人間牧場

〇冬場のコロナに負けない体力づくり

 新型コロナの影響で、感染を恐れて戸外や病院にも行けず、運動不足とコミュニケーション不足になって、むしろコロナよりそのことの方が心配だと警鐘が鳴らされています。この話を聞いて自分の日々を振り返りながら、高齢者の域に達している私も他人事ではないと大いに反省しました。

 この一年、私の身の回りにも異変が起こり、県外から来ていた講演依頼予約はことごとくキャンセルになりました。加えてイベントや集会も中止が相次ぎ、最近になって復活の兆しはあるものの、不用不急の外出を避ける世情もあって、生活のバイオリズムが一変しています。

 それでも1・10・100・1000・10000~運動だけはしっかりと肝に銘じ日々積み重ねて実践している私自身の努力と、栄養管理をしてくれている妻のお陰で、体調に変化は見られずすこぶる元気に暮らしています。そんなこともあって少し体に負荷をかけようと、軽四トラックに大2個小5個のプラスチック植木鉢を積み、裏山へ腐葉土を取りに出かけました。

 腐葉土の溜った場所の枝木や小石を熊手で取り除き、平スコップで植木鉢に入れて荷台に乗せる作業は一人ゆえかなり難儀をしましたが、1時間ほどの作業で何とか腐葉土をゲットし自宅に持ち帰りましたが、一輪車で運ぶのも重たくて一苦労でした。間もなく土が落ち着いたらドングリから育てたクヌギの苗木をプラスチックの植木鉢に移植する予定で、カブト虫を飼育している息子の展示会用デスプレイとして利用する予定です。お陰様でい汗をかきました。

「コロナ禍で 体力落ちる 高齢者 コミュニケーション 不足も心配」

「他人事じゃ ないよね私 高齢者 気力体力 落ちないように」

「意気込んで やっては見るが 足腰堪え 痛み感じる」

 

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人間牧場

〇冬(すいせん)と春(菜の花)が同居の花二題

 歳を重ねると冬の厳しい寒さは苦手で、春が待ち遠しい今日この頃ですが、双海町を代表する春の花は何といっても閏住の菜の花です。国道378号とJR予讃線の間の斜面に咲く黄色い菜の花は見応えがあり、写真写りがいいことから沢山の人が花見にやって来ます。昨日人間牧場へ梅の苗木を植えに出かけた帰りに、妹のお店くじらに立寄ったついでに見ましたが、5~6分先といったところで寒い北風が吹いているにもかかわらず、何台もの車が止まって、菜の花を見ていました。

見ごろを迎え始めた閏住の菜の花

 今年の冬は寒い日と新型コロナの感染が続き、双海町の冬の花である水仙も今一訪れる人が少ないようですが、寒い分水仙の花持ちがよく、普通の年だとそろそろ終わるのですが、今年は今が満開で、豊田漁港の見えるわが家の畑周辺にも沢山の水仙の花が咲いて、馥郁とした香りを漂わせています。見る人もなくひっそりと咲きひっそりと散ってしまう野生の水仙は、晩秋のツワブキの花とともに味わい深く、毎年1人で花見を楽しんでいます。

今を盛りと咲く芳しい水仙

 今年は新型コロナの影響で、大々的な水仙まつりも菜の花祭りもすることができませんが、中止して初めて気づいたこともいっぱいあって、来年こそはまたみんなで町を盛り上げて行きたいと思っています。昨日は何本かの水仙を切ってわが家へ持ち帰り、玄関に活けてもらいました。いい匂いがしています。

「春間近か 閏住菜の花 色づきて 時折通る 気動車ローカル」

「歳とると 寒さは苦手 春よ来い 黄色い菜の花 元気を貰う」

「水仙は 今が満開 野生花 見る人もなく ひっそり咲いて」

「何本か 水仙切って 持ち帰る 玄関行けて 厳寒楽しむ」

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人間牧場

〇水仙まつりについての学習会

 2~3日前由並小学校のM先生から電話が入り、「小学3年生の授業で双海町の水仙まつりについて調べているので、かまわなければ学校に来て、調べている児童3人の前で話して欲しい」と頼まれ一も二もなく引き受け、約束通り午前9時に学校へ出かけました。車で5分前に到着しましたが児童3人とM先生が玄関先まで出迎えに出ていて、案内でストーブのついた談話室へ入りました。

