人間牧場

〇東京雑感

 ・東京は島倉千代子の「東京だよおっかさん」の歌に歌われているように、まるで田舎のお祭りみたいに人が多く、地下鉄や山手線などの電車の中は押し合いへし合いで、私のような田舎者には少々疲れます。でもそれほど人が沢山いても誰も声をかけることもなく、人混みの中をニアミスってな感じで、ぶつかり合わず無機質に行き交います。出会えば必ず時候のあいさつや近況まで話す田舎とは大違いです。久し振りに東京へ出て混雑を見ると、空気を美味く感じる田舎の良さをしみじみ思いますが、地元に帰るとまるで時間が止まったような物足りなさを感じるのも事実です。その意味で、異文化ギャップを感じるような東京へもたまには出かけなければ、脳も体も錆び付いてしまうかも知れません。

変なホテルの看板

 ・東京はある意味一日中起きていて眠らない街のようです。平日の午前2時や3時でも一歩入ると、ネオン輝く繁華街は酒の匂いと人で溢れ、車もひっきりなしに走っています。大都会でありながら世界でも治安の比較的良い東京にも、国際化の波が押し寄せ、四方をぐるり見渡せば外国人の顔が沢山見えて、「ここ日本?」と感じるほど外国語が飛び交っています。

 ・電車に乗って気が付くのは、座席に座っている人の殆どは、窓の外などに目をやるでもなくスマホに夢中で、何気なく見えるスマホ画面はゲームであったり、配信された音楽をイヤホンで聞いたりして、雑踏の喧騒の中であっても、自分というバーチャルな空想社会に陶酔しているようです。それでも電車を乗り過ごすこともなく、3つ4つの動作を間違えずにこなすのですから、まるで10人の人の話を同時に聞いたといわれる聖徳太子より、都会の人は凄い能力です。

・昨日の朝、ホテルのレストランで朝食を食べながら外の景色を眺めていました。すると隣に珍しい看板が見えました。看板には「変なホテル」と書いていました。奇抜なこの看板は、凡人の私でさえ気が付くほどですから、ひょっとして巷では話題になっているのかも知れませんが、こんな「変なホテルに一体誰が泊まるのだろうと?」と一瞬疑いました。見れば東京は看板天国、見ただけでは分からない意味不明な看板がずらり並んでいます。

・喧嘩を売るつもりで、「農林水産省と文部科学省の言うことの反対をしたら世の中は上手く行く」と、研修会の発表の中で話しました。だって減反も田舎に相当の苦痛を与え失敗しました。言われた通り教育をしたらいつの間にか、学校も統廃合され町や村から学校が消えようとしています。誰も説明責任も果たさぬまま、地方創生などという新しい言葉を並べ立てています。怒られるだろうと思ったら「その通りだ」と同調されズッコケてしまいました。

 ・私たちの住んでいる地方と都会の間には大きな時代という川が流れていて、橋も船もお粗末で渡るすべもありません。私たちの後ろにも川が流れていますが、そこは三途の川といって私たちが人生の最後に渡る川なのです。この2つの川に挟まれた私たちの住んでいる所に流れる本物の川は、都会やあの世に流れるバーチャルな川とは違ってリアルです。今年も去年と同じように春の小川はサラサラと流れています。

「東京は たまに行くから 楽しいと あちらこちらを お目目パチクリ」

  「東京は 世界の人が 憧れる 素敵な街と 思えるほどに」

  「ある歌手が 時代遅れと 言う歌を 歌ったけれど それはわたくし」

  「ふるさとに 帰って気づく 夜さ悪さ 時間止まって いるよな感じ」

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人間牧場

◯東京での発表

昨日の文部科学省での集会名称は、「学びによる地域力活性化全国コンファレンス教育格差解消プラン全国協議会」という、まるで舌を噛みそうな肩苦しい会議です。しかも私の肩書は「学びによる地域力活性化コンフィァレンスin愛媛実行委員会代表」ですから、相当偉そうです。壇上に上がるに当って私はある奇策をとっさに思いつきました。ナップサックに入れて愛媛から持ってきた8個のミカンを演台の上に並べ、今後のキーワドとしてスライドに映し出した、「ひと・情報・交流・資金・学習・場所・組織・目標」という8項目になぞらえて話ました。

