人間牧場

◯全国地域リーダー養成塾中国・四国ブロック情報交換会in伊予市

 地域活性化センター主催の標記研修会が3月10日と11日の二日間、まちの縁側ミュゼ灘屋で開かれました。私は地域教育実践交流集会へ出席しなければならなかったため参加できませんでしたが、二日目の今日はエクスカーションの目的地が双海町だったため、ブロック幹事の松本さんから頼まれ、午前中人間牧場での研修を引き受けました。

研修風景

 随分春めいたといっても前日の朝は遅霜が降りるなど寒さが予想されたため、朝少し早めに朝食を済ませ、午前7時30分に自宅を出て人間牧場へ向かいました。研修会場となる水平線の家の室内に設置している薪ストーブに火を入れるためです。早速ストーブに火を入れると部屋はたちまち暖かくなりました。

今日はいい天気に恵まれました

 今年の冬は人間牧場界隈も雪が積もったり、色々なものが大風で吹き飛んだりしましたが、人間牧場への進入路にも沢山の枯れ葉が落ちて見苦しいので、みんなが来る前に熊手で掃き清めました。お陰で大汗をかいてしまいました。間もなく一行15人がやって来て、早速松本さんの進行で研修会が始まり、「不燃人から可燃人へ!」というタイトルで1時間ばかりレクチャーしたり意見交換したりしました。

 人間牧場を造ってから13年がアッという間に過ぎました。今では人間牧場もこんな僻地ながら年間約千人もの人が来るようになりましたが、最初の目論見通り沢山の人が学びにやって来ています。これからももっともっと想いを高めて、いささかなりとも社会の役に立ちたいと思っています。

 「縮み行く 日本の田舎 このままじゃ 消えてなくなる 心が痛む」

 「わが牧場 年間千人 やって来る 何を求める 風の中ゆく」

 「ストーブに 火を入れ人を 暖かく 迎える準備 私の仕事」

 「大震災 あれから7年 経ちました 奇しくもその日 地域を語る」

熱弁を語る私
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人間牧場

〇人間牧場の河津桜が満開です

 4年前人間牧場へ河津桜の苗を植えました。親指ほどの大きさ、自分の背丈ほど高さの小さな苗木でしたが、植えて間もなくイノシシに荒らされて桜の苗木は無残にも引き抜かれてしまいました。幸い荒らされた日に雨が降り、そのあくる日に私が見つけて植え直したため、何とか活着して昨年初めて花をつけました。その後成長を続け今ではかなり大きくなって、今年は雪に埋もれた日もある寒い冬を越して、数日前から蕾がほころび始めていました。

満開の河津桜

 昨日の夕方裏庭に置いているシイタケの原木に生えたシイタケを見て、急な思い付きで人間牧場へホダ場の様子見に出かけました。このところの三寒四温や降雨に助けられて、ホダ木には沢山のシイタケが生えていました。シイタケを収穫した後上に上がって河津桜の木を見ると、薄ピンク色の花が満開でした。かなり強い風が爆ついて吹き花を揺らしていましたが、夕日に映えた桜の花は風情があり、一人で花見をしました。

人間牧場の梅林も梅の花が満開に咲いていました。この季節は日中でも肌寒く、自宅から遠いことや年度末の何かと慌ただしいスケージュールもあって、毎年のことながら梅の花を楽しむ余裕など残念ながらなく過ごしています。余命を考えると移り行く季節をもっともっと楽しまなければなりません。明日の日曜日には午前中全国の人が人間牧場へやって来て、松本さんの紹介で小さいながら研修会が持たれます。午後にでも妻を連れて花見でもしようかと思っていますが、どうなることやらです。

「4年前 植えた桜が 花つける 早咲きゆえに 今が満開」

「牧場は これから花が 楽しめる 梅に続いて桜にスモモ」

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人間牧場

〇会議のダブルヘッター

 昨日は忙しい一日でした。朝8時過ぎから公民館の隅田主事さんと自宅で子ども教室実行委員会の打ち合わせを行い、その後人間牧場へお客さんを案内した後、急いで国立大洲青少年交流の家へ向かい、午後の運営委員会の事前打ち合わせを行いました。午後1時30分からの会議は運営委員長として議長席に座り、約2時間皆さんの意見を取りまとめましたが、青少年交流の家は大洲へ青年の家を誘致する頃、愛媛県青年団連合会の会長をしていたこともあって、もう45年間もお付き合いが続いているのですから驚きです。加えて今年度から私が塾長を務めている年輪塾の処士眞鍋幸一さんが、青少年の家の所長になったので、益々関係が深くなって抜き差しならなくなってしまいました。

