人間牧場

〇ティシュペーパー

 私たちは日々の暮らしの中で、空気もそうですが水や電気などは、蛇口をひねれば水が出て、スイッチを入れれば電気が点くといった風に、使っているという意識を殆ど持たず暮らしています。紙類もその一つで、毎朝決まって届く新聞も、トイレに行って用を足す時ちぎって使うトイレットペーパーも全て紙なのです。トイレットペーパーは水とともに浄化槽へ流れて跡形もなく無くなりますが、読んだ新聞は一ヶ月間分を束にして、段ボール類とともに古紙回収置き場へ持って行き家から姿を消しています。

 一昨日松山へ行った折、商店街を歩いていたら若い女性に呼び止められ、ティッシュペーパーをいただきました。冬の寒い時期なので、街頭でテッシュペーパーを配るアルバイトも大変でしょうが、この時期は寒さゆえティッシュペーパーを使うことも多いので、喜んでいただきジャンバーのポケットに入れて持ち帰りました。気がついて机の周辺をよく見ると、郵便局でティッシュ、銀行でティッシュ、買い物でティッシュと、貰ったティッシュが幾つも無造作に置かれていました。

 居間の机の上、ダイニングの机の上、書斎の机の上といった風に、あちらこちらには箱入りのティッシュが置かれています。特にダイニングの机の上のティッシュは、食事の最中も終ってからもやたらと手を伸ばし、醤油が飛び散ったのまでティッシュで拭き取る有様です。勿体ないという意識もなく、白くて軟らかいティッシュペーパーは、一体何を原料に、どういう製造や流通経路を経たのかも分かろうとしないまま、無造作に使われ傍のゴミ箱へ放り込まれて行くのです。

 この浪費が経済の活性化につながるのであれば、目くじらを立てることも無く、むしろ喜ばしい限りでしょうが、気がつけば最近は赤ちゃんのパンパースは言うに及ばず、高齢者の下の処理まで全て紙なのです。子どもが生まれた家庭の庭先に、洗濯されたオムツがたなびいた姿も、今は民族学者宮本常一の記録写真でしか見ようとしても見えない風情になりました。便利になった実感とどこか寂しい実感が入り混じるのも、昭和世代に生まれた古い人間ゆえなのでしょうか。

  「気がつけば 朝から晩まで 紙なしで 生きて行けない 暮らしになりて」

  「物干しに オシメたなびく 懐かしい 光景今は 見る影もなし」

  「商店街 歩いていると ネエチャンが テッシュは如何 喜び貰う」

  「勿体ない 昭和生まれの 二言目 私も古い タイプの人間」

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人間牧場

〇餅とすり大根

 朝食はパンとスムージーにヨーグルトと決めている、私たち夫婦の食生活ですが、毎年年末恒例の人間牧場での餅つきに加え、年末の正月餅つきからの朝食は、毎朝パンでなく餅に変わっています。お餅が大好きな夫婦ゆえ、それはそれとして楽しみで、醤油餅やきな粉餅と食べ方を変えて楽しんでいますが、昨日の夜妻が、「明日の朝はお餅をすり大根で食べよう」と提案があり、私も同調しました。

すり大根にお餅も美味しいです

 今朝はウォーキングから帰ると直ぐに薄暗い中を家の横の家庭菜園に入り、手ごろな大根を1本引き抜いて土を落とし、このところ毎日のように、ビニールハウスの中に植えているケールの葉っぱ3枚も、ハサミで切って一緒に持ち帰りました。妻はケールにリンゴとみかんを皮を剥いて牛乳とともに入れ、グリーンの彩りも鮮やかなスムージーを作りながら、大根の皮をピューラーで剥き、すり下ろし器でするよう、新聞を読んでいる私に頼みました。

 新聞を読むのを止めた私は、手を洗い大根をすり下ろし器で力を込めてすりました。やがてオーブンで1人2個の丸餅が焼けたので、お皿に置いたお餅の上に下ろし大根をたっぷり入れて少しだけ醤油を差しました。今朝の下ろし大根は少し辛味がありました。妻が言うのには、大根もワサビもゆっくり優しくすり下ろすとまろやかになるそうですが、私のように無造作に力任せにすり下ろすと辛味が強くなるとのことでした。