壇上で発表する灘岡さんと私

この奇策とも思える作戦は、私がよくやる話術最初の「つかみ」ですが、どうやら図に当たったようで、終了後参加した夕食懇談立食パーティーでは、この話を肴に沢山の人が私の元へ名刺交換にやって来ました。私たち一行は昼ごはんの時期を逸していて、空腹に駆られてガツガツ食べようとしましたが、名刺交換や談笑が忙しく、食事も程々でした。私たちのセッションが終わると、今度は分科会に分かれて発表会があり、7団体の5番目に仙波事務局長さんの話がありました。

会場設営がまずく、同じ会場で2つの分科会が同時進行したため、話が交錯し中々聞き取れませんでした。そんな中でも仙波さんの話はとてもいい発表で、流石だと心強く感じました。会議終了後の懇親会の後、愛媛4人、徳島2人、国社研3人で居酒屋へ繰り出し、8夜遅くまで楽しい飲み会をしましたが、久しぶりに東京の夜を満喫することができました。宿舎である銀座キャピタルホテルへ着いたのは夜の10時30分を回っていました。昨日一日楽しくも充実した一日でした。

居酒屋にて郡谷さんと白井さんと

「発表の 手順が狂い リュックから みかん8つを とっさに取り出し」

 「アドリブも ここまでくると 芸の内 つかみの話 みんな驚く」

 「東京で こともあろうか 壇上に 上がって発表 弁えもせず」

 「東京は 地方の人の 集う街 どこか懐かし 田舎の言葉」

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人間牧場

〇鳥取県大山町からの視察団(その2)

私は年中全国各地へ請われるまま講演などに出かけていますが、今回双海町へ視察にやって来た鳥取県大山町へは一昨年生涯学習推進大会に招かれ、その折地域自主組織「楽しもなかや」という自治組織と、コミュニティ食堂で交流をしました。その折双海町への視察研修の話が持ち上がり、早速昨年のこの頃来る予定でしたが、その日の2~3日前に大雪が降って道が閉ざされてしまい中止となってしまいました。諦めきれない一行はリベンジを誓い、今回の双海町視察旅行となったのです。ところが運の悪いことにこの日は雨、加えて私に急遽上京のスケジュールが入ってしまい、先約優先と言いながら、2日目の今日は、地域おこし協力隊の渡部さんにお願いして、シーサイド公園や翠小学校見学などをやってもらうことにしました。

そんな内部事情もあるので、昨日は人間牧場、JR下灘駅、閏住の菜の花畑の後、わが家の海の資料館海舟館、私設公民館煙会所の見学、潮風ふれあいの館での交流会と、盛りだくさんのスケジュールを、浜田さん、松本さん、渡部さんの4人でこなしました。このところ寒い日が続いていましたが、昨日は多少雨は降っていましたが余り寒さも感じずに交流会を終えることができてホッと一息でした。私は今朝間もなく双海町を出発して松山空港へ向かい、空港で地域教育実践交流集会実行委員会の仙波さん、長島さん、県教委の灘岡さんたちと合流し、東京へ向かう予定です。楽しもなかやまのご一行を妻もコーヒーを沸かして歓待してくれたし、孫と一緒にわが家の庭に造ったミニハウスも、孫の案内で見ていただき、一石を投じてくれたことを嬉しく思っています。

煙会所での交流会
潮風ふれあいの館での交流会

今日は大山町に合併する前の鳥取県中山町と、こちらも合併する前の伊予郡中山町と同じ名前の好で交流を続けていた中山町へ出かける予定だそうです。シーサイド公園や翠小学校を、地域おこし協力隊の渡部さんに案内してもらうよう頼んでいて、私はこれから東京へ向かいます。