国立大洲青少年の家運営委員会
子ども教室実行委員会

 会議終了後急いで帰宅し、間近に迫った講演の打ち合わせのためにやって来たお客さんと自宅煙会所で談笑し、午後7時から私が実行委員長を務めている、双海町子ども教室の実行委員会に出席し、短い時間ではありましたが今年度の反省と来年度の計画について意見の集約をしました。ふと気が付くと昼食も夕食も忘れていて、帰宅後妻に笑われながら手料理を食べて昨日の忙しさを振り返りましたが、今日は再び大洲へ向かいJA女性部の講演が予定されているので、少しだけ準備をして忙しかった一日を終えました。

 「お父さん、もう若くはないのだから、余り無理をしないようにしないと、病気にでもなったらどうするの!!」と妻に叱られました。2日前に検診に出かけて検査や内診した結果が良かったことで、少し元気が出たような錯覚を覚えていますが、妻の言うように年齢を考えて活動しなければと自分に言い聞かせました。私はどうやら「マグロ人間」のようで、多分死ぬまで泳ぎ続けることでしょう。何日か前の新聞に「一生青春・一生勉強」という言葉が載っていました。これからもかく生きようと思いました。

  「この歳に なってもあれや これやあり どうやら私 前世はマグロ?」

  「午後と夜 2つの会議 とり仕切る みんなの意見 引き出しながら」

  「お父さん 妻から言われ 戯言で 私お前の 父さんじゃない」

  「あら今日は 昼飯食うを 忘れたり それでも死なず こうして元気」 

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人間牧場

〇私はコーヒーを飲みません

 コーヒーを飲まない私を見て、「あんな美味しいものを飲まないなんて」と、コーヒー好きな人からは不思議がられます。また妻からも「コーヒーを飲む人はガンにかかりにくい」などと言われコーヒーを勧められますが、「嫌いなものは嫌い」とかたくなに飲まず嫌いを貫いています。はてさて私のコーヒー嫌いはいつ頃始まったのか考えてみると、確か小学校1年生の時初めてコーヒーを口にしたその時、とても苦かったことから「こんなもの飲めるか」と相なった次第です。

 そんな私の長男に、こともあろうかコーヒー店を営むお店の娘さんが嫁いできました。本来ならコーヒー嫌い=若嫁嫌いになるはずですが、それとこれとは別な話で、今ではその若嫁と同じ屋根の下で暮らし、今では鬼嫁となって私と口相撲を取りなら、毎日楽しくやっているのですから世の中は面白いものです。その若嫁も2年前に亡くなったお父さんの後を受けて、コーヒー店でお母さんとともにコーヒー豆を自家焙煎しに毎日松山まで通っているのです。

 私はコーヒーを飲まないため、友だちのように行きつけの喫茶店はありません。それでも時々妻と一緒に嫁の働く喫茶店へ立ち寄りますが、普通の常連さんは「ブラック」と言ってコーヒーを注文しますが、コーヒーを飲まない私は「ホワイト」と言ってホットミルクを注文するのです。情けない話で、「酒もタバコも賭け事も、女もやらず百までいきたばかがいる」と、どうやらわ私のことのようです。

  「酒飲まず タバコも飲まず コーヒーも 飲まない私は 変わり者です」

  「息子嫁 何の因果から 分らぬが コーヒー出す店 看板娘」

  「ブラックと 注文せずに ホワイトと まるで漫才 大笑いする」

  「コーヒーもタバコも飲まず 長生きを 百までしても 大馬鹿者だ」

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人間牧場

〇干しワカメ作り

 春がやって来ました。間もなく雑草が伸び始めるのを前に、家庭菜園では冬の名残の片付け作業を行っていますが、この時期は年度末で何かとスケジュールが立て込んでいて、加えて三寒四温の巡りの中で3~4日に一度は雨が降るので、スケジュールと天気が合わず、ちょっと油断すると時機を逸してしまうのです。今は春の大潮の時期に採集してきたヒジキとワカメの処理が忙しく、炊いたヒジキを干したり、湯がいたワカメを干したりしていますが、天気が安定しないので気が気ではありません。