 「とても美味しかったので、明日もまろやかになるようすって食べようね」とねだられ、しぶしぶ了解しましたが、同じ大根でもすり方で味が違うのかどうか、確かめてみたくなりました。それにしてもすり大根で今朝食べたお餅は、とても美味しかったです。神棚に供えていた大きな鏡餅も、既に小切りにして丸餅とともに水にかして保存していますが、これから当分は毎朝大好きなお餅を、夫婦揃って食べれることは幸せです。

  「朝はパン 年末年始 朝は餅 大好きゆえに 朝が楽しみ」

  「同じ餅 醤油やきな粉 あれこれと 変えて食べると これまた最高」

  「大根を 畑引き抜き 水洗い すり大根は 私の役目」

  「すり大根 今朝は辛いと 妻が言う もっと優しく はいはい分った」 

 

 

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人間牧場

〇新聞二題

 私は73歳のこの歳になっても、まだ老眼の兆しがなく、裸眼で新聞が読めるのですから、自分で自分を誉めてやりたい心境です。生まれてこの方まだ一度も、メガネをかけたことがないと自慢していますが、80歳で亡くなった母親も死ぬまでメガネをかけず、裸眼で新聞を読んでいたので、どうやら私の目の良いのは遺伝ではないかと、若松家のDNAに感謝しています。「顔は悪いが目はいい」などと戯言を言っていますが、メガネをかける煩わしさや出費のことを考えるととても有り難いことのようです。

水仙の花が咲いています
叔母の門欄投稿記事

 昨日のジュニアえひめ新聞の週間ニュースチェックの欄に、「視力が悪い子ども過去最悪」という記事が載っていました。2016年の全国学校データを調べたところ、視力の悪い小・中・高生の割合がこれまでで最も悪い結果になっていることが分ったそうです。裸眼の視力が1.0未満の子どもの割合が小学校では3人に1人(31.46%)、中学校では半数以上(54.63%)、高校では3人に2人(65.98%)になっていたそうです。スマートホンやテレビゲーム等物を近くで見る習慣が原因のようですが、考えさせられる社会現象だと思いました。

 一昨日の地元紙に、2つの記事が載っていました。ひとつは下灘の水仙畑の花が見ごろ、もう一つは叔母の吉野竹子が門欄に投書した記事でした。いずれも身近な話題なので、いつものようにスクラップしてパソコンでスキャナーしデジタル保存しました。正月を挟んだ年末年始は取り立てた急ぎの用事もなかったので、新聞も見出しまで目を通し、本も何冊か乱読することができ目の正月でした。今日は成人の日のようで、考えること多々ありて、明日のブログのネタにしたいと思いました。

  「昨日の 新聞記事を スクラップ 水仙話題と 投稿二題」

  「この歳に なっても裸眼 新聞を 読める幸せ DNAかも」

  「顔悪い 目だけはよいと 戯言を 言って世間を 笑わせる日々」

  「子どもの目 最悪ですと 警鐘を 鳴らしています ご注意願う」

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人間牧場

〇マジックミラーに私が5人も映りました

 今日は天気予報どおり朝から雨です。年末年始は雨も降らず風も吹かず穏やかな天気が続いていたので、久しぶりの雨って感じで、午前4時雨音に起こされました。私の場合は余程のことがない限り雨の日でもブログを書いた後長靴と雨傘という出で立ちでウォーキングに出かけ、朝だけで約6千歩歩きますが、今朝は多少ズボンの脛と両腕辺りが濡れましたが、着替えるほどでもないので帰宅後ダイニングの石油ストーブの前で、新聞を読みながらくつろぎながら朝食を取っているうち乾いてきました。

あら不思議、自分が5人窓ガラスに映る

 今年はこの一週間天気が良かったので、少し遅れ気味だった畑仕事や農作業がはかどり、一気にばん回したため気持ち的には少し余裕が出たって感じです。ゆえにでしょうか、夕暮れ時になると毎日のように道の駅ふたみシーサイド公園へ一人出かけて、夕日を観賞しながら手っ取り早いデジカメで西の空を思いつくまま撮っていますが、昨日面白い発見をしました。夕日のミュージアムのガラス戸に自分の姿が複数で映るマジックミラーを作ったのは私のアイディアですが、少し離れた位置に立つと、何と自分の姿が5人も映るのです。

