人間牧場

〇オンライン会議派生の地域教育スピンオフ企画

 12月5日の第13回地域教育実践交流集会において、参加者の多くから「参加できなかった分散会の素晴らしい発表を聞く機会が欲しい」という声が聞かれました。今年度はオンライン会議であったため、他の分散会の方との交流機会が確保できなかったことや、毎年配布する大会冊子もなかったことで、幅広い地域教育の実践に触れたかった方々にとって課題の残る大会でした。

 そこで事務局では、12月26日から1月9日・1月16日・1月23日・1月30日と、5回にわたって毎週土曜日の午後8時30分から10時ころまでスピンオフの企画を立て、早速実行しています。参加者は20人ほどのこの指とまれ方の研修会です。第一回目は都合がつかず参加できなかったものの、昨日は私もオンライン討論会に参加しましたが、これが中々面白く次も参加したいと思っています。

 新型コロナウィルスの感染拡大で、大都市圏には緊急宣言が発出し、生業さえも自宅や逗留先とネットで結び、リモートで働く時代となりました。私たちのような田舎に住む時代遅れな人間にはまだ縁遠いことだと思っていますが、こうしてズーム会議などに不安ながらも参加し、全国の仲間と瞬時につながって会話ができる便利さは、想像を超える嬉しさです。

 昨日は12月5日に事例発表をしてもらった、北海道立生涯学習推進センターの尾山さん(社会教育主事講習ーZoomを活用した講習運営の工夫)と、平野小・中学校地域学校協働活動本部の福本さん(中学生のシトラスリボンプロジェクトへの賛同ー可能性の広がり実感)の二人をゲストスピーカーに招き発表を聞いた後、2班に分かれて実り多い話し合いが持たれました。来週は1月16日(土)20:30からの予定です。

「オンライン 会議の派生 スピンオフ 慣れないながら 私も参加」

「世の中は オンラインにて 仕事する 時代になった コロナ後押し」

「田舎者 時代遅れの レッテルを 貼ってはいるが Zoomくらいは」

「中身より パソコン使い こなせるよう なるまで大変 教えてもらい」

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人間牧場

〇コロナ禍ゆえに出来そうな身辺整理

 新型コロナの影響で、最近予定していた講演会や研修会などがことごとく中止となり、加えてじわじわと感染数が拡大する昨今のコロナ事情で、不用不急の外出を控える世情の流れで、在宅時間が増えてきました。追い打ちをかけるように今年の年末年始は雪や大風を伴った時化が続き、戸外での農作業なども出来ないことからついつい書斎に引きこもり、今まで忙しいことを理由に出来なかった身辺の整理をしています。

 私の書斎や倉庫には、長年貯めたというより溜ってしまった書類や雑誌、新聞のスクラップがやたらと多く、この際少しずつ片付けたり捨てたりしようと思いつき始めました。時間はたっぷりはないもののそれなりにあるので、分類をしようと思いながら、とりあえず残すべきものを、パソコン内にプリンターで取り込み始めました。まだ緒に就いたばかりですが、①自分の書いた文章、②自分を紹介した雑誌や新聞記事、③残しておきたい写真などに分け、パワーポイント風にし始めました。

 そんなこんなをし始めると、ひと昔前の物が出るわ出るわで、ついつい懐かしくなって読み返しながら当時を懐かしみ、中々前へ進みませんがとりあえず暇を見つけて、少しずつ歩を進めたいと思っています。そんな中DIA〔ディア〕という一冊の雑誌が出てきました。もう10年余りも前に発行された雑誌なので、写真に写っている私の何と若いこと・・・。後期高齢者になっている私にも希望に燃えていたこんな若い頃があったのです。こんな風ですから手仕事は一向に前へ進まないようです。

「コロナ禍で 公演中止や 外出も 出来なくなって 時間たっぷり」

「10年に 一度の寒波 やって来て 外にも出られず 仕事も出来ず」

「この際だ 身辺整理を しようかと 思いついたが 中々進まず」

「とりあえず 書いた原稿 写真など データー化し 整理整頓」

 

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〇レモン電池

 孫たちの冬休みもいよいよ終わりのようです。新型コロナの影響で冬休みには学習の遅れを取り戻すべく、かなりの量の宿題が出ていたようですが、2人の孫は正月を楽しく過ごそうと、頑張って年内に宿題を済ませたようで、中一の兄希心は部活のサッカーに出かけましたが、実験の好きな小五の弟奏心は、レモン電池を作るのだと、私にレモンを欲しいとせがみました。

