人間牧場

〇貧乏人が欲しい「金のなる木」

 貧しくても「明るく生きる貧乏人」を自認する私ですが、驚いたことに貧乏人が狙う「一発逆転満塁ホームラン」に等しいと思われる宝くじを、これまでに一度も買ったことがないのですから驚きです。同じ貧乏人の妻は私と違って、毎年のようにせっせと宝くじを買っていますが、夫たる私の貧乏くじの影響を受けて、未だに一発逆転の大当たりは当たらず、それでも昨年は1万円が当たったと、ささやかなプレゼントに大喜びをしていました。

シーサイド公園で見つけた金のなる木

 先日通りすがりのガーデニング店に何気なく立ち寄りました。私の名前を知っている女性の店主が、愛想よく声をかけてくれました。女店主「何をお探しですか?」。私「はい、金のなる木を探しています」。女店主「えっ1!!、金のなる木ですか?、そんな苗木があったら私も欲しいですね」と大笑いしました。「まあお茶でもおひとつどうぞ」と、お洒落な机の前の椅子に座ってお茶までいただいたので何も買わない訳にはいかず、雑談の末店頭に置いてあった種物コーナーで、インゲン豆やトウモロコシの種を2~3袋買って帰りました。

 帰宅途中シーサイド公園のじゃこ天のお店に立寄りましたが、ここでもお茶をご馳走になり、「金のなる木」の話で大いに盛り上がりました。「進ちゃん、金のなる木だったら、ほらそこに一本ありますよ」と指した指先に、少し大きめの丸いプラスチック容器に植えられたサボテンがありました。何年か前にこのサボテンが別名「金のなる木」だと聞いたことがありますが、なるほどと頷きながら傍に寄ると、そのサボテンに綺麗な花が咲いていました。

 実はこれと同じサボテンがわが家の玄関先にもありますが、寒さに弱いのか殊の外寒かった今年の寒波に遭い、息も絶え絶えといったところです。知人のある家庭で、この金のなる木の枝を五円玉の穴に差し込んで、まるで金のなる木に相応しくして育てているのを見たことがあります。その家庭の内情は知る由もありませんが、まあそれなりのお金持ちのようなので、金のなる木の効果かも知れないと思いました。金のなる木の花はとても可憐で綺麗でした。

 「宝くじ 買わない私 当たらない 買ってる妻も 何故か当たらず」

 「園芸店 金のなる木は ないものか あったら先に 店主買いたい」

 「シーサイド 公園園内 ほらそこに 金のなる木が あると指指す」

 「金がない だから幸せ かも知れぬ あればあったで 心配絶えず」 

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人間牧場

〇ハウスにトマトを植えました

 「へそ天」という気象言葉があります。へそを出して寝ても風邪を引かない陽気になったことを言いますが、その言葉のように、日本一暑い高知県四万十市では日中の最高気温が26度を超え、日本の各地で3月としては観測史上最も高い温度を記録したと、テレビで報じていました。この温度はまさに異常としか言いようがなく、殊の外寒かった冬を体験しているだけに、私たちには体に変調をきたしそうで心配です。

ハウス内にトマトの苗を植えました
今年は色々な種類のトマトを植えてみました

 この陽気は家庭菜園を手掛ける者にとっても、手放しで喜ぶことはできません。もう少しの間、食べようと思っていた大根、キャベツ、ホウレンソウ、ブロッコリー、カリフラワーなど、名残の冬野菜は軒並みグングン伸びて、ついには食べられなくなり、仕方なく廃棄処分の運命を辿っています。もう一つ厄介なのは畑の隅に3年前造ったビニールハウスです。冬場は陽が当たらないため温度が足らず、スムージー用のケール栽培と、養蜂に使う日本ラン・キンリョウヘンの防寒のために使っていましたが、陽が当たるようになってくると、室内温度は30度近くまでグングン上がり、脇窓を開けないと、高温で植えているものを焼いてダメにしてしまうのです。

 一昨年から始めたビニールハウスでのトマトの促成栽培を今年も思いつき、1列7本×2列=14本のトマトの苗をホームセンターで買って帰り、3日前に植えてみました。朝晩の水やりと日中は側窓開きを忘れないようにやっていますが、露地栽培より約1ヶ月早いトマトの栽培は、1本180円もする少々お高い苗なので失敗知ることもできず、投資効果を得た昨年の経験を活かして、手間暇かけて無農薬による美味しいトマトせいぜい楽しみたいと思っています。