 傍を歩いていた若いカップルにそのことを教えてあげると、二人は大はしゃぎでカメラに収めていました。私が整備に関わったシーサイド公園にはこのように色々な仕掛けや物語があって、結構楽しむよう造っているのですが、私が役場を退職し関わらなくなってからでも早10年が過ぎているので、伝える人も術も殆どなくなって、少し寂しい感じがしています。もう一度シーサイドの賑わいを取り戻すためにも、力を入れなければと思いながら、数日前からの北西や北東の季節風で砂浜に打ち上がったゴミの中を歩きました。見方によっては面白い形の漂流物がいっぱいありました。ゴミだって宝の山かも・・・・。

  「このところ お天気続きで シーサイド 綺麗な夕日 堪能しました」

  「シーサイド マジックミラーに 5人もの 自分の姿 少しビックリ」

  「どの自分 一番でしょう カップルに 教えてやると 大はしゃぎして」

  「砂浜に 大量ごみが 打ち上がる よくよく見れば これもお宝」

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人間牧場

〇変る高齢者概念

 これまで統計上は65歳以上を高齢者と呼んでいました。私を含めて健康な65歳以上の人には「高齢者」と呼ばれても正直なところ余りピンとこないばかりか、65歳という押しなべた基準に違和感を感じていました。ところが昨日の新聞やテレビのニュースで、65歳から75歳までの人を準高齢者と呼んだらどうかという提案がありました。準がついても高齢者に違いはありませんが、75歳までの高齢者予備軍の人にもっと社会活動に、積極的参加をして欲しいという発想には私も大賛成です。

3年前の私の写真が、突然facebookにアップされました

 かくいう私も今年72歳、正真正銘の高齢者にあと2~3年と迫っていますが、若さを保つことはできなくても、老いの下り坂で転げずに、アクセルとブレーキを踏み間違わないくらいならできるかも知れないと、毎日できることをコツコツやっています。私は去年の10月末にぎっくり腰を患いました。ツーリズムの全国大会分科会の真っ最中だっただけに、恥かしい姿を皆さんに見せただけでなく、「自分も歳だなあ~」と、少し心が折れていましたが、相前後してNHKテレビ「ためしてガッテン」で「究極の腰痛体操」を見てから、早速夜寝る前布団の上で、たった5分間の簡単な誰にでもできる体操を始めました。

 これが良いのかどうかはまだ分かりませんが、一昨日、昨日の2日間、きつい農作業だったにも関わらず、再発もせず元気を回復してるところを見るとどうやらいいようです。勿論私の健康の半分は妻が受け持ってくれている食事のお蔭でもあるのです。毎朝のリンキャベや青菜のスムージー、三度三度の食事など、感謝しても感謝しきれないのです。私たちはこれまで、高価で美味しいもの=身体によいものと思っていました。高価で美味しいものは得てして脂質、油質、糖質が多く含まれていて、むしろ貧乏の代名刺のように言われていた質素なものが体の維持に欠かせないのです。

 大根や白菜、カブといった冬野菜は体内に熱源を与えてくれるし、トマトやキューリといった夏野菜は体の熱を取ってくれるのです。利に反して高いお金を出してまで冬野菜を夏食べ、夏野菜を冬に食べると体調を崩してしまうのです。昔は貧乏人に殆ど見られず、金持ち病といわれていた糖尿病が国民病といわれるほどに何故増えたのか、ある学者は身体に悪い美味しい物を食べる生活習慣の結果だと警鐘を鳴らしています。私もまだ健康な準高齢者なので、健康に注意して社会貢献をしたいと思っています。

  「六十五 過ぎたらみんな 高齢者 これから先は 準に格下げ」

  「格下と 聞けばシュンと するけれど 今度ばかりは みんな喜ぶ」

  「準がつく 高齢者皆 再起動 社会のために 一花咲かせて」

  「健康の 半分担う 食べるもの よくよく考え 三度の食事」 

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人間牧場

〇コンニャク芋掘り(その2)