「日本海 面した町から 瀬戸内へ 仲間視察に やって来ました」

「合併で 町の名前は 変わったが それぞれ過去の 経緯ありて」

「昨日雨 今日は一転 上天気 伊予路の春も そろそろ本番」

「あの顔も 笑顔ええ顔 してました 次に会うとき いつのことやら」

 

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人間牧場

〇イチョウの木の伐採

 私の妻は、私より1歳年下です。私は60歳で定年を迎えた時、再就職もせず自由人の道を選び、既に13年が経過しようとしていますが、妻は72歳ながら未だに近くの歯科医院へパートとして請われるまま、「もうそろそろ」と毎年言いつつ勤めています。勤めている歯科医院には75歳の大先生と45歳になる息子の先生がいますが、家の近くに私から見ればほんの猫の額ほどの、小さな家庭菜園を持っていて、職業がら日常的に憂さ晴らしすることもできないため、その家庭菜園に野菜苗を植えて楽しんでいるようです。

その畑の隅に根元が胴回りほどのかなり大きなイチョウの木があり、大きくなり過ぎて畑に日が当たらないので、枝を切ることにしたそうです。脚立を立てて登って小枝を切ったりする作業を、この2ヶ月ほど寸暇を惜しんでやっていたようですが、樹高が高いため先生親子の手におえず、家の近くの人に助け舟を出して手伝ってもらったものの、思ったほど枝は切れなかったようです。梯子がもう一本欲しいと言うので、わが家の脚立を持って行ってあげましたが、これもどうやら焼け石に水の雰囲気でした。

 昨日の昼、仕事から帰った妻が見るに見かねて、私に協力要請がありました。早速先生に電話をすると「お願いします」ということで、昼ご飯も食べず倉庫からチェンソーを取り出し、トラックに積んで近くの保育園まで出かけました。先生親子が下から見上げる中、私はチェンソーを持って梯子を登り、3mもあろう樹上でエンジンをかけ、太ももほどもある枝を切り落としました。その後地上に降りて切り倒した枝を、片付けれる程度の長さに小切りして1件落着です、ものの20分ほどの素早い私の作業を、先生親子は目を丸くして見ていました。

 根元から切らなければまた同じように芽を吹き、同じように木陰を作ってしまうので、必要なければ根元から切った方がいいとアドバイスをしましたが、せっかく育った木を切るのが惜しいのか、私にそれ以上の無理をさせたくないと思ったのかは分かりませんが、使った道具類を片付け、お貸ししていた脚立を担いでトラックに積みわが家へ帰りました。あっという間に帰った私を見て妻は驚いたようでしたが、これが田舎の便利屋と言われる人間の早業です。少しだけ汗をかき「いい仕事してますねえ」でした。

  「ご近所の 妻が勤める 歯科医院 猫の額の 小さな菜園」

  「イチョウの木 30年で 太くなり 畑を陰に するから枝切り」

  「重いもの 持ったことない 親子ゆえ 樹上の枝を 切りたい切れない」

  「チェンソー ブンブン回し 樹上にて いとも簡単 イチョウ枝切り」

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人間牧場

〇ギノー味噌の田中正志社長さんに会いました

 今週の火曜日、久し振りに松前町のギノー味噌を訪ねました。いつものことながら田中正志社長はお元気なご様子で私を温かく迎えてくれました。田中社長との出会いで実現した、CM名刺「裏が味噌」もすっかり有名になり、名刺とともに即席みそ汁を毎回200個単位でいただき、講演などに行く先々で参加者に配り、「損をして得を取得る」商売ならぬ笑売をして、いささかなりの自称貢献をしていますが、本物味噌とダシにこだわった即席みそ汁はとても美味しいと、皆さんから喜んで貰っています。

 その日の朝偶然にも、愛媛新聞の16面経済(2月20日付)に、愛媛経済人「わが社の首脳陣」というタイトルで、ギノー味噌が紹介されていました。田中正志社長さん、総務部長である奥さんの寿子さん、経理部長である妹さんの亀岡靖枝さんの3人のコメントが載っていました。社長の座右の銘は小さな努力の積み重ねが大事という意味の「積小為大」というご存知二宮尊徳の教えです。小学生の時から続けている囲碁は三段、高校大学時代に打ち込んだ剣道も三段の腕前の文武両道の人です。