 「菜園の 隅に造った ハウスにて トマト栽培 見よう見真似で」

 「日中は 30度超す ハウス内 気配りせねば トマト育たず」

 「日本ラン 蜜蜂分蜂 間近にて いよいよ勝負 準備おさおさ」

 「忙しい だからやるんだ 意を強く 持って毎日 気丈に生きる」

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人間牧場

〇一円玉の天気

 天気予報用語で、「一円玉の天気」というのがあります。一円は円単位の基本で、これ以下に「銭」という単位はあっても、お金として流通していないため円は一番下の単位で、一円玉は崩しようがなく、つまり天気が崩れないという意味です。そのことわざのようにこのところ日本列島がスッポリ移動性高気圧に覆われ、毎日毎日雲一つない上天気が続いています。今年の冬は殊の外寒かっただけに、一気に日中夏日近くまで上がって暖かくなった気温に、戸惑っているのは私たち人間ばかりではなく、あれほど待ち焦がれた桜も、たった3~4日であっという間に満開を迎え、早くも散りはしないかと心配している今日この頃です。

花びらの小路

 一昨日妻が隣町長浜のかかりつけの医院へ健康診断をしに行くというので、夕方別の所用のついでに同行しました。実はこの医院は私の妻の妹の縁戚なのですが、開業してまだ10年近くしか経っていないのに、今月末をもって医院を閉じるそうです。何が原因か分かりませんが、察するに人口の年々減り続ける田舎で病院を経営することは容易なことではないようです。思えば伊予市内にも同じような運命を辿って閉じた医院もあるようで、折角医者になるため多額のお金をつぎ込んで憧れの医者になっても、内情は大変なようで、漏れ聞けば閉院したあとの先生は、緩和ケア―往診の医院に移って仕事を続けるようです。

健康診断が終わったその足で所用を済ませ、妻と二人で少し遠回って内子町の枝垂桜を見に行きました。旧内子町役場のすぐ横の川沿いに立派な幹に成長した枝垂桜がかなり植えられていて、枝垂れた枝に沢山の花を見事につけていました。既に花は満開の峠を越えて散り始めていて、道や川面に沢山の花びらが落ちて風情を醸していました。私たち夫婦はこの何年か、暇を見つけて近く遠くの桜の名所を訪ねるようにしています。まだ妻が近所の歯科医院にパートで勤めているので、土曜日の午後や日曜日、しかも近くへしか出かけられませんが、それでも二人に共有の人生の一ページに、よき思い出のアルバムを今年も加えることができました。

 「このところ 一円玉の 上天気 雲一つなく 風も穏やか」

 「毎日の ように友たち 花便り そうだ私も 馬を誘って」

 「お隣の 内子役場の すぐ横の 川沿い枝垂れ 桜見事に」

 「待ち焦がれ いたのに桜 はや散って 何ともはかない 道を歩きぬ」 

 

 

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人間牧場

〇トンネル上の斜面に咲く黄色い花

 私の家から10キロほど離れた双海町下灘池久保という地に、人間牧場を造ったのは今から13年も前のことでした。以来足繁く殆ど一人で、時には来訪者やイベント参加者たちと一緒に、時には殆ど軽四トラック時には普通車で通っています。大勢の部外者は奥西周りのルートですが、私一人の時は下浜のJR予讃線下を抜ける細い一車線トンネルのルートを通ります。途中の山道は道が狭いので離合もできず少し危険なので注意をしながら登ります。

トンネル上の斜面に咲く黄色いカタバミの花

 実はこのトンネルは、空中からは見えないため、戦時中は地元の人の防空壕になったという逸話が残っています。80歳で亡くなった母親の話だと、空襲警報が出た時生まれて間もない私は、母の背中に背負われてこの防空壕に逃げ飲んだそうですが、ゼロ歳ゆへ記憶の端にもそのことは残っていません。先日人間牧場での畑仕事を終えてこのトンネルに差し掛かると、マッチ箱のような一両編成の気動車が走りました。トンネル上の斜面を見ると、何やら黄色くなっていました。

