人間牧場

〇東屋収納場のの整理整頓

 海の資料館「海舟館」に入りきらない増え過ぎた民俗資料をどこへ収納するか?、悩ましい解決策として東屋の東側に親父が存命中、小さな収納場所を造っていますが、忙しさにかまけて整理整頓もままならず、何とかしたいと思っていた矢先、友人が大きな水瓶を不要になっていらないからと、一昨日何の前触れもなくわが家へ持って来てくれました。「骨董的価値もないようなので不要なら割るか捨てる」というので、後先も考えず貰い受けました。

友人から貰った大きな水瓶
倉庫の隅に保存されていた50年前の結婚式に使った酒樽

板壁も修理しそれらしくなりました

 焼き物ゆえ雨ざらし日ざらしでも別に劣化することはありませんが、さてどうするか考えた挙句、これを機会に東屋の収納場所を少し片づけ、展示風にしたいと思い、この2日間大掃除をしながら私一人で重い道具類を片付けたり、移動すたりしました。私が50年前に250人もの来客を招いて結婚した折、酒樽割りをした時使った大きな木樽も倉庫の隅で見つかり、懐かしさ一入でしたが、余韻に浸る暇もなく部屋と民俗資料の掃除に力を入れました。

 夕方4時過ぎ収納室の板壁修理を含めた粗方の作業を一旦終え、冊子窓の内外を雑巾で拭きましたが、思ったよりも大変だったものの思ったよりも早く片付きました。あとは収納品の手入れを暇を見つけて行い、展示風に工夫を凝らしたいと思っています。海舟館の第1,第2展示場、煙会所に続き東屋はさしずめ第4展示場と言ったところです。少し余裕ができたので全ての展示品の目録を造っておきたいと思いますがいつのことやらです。

「あれやこれ 人から見れば 不燃物 ゴミのようだが 私にゃお宝」

「いただいた 水瓶などを 重いのに 歩かせ移動 意外と楽しい」

「さあこれで 物語また 一つ増え ワクワクします ガラクタ整理」

「こんな物 人から見れば 変わり者 いいじゃあないの 幸せならば」

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人間牧場

地域教育スピンオフ企画

 12月5日に230人が参加してオンラインで開かれた第13回地域教育実践交流会は、自分でパソコンを操作しなくても、本部となった八幡浜のコダテルに居座り、中尾さんや平岡さんにおんぶに抱っこでそれなりの役目を終えましたが、自分自身はパソコン操作にまだまだ自信がないので、この際人に頼らず自宅のパソコンを使って慣れてみようと、恐る恐るスピンオフ企画に参加して、20人程の人の輪の端くれにお荷物になりながら加わえてもらっています。

 12月26日(土)は外せない所用があって都合がつかなかったものの、の1月9日(土)と1月16日(土)の両日は、何とかオンラインでつながることができ、新型コロナの影響でまた違った地域教育手法を学び、少しずつですがそれなりに前に向かって進みつつあるようなので、残された1月23日(土)と1月30日(土)は島根県益田の大畑さんや愛南の猪野さんが発表されるので、何はさておいても参加したいと思っています。

 1月16日のスピンオフ企画には八幡浜あすもあの木下さん(地域のカタリ場、タマリ場、アソビ場そしてイコイの場に)松山サイボウズの久保さん(組織の枠組みを超えたプロジェクト松山テイクアウト部宅タク便)の発表を聞きました。どちらも楽しいお話でした。新型コロナの感染が広まる中、人を集めることや人が集まることが困難となりました。社会教育の現場ではむしろコロナをやらないことの理由にして、何もしない風潮があるようですが、やれないのとやらないのとは違います。コロナ下でもできる社会教育に果敢に挑戦したいものです。

「オンライン パソコン苦手な 私には 中々理解 出来ずに苦労」

「自宅にて パソコン使い zoom会議 汗をかきつつ 馴れを狙って」

「最近は コロナ理由に あれやこれ 中止が多く 前へ進まず」

「コロナ禍も 知恵さえ出せば 面白い ポジティブやろう 悔いのないよう」

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人間牧場

〇水仙の咲く頃

 双海町は東西ほぼ一直線に海岸線が16キロ、伊予灘に向かって胸を広げるように伸びています。そうした北向きの風土が育てるように、ツワブキと水仙それに薮椿が至る所に自生しています。ツワブキは秋に黄色い花を咲かせ、水仙と薮椿は冬花を咲かせます。春や夏の花と違い秋から冬にかけては花の少ない季節なので、人為的に植えた菜の花とともに双海町のもう一つの顔として、今では知られるようになってきました。