小五の孫奏心が作ったレモン電池

 年末にじゃこ天の店先で買ったレモンがあったので渡すと、早速ダイニングに籠って何やらやっていました。夕方レモン電池が完成して豆電球が点いたから見て欲しいと、私の書斎にやって来たのでダイニングに入ると、早速レモン電池の構造蘊蓄を話してくれました。化学など余り知らずどうして電気が点くのかも分からぬまま、その探求心や頑張りを褒めてやりました。

 中一の孫も小五の孫も成長するにしたがって、私との距離がだんだん離れて行くような気がしています。それだけ能力と自立の速度が上がっているのだと理解はできますが、これまで育爺を自認して、孫とあれこれやることに喜びを感じていただけに、少し寂しい気もしますがこれが現実だと諦めています。外孫二人も下は中学受験を昨年終わったものの、上は今年大学受験です。

 進化する上向きな孫と、退化する一方の後期高齢者の私の間のズレは益々大きくなり、そのスピードは留まるところを知りません。救いは今年3歳になる女の子の孫娘です。その孫娘も幼稚語から少女言葉に変身しつつありますが、まだ当分の間私たち夫婦の癒やしの源泉となってくれることでしょう。そのうちこの孫にも溝を感じるのかも、それが人生かも・・・・。

「冬休み 間もなく終わる 孫たちも それぞれ日々を 楽しみ過ごす」

「レモンない いきなり孫が 欲しがって 理科の実験 レモンで電池」

「あら不思議 レモン電池で 豆電球 点いて平然 少し自慢し」

「進化する 孫に比べて 退化する 私の間 溝深くなる」

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◯3ヶ月に一度の定期検診

 新型コロナの感染拡大で病院での診察をためらう気持ちも少しありますが、そんなことを行っても始まらないので、今日は3ヶ月に一度の定期検診のため、県立中央病院へ来ています。病院のロビーで自動受付を済ませ、いつものように検尿検査と採血検査を受け、外待合で呼び出しを待っています。

 病院では自動で検温しましたが、体温は36.1度でした。手指消毒を済ませましたが、みんなマスクをしているのでどこの誰だかも分からず、隣の人と話をすることもなく、待合室は静かです。振り返れば去年の今頃はコロナの兆候も見られず、こんなことになろうとは予想だにもしませんでした。

 昨晩食事を終えて居間でくつろぎながら、妻と二人で色々なことを話しました。昨日郵便物を出しに行った際知人と出会い、最近大腸がんで手術を受けて療養中だという話を聞きました。コロナ禍ゆえ、診察や手術も思うに任せず、結果的に病状が悪化し今も後遺症に悩まされているとのことでしたが、後期高齢者のこの歳になると、やはり健康に暮らせることが一番の願いです。

 出した年賀状に、昨年の私の10大ニュースを書きましたが、その記事を読んで反応した友人から、私が昨年発症した帯状疱疹について電話がかかってきました。お互い帯状疱疹の痛さに夜も眠れなかったと、思い出しながら大笑いの電話会話でしたが、お互い健康が何よりと確認をしました

「コロナ禍で 定期検診 ためらうが マスク検温 手指消毒で」

「待合は みんなマスクし 私語もなく ひっそりとして 順番を待つ」

「一年前 誰がコロナを 予測した 今や世界の 一大事件」

「来年はワクチン効いて 沈静化 してと願うが どうなることか」

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〇今年は私たち夫婦の金婚

 私たち夫婦は昭和46年(1971年)5月5日子どもの日に結婚しました。私が愛媛県青年団連合会の会長をしていて、国立大洲市年の家の誘致運動に熱を入れて活動していたため、たった5分間の見合いや結納が終わって結婚式までの半年で僅か5回しか出会わなかったことなど、今では信じられないようなあっという間の結婚でしたが、結婚式はわが家の座敷で、結婚披露宴は近くの下灘農協の2階大ホールに250人もの人が集まり、漁師をしていた親父の獲った鯛づくめの手作り料理で、それは盛大な結婚式でした。

若かった妻もこんなに歳をとりました
間もなく金婚を迎えるそれなりの夫婦

 以来4人の子宝に恵まれましたが、PTA活動を除けば子育ての殆どは妻に負け切りで、30歳で2ヶ月半も家を空けて青年の船の班長としてアメリカ・メキシコ・ハワイへ旅立ったり、1ヶ月間余り香川大学での社会教育主事講習に出かけたり、社会教育やまちづくりという仕事が殆どだった故、子育てや家のことは殆ど妻に任せきりでした。その上21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティア団体を立ち上げ自らが代表となり、その活動拠点をわが家に置いたため、諸々の活動のため多くの人が宿泊や宴会で逗留し、今に至ってそれらは続いているのですから驚きです。