由並小学校の児童と水仙まつりについて話し合いました

 Sちゃん、Tちゃん、Nちゃんの3人はいずれも私が実行委員長を務めている子ども体験塾のメンバーなので、日ごろから町内で出会うと手を挙げ笑顔で声を掛け合っていて、早速質問攻めにあいました。双海には水仙や菜の花、ツワブキ、ツツジ、アジサイ、桜などが四季を通じて咲くこと、中でも水仙は一年中で一番寒い時期に咲くこと、花を見に当該の人にも来て欲しいと20年前に水仙まつりを、道の駅シーサイド公園で開き沢山の人が訪れ今も続いていること、水仙まつりは花の会の人などみんなで相談して、花を売ったり色々な工夫を凝らした楽しいイベントになるよう努力していることなどについて話してあげました。

 3人のみんなが生まれる前、何もない海を埋めてシーサイド公園を造る夢の計画を立て、阪神淡路大震災が起きた25年前公園が出来たこと、双海の顔となった道の駅シーサイド公園もの時の流れの中で老朽化したのでリニュアール工事をしているため水仙まつりが中止となったこと、来年はみんなの力で水仙まつりを再開したいことなども付け加えましたが、子どもたちの心にどう響いたことでしょう。

 子どもたちと出会うといつも元気を貰います。双海町もご多分に漏れず少子高齢化が進み、加えて新型コロナの影響で人と人の出会いの場も少なくなっている昨今ですが、今年も寒風の中町内のあちこちには水仙が今を盛りと咲いて、馥郁とした香りを漂わせています。子どもに学び自然の素晴らしさを感じた一日でした。

「小学校 馴染みの先生 電話入る 水仙まつり 話聞きたい」

「一も二も なくいいですと 引き受けて ノコノコ学校 出かけて話す」

「迎え出た 児童3人 顔馴染み 和気あいあいで 質問応え」

「コロナ禍で 沈んだ空気 気になるが 子どもは元気 力を貰う」

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人間牧場

〇畑へ還元した木灰

 「♭かきねのかきねのまがりかど たきびだたきびだおちばたき あたろうかあたろうよ きたかぜぴいぷうふいている。さざんかさざんかさいたみち♯~」。この童謡唱歌を唄うと何とも長閑な田舎の風景を思い出します。私たちが子どもの頃はこのたき火に焼き芋が加わり、少し下品な話ながらおならも加わって冬の風物詩でした。

たき火で出た木灰は一輪車に積んで畑に還元しました
ドラム缶を半分に切った畑の隅の簡易な焼却場

 しかし最近は火事の原因となったり、煙が環境に良くない理由からたき火は基本的にできないようになりました。それでも田舎ではゴミではない果樹園で出る剪定枝葉を処分に困り、人に迷惑の掛からない範囲で許可を得て焼却処分しているようです。わが家の家庭菜園の隅にもドラム缶を半分に切った簡易な焼却器具を置いていて、時々剪定枝木を無風の時に注意しながら処分しています。

 昨日は一年間にたまった木灰を一輪車に積んで果樹園に植えている甘夏柑の根元や畑に肥料として施しました。いわゆる自然のリサイクルで、牛糞豚糞とともに有機栽培の大事な役割を担ってくれています。一番困るのはこうした有機物にミミズが発生し、そのミミズを食べにモグラがやって来て、地中戦を繰り広げて農作物に被害を与えるのです。まあこれもたき火から始まった自然に優しい営みだと思うので目をつぶって我慢をしています。焚火の恋しいこの頃です。