愛媛新聞で紹介された下浜金山さんの水仙畑

 水仙や菜の花は桜とともに元々はまちづくり事業の一環として、花咲くまちづくりを目指し行政が主導し始めたものですが、今は金山さんの水仙や閏住地区の菜の花として定着し、すっかり有名となり、新聞やテレビなどマスコミも冬の話題の少ないこの時期なので、地域の風物として紹介されていて、一昨日も愛媛新聞の7面総合欄に取り上げられたため、土日は結構多くの人が下灘界隈をそぞろ歩いていたようで、私の知人友人も何人か水仙見学に訪れたついでにわが家へも立ち寄って、マスクを着けた控え目な交流となりました。

 私が「港の見える丘」と呼んでいる下灘下浜駄馬は、2年前から伐採や伐根をして、クヌギ林にしようと里山運動に取り組み始めていますが、伐採伐根した場所の地面に日が当たるようになったため、これまで気がつきませんでしたが水仙が沢山はびこり、今年は結構花が咲いて楽しめるほどになっています。怪我の功名でしょうが、クヌギの木を植えると木が大きくなるまで何年かは下刈りをしなければなりませんが、嬉しいことに当分の間はささやかながら自前で水仙を楽しむことができるようです。ちなみに双海の海岸線に咲く水仙は金冠のある日本水仙が中心で、少し奥に入ると金冠のない八重咲き水仙が自生しているようです。

「今年も 地元新聞 載りました 土日は沢山 花見客あり」

「水仙を 見に来たついで わが家にも 立ち寄りマスク 静かに交流」

「放任園 伐採伐根 したお陰 水仙増えて 自前の花見」

「この季節 花の少ない 季節ゆえ 馥郁として 心安らぐ」

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人間牧場

〇人間牧場で初仕事

今年はこれまで、正月を挟み年末から新春にかけて荒れた天気が続き、人間牧場での農作業ができませんでしたが、昨日は久しぶりに温かい天気だったので、子ども体験塾を終えて帰宅後息子と二人で人間牧場へ出かけました。人間牧場入り口付近の道は吹き荒れた大風で沢山の落ち葉が積もっていたので、とりあえず息子は熊手、私はスコップで、土や落ち葉を取り除き大掃除をしました。

いただいたポンカンと甘平

 その後水平線の家の壁面に作っている書棚から、息子が読みたい二宮金次郎や中桐万里子さん関連の本を5~6冊選び出し自宅へ持ち帰りましたが、息子もやっと親子そろって同じような本を読みたい心境になっているようです。帰宅途中西嶋さん宅の前で選果中の奥さんに呼び止められ、ポンカンと甘平をキャリー一杯いただきました。

クヌギの苗木を植える予定の豊田漁港の見える丘

 その後豊田漁港の見える駄馬の畑に立寄り、来月里山運動でクヌギの苗木を植える予定の場所を見回り、打ち合わせを行いました。とりあえず100本を目標に植える計画なので、来週からその準備を始めようと思っています。棒縄定規や竹の杭、地堀鍬、畑に植えている苗の堀上など、しっかり用意をしたいと思っています。一昨日農機具店へチェンソーを持ち込み、目立てもしてもらい準備は着々進んでいます。

「正月を 挟んで年末 年始荒れ 作業ができず やっと緒に就く」

「大量に 落ちて積もった 土・葉っぱ 息子と二人 掃除おさおさ」

「甘平と ポンカン貰い 持ち帰る 今年は低温 農家心配」

「春間近か いよいよ今年も 始まった あれこれ思い 巡らせ準備」

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人間牧場

〇新聞の切り抜き

 私は長年地域づくりに関わっていることもあって、主に自分や自分の町が載っている新聞や雑誌を切り抜いてスクラップしています。若い頃は自分も自分の町もそれほど新聞や雑誌に載らなかったので、切り抜いた記事は丁寧にスクラップ帳に保存していましたが、その後まちづくりが盛んになると毎週のように記事が載り、日々の仕事に追いまくられ整理することもなく無造作に段ボール箱に入れて倉庫の隅に追いやられているのです。

愛媛新聞1面トップ
朝日新聞天声人語

 去年の今頃から始まったコロナ禍で講演活動やイベントがことごとく中止になったり、不用不急の外出自粛でできた自由時間を何とか効果的に生かそうと、様々な新しいことにチャレンジしていますが、その一つとして雑然と段ボールに入れられている切り抜きや写真の整理を思いつきました。まだ始めたばかりで成果は上がっていませんが、後期高齢者になったこともあって、終活や断捨離をしなければならない年齢でもあるので、これ幸いと悦に入っています。

