〇小さな読売新聞の記事
私は長年地域づくりに関わっていることもあって、その時々に新聞や雑誌、テレビやラジオに、表現はよくありませんが嫌というほど登場しています。その度に色々な記者やディレクターが取材に訪れ、極めつけは「日本の課長」というタイトルの本に、日本一小さなたった一人だけの課の課長として、直木賞作家重松清さんまで取材にやって来ました。
16年前現職を退職して第一線から退いてからも、あれこれとマスコミに取り上げられ、先日はラジオ向きの顔よろしく、NHKラジオにも出演しました。今年は愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸が、アメリカの原子力潜水艦と衝突した事故から20年ということもあって、読売新聞社の記者がわが家へ取材に見えられました。私が初代愛媛丸に乗って珊瑚海まで遠洋航海に出かけたのはもうかれこれ60年も前のことですが、事故で沈没した船は4代目のえひめ丸で、現在は5代目の実習船です。
取材目的は卒業生として事故のことをどう思うかという簡単な質問でした。普通取材をすれば載る載らないは別として、掲載した新聞くらいは送ってくれてもいいのにと思いながら、そのことすらすっかり忘れていた一昨日、若嫁が勤める実家の喫茶店に足繁く通てくれているお客さんが、「お父さんが新聞に載っていた」と、わざわざ新聞を届けてくれたと言って、持ち帰ってくれました。
たった5~6行の見落としそうな記事には「初代えひめ丸(正式には初代の船は漢字で愛媛丸)に乗り組んだ若松進一さん(76歳)=写真=は「語り継ぐ難しさはあっても、歴史の一つとして、後輩に伝えていきたい」。~後略~と書かれていました。取るに足らない小さな記事ですが、私の人生にとっては特別意味のある出来事として、記憶と記録にとどめています。特に20年前の2月10日は250人が列席してくれて、私の自著本「昇る夕日でまちづくり」の出版記念パーティーの日だったので、忘れることはできません。
「新聞や 雑誌に時々 載るけれど 今回記事は えひめ丸関連」
「卒業生 故に心が 痛みます 毎年事故日 思い出される」
「20年 あっという間に 過ぎ去った 今さらながら 時の流れは」
「忘れない 出版記念 パーティー日 員が重なり 思い出多く」