「懐かしい たき火思い出 歌のみぞ 芋焼きおなら 語る人なし」

「畑隅 ドラム半分 置いている 剪定枝木 時々燃やす」

「木灰や 牛糞豚糞 有機質 ミミズ発生 モグラ出没」

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人間牧場

〇お年玉付き年賀状3等賞

 毎年のことなので余り期待はしていませんが、それでも人間は不思議なもので、「もしや一等が当たっているかも?」何て淡い期待を抱くものです。私はこれまで買ったことがないので分かりませんが、前後賞合わせて10億円のジャンボ宝くじを毎年のように買って、「もしや?」の夢をず~と見続けている妻の心境はもっともっと高いに違いありません。

 内孫希心の手助けを得て、約500枚の届いたお年玉付き年賀状を丹念に調べましたが、下4桁まで合っているような番号に出会うと、気持ちが一瞬高まりましたが、残念ながら今年も下二桁の番号で当たる3等賞の年賀状が13枚見つかりました。「副賞の切手シートはお金では買えない非売品だから貴重だ」と慰めの言葉を言っていますが、まま新年早々ちょっとした夢でした。

 昨日は早速当たった年賀状を持って近くの郵便局へ出かけ、窓口で景品の切手シートを13枚いただきました。郵便局員さんが「沢山当たっておめでとうございます」と言葉をかけてくれましたが、昨年と同じように切手収集ブックに入れて書棚の中にしまいました。3等のお年玉切手シートながら当選番号の年賀状をいただいた13人の方々に、近況をしたためハガキを出しました。もちろんいただいた切手シートの切手は勿体ないので使いませんでした。

「3等の 当選番号 見つけると 欲張り心 闘争火をつけ」

「3等の 切手シート 13枚 それでも局員 おめでとう言う」

「今年の 切手シートは 面白い 大入り書いた シール埋め込み」

「今年も 若しやの期待 またはずれ バカボンのよう これでいいのだ」

 

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人間牧場

〇庭の梅の花が咲き始めました

 年末年始は厳しい寒波に見舞われ、加えて新型コロナの影響で街中は自粛ムードが漂い、寒々とした空気が流れていますが、季節は確実に春に向かって進んでいるようです。昨日人間牧場の梅林に梅の苗木の補植に出かけましたが、掘り返した土の中では雑草の根が早くも動き出していました。

庭に咲き始めた梅の花

 毎日何がなく過ごしていて気がつきませんでしたが、この2~3日の上向いた気温で、庭の隅に植えている梅の花がかなり咲き始めていました。時折綺麗なメジロが2~3羽花蜜を吸いにやって来て、花札に描かれた梅に鶯ならぬ梅にメジロの愛くるしい姿を見せていました。

 開花した梅の花に鼻を近づけると、何とも言えない芳しい香りが漂酔って来ました。昨日通りかかかった閏住の菜の花畑も、黄色い菜の花が咲き始めていて、気の早い花見客が菜の花を愛でていました。また下浜の水仙畑も見学者が多く訪れているようです。双海の海岸線もいよいよ春本番です。

「気がつけば 庭の梅の木 花が咲き メジロチョロチョロ 蜜を啄む」

「土の下 早くも雑草 根を伸ばし 春は間近と 知らせるように」

「水仙や 菜の花咲いて 海岸線 新型コロナ 邪魔だドケドケ」

 

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人間牧場

〇週めくり二宮金次郎語録(その5)

 財能く人を富し また能く人を貧す
 何ぞや也
 分度に大小 あり
 小と大のとに処しめ
 経理の術を知る者
 貧窮の憂い有るなし
             (二宮先生語録巻二より)
 勤勉なものは財を得て富むが、財のために貧乏になることもある。お金は使い方次第なのである。分度の大小に応じて使うことができる者は貧窮する憂いはない。

 私が執筆し発刊した「今やれる青春」という本に、「米百俵ならぬ百万円の小切手(P91~)」という小見出しの記事を、2ページにわたって書いています。仔細は読めばわかりますが、恩人藤原茂さんの紹介で関印刷の関会長さんから私が代表を務める21世紀えひえニューフロンティアグループに100万円の小切手をいただきました。その折関会長さんが「百万円を儲けることは大変ですが、百万円を使うことはもっと大変です」と言われ、さすが実業家の言うことは違うと、幕末越後長岡藩の小林寅三郎になぞらえ、米百俵の蓄えにして「今やれる青春」という本を出版し、いささかなりの恩返しをすることができました。