 32歳で金もないのに念願の家を建て、私設公民館煙会所や海の資料館海舟館、人間牧場などを次々造り、内外の人と深く広く交流し、それらを濃密に下支えしてくれたのも妻です。家庭の経済、家族の健康、先に逝った父・祖母・母の介護、子どもたちの世話と自立に向けた支援、近所や親せきづきあい、勤務仕事などなど、寝る間を惜しんで一人何役も50年間働き続けている妻には、お礼の言葉もないほど世話をかけています。私がこうして元気にいられるのは、この家が今日あるのは妻のお陰です。

 たった5分の見合いから始まった私たち夫婦の50年間のドラマはあっという間でした。これから夫婦が穏やかな老後を楽しむためにも、今年はせいぜい妻に感謝し妻を少しだけ労わってやりたいものだと、殊勝にも考えた新しい年初めでした。

「5分だけ 見合いしたこと 縁でした 今年は金婚 キンコンカンと」

「50年 あっという間の ことだった 色々あったが それなり夫婦」

「言葉では 恥ずかしいから 言わねども 心の中じゃ 感謝感激」

「50年 まるでドラマを 見てるよう これから先も ドラマは続く」

 

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人間牧場

〇年末の紅白歌合戦

 年末から年始にかけては、行くこともすることも余りなく年末は恒例のNHK紅歌合戦、新春は高校サッカーやや高校ラグビー、全国実業団駅伝、箱根駅伝などを、コタツでみかんを食べたり届いた年賀状を見たりしながら過ごしました。

 年末の紅白歌合戦は新型コロナの影響で無観客だったため、いつもの年とはまた趣きが違い、高度な光と音の映像技術ショーにはただただ感心するばかりでしたが、肝心の歌は出場者も私の知らない若い人たちが殆どなので、自分の時代遅れをまざまざと感じました。

 今年は作曲家古関さんの自叙伝ともいえる朝ドラ「エール」の放送が話題を集めたため、そのシーンが再現されると、「栄冠は君に輝く」や「長崎の鐘」などを、いっそに口ずさんだりして楽しみました。聞くところリサーチによると歌合戦の視聴率は40%近くだったそうで、今さらながらその人気度を再認識しました。

 近頃は新型コロナの影響で、ドラマや番組を制作することができず再放送が多く、笑いを誘うような意味のないバラエティ番組が多過ぎ、新鮮味に欠けますが、早くコロナが解決しいい番組を見たいものです。

「紅白は 時代を映す 鏡ゆえ 興味そそらず 時代遅れか」

「視聴率 無観客にも 関わらず 40%と 聞いて驚く」

「朝ドラの エールで馴染みの 顔々が 思わず歌を 一緒に歌う」

「最近は コロナ理由に 再放送 バラエティーなど 面白くもなし」 

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人間牧場

〇新年早々家庭菜園へジャガイモの植え付け

 昨日元旦に届いた年賀状を見ていたら、宇和島の游子に住む友人が水が浦の段々畑で早掘りのジャガイモを、作っている写真を紹介していました。猫の額ほどの細い畑が幾重にも天に向かって耕されている、水が浦の段々畑は登録文化遺産となっていますが、この段々畑で採れるジャガイモも、3つの太陽(太陽の直射、太陽の宇和海からの反射、太陽熱を吸収した石垣保温)の恵みを受けて、4月上旬には早掘りされ市中に出回るのです。

準備万端
立てた畝に二列植え
黒いマルチを被せ銀色の鹿威し用テープを張りました

 昨年宇和島を真似て1月に種芋を植え付けてみようと思い立ち、実験的にやって少し早掘りが出来たので、今年も友人から届いた年賀状に触発されて、昨秋北海道鵡川町に住む親友菅原さんが食用に送ってくれたジャガイモを、種芋にすべく大切に倉庫に保管していたのを取り出し、正月だというのに、正月だからこそと一念発起して年内に中耕をしていた畑に畝を立て、定規で測って種芋を置き、順次植えて行きました。

 掘った穴の中へ一握りずつ肥料を施して、種を埋めた上にもみ殻と豚糞を置き、その上に防寒用の黒いマルチをかけ、風で吹き飛ばされないよう両端に平グワでしっかり土を被せました。隣近所の畑の持ち主のおじさんが亡くな、隣接する畑も荒れるにませているため、イノシシがわがもの顔で出没するので、折角植えたジャガイモを荒らされるといけないので支柱を打ち込み、先日大洲市田処の亀本さんから貰った幅の広い銀色テープを鹿威しのつもりで張ってみました。