 私は凡人ゆえ地方紙と言えど新聞の1面トップ記事に載るような悪いことも良いこともしていませんが、実はたった一回、愛媛新聞の1面トップ記事に載ったことがあり、昨日その切り抜きが見つかりビックリしました。私たちが初めて沖合に浮かぶ由利島で無人島キャンプをした時の記事でした。愛媛新聞も余程1面に取り上げる特別な記事がなかったのか、私たちのやったことが1面トップ記事に値する価値があったのかは分かりませんが私としては後者の方で、愛媛新聞も粋な計らいをしてくれたものだと敬意を表しています。

 私は凡人ゆえ、中央紙の新聞の一面に名前を刻むような悪いことも良いこともしていませんが、実はたった一回、朝日新聞の「天声人語」というコラムに僅か2~3行ですが書かれたことがあります。「天声人語」はマイクロフィルムで永久保存されるほど価値あるコラムだと聞き及んでいます。当時中央紙の朝日新聞や毎日・読売などを見る機会は殆どなかったのに、東京の偉い人がその記事を目ざとく見つけ、切り抜きを送ってくれました。

その偉い人の名前はかの有名な永六輔さんでした。その後夕日の絵葉書を収集していた永六輔さんとひょんなことから知り合いとなり、私が塾長をしていたフロンティア塾40回目の最終講師に招くことができたのですから世の中は何が縁になるか分からないものです。私は夕日に憧れ別名夕日夕焼け課長と呼ばれていましたが、何故か夕日ならぬ朝日新聞とのご縁が深く、今も松山支局に赴任していた何人かの記者さんと交友を続けているのです。

「新聞の 1面トップ 記事に載る 懐かしきかな 新聞切り抜き」

「新聞の 1面コラム 記事に載る 天声人語 懐かしきかな」

「凡人と 自認している この私 1面記事に 何と2回も」

「自分史に 遺し置きたい この珍事 終活見つけ 思わず笑う」

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人間牧場

〇外反母趾

 私は毎日1万歩を目標にウォーキングをしていますが、最近左足の先に少し痛みを伴った違和感を感じるようになりました。妻は「毎日1万歩は歩き過ぎだから足が痛むのでは?」とそっけなくいいますが、私の左足先は親指が内側に向かって反る、いわゆる外反母趾なのです。血は争えないと言いますが、私の祖母も母も外反母趾がひどく、母は一度手術をしたことを覚えていて、その姿を思い出す度に、いい所は似ず悪い所は似るものだと遺伝の法則をしみじみ思うのす。

外反母趾で変形した左足先

 左足の親指の外側は右足に比べるとかなり飛び出していてそこにがに当たると痛いため、かなり歪んだガニマタ歩き方をしているようで、靴底も左足の外側だけがかなりすり減ってちびています。靴を買う時は同じ26.5㎝でも少し幅の広いものを買いますが、標準でないので探すのも一苦労です。何とかせねばと思いながら忙しさにかまけてそのままになっていましたが、昨日日赤の看護師をしている次男息子に電話で相談しました。

 息子の言うには、先ず近くの整形外科で診察をしてもらい、手術が必要なら紹介状を書いてもらって、手術のできる大きな病院へ移るよう勧められました。早速昨日は出張のついでに、伊予市役所隣の木原整形外科に立寄り診察してもらいました。目視診断の後両足と左足のレントゲン写真を撮り、画像を見ながらお話をしました。外反母趾の手術は近くだと愛媛大学附属病院しかやっていないようなので、とりあえず所見とレントゲン写真を添えて紹介状を愛媛大学付属病院へ送ってもらいました。

 先生の話によると附属病院もこのところ忙しく、手術も順番待ちといったところで、いつになるか分からないようですが、とりあえずまな板の上に乗る決意をしたので、とりあえず診察の予定日の知らせが来るのを待っています。それでも今朝も1漫歩を目指して歩くことは止めず、早朝ウォーキングで8千歩ほど歩きました。早く外反母趾の治療をして、思い切り歩きたいものです。何の違和感もなく歩けることの幸せをしみじみ思う今朝この頃です。

「このところ 左足先 違和感が 外反母趾で 歩くと痛い」

「祖母・母も 外反母趾で 難儀した 遺伝の法則 わが身に及ぶ」

「整形の 専門病院 診て貰う レントゲン撮り 手術相談」

「このところ 病院忙しく 順番を 待つかも知れぬ 医師の忠告」 

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人間牧場

〇空から見た双海町界隈

 私の古い友人にパラグライダーを操る高木さんという人がいます。双海町牛の峰にパラグライダーのランディング場を造る前から牛の峰に通い続け、ランディング場を造ってからもず~と仲間を連れて来て双海町の空を愛し続けている人です。私も高木さんの操縦するタンデムパラグライダーに乗せてもらい何度か空中散歩をしましたが、飛び立つ前の不安を過ぎれば快適で、自分の人生観が変わったような感覚になりました。