庭でのワカメ湯がき
洗濯物星を使った干しワカメづくり

 それでもヒジキは何とか今日で乾燥が片付きそうですが、ヒジキほど手間ではないワカメも、湯がいた後茎の部分から半分に割って干す作業に一苦労しています。これまでワカメを干すのは庭にビニール縄を張って干していましたが、これだとにわか雨が降った時取り込むのに苦労することから、昨年物干し用の道具を買い、専用にして使っていますが、。これが中々の優れモノで、風を受けると干したワカメがクルクル回って乾燥を助けるため、2日も干せば取り込めるほどに乾燥するのです。

 今のところ物干し用の道具は3個しかないため、4回に分けて干しましたが、今朝は最後の残りを洗濯ばさみに挟んで干しました。今朝は寒の戻りとでも言うのでしょうか、とても寒い朝で、冷たいワカメを持つ手の指はかじかんで、挟むことさえ困難な状態でしたが、我慢して何とか干すことができました。これで夕方までには粗方乾き、取り込むことができるようです。今年もこれでワカメは100%自給できる予定です。天草・ヒジキ・ワカメなどの海の恵みに加え、切り干し大根・干しシイタケ・蜂蜜などの山の恵みも加わり、わが家の自給率は、目標通り家庭菜園の野菜とともにかなり高くなりました。

  「大潮に 採ったワカメを 外で茹で 水で晒して 干しワカメする」

  「これまでは 庭にビニール 紐を張り 干していたけど 今は物干し」

  「いやあ便利 場所をとらずに 陰干しが できるアイディア 何かと便利」

  「かじかんだ 指で何とか ワカメ干す 一年分の ワカメをゲット」

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人間牧場

〇やっぱりおくてのみかんが美味しい

 このところ、柑橘生産日本一を40年以上にわたって続けている愛媛県では、沢山の柑橘品種が出回っていますが、紅マドンナや甘平、清美、宮内伊予甘など超一級の名の知れた品種を除けば、柑橘産地でも知らない名前の柑橘が殆どで、昨日も久しぶりに出会った友人から、あれやこれやの品種を説明をして一袋いただきましたが、自宅へ帰って思い出そうとしたものの、「はてさてこれは何という品種だったっけ?」と思い出せないありさまでした。

いただいたおくてみかん

 一昨日普通温州みかんを友人がわが家へ届けてくれました。いわゆる昔懐かしい「おくて」のみかんです。最近は少しでも珍しい間に早く市場に出して、少しでも高く売りたいという農家の方の思いもあって、極早生や超極早生の栽培が盛んになっていますが、年末に収穫して貯蔵庫で眠らせて、この時期に食べるおくてのみかんは、味といいこくといい、「これぞみかん」と納得するにふさわしい美味しさで、何よりも皮を剥いて食べやすいこともあり、昨日はコタツの中に足を突っ込んで、5~6個も食べてその味を堪能しました。

 ふと少年の頃のことを思い出しました。私たちが子どもの頃はみかんは貴重品でした。わが家は幸せなことに半農半漁だったため魚もみかんも事欠きませんでしたが、みかんを長期保存するほどではなかったので、3月を過ぎるこの頃のみかんは、共同選果場から出るいわゆるハネもので、傷がついたり少し傷みかけたものを包丁で切り落として食べていました。傷みかけたみかんは完熟ゆえに美味しく、ほっぺが落ちるほどでした。お百姓さんが汗水たらして作ったみかんを、粗末にせずに感謝して食べる思い出は、今も心に深く焼き付いています。

 「日本一 柑橘産地 ゆえなるか 品種多過ぎ 覚えられない」

 「この時期は いわゆるおくて 貯蔵した みかん美味しい 私大好き」

 「手や顔が 黄色くなるほど 食べていた 少年の頃 ゆえに風邪など」

 「一年中 柑橘類を 食べている これも幸せ ご当地恩恵」 

 