 40万円の給料を35万円使うと5万円残ります。50万円のお金を55万円使うと5万円足らなくなります。これを1年間続けると前者は+5万円×12ヶ月=+60万円の蓄財が生まれます。後者は-5万円×12ヶ月=-60万の赤字となります。これは誰にでも分かることですが、給料40万円という分度とに「給料が安い」と文句ばかりを言って、この計算ができないで浪費し経済破綻する人は後を絶ちません。「親難儀 子げど 孫ほいと」や「家が三代続くのは難しい」という言葉の意味が、「財能く人を富し また能く人を貧す」の言葉に秘められています。拳々服膺お金の大切さを身近な家庭で、教えたいものです。

「金がある だから幸せ 限らない 使い方です 拳々服膺」

「給料が 安いからとて 気にするな 貯めれば増えて 使えば無くなる」

「儲けるは 大変だけれど 使うのは もっと大変 重い言葉だ」

「経済は 単純明快 +か- 分度わきまえ しっかり生きる」

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人間牧場

〇半人前なのに一人前のような顔をして・・・

 昨日は午後から、地域教育実践中予ブロック集会のリハーサル、夜は第4回目となる地域教育スピンオフと、かなり長い時間自宅の書斎にこもり、オンライン会議に参加しました。昨年の12月に行われたオンラインによる交流集会の準備と、その後のスピンオフに、ネットワークえひめの代表をしている責任上、時間を割いて参加していますが、パソコンに一種のアレルギーを示している私としては、正直なところ最初から少し重荷のような感じがしていました。

中予ブロック集会リハーサル

 しかし「悩むより慣れろ」とはよく言ったもので、2回~3回と回を重ねるごとに少しずつアレルギー反応も消え始め、今だに半人前にも満たないのにまるで一人前のような顔をして、メンバーの輪の中に入ってお茶を濁しているのです。最初はZoomのノウハウが飲み込めず息子や中尾さん、平岡さんにおんぶに抱っこでしたが、とりあえずパソコン機能にトラブルさえ起きなければ、1月30日の5回スピンオフ、2月14日の中予ブロック集会を何とかクリアできそうです。

大畑さんの発表

 昨日のスピンオフは、島根県益田市の級友大畑さんがオンライン発表者でした。20年前派遣社会教育主事だった大畑さんと、講演に出かけた折島根県松江で出会い、その後幾度も出会いを重ね現在に至っていますが、今では日本でも指折りの指導者に成長していて、昨日の発表もお見事でした。スピンオフの前後でミュートを外し、旧交を温める懐かしい私的なお話をさせてもらいましたが、一番最初大畑さんに出会った時私が大畑さんに、「あなたの夢は何ですか?」と尋ねたそうです。大畑さんは「47都道府県全てを回りたい」と答えたそうですが、私はその後も全国行脚を続け、講演で47都道府県全てをいち早く回りました。遠い20年も前の昔のよき出逢いであり思い出です。

「半人前 なのに今では 一人前? そんな顔して オンライン会議」

「悩むより 特効薬は 慣れること 心の氷 少しずつ解け」

「パソコンに トラブルなくば あと2回 何とか役目 果たされそうだ」

「20年 前に出会った 教員が こんなに大きく 成長嬉しい」

 

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人間牧場

〇42年前に書いた原稿(その2)

 今年の年末、私は例年のように400枚の年賀状を出しました。私の年賀状はその年に起こった自分自身の出来事の中から、特徴あることを10項目選んで10大ニュース風に、小さな文字で書いています。虫メガネがないと読めないほどですが、町内に住むかつて私が公民館主事として青年団を指導した当時の団長Sさんさんから、新年早々電話がかかってきました。Sさんが私の年賀状で見つけたのは「6月12日 6月に向こう脛を梁4針縫う怪我をし、11月には帯状疱疹を発症しました。後期高齢者となり病院代は1割で助かりましたが、健康が一番を実感しました」という記事でした。聞けば彼も2年前少し重度の帯状疱疹を発症し、苦しい目に遭ったとのことでしたが、Sさんはかつての青年団活動に明け暮れていたことを懐かしみ、かなり長い時間の楽しい通話となりました。