 ギノー味噌のロビーに、テーブルというよりは切り株と言った方が正しい、度肝を抜かれるようなそれは見事な屋久杉が置かれています。わが人間牧場水平線の家の板間に150年の年輪を刻んだ高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株を置いていますがその比ではなく、まるで田中社長さんと私の人格の違いを見るような思いでいつも見ています。おそらく私などはこれからいくら頑張っても足元にも及びませんが、田中社長さんの「ピンチはチャンス、他社が真似のできない・・・」という言葉を借りれば、私にもオンリーワンの生き方があるはずだと、あすなろの木に自分をダブらせるのです。私の周りには年齢や役職に関係なく見習いたい人が沢山います。

  「ギノー味噌 社長肝入り 裏が味噌 CMあちこち好評」 

  「即席の 味噌汁貰い あちこちに 配って宣伝 損して得を」

  「新聞の 経済面に ギノー味噌 積小為大 尊徳教え」

  「屋久杉の 切り株見つつ 年輪を 刻んだ歴史 余りの違い」 

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人間牧場

〇電線リールの活用

 息子が友人から貰って来た木製の電線リールは、しばらくはトラックの荷台から庭の隅に下したままになっていました。ミニハウスに遊びに来た目ざとい孫たちは、早速この木製リールに乗って、まるでサーカスの曲芸師のように遊んでいましたが、そのうち転んで手足をすりむいだりしたため、その内大怪我でもしたら大変と、片付けるよう若鬼嫁に言われました。はてさてどうするか考えましたが、小さな方の2つはミニハウスの高床式下に置きました。

人間牧場へ運んだ電線ンリール

大きい方はミニハウス横のコンクリート舗装の上へ、一人の力ゆえ難儀をして移動してテーブルにしましたが、後一つは人間牧場の野外机として活用することになりました。トラックの荷台に積んで人間牧場まで運び、とりあえず駐車場の隅へ置きました。リールは木製なので防腐剤を塗らなかれば腐ってしまうので、近々防腐剤を塗ろうと思っていますが、間もなくアウトドア―のシーズンがやって来るので、しっかりと活用方法や置く場所を考えようと思っています。

 わが家の敷地内に私設公民館煙会所を設置したのは、青年の船でアメリカに渡って帰国した昭和51年のことでした。あれから40年が経ちました。また平成17年現職退職を機に設置した人間牧場はあれから13年、倉庫を改造して造った海の資料館海舟館も開館して15年目を迎えていて、今年の春孫たちのために造ったミニハウスを含めると、この40年間で私の身の回りには失なったものも多いけど、増えたものも多く指折りどころか、足の指を加えても足りないほど様々なものが増えました。

これからはこれらの物を手入れ保存して、しっかりと遺し伝えなくてはいけないと思っていますが、73歳のこの歳になっても教育(=今日行くところがある)、教養(=今日用がある)てな調子で、日々忙しく立ち止まって物事を考えたり、手持ちの物を手入・整理・整頓する暇は残念ながらまだないというのが正直なところです。とりあえずは、日々の暮らしにメリハリをつけて、せめて掃除と整理整頓だけでも心がけたいと思っています。

「わが息子 電線リール 持ち帰る 庭に降ろした ままで危ない」

 「孫たちは 遊びの天才 そこらへん あるもの使い 転んですりむく」

 「大事故に ならないように 片付ける 私の役目 首を振りつつ?」

 「大小の 電線リール アウトドア 使えばとても 便利な道具に」

 

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人間牧場

〇紛失した原稿が見つかる

 パソコンが私の不手際で、10日ほど使えなくなっていたのを、年度末で何かと忙しい娘婿と息子に無理を頼んで、何とか修復をしてもらいましたが、まだその後遺症がぎこちなく、特に締め切りが迫っている書いたはずの原稿が、必死になって探したもののどこを探しても見つからず、仕方なく書き直そうと腹をくくっていました。ところが昨日何気なくパソコンをいじっていると、書いた原稿が画面に出てきたのです。嬉しくなってその原稿に修正加筆し、メール便で送りました。