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人間牧場

〇たった一日のことなのに

 今朝も朝5時、まだ外は暗い中をウォーキングに出かけました。昨日の穏やかな天気が嘘のように、地面は既に天気予報通り雨で濡れ、通称やまぜと呼んでいる南西の風が強く吹いていたものの、雨は止んでいました。傘も持たず天一稲荷神社から伊予銀付近まで歩くと、伊予灘由利島沖合辺りでいな光がして、音は遠くて聞こえなかったものの、一瞬カメラのフラッシュのように辺りの様子が5~6回見えました。

 その内雨がポツリポツリと落ち始めました。やばいと思い、少し足早に小走りして日ごろのコースを断念し、家を目指しましたが時既に遅く、大粒の雨脚が強くなってまるで濡れネズミのような格好で家にたどり着きました。いやはや参った参ったでした。脱衣場に入り服を全て脱いで汗や雨で濡れた身体を、乾いたタオルで拭き着替えをしましたが、昨日と今日の天気落差を思うと、たった一日のことなのに春は三寒四温の回転が速く、油断はできないと思いました。

採集したワカメ

 昨日私は、菜の花ウォークの後、陽気に誘われて性懲りもなく一人で3日前に続き磯遊びをしに出かけました。ヒジキは十分ゲットして加工しましたが、ワカメはまだ少し不足していたからです。前回見つけていた私だけの穴場に降りて、草刈り鎌で波打ち際の磯に生えたワカメを、予想以上に沢山撮ることができました。昨日は大潮最後の日で、今日からは中潮になって引き潮の時間が遅く、引き際度合も少なくなってワカメが採集できないことを思うと、昨日は天気も良く穏やかでラッキーな思いつきでした。

 今日は天気の様子を見てワカメの湯通しをしたり、お裾分けをしなかればなりません。茶色のワカメが湯通しすると目の覚めるような緑色に変身する様子を見るのも大好きです。今日は先日facebookで見た宇和島市吉田町の鹿島さんに見習って、ワカメのしゃぶしゃぶ、つまり湯通ししていない茶色のワカメを水洗いして一口サイズに切り、卓上コンロの上に土鍋を乗せ、お湯が沸いた所へワカメを箸で入れ、居ながらにして化学変化した緑色のワカメをしゃぶしゃぶし、ゴマダレか酢醤油で食べるというマジックをやろうと思っています。

  「ウォーキング いな光した 道すがら 降り出した雨 ずぶ濡れネズミ」

  「昨日午後 穴場の浜で 磯遊び ワカメ沢山 ゲットしました」

  「さあ今日は 天気見ながら ワカメ湯で 知人友人 お裾分けする」

  「友人の facebookを 見習って ワカメしゃぶしゃぶ 面白そうだ」 

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人間牧場

〇切り干し大根の白とヒジキの黒

 わが家の一年中の食卓を飾るものに、切り干し大根と干しヒジキがあります。いずれも冬の寒い間に作るため、手がかじかんで少々難儀をしますが、自給率100%の保存食なので、腕によりをかけて私一人で作っています。切り干し大根は既に出来上がって今は天気を見計らって仕上げ干しを行っていますが、ヒジキは海の物ゆえ大潮でないと材料となるヒジキを採集することができないため、大潮が旧暦の1月15日である3月2日に目星をつけ手ぐすね引いて待っていました。

干した切り干し大根
干しヒジキ

 その前日と前々日に時ならぬ春一番の雨を伴った強風が吹きましたが、幸い3月2日は風雨も収まり、午後2時から磯に出てヒジキを鎌で採集、持ち帰ってかまどに大釜を掛けて延々3時間煮て朝まで蒸しました。あくる日は広島へ講演に出かけたため、今朝は大釜の蓋や覆っていた麻袋を除け、取り出し作業に取り掛かりました。ヒジキは焦げ付かせることもなく思った以上の仕上がりでした。それらを戸袋に入れ、親類や知人の処へお裾分けしてあげして喜ばれました。

 さて残りはサナにヒジキを万遍に広げて、脚立梯子の下にキャリーを敷いて、日当たりのよさそうな庭に並べて干しました。サナは6枚ほどになりました。今日は天気が良かったので、表見は粗乾きしましたが、三寒四温の巡りが激しくなって、明日はどうやら雨の天気予報のようです。夕方雨の遭わないよう東屋に入れて準備万端整いました。明日が湯がきだちのヒジキを煮つけにしたり、ヒジキサラダにしてドレッシングで食べようと思っています。