 この場所は、地元の人が毎年水仙の花が芽を吹く前の晩秋の頃、草を刈って水仙を育てていますが、水仙の咲き終わったこの時期だと、黄色い花は菜の花かも知れないと見まがうほどでした。よく見るとこの花はカタバミの花の一種のようです。カタバミにはピンクの花もありますが、黄色い花もあるようで、それはそれとして群生すれば景観となり綺麗でした。多分この花は夜になると咲いた花を閉じる眠り花だと思いますが、とても綺麗でトンネルとJR予讃線によくマッチしていました。

 「戦時中 母の背中に 背負われて 空襲警報 逃げ惑うよう」

 「ひっそりと 咲くカタバミの 花綺麗 風情がありて トンネル似合う」

 「この花は 夜花閉じる 眠り花 人間に似て 睡眠十分」

 「マッチ箱 形容される 一両の 列車長閑に ガタンゴトンと」

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人間牧場

〇野草を食べる

 春になると野山に山菜と称する色々な食べ物が見え隠れします。ウドやワラビやゼンマイ、ツクシなど、田舎に住んでいるとその気になれば、自然の恵みをタダで採集して食べることができるのです。何年か前ワラビやゼンマイなどの山菜に含まれる苦み(灰汁)に発がん性があると報じられてから少しためらったものの、一年中食べる訳でもないのでと開き直って、特にツワブキやヤマブキは家の周りや人間牧場の敷地内に植えた訳でもないのに自然に生えていて、誰はばかることもなく採集できることから、結構食べています。

灰汁抜きをしているツワブキ

 この時期になると、綿帽子を被ったツワブキの新芽が出てきます。三日前来客を案内して人間牧場を案内した折、そこここに生えているツワブキを引き抜いて持ち帰りました。ツワブキは美味しいのですが、一番の難点は皮が剥きにくいのと、灰汁が強くて灰汁が手に着くと指先が抹茶色になることです。日に当ててツワブキがシンナリれば幾分剥き易いので、昨日は日当たりのよい隠居の縁側に座って剥きました。ボールに水を張り剥いたツワブキを次々と入れる、瞬く間に灰汁が出て、水がまっ茶色になりました。薄手の使い捨てビニール手袋を両手にはめて作業をしましたが、それでも灰汁が浸透して手を茶色に汚しました。

 水で灰汁を抜いたツワブキは茹ではえて、メバルやハギなどの魚と一緒に煮つけると、これはもう絶品の山菜料理となるのです。今夜あたり妻が作ってくれるようで楽しみにしています。ヤマブキも新葉を出し始めましたが、ヤマブキはもう少し大きくなったら引き抜いて、佃煮にして食べます。人間牧場の梅林には半日日陰の条件が好きなヤマブキが次第にその勢力を伸ばして、草刈りもできないほどはびこっています。ヤマブキはお裾分けしてあげると喜ばれるので、例年通り今年もそのつもりで手ぐすねを引いています。

 「牧場の あちこち生えた ツワブキを 採ったはいいが 皮剥ぐ難敵」

 「山菜を 食べるとガンに なるという いつしか忘れ 味を楽しむ」

 「子ども頃 ツワブキ嫌い だったのに いつの間にやら 好物なりて」

 「ツワブキは 漢字で書くと 石蕗と 何で書くのか それも知らずに」

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人間牧場

〇犬寄の雛祭り

 同じ街といっても旧中山町と旧双海町、別々の町といっても旧双海町にも犬寄、旧中山町にも犬寄という同じ地名の集落がある、旧中山町犬寄に住む高市礼子さんから、「吊るし雛祭りに来ませんか!!」と、毎年この頃になると、妻にお誘いがあるようです。これまでにも2度夫婦で見学に行ったことがありますが、ほんの2~3日前新聞にその予告記事が載っていたので、上天気に誘われて昨日の午後、妻と二人で出かけました。

高市さん宅の中庭
吊るし雛
ひな祭り
菜の花の丘
菜の花の丘にて

 高市さんの家には何度かお邪魔をしたことがあるので、付近の道路横に車を止めて庭に入ると、既に沢山の見学者が集まってお茶の接待を受けていました。私たちも顔見知りの人と雑談をしながらお茶をいただき、吊るし雛や様々なお雛様を第一会場、第2会場と見て回りましたが、10人ほどのグループで作ったという、目の覚めるような見事な装飾に感心しながら見せていただきました。その後高市さんの自宅の展示を見てお暇し、犬寄の松浦さんたちがやっている菜の花の丘を見学させてもらいました。

