前立腺肥大の手術をしてから1ヶ月が経ちました。2週間後に受けた経過観察の際、病院で書いてもらった紹介状を持って、昨日は少し近くなった松前町の泌尿器科病院へ経過観察のため受診に出かけました。訳を言って受付を済ませ待合室で順番が来るのを1時間半も待ちました。

 やっと順番が来て診察を受けましたが、昨日は尿検査の結果だけで、体の診察もなく、隣の薬局でお薬をもらい、1ヶ月後にもう一度経過観察の検査を受ける約束をして昼前に帰宅しました。昼食後ウォーキングに出かけると、私と同じような高齢者と相次いで出会い、その度にその場に立ち止まって立ち話をしました。

 話題は最近の健康状態が主で、足腰が痛いとか、白内障の手術をしたとか、まあ人それぞれ、まるで病気のデパートのようなお話でした。前立腺の不調も私だけかと思いきや、出会った3人も何年か前に前立腺の不調でがんが見つかり、手術や抗がん剤治療を受けていました。前立腺がんは早期発見早期治療をすれば今や治る病気だと言われていると、まことしやかな説明をそれぞれから聞きました。

 ふと自分の病歴を振り返って思うのですが、医学の進んでいなかった50年前なら、私はとうに命を落としてあの世に旅立っていたに違いないのです。自分の未来の姿がおぼろげながら見え始めてきましたが、これ以上の病気はもう沢山だと思いながら、残された余命を健康で生き抜くため、昨日も目標として実践している1万歩をクリアーしました。

「手術して 一ヶ月が 経ったので 紹介状を 持って病院」
「訳を言い 順番待つこと 1時間 以上も待合い 我慢の時間」
「それなりに 回復してると 医者が言う おシッコ検査 だけで終了」
「出逢う人 3人ともども 前立腺 ガンの手術を 受けていました」

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人間牧場

〇海の見える丘の下刈り
 人間牧場の下の元みかん畑だった畑に、クヌギの森を作ろうと計画してから3年が過ぎました。最初の2年間は母が亡き後数年間放任していたため、人の進入を拒むほど茨や灌木に覆われていた畑の伐開を行い、焼却してやっと昨年の2月にクヌギの苗を100本ほど植えましたが、昨年はその後4月に外反母趾の手術、10月に庭木から落下、12月に前立腺肥大手術と、大事な下刈りの時機にその作業ができ、ず悶々の日々を過ごしていましたが、昨年の8月にとりあえず一回だけは荒刈りながら、言い訳程度に下刈りを終えていました。

クヌギの森を作ろうとしている港の見える丘

 一昨日は息子の土曜休みに合わせ協力を求め、来月にも行う予定のクヌギの苗を植える場所の下草を刈るために、息子と二人で港の見える丘へ出かけました。私はまだ手術後1ヶ月なので無理は出来ないため、もっぱら草刈り機は息子に頼み、ここあそこと指示をして草を刈ってもらいました。息子は昨年新調した草刈り機を使い、約1時間ほどで予定の場所の草を刈り終えました。これで2月のジャガイモの種芋植えとセットにしたクヌギの苗植えの準備が整い、とりあえずはホッとしています。

自制して広がる水仙の花は今が見頃です。

 人間牧場の下草を刈るようになって、あちこちに自生している水仙がかなり広い範囲に植えもしないのに自然にはびこり、今が見頃と咲き誇っていました。このまま花が終わるのを待つばかりでは勿体ないので、一昨日は剪定ばさみを水仙の根元に差し込み、20~30本切って持ち帰り、妻はその水仙を花器に入れて玄関に飾ってくれました。水仙は春の花で、白い花に金冠のある日本水仙は、何とも言えない芳しい香りを玄関先に漂わせています。下灘下浜の水仙は今が満開で、多くの人がやって来ているようです。

「放任園 茨や灌木 伐開し 昨年やっと クヌギ苗植え」
「昨年は 2度も入院 手術して 世話もそこそこ 気になりながら」
「術後にて 私は作業 出来ぬゆえ 息子頼んで 草刈り作業」
「とりあえず 準備は出来た 今年も 百本の苗を 植える予定で」