  「色白の 切り干し大根 その次は 黒いヒジキを 作っています」

  「自給率 高めるための 一苦労 特にヒジキは 手間暇かけて」

  「切り干しや ヒジキの味が 恋しいと 思う私は 古い人間」

  「お天気を 毎日気にし 過ごす日々 朝晩あれや これやと多忙」

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人間牧場

〇16夜のお月さんと一緒に仲良く歩きました

 3月に入ったせいかも知れませんが、どこか春の気配が漂い始めました。今朝は西の空にまん丸い16夜の煌々と輝くお月様を見ながら、白夜に照らされた道でウォーキングを楽しみました。このところ、朝は手袋をしていても手がかじかむほどの寒さだったので、家から保育園前を経て天一稲荷神社までは軽いジョギングをしていましたが、さすがに今朝は暖かくて、神社の入り口では汗ばむほどになって、ウォーキングにギアーを入れ直して歩きました。

月と一緒に歩きました

 私が家を出るのは殆ど毎日朝5時20分ですが、その時間に新聞販売店の前を通ると何かと忙しそうで、新聞配達員の人たちが新聞を持ってあちこちへ散らばって行く時間帯でもあり、自転車・単車・乗用車に気を付けて走ったり歩いたりします。こちらの姿は見えていると自分では思っていも、相手が急いでいるとただ歩いているだけの私の姿など、まるで識別できないようで、今朝は自転車と少しハッとするニアミスがありました。

 3月に入り夜明けが少しずつ早くなり、午前6時に辺りが明るくなり始めました。年末からずっと肌寒い暗闇の中を一人黙々と歩いていましたが、これでやっと人の姿や周囲の景色が見える、明るい中でのウォーキングが楽しめそうです。今年は雨が降らず天気の良い日が続き、雨でウォーキングやジョギングができない日は殆どありませんでした。最も雨が降っても長靴を履き、傘をさして一日1万歩を目指して歩くこだわりの私には関係のないことですが、それでも今朝のように晴れた朝を迎えるとどこかホッとします。

  「3月に 入るとどこか 春めいて 少しウキウキ 気分になりて」

  「このところ 真っ暗な中 ただ一人 かじかむ指に 息を吹きかけ」

  「春ですね 6時に外が 明るくて 出会う人たち 顔まで見える」

  「菜の花や 月は東に 陽は西に こんな名句を 思い出しつつ」

 

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人間牧場

〇松山五行歌会2月歌会

  一昨日松山五行歌会の見山あつこさんから2月歌会の報告書が届きました。私の今月の投稿歌は次の通りです。
 孫と約束
 マラソンで一等
 ツリーハウスのプレゼント
 まさかまさかの一等賞
 あえぎながら造る日曜大工

  いつものことながら次のような講評が添えられていました。
 ☆はしるのがおじいちゃんなら、「応援してくれな。一番になったら応援のお礼にツリーハウスを造ってやるけん」と、こんなやりとりがなされたのかも。想像するだけで楽しい話です
 が、一等賞をとったのはやはりお孫さんでしょう。おじいちゃんにとっては「まさかまさかの」で、嬉しい誤算。最後は約束を守ってしんどい仕事もやり遂げた、いいおじいちゃんです
 ね、と皆さんが感心しておりました。

建設途中のツリーハウス

  私の添え書き私信も紹介してもらいました。
  12月に2年生の孫のマラソン大会がありました。練習3等ゆえ多分1等にはなれないと思い「1等になったら庭にツリーハウスを造ってやるから頑張れ」と安易な気持ちで秘策を教えてや
 りました。孫は頑張り何と1等に。約束通り冬休みにツリーハウスを。孫の友だちも毎日やって来て、千客万来。育爺の面目を保ちましたが、これからは安易な約束はできないと、肝に
 命じました。(添付した写真まで「若松さんが手作りのツリーハウス見事です」)と文字入りで紹介していただきました。恐縮しました。

 「五行歌に 孫とのやりとり 書きました こぼれ種です 小さな幸せ」

 「投歌した 歌に丁寧 批評添え 送ってくれる 嬉しい限り」

 「一ヶ月 あっという間に やって来る 今月の歌 締め切り迫る」

 「私など 無芸大食 価値のない 人間ですと 本当言って」

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