 去年の年末から今年の初めにかけて、超一級の寒波が訪れ海も空も大荒れでしたが、その寒波もやっと峠を越し、双海の上空を見上げると高木さんたちが乗っていると思われるカラフルなパラグライダーが、気持ち良さそうに飛んでいました。Facebookを開き高木さんのページにアクセスすると、高木さんが双海の上空から撮した写真がアップされていて、いながらにして空中散歩を楽しんでいるようです。

パラグライダーの紐がまるで双海町を吊り上げてるよう

 高木さんの許しを得てふたみシーサイド公園の上空からの写真を使わせてもらいましたが、いつ見てもシーサイド公園界隈の風景はいいものです。只今シーサイド公園はリニュアール工事の真っ最中で休園を余儀なくされていますが、どんな姿になるのか楽しみです。ご無沙汰している恋人岬界隈の夕日夕景もそろそろ楽しもうと思っています。

「今年の 冬の寒さも 和らいで パラグライダー 双海空飛ぶ」

「飛びたいと 少し怖いが 同居する それでもいつか 再度チャレンジ」

「昨日今日 facebookに 友人が 写真をアップ みんなに紹介」

「シーサイド 公園上空 上天気 私もいいとこ 住んでるでしょう」 

 

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人間牧場

〇水産高校の一人だけの先輩

 私には沢山の先輩がいます。しかし自分の年齢が増えるにつれて、少し寂しい気もしますが先輩たちの数が徐々に減り続けています。昨年末には先輩のご家族から「長年お付き合いいただきましたが、主人(親)(祖父)は〇月〇日他界しました」と喪中のハガキをいただき、用意していた年賀状の宛名から断腸の思いで削除した人も何人かいました。

玉井さんから送られてきた4コマ漫画

 私は親父が病気になって大学への進学を諦めたので最終学歴は高卒ですが、その高校が宇和島水産高校漁業科だったため殆どの先輩や同級生が船乗りなので、その後の出会いや交流も殆どなく、今となっては少し寂しい感じがしています。その中で唯一今も交流を続けている人に、松山に住む玉井恭介さんがいます。

 玉井さんは変わった経歴の持ち主で、マグロの養殖で有名な近大に進み料理人や県庁勤めなどを経て、広告代理店の部長をされました。多芸に秀でていて歌や陶芸にと芸域も広いいわゆるマルチ人間です。20年前にある研修会で出会ってから交友が始まり、私の自費出版した「昇る夕日でまちづくり」や「今やれる青春」という、本の企画や出版では言葉では表せないほどお世話になりました。

 2001年2月10日、玉井さんも私も乗船した宇和島水産高校の実習船初代愛媛丸が、アメリカの原子力潜水艦とハワイ沖で衝突沈没し、9人の尊い命が奪われました。その日が「昇る夕日でまちづくり」の出版記念パーティの日だった偶然の巡り合わせもさることながら、鎮魂歌「希望海」の作詞や高校とハワイに記念碑を建てた企画も玉井さんのエネルギッシュな知恵でした。

 玉井さんからは今でも時々電話が掛かってきたり、時には見事なタッチで絵や書を書いて送ってくれますが、それらの幾つかは書斎やダイニングに飾って毎日のように眺めています。昨日封書で「すべての人を納得させる難しさ」と「世の中がこうなればいいのに」という4コマ漫画2枚が送られてきました。コロナ禍で色々な意見が渦巻いているゆえ、一目瞭然言い得て妙なる2つの漫画に納得しました。私の水産高校漁業科のたった一人だけの交遊深い先輩ですが、いい先輩を持って幸せです。

「自著本を 出版した時 愛媛丸 偶然重なり 沈没悲し」

「鎮魂歌 記念碑などなど 今思う この人なくば 偉業残らず」

「20年 あっという間に 過ぎ去った 人の記憶は 風化の一途」

「世の人を 納得させるは 難しい こうなりゃいいのに 4コマ漫画」 

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人間牧場

〇ああ今年の成人式

 昨日は新しく20歳になった人を祝うはずの成人の日でした。ところが昨年の2月頃から世界中に広がった新型コロナの影響で、毎年行ってきた成人式が濃密になって新型コロナ感染の恐れが懸念されるため、県内の全ての市町で成人式が残念ながら中止となって、成人の日の意味合いも少し薄れてしまいました。