ところが嬉しさの後の落胆と言うのでしょうか、メールの文章に添付したはずの原稿が届いてないと、相手先から返信メールをいただいてしまいました。いつもと違うパソコンの作動で添付ができなかったようです。早速夜遅く仕事から帰った息子に頼んで修復して原稿を送りましたが、深夜ゆえ相手の確認はしていないものの、多分大丈夫のような気がしています。はてさてとんだハプニング騒ぎでしたが、原稿を最初から書き直すこともなく一件落着しそうです。

ところで、私の場合原稿は何度書き直しても一字一句、前の原稿と同じ原稿を書くことはできません。それだけ記憶力が減退しているのでしょうが、良い方に考えれば多少なりとも思考力が進んでいるともいえそうです。パソコンの凄さは、登録しておくと一字一句間違うことなく覚えていて、操作さえ間違わなければ完全に元通りの原稿が画面に出てくるのですから驚きです。人間とパソコンの違いは思考力でしょうが、すでにAI(人工知能)は人間の思考力をも越えようとしています。素晴らしくもえらい世の中になったものです。

「パソコンの 故障で消えた はず原稿 何気もなしに 見つかり嬉し」

  「パソコンは 一字一句を 覚えてる 使い方さえ 間違わなければ」

  「私には パソコンの真似 できないと 凄さ感服 偉い世の中」

  「AIに 人間使われ 右往左往 する日も間近か どうなる世の中」

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人間牧場

〇切り干し大根作り(その2)

 切り干し大根を作るのに、一昨年までは包丁で刻んでいました。もっとスピーディな方法はないものかとホームセンターの陳列棚を見て回ると、程よいものが見つかりました。早速帰って試験的に大根を削りましたが、削った千切り大根が上手く落ちるためには少々改良が必要なため、塩昆布の入っていた木箱の底に穴を開け、セットできるようにしました。廃品利用ゆえダメ元でやってみましたがこれが中々の物となり、昨年はこの道具のお陰で作業時間が大幅に短縮されたばかりでなく、削った大根の千切りが均一なため、乾燥も見た目もすこぶるよくなりました。お陰様で昨年は家庭消費しても余るほどの量を確保し、親類や近所にお裾分けして大層喜ばれました。

切り干し大根製造用道具
干した切り干し大根

 今年もばらして倉庫にしまっていた道具をセットして、昨日の午後からキャリー2つ、今日は午前中にキャリー1箱の大根を、少々肌寒い隠居の縁側に腰掛けてやりました。切った大根はサナ15枚にもなり、少しずつ日脚の伸びた庭先に干しましたが、異常乾燥注意報が出ているといっても風が弱く、瑞々しい大根が完全に乾燥して切り干し大根になるまでにはまだ当分かかりそうです。切り干し大根には、普通の大根にはない栄養があるそうで、油揚げやじゃこ天、それにちりめんじゃこを入れて煮つけても美味しく、ヘルシーな食べ物としてわが家の食卓をにぎわせてくれることでしょう。

私はヒジキや天草、ワカメなども自給をしていますが、これら全ては天日干しのため、干してからの天候が気になります。今回は1度に15枚ものサナで干しているので、雨に濡れると元の木阿弥になるので注意が必要です。幸い今週は大きな天気の崩れもなさそうなので、夜も軒先に入れることもせず、そのまま乾燥する予定です。切り干し大根を作っていると、近所のおばさんが立ち寄り、切り干し大根ができたら欲しいと、早速予約が入りました。昨日も今日も朝の外の気温は4~5度で、大根削りの鋭い歯で指先を怪我しないよう、白い軍手をはめて作業しましたが、濡れた軍手のため手がかじかむほどでした。そんな苦労も知らず予約とはと思いましたが、これも人助けです。顔では喜んでOKしました。