「宇和島の 友人届いた 年賀状 段々畑の 早掘りジャガイモ」

「双海町 瀬戸内気候で 暖かい 宇和海ほどでは ないが真似する」

「種芋は 北海道の 鵡川町 友人貰いし 品種男爵」

「イノシシに 荒らされないよう 鹿威し やっては見たが 半信半疑」

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〇今年も届いた年賀状

 昨年年末、私はいつも通り400枚の年賀状を出しました。人様のように達筆な字を持ち合わせていないので、裏書きの「私の10大ニュース」は長年交友のある印刷屋さんにお願いして印刷してもらい、表書きはEPSONのプリンターでプリントアウトしたものです。

正月元旦に届いた年賀状

 今年も年末に何通か「届け先が不明」という帯譜が付けられ戻ってきましたが、殆どは寒風吹きすさぶ正月元旦に、郵便局員さんによって全国各地の知人友人の元へ届けられたようで、仕事とは言いながらそのご努力に頭を下げるほど感謝しています。

 さてわが家には昼頃約500枚の年賀状が届きました。早速中1の孫希心が私の分と、息子家族の分を選り分けて私の分を手渡してくれました。昨日は居間のコタツに入ってテレビで実業団駅伝大会の実況中継を見ながら、丹念に読みました。

 中には高齢や体の不調を理由に「年賀状は来年から失礼します」と書かれたのもあり、「やがては私も・・・」と年齢を重ねつつあるわが身に置き換え、少し寂しい気持ちになりました。昨日パソコンの私のfacebookにはE・Gメール便で沢山の沢山の新年祝意のメッセー入っていて、少し時間をかけて返信をしました。

 昨日は電話番号の記入された年賀状の何枚かを選び出し、スマホで声の年賀状を届けました。かつて私が教育長をしていた頃、下灘小学校の校長をしていた玉井千恵さんは退職後笑いのヨガに心酔し、今では大活躍をされていますが、昨年NHKラジオ「四国ラジオまどんな」という番組を偶然カーラジオで聞いていたため、また同じNHKラジオ番組に私も出演したので、通話するなりかなり盛り上がった大爆笑の会話となりました。

 デジタル万能になりつつある現代ですが、アナログな年賀状もまた味のあるツールです。私はこれからも許せる範囲年賀状を、年取る故に出し続けたいと思っています。昨日は色々な人からの風の便りや声が聞けてい一日でした。

「今年も 400枚の 年賀状 知人友人 宛に送った」

「正月に 郵便局員 今年も 休むことなく 届けてくれた」

「何枚か 選んで電話 声年賀 相手驚き 話が弾む」

「歳・体調 理由に今年で 打ち止めすると 寂しい年賀」

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人間牧場

〇初詣一番乗り

 普通の年だと紅白歌合戦を見終わり除夜の鐘が鳴り始めると、家族そろって三島神社へ初詣に行きます。今年は新型コロナの影響で人混みが予想される初詣は自粛すべきでしょうが、毎年田舎の氏神様は初詣する人も殆どないので、妻と息子に誘われるまま出かけることにしました。

新月に照らされた楼門
狛犬ならぬ狛亀のある社殿
拝殿にて

 孫たち2人は友だちとの約束で、本覚寺の除夜の鐘を突いた後氏神様の天一稲荷神社に初詣するようで、地域事務所前で車を降ろし、3人で亀の森三島神社の長い階段を登りました。扇垂木の美しい中段の楼門は薄明るくライトアップされていて、旧暦17日のまん丸いお月さんが楼門を照らしとても印象的でした。

 社殿前に10分前に到着しましたが、今年も私たちが一番乗りでした。去年は外孫尚樹の中学受験合格祈願でしたが、今年は大学受験に挑む外孫朋樹の合格祈願が目的なので、妻はお礼参りを含め念入りにお参りしたいようでした。午前0時の時報とともに宮司さんが宮太鼓を打ち始めました。そのうち宮司さんが出て来て新年のお話をされました。

 今年は丑年です。わが家にも長男と孫奏心が丑年の年男です。牛は一匹が動き出すと他の牛もつられて動く習性があるようで、連帯の動物といわれています。コロナ禍でややもすると自分を見失いがちになりそうですが、変えてはならないことを変えないようしっかり見極めてこの難局をみんなの力で乗り切りましょうと諭されました。

 この春から市役所に勤務している、顔見知りの神官の息子さんかにお神酒を注いでいただき、新年を寿ぎました。今年もいいスタートが切れた感じがしました。帰り道待ち合わせた孫たちを地域事務所の前の駐車場で乗せ、帰宅しました。

「初詣 自粛すべきか 迷ったが 蜜ないゆえに 親子三人」

「神官の 叩く太鼓の 音響く 賽銭入れて 柏手を打つ」

「今年は 大学受験の 孫思い 合格祈願 妻は念入り」

「今年は 息子と孫が 年男 丑年よろしく しっかり生きて」

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