 菜の花といえば双海町の閏住が有名ですが、菜の花の丘もとても素晴らしく、丘の上からの眺めもとても綺麗でした。顔見知りの松浦さんたちがやっている太鼓の練習場の中へ入り、女性ながら住民自治佐礼谷の会長を務める松浦さんと、お茶をいただきながらお話をさせてもらいましたが、長年よく頑張っておられる姿に頭が下がりました。地域を守り、遺し伝えることは容易なことではありません。ましてや地域には自分たちの力だけでは解決できない様々な問題がありますが、悲観することなくポジティブにとらえ、希望を持ってやりさえすれば何とかなるものです。お互い頑張りましょうと励まし合いながら別れました。

 「いや綺麗 ため息交じりの 誉め言葉 山里不便 だけど人来る」

 「真似しない 真似のできない ことすれば オンリーワンの 地域生まれる」

 「吊るし雛 10人ほどが 一年を かけて手作り グレードアップ」

 「菜の花の 丘の上から 下界見る 長閑な春の 午後のひと時」

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人間牧場

〇すっかり有名になった下灘駅も元を正せば・・・

 もう33年も前の出来事なのですっかり古くなって、私の体内記憶装置では正確な年月さえも忘れてしまいそうですが、記憶を辿れば昭和61年6月30日、その前年に無人駅になった下灘駅のプラットホームを使って、夕焼けコンサートを開きました。相談しても殆どの人が反対する中で、何人かの若者の協力を得て実施したコンサートは予想以上の観衆を集め、NHK西日本の旅という僅か15分ほどの番組で全国に紹介されました。

長閑な下灘駅の風景

 以来夕日をテーマにしたまちづくりによって双海町は一躍有名になりましたが、かつて日本で一番海に近い駅と形容された下灘駅は、青春18きっぷのキャンペーンポスターに取り上げられた幸運があったり、一年に一度開くコンサートも心ある人たちに33回も受け継がれ、すっかり有名な駅になりました。最近ではデジタル情報が拍車をかけ、加熱過ぎるほどの露出度ですっかり愛媛を代表する観光地となったことは嬉しいことですが、手放しでは喜べない問題も起こっています。

 さて、昨日は遠来の友人とともに、人間牧場での花見を楽しんだ後、下灘駅へ立ち寄りました。駅前に卵型の牽引車を利用して開業した下灘コーヒーもすっかり定着して、顔見知りの広田さんが店番をしていて、雑談を交わした後、手持ちのタブレットでプラットホームの待合い屋根舎を写真に撮りました。観光列車伊予灘ものがたりでも、観光パンフレットでもすっかりお馴染みとなっている屋根舎は、「何もない」と表現するにふさわしい風景で、海と空が同化した下灘ブルーに映えていました。

 夕暮れ時ともなると人混みで撮れなくなる写真でしょうが、ベンチに座って昼寝を楽しむ観光客の睡魔を邪魔いないよう、その風景もまた絵になる光景だと思って撮りました。長閑な田舎の春の風情でした。1kmほど先の閏住の菜の花も今が満開です。ふと33年前の42歳だった若き頃の、例え反対や失敗があっても負けまいと、猪突猛進していた自分の姿を思い出しました。自宅に帰り、分厚い縮刷版広報ふたみの昭和61年8月号をめくりながら、記録から記憶を蘇らせました。

 「体内の 記憶装置が 古くなり 思い出すのに 時間がかかる」

 「若かった 42歳の あの頃は やる気満々 何でもやった」

 「無人駅 やがて廃線 予想して 何としてでも 残す一心」

 「下灘の 駅は最近 超がつく 有名なりて 少々困惑」 

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人間牧場

〇いつの間にか子どもが減って・・・

 3月22日(木)、孫たち2人が通う由並小学校の卒業式に招かれ出かけました。楽しみにしていた校庭の桜の花はまだ蕾で少々肌寒く、家を出る時妻が風邪を引いてはいけないと、腰の付近にホッカイロ―を張ってくれ、体育館内には大きなストーブが焚かれていたので、寒い思いもせずにすみました。由並小学校の今年の卒業生は僅か7人でした。