成人の日を告げる日巡りカレンダー

 私はこれまで自分の成人式、NHK青年の主張がきっかけで双海町の成人式に記念講演、青年団団長として祝辞を言うため双海町の成人式に来賓として出席、教育委員会の成人式担当者として運営に13回、全国他市町村の成人式の講演を頼まれ10回ほどと、あれやこれやの成人式に関わりました。多分成人式の会場に足を運んだ回数としては断トツトップになる程多いようです。

 成人式は、流行に敏感な19歳~20歳の若者を対象にしているため、世相を映す鏡とも言われていますが、合併前のわが双海町では振袖和服晴れ着を着れない人のために、生活改善運動の一環として洋服出席を疑うことなく長年推奨していました。一部には日本文化の象徴である和服を否定するのではと反対意見もありましたが、それはそれとして県内ではいつも話題になり、マスコミにも取り上げられましたが、市町村合併でその良き悪しきは別とした伝統もついえました。

 昨晩テレビのニュースで今年の成人式の話題が取り上げられていましたが、成人式を今流のオンラインなど色々な工夫を重ねて決行したり、人生の大きな節目である成人の日をそれぞれが家族や地域で祝ったりしていました。何年か前成人式が心無い若者の行動で荒れた時もそうでしたが、あらためて成人の日とは、成人式とは何かを考えさせられました。願わくば新型コロナが一日も早く終息し、来年は成人式ができるよう祈っています。成人式氷河となった若者たちにも温かいまなざしや言葉を送ってあげたいと思います。

「今年は 新型コロナ 影響で 成人式は 軒並み中止」

「その昔 いや最近まで 15日 成人の日 今は移動日」

「この私 指折り数え 足らぬので 足の指まで 成人式に」

「成人式 56年 前でした 懐かしきかな 青春思い出」

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〇この冬一番の寒さ

 この2~3日、全国に散らばっているfacebookの仲間から、雪の便りが相次いでいます。北海道や日本海側の地域なら雪の話題にも納得しますが、雪とは余り縁のない西の国と思われる四国でも、「雪が積もった」「雪道でスリップした」「氷が張った」「水道管が凍って破裂した」などなど、その驚きと狼狽ぶりが報告され、あらためて寒さに弱い西国の暮らしぶりを垣間見ました。

玉ネギ畑に積もった雪
孫たちの作った雪団子
孫蘇秦は雪泥団子でした
分厚い氷の張った用水槽
投石して造った氷のアート

 わが家でも水道管こそ破損しませんでしたが、後期高齢期を迎え寒さに弱くなったことを実感するようになりました。コロナの影響で不用不急の外出を控えるようにとの、お上からのお達しもあって、寒さに震えながら連休を自宅に籠って過ごしています。しかしそんな中でも孫たちは「子どもは風の子」とばかりに戸外へ出て、吹き溜まりに溜まった雪をかき集めて雪団子を作ったり、バケツに張った氷を冷めたさで真っ赤になった手で持って、キャーキャー言いながら遊んでいました。

 昨日家の直ぐ近くの用水水槽にかなり分厚い氷が張っているのを見つけ、孫2人と私の3人で見に行きました。氷の張った水面に、朝の雪が積もって、綺麗なアートのようでした。安全柵をしているので中へ入れないので、孫たちは小石を拾って氷面に投げつけていましたが、厚い氷はびくともせず小石を滑らせていました。少し大きめの石を投げると氷の表面にまるで目が入ったようになりました。

 用水水槽内に石を投げるのはいけいないことなので止めましたが、今朝ウォーキングの途中その様子を見ましたが、幾分寒さは緩んだとはいえ相変わらず氷は張ったままでした。北国では千台もの車が立ち往生して自衛隊が災害出動する騒ぎになったり、雪に埋もれて亡くなったりする犠牲者も後を絶たないようです。もう少しの辛抱です。何年ぶりかの厳しい寒波も、そのうち和らぐことでしょう。大相撲春場所も昨日から始まりました。残念ながら新型コロナの影響で成人式も県内では全て中止となって、ある意味寂しい成人の日となりました。

「2~3日 超一級の 寒波にて 身・心震え こたつで丸く」

「寒いのに 孫は風の子 雪・氷 集めてはしゃぐ 暦小寒」

「用水槽 石を投げたが 分厚くて 表面滑り 割れることなく」

「太い石 投げて氷に 目を入れる アートの世界 声援あげて」

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