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人間牧場

〇深夜の地震騒動
 私は毎日朝4時ころに起き、夜10時~11時頃に寝ます。昨日の深夜突然隣の息子たちのダイニングに取り付けている防災無線が、「地震です」と放送をし始めました。私の携帯は充電のため寝る前に書斎の机の上に置いているので聞こえませんでしたが、妻の携帯も地震を知らせるアラームが鳴りっぱなしとなりました。


地震情報


余震速報

 布団の中で地震の強い揺れを感じた私たち夫婦はとっさに起きて、妻が居間の電気とテレビをつけ、チャンネルをNHKにすると、深夜だというのに地震速報が流れていました。「震源は日向灘沖、地震の揺れは5強、マグニチュードは6以上」のようで「津波の心配があるので避難の準備を」の言葉に、急いで身支度を整えましたが、そのうち津波の心配はないとのことで、まずは一安心でした。

 寝鼻を挫かれた感じでその後中々寝付かれず、長~く感じる夜となりました。夜が明けいつものようにブログを見ると、勿論県内に住む人が圧倒的に多く、また大分県や宮崎県の友人も、地震の様子を知らせるように記事をアップしてしました。昨日は余震と思われる地震が何度もあったようですが、それほど気にもしませんでした。ヤフーのニュースによるとこの地震は韓国でも、車が揺れるほどだったようで、波及の広さに驚きを隠せませんでした。

 先日南の島トンガで海底火山が爆発し大きな被害が発生、日本でも奄美大島で1.2mもの高さの津波が観測されたばかりです。私は高校生の頃宇和島水産高校の実習船愛媛丸でトンガ近くの珊瑚海まで遠洋航海に出かけ、イギリス領ニューへブリデス・エスピリッツサント島へ上陸した経験があり、あらためて世界地図を広げて、その位置の近さに驚きました。瀬戸内海側に住んでいるとはいえ、いよいよ南海地震が現実味を帯びてきました。

「寝入り鼻 防災放送 携帯も 一斉鳴りだし 不安な夜中」
「幸いに 津波の心配 なくなって 二度寝をしたが 中々眠れず」
「ブログには 知人友人 書き込みが 地震余震が 続く一日」
「若い頃 トンガ近くの 珊瑚海 遠洋航海 経験ありて」 

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人間牧場

〇梅が開花しました
 寒い年は花の開花が遅れると思いきや、寒さに目覚めたのか、わが家の庭の梅の花が咲き始めました。他の花ほど派手さはありませんが、咲いた梅の花は凛としてどこか気品さえ感じられる花です。花の近くに鼻を寄せると、芳しい香りが漂ってきます。

 この地に土地を構え家を新築してから50年、半世紀近くの歳月があっという間に過ぎ去りました。その間同居していた祖母や父母を黄泉の国へ送り、私自身も無我夢中という言葉がぴったりするような忙しさの中で、まるでマグロのように動き回り、季節を楽しむ余裕など殆どありませんでした。

 人生の終盤に差し掛かったゆえ、そろそろ余裕をもって生きたいと思った矢先、去年は2度にわたって入院手術を行い、加えてこの2年間は新型コロナに翻弄され続け、心の中に隙間風が吹きましたが、幸い不要不急の外出自粛や闘病生活で自分の居場所を少なからず見つけれたような感じがしています。

 季節を楽しむ、暮らしを楽しむ、余生を楽しむ、今年はとりあえずそんな楽しみを求めて見ようと思っています。これまでは「成せばなる」と思い込んであれこれを手に入れてきましたが、これからは「成らぬものはならない」もまた生き方だと思っています。人知れず咲き匂いを発する梅の花に、人生の大切さを気づかされたようでした。

「庭の隅 今年も梅の 花が咲く おそらく去年も 咲いただろうに」
「この土地に 家を構えて 50年 私は何を したのだろうか?」
「半世紀 あっという間に 過ぎ去って 自分の未来 日に日に減って」
「なせば成る そう思いつつ 生きて来た ならないことも 意味あるようだ」

 