48年前社会教育えひめに書いた記事

 私は42年前の昭和53年8月20日付け県教委社会教育課発行の「社会教育えひめ」という雑誌に、「私の提言・千金の重み千五百三十二円 ー公民館事業は心をつかめー」とう記事を投稿していますが、その中に「◎ある若者との出会い」という中身出しでSさんのことを書いています。「それは、エレキバンドの華やかなりし頃だった。『性差のない社会』を象徴するように、その若者も髪をたらし、赤いシャツを着て、強烈なライトの光を浴びながら、ある田舎のスナックでエレキを弾いていた。公民館主事二年生の私が、なんでそのスナックに立寄ったかは、七~~八年も前のことなのではっきり覚えてないが、その若者との出会いはここから始まるのである。その青年は私との出会いを、青年団の機関紙「双海の若人」に、『追憶』と題しこう書いている。」~後略~

 余談ですが文中の「◎ある出来ごと」では昭和の咸臨丸と銘打った青年の船で建国200年のアメリカへ行く時、公民館で出会ったおばあちゃんが「海の向こうのアメリカは水が悪いだろうから梅干しを」と届けてくれたこと、子ども会指導をしていた子どもたちが「貯金箱を割って持ち寄った小銭1532円を、選別にと公民館まで持って来てくれたこと」の感動の場面が書いてあり、「◎私の思うこと」でまとめられています。いやはや懐かしい思い出です。編集後記には★白石知事は、教育の基本について、教育とは、子どもたちが持っているさまざまな知的な能力や肉体的な能力を引き出し、伸ばし、はぐくみ教え、世の中を生き抜くたくましい力を教え学ばせることだと強調された」と書かれています。私にとっては懐かしい雑誌のスクラップ記事でした。

「年賀状 帯状疱疹 文章見て Sさん電話 楽しいお喋り」

「そう言えば Sさんのこと 書いた記事 あったあったと 見つけてスキャナー」

「公民館 主事をしていた 若い頃 出会い重ねた 故に今ある」

「私には 金や財産 ないけれど 心の引き出し いっぱい詰まって」

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人間牧場

〇日曜大工で棚を手作りしました

 私たちのダイニング板壁に吊るしてあった時計が故障して、新しい時計を買ったのを機に見やすい前面に架け替えました。習慣とは不思議なもので20年を超えてダイニングで時計を見る癖がついていて、何気なく「今何時?」と元時計をかけていた方向を見てしまうのです。そんなこともあってダイニングの食器棚の横がポカンと開いてしまったので、何とかして欲しいと妻に頼まれました。

書棚の隅の空間を利用した小さな手作り棚

 不器用自認の私ゆえ、さてどうするか考えた挙句、倉庫の2階に使わなくなり分解してしまっていた組み立て式の棚を思い出し、早速採寸したり棚板を電動鋸で切断したりして準備を始めました。他の高さは妻の使いやすいように聞き取りして6段にしました。夕方全ての材料が揃ったので早速組み立てにかかり、1時間ほどで立派な棚が完成しました。電動ドライバーや金槌を使って作業をしたため、学校から帰った中学一年生の孫希心も興味津々覗きに来ました。

 明くる日は雨の天気予報だったので、何としても片付けたいと頑張ったお陰で午後5時30分に片付き、テレビで見たい大相撲も見ることができました。「おじいちゃん器用だね」と妻と孫に褒められ面目躍如といったところですが、思った通りの棚ができてやれやれです。早速妻は食事の後色々なものを移動させていたようです。この歳になると見栄えより便利が一番です。

「空間に 棚が欲しいと わが妻に 頼まれ端材 使って手作り」

「設計図 なども書かずに 棚作る 不器用私 それなり出来栄え」

「見栄えより 便利重視と 妻私 二人で納得 これから先も」

「ちょっとした 工夫ひとつで 日々暮らし 豊かさ実感 味わいながら」 

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