7人の卒業生
卒業式
在校生

 このところ卒業生の数は10人ほどで推移をしていますが、さすがに10人を切ると「少なくなって寂しいなあ」という声が、来賓の雑談でもあちこちから聞こえていました。由並小学校は今年度開校130年の節目を迎え、小さいながら様々な記念事業が行われました。この日いただいたファイルケースには全校生徒の写真と、私も参加した人文字航空写真がプリントされていました。

 これまでの卒業式はステージを使わず、フロアーでの対面方式でしたが、今年度は130年という区切りの年でもあるので、ステージを使った格調高い卒業式に替わっていました。小さな学校、少ない卒業生なので、校長先生の式辞の中には卒業生一人一人の名前や思い出が沢山出て来て、とても印象的でした。孫希心は今度5年生になります。孫奏心は今度3年生になるので、まだ3年間は運動会を見に行けるのですが、子どもの数が減ることを「仕方のない出来事」とは思いたくない異常事態です。

 「七人の 卒業生を 送る式 どこか寂しく どこかほのぼの」

 「校長の 式辞の中に 7人の 名前沢山 スモールベスト」

 「贈られた クリヤーファイル 130年 歴史つないだ 重みありあり」

 「コラ4人 加えて2人の 孫たちが 通った通う 楠の木見守る」

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人間牧場

〇春分の夕日夕焼けを楽しむ

夕日夕焼けには色々な見方や楽しみがあります。夕日のメッカふたみシーサイド公園には夕日夕焼けの様々な仕掛けを造っていますが、そんな豆知識を持って450mの園内カラー舗装歩道や、海に突き出た3本の突堤を歩くと、少々寒いこの季節でも結構面白い遊び心の視点で見ることができます。早速カメラ散歩の幾つかを紹介しましょう。

恋人の聖地剪定記念モニュメントのハート形穴から見える夕景
石に刻んだ日没地図と夕日
ガラス張りのイベントホールはまるでゴールドの宝箱です
ガス灯風街路灯も絵になる光景です
夕日に照らされた童謡の小路の歌碑
寄せては返す波も趣があります

「その昔 自分手掛けた 公園に 出掛け散策 写真に収め」

「撮り方を 変えれば表情 面白い 自慢の夕日 夕やけアップ」

「腕悪い 自認の私 出来栄えを カメラのせいに しては納得」

「写真撮り facebookに アップする 仲間沢山 見ているようだ」

 

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人間牧場

〇わが家の庭先に春が来た

 このところ名残の冬と迎える春の目には見えないせめぎ合いが続き、北国では時ならぬ大雪が積もったと、昨晩のテレビニュースで報じていました。松山では開花宣言が出た桜も、わが町では冬の季節風が、桜の花芽を乾燥させて固くするため、例年松山より4~5日遅れての開花なので、もうそろそろだろうと心躍る春の到来を心待ちにしています。

玄関先のプランターに植えたサクラソウ
ゴルフ場で貰った馬酔木

 庭先に植えているアジサイの新芽も、裏庭斜面のユリの新芽も、目の覚めるよな鮮やかな若草色で春を告げています。今自宅の庭で一番の見ごろは妻が晩秋の頃、プランターに植えたサクラソウです。冬の寒さに耐えてその名の通り桜に似た濃いピンクの花を咲かせていますが、プランターの土替えや植え替えに、妻に頼まれいささか手伝っていることもあって、思わず「綺麗に咲いてありがとう」と、声を掛けたくなるのです。

 花木も椿類の花が咲き始めていますが、その中に房状に花をつけるアセビがあります。私が若い頃中山のゴルフ場開発に伴い、敷地内の多数の雑木が伐採・抜根された折、勝手にどうぞという許しを得て、2本ばかりいただいたものです。わが家の庭に植えてもう30年以上経ちましたが、今ではこうして毎年立派に花を咲かせてくれるのです。アセビは漢字で馬酔木と書く毒花だそうですが、綺麗な花には何とやらです。

 「三十年 前に貰った 馬酔木花 まるでスズラン 房状の花」

 「サクラソウ 私が植えた 妻自慢 私も土替え 手伝いました」

 「春が来て 庭のあちこち 花盛り 田舎の庭は 植物図鑑」

 「冬耐えて 咲いてくれたか 庭の花 綺麗綺麗と 誉めてやりたい」 

 

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