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人間牧場

〇愛媛県公連専門員会
 昨日は私が委員長をしている愛媛県公民館連合会の専門委員会が、県生涯学習センターの1階会議室で開かれました。2年前県公連会長から「県公連が今後10年間で取り組むべき施策について」諮問を受けていました。新型コロナウイルス禍の影響で審議中断を余儀なくされましたが、2年間の審議を終え答申案がまとまったので、答申をしました。

 答申では、①社会が大転換する中で、当面する公民館を巡る4つの重要課題、②「Tha Kominkan Sustainble Development Goaks」公民館を発展させるための16の指標(公民館版SDGs)、③県公連が今後10年間で取り組むべき施策の3つについて提案しました。県公連会長のあいさつの後委員長の私から答申を会長に手渡しました。

 その後委員長の私の方から答申の内容について、30分余り説明し協議を行いました。国連が提唱するSDGsは17の目標を掲げ、目標達成年を2025年としていますが、答申案を作り答申した委員会の責任もあるので、絵にかいた餅に終わらせることなく、とりあえず郡市公連を中心にその実効性を高める努力をしようと思っています。何はともあれ第一歩を踏み出しました。

「何事も 受けて立つより 攻め姿勢 諮問・答申 次は実践」
「今流の SDGsに あやかって 公民館版 アイディアそれなり」
「年齢を 重ねているが まだ余力 恩を貰った 恩返しする」
「この2年 ない知恵絞り 考えた 想い形に したいと覚悟」

 

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〇水の美味しい季節です
 私はアメリカ、メキシコ、香港、韓国など、ごく限られた国ですが何度か外国へ行っていますが、その度に水道水を自然に飲むことができる日本の有難さを感じてきました。最近前立腺肥大の手術を受け、医師や看護婦さんから手術後は膀胱洗浄の意味からも、毎日当分の間ペットボトル2本(500m㎖×2=1000m㎖)を飲むよう指示を受けました。夏場の汗をかく時期ならいざ知らず、のどの渇きを覚えないのに水を飲むのは中々骨が折れると思いながら、病室ラウンジの自動兎販売機でミネラルウォーターを買い、とりあえず入院している1週間は飲む習慣をつけました。

 退院して帰宅し自宅療養中も妻が買い置きしてくれたミネラルウォーターを飲み、時折出る手術による膀胱外壁削り痕と血尿を洗い流していましたが、そのうち快方に向かっているのか、心配していたそれらも出なくなりました。加えてミネラルウォーターを売るお店や自動販売機が自宅の近くにないため、空いたペットボトルに水道水を入れて飲み始めていますが、その後水道水でも何の問題もないようなので、折に触れ飲んでいます。看護婦さんの話によると食事の時に食べたり飲んだりした水分は体内で処理されて尿になるのには4~5時間かかるそうなので、そのことを計算し、寝る前は極力飲む量を押さえています。

 私はコーヒーもお酒も飲まないし、水分もそれほど取る方ではありませんが、術後の経過もよく排尿も順調のようで、とりあえずホッとしています。大寒の今頃の水道水は歯に染みるほど冷たく、常温で飲んでいますがとても美味しく感じられます。水は人間の健康にとってとても大事なものだと認識しながら毎日飲んでいます。それにしても昨日買った500m㎖のペットボトルの水は160円でした。ℓ換算すると320円です。今ガソリンが高いと言われていますが、ℓ160円です。私たちはいつの間にかガソリンの倍のお金を出して水やお茶を買って飲んでいることになります。考えさせられる時代です。

「入院中 手術後傷口 洗うため 一日2本 ペットボトル水」
「退院後 言われた通り 水飲んで お陰で排尿 順調推移」
「田舎ゆえ 自宅の近く 自販機や お店も遠く 水道水代用」
「大寒の 水が美味しく 感じられ この国住める 幸せ感じる」

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人間牧場

〇景観に配慮したまちづくり(ふたみシーサイド公園)
 私は60歳で定年退職するまで双海町役場に35年間勤めました。1ヵ所概ね3年の行政異動セオリーから考えれば、いずれの職場も異常なほど長く、異動経験は特別職の教育長(2年)を除けば僅か3回で公民館13年、産業課4年、企画調整室8年、地域振興課8年で、その殆どは地域づくりや住民活動でした。中でも産業課と企画調整室、地域振興課では様々なプロジェクト事業を立ち上げ、景観に配慮したまちづくりを行いました。