「二日間  かけて切り干し 大根を たった一人で かじかみながら」

  「一昨年 買って改良 した道具 使えばいとも 簡単切り干し」

  「今年も 切り干し大根 自給する 一年分を 何とかゲット」

  「切り干しが 出来たらおくれ 簡単に 言うが中々 大変ですよ」

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人間牧場

〇春が来ました

 今年の冬は例年になく寒く感じました。冬を寒く夏を熱く感じるのは、歳のせいかも知れないと思っていますが、今年の冬は、西予市宇和町で氷点下12度まで気温が下がったり、暖かいと言われる南予でも大雪が降って、高速道路の伊予インターから宇和島インターまでが、何度も通行止めに遭うなど、雪に弱い地域の悲哀をなめました。それでもこのところ少しずつ春めいて、朝は1~2度ながら日中は10度近くまで気温が上がり、三寒四温のサイクルが始まったようです。

咲き始めた閏住の菜の花
終わりに近づいた下浜野水仙畑
間もなく開花する河津桜

春と言えば双海町下灘下浜の水仙、大久保閏住の菜の花と、今ではすっかり伊予路の風物になった花々が、海岸国道378号、通称夕やけこやけライン沿いに咲いて道行く人の目を楽しませています。水仙は既に盛りを過ぎ名残花になっていますが、菜の花は日増しに黄色い花が目につき、3月4日には菜の花祭りも開かれるようです。菜の花ウォークや観光列車伊予灘ものがたりも運行され、JR下灘駅の人気にも拍車がかかり、大勢の観光客が押し寄せてくることでしょう。

 人間牧場にも遅い春が近づこうとしています。先週の土曜日におもしろ大作戦でジャガイモ植えをしましたが、その折千本桜の森づくり事業で植えた標準木となっている3本の桜の木を、子どもたちと一緒に観察しました。2本の枝垂桜はまだまだですが、早咲きの河津桜は既に濃いピンク色の花芽が膨らんでいて、週末には開花の予想です。花は早咲きには早咲きの、遅咲きには遅咲きの楽しみがありますが、見ごろとなりつつある梅の花に続いてスモモの花とともに、伊予灘ブルーの青い海と空が花の美しさを引き出し、人間牧場は一年で一番美しい季節を迎えようとしています。

「水仙の 名残の花も 道沿いに 肌寒いけど 清楚な香り」

 「春が来た 閏住菜の花 咲き始め どこかウキウキ 懐寒し」

 「早咲きの 河津桜が 膨らんで 今週末には 開花宣言」

 「寒かった 今年の冬に さようなら いらっしゃいませ 春を迎える」 

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人間牧場

◯地域づくりの50年(その2)

 昔は「10年一昔」と言われるようにのんびリズムの世の中でした。最近はAIなども開発され、「1年一昔」どころか「1ヵ月一昔」のような進歩で、私のような昭和19年生まれの私などは、時代遅れもいいとこで、何を目標に生きればいいのかさえ分らない日々です。

見つかった10年前のメモ

昨日大洲市長浜町豊茂の豊友会50周年に招かれ出かけました。50年前といえば私は23歳で、漁師をしていていました。双海町青年団長だったり、NHK青年の主張で県代表になったり、既に地域づくりに深く関わっていて、私にとってもある意味地域づくり50年なのです。長浜町豊茂には私の親友菊地邦求さんがいて、その後社会教育に関わったこともあって、一緒に夢を語り活動をしていましたが、残念かな事故に遭い他界してしまいました。

10年前の40周年にも、私は招かれてシンポジュウムのコーディネーターをやりましたが、その時のメモが2〜3日前に見つかり、驚きながら当時をお思い出しました。残念ながら豊茂地区も伸びる社会から縮む社会に変化する厳しい社会情勢に翻弄され、右肩下がりになりつつあることは寂しい限りです。これからは10年後、20年後、地域はどうなるのでしょうか?。

「50年 前に私は 23 いつの間にやら 50歳とる」

  「ふるさとを 何とか元気に しようぜと 酒を呑みつつ 会を結成」

  「やったけど 変革社会に 飲み込まれ これから先も 不安は多し」

  「これからは 楽しい第一 考えて 笑って暮らそう アッハッハ」

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