上空からパラグライダーで撮影したシーサイド公園の全景

 中でも国道378号の整備で交通量の多くなった社会変化に対応するため、「通過する町から立ち止まる町へ」をキャッチフレーズに75億円の巨費を投じ、3つの公園整備プロジェクト事業を立ち上げ、その企画と完成に意を注ぎました。その一つが海を埋めてて造ったふたみシーサイド公園です。この事業には「もし人が来なかったら?、赤字になったらどうする?」など懐疑的な意見も多く、議会の度に賛成反対の意見が入り乱れて賑やかでした。

 

 それでも意志を強く持ったお陰で、450mの人工砂浜を持ったシーサイド公園は完成し、平成7年3月16日にオープンしました。大方の予想を裏切り、多い年には年間55万人の集客があり、運営のために作った第三セクター「有限会社シーサイドふたみ」も順調に黒字経営を続けたのです。以来27年目の昨年リニューアル工事を行い現在に至っていますが、屋上に立って眼下に目をやると、恋人岬を中心に西と東に広がる瀬戸内海の自然景観を生かした眺望は、地球が丸いことを実感させるようで、自慢の一つとなっています。

「若い頃 35年間 役場にて まちづくりなど 色々画策」
「シーサイド 懐疑意見が 相次いで その度腐心 心砕いて」
「阪神や 淡路震災 同じ年 オープンしたが 何とかなった」
「過去のこと 故に多くは 語るまい 27年 あっという間に」

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人間牧場

〇津波情報
 南太平洋の島トンガで、海底火山が爆発した情報が錯綜し、まだ正確な情報は伝わっていませんが、史上まれにみる大爆発噴火のようで、気象衛星ひまわりの映像がその一瞬をとらえていました。日本までは距離が遠いため爆発による津波の心配はなく、10㎝程度だと気象庁は発表していましたが、夜になって予想をはるかに上回る1mを越える津波が、予想より早く日本の各地に押し寄せ、気象庁は深夜急遽太平洋沿岸に津波警報を出し、注意を呼びかけました。

トンガ海底火山爆発と押し寄せた津波

 深夜のこともあって津波に慣れていない地域では、高台に避難する車の渋滞が起き、東日本大震災の再来になるかも知れないと気を揉みかたずを飲みましたが、幸い大きな被害もなくホッとしています。気象科学は過去のデーターの上に成り立っていて、今回の空振と呼ぶ気圧の変化が予想を超える結果を生んでいるとすれば、今後の予報も空振の研究がさらに進み、私たちの暮らしの安心安全への備えが一段と進むものと思われますが、はてさて自然災害はまた新たな自然災害への難問を私たち人間に投げかけたようです。

 昨年日本の南の海底火山が爆発して出来たと思われる軽石が、沖縄などの海岸に大量に漂着し、その軽石は黒潮海流に乗って伊豆半島や関東の海岸にまで流れ着き大騒動となりました。私たちの暮らしが双海町・伊予市・愛媛県・瀬戸内海・太平洋と海でつながって成り立っていることを実感した出来事でした。私ひとりくらいと思う安易な気持ちで暮らしてきた私たちの考えを、根底から考え直さなければならない軽石騒動を思う時、自然界には存在しないはずの人間の文明の作ったプラスチックゴミが、海岸を埋め尽くす姿をどうすればいいのか、たかが一人されど一人の問題と改めて反省しています。シーサイド公園で毎朝5時から3時間掃除に明け暮れた12年間の思い出が蘇りました。その渦中だった27年前の1月17日、掃除をしていて阪神淡路大震災の惨状を目の当たりにしました。

「トンガ国 海底火山 爆発し 気圧の変化 津波押し寄せ」
「空振と 始めて聞いた 減少で 早くて高い 津波日本に」

「高知では 漁船が沈み 奄美では 高台目指す 車渋滞」
「昨年は 大量軽石 漂着し 潮の流れの あるを実感」

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