 昨日は北東の風が少し強く吹いていましたが、まずまずの好天だったので弁当持参で人間牧場へ、コンニャク芋掘りに出かけました。昨年末しめ縄飾りと鏡餅を供えに来ていましたが、人間牧場へ行くのは今年最初です。まず足元を地下足袋に履き替え、厚手の作業用ゴム手袋をはめて、早速作業開始です。畑は冬の季節風が防風杉の古葉を落しているのでそれらを取り除き、三つ鍬で片方から雑草を取り除きながら掘り進みました。

掘り上げた赤土のコンニャク畑

 種芋を植える時、芋の在り処を示すため30cmほどの竹棒を土につき刺していたので、鍬で芋に傷をつけることもなく掘り進みました。このところの上天気で赤土の水分も思ったより少なく順調でしたが、1枚の畑を終え、2枚目3枚目と進むにつれて、急峻な地形の畑での下を向いてする作業は腰に負担がかかり、昼を挟んで午後3時までに、キャリーに3箱のコンニャク芋を掘り終るころには、腰に痛みを感じるほどでした。

収獲したコンニャク芋

 芋の出来具合は豊作でもなく不作でもない普通作といった感じです。キャリーに入れた芋を倉庫まで運び無事コンニャク芋掘りを終えました。たった20個から始まったコンニャク芋は、途中何度か大きな芋を使って4~5回コンニャクを作ったものの、その後も増えて今年もコンニャクを作るプログラムができそうでホッとしています。道具もちゃんと揃っているので今年こそは、誰にも頼らず自分の手でコンニャクを作ってみたいと思っています。

  「3枚の 段々畑 這いずって コンニャク芋を 3箱もゲット」

  「急斜面 ゆえに作業は 腰に来る ぎっくり腰に ならないように」

  「さあこれで 芋は揃った 今年こそ 自分一人で コンニャク作り」

  「ばあちゃんが 木灰使い コンニャクを 作った姿 嫌いの原因」

 

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人間牧場

〇港の灯台

 双海町には上灘漁港と豊田漁港、それに高野川漁港と3つの漁港がありますが、高野川漁港は規模が小さく突堤だけです。豊田漁港は漁民団地や水産物荷捌き所を備えた瀬戸内海屈指の規模を誇っています。中でも豊田漁港は少年時代漁村で育ち、若い頃7年間家業である漁師をしていたり、役場に入って水産行政を担当し水産物荷捌き所を造ったこともあって、私にとっては今でも愛着のある漁港です。

上灘漁港の灯台

 上灘漁港と豊田漁港には港の出入り口にそれぞれ灯台があって、漁船の道しるべとなっていますが、海図に載っている灯台は、全て光り方が違うのです。でないとどこの灯台か分らないのです。例えばある灯台は光が5秒で休みが5秒、またある灯台は光が2秒休みが4秒という風になっていて、しかも赤や青や黄色をベースにして識別されています。先日ある友人にその話をしたら、始めて知ったと驚いていました。

 余りいい表現ではありませんが、「灯台元暗し」と言われるように、灯台は遠くまで光を届けるのに、仕方がないことながら自分の足元は真っ暗です。せめて私たちは自分の足元には気を配れるようにしなければなりません。子どものころ「喜びも悲しみも幾年月」という高峰秀子主演の映画がありました。燈台守夫婦の心温まる物語だったと記憶していますが、官舎があって燈台守がいた映画に出た灯台も、今は無人になってしまいました。

 今は灯台に頼らずともデジタルのGPSが普及して、船の位置が瞬時に分るようになっています。私が昭和37年に宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋を航海した頃は、ロランが普及し始めていましたが、船の位置を出すのに六分儀という手動の道具で太陽や星の高度を測り計算していました。わが家の庭に出て海の方を見ると、上灘漁港の青い光の灯台と沖合いに浮かぶ青島の白色灯台が見えます。何ともいえない温かさです。

  「わが町の 漁港に二つ 灯台が あって漁船の 道しるべとなる」

  「わが家から 上灘漁港と 青島の 灯台毎日 見えてほのぼの」

  「その昔 高峰秀子 主演した 映画記憶に 残っています」

  「灯台も 時の流れで 役割が 薄くなったが 道しるべです」 

 

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人間牧場

〇道祖神に手を合わせる

 1日14,546歩、2日10,285歩、3日12,533歩、合計37,364歩、これが携帯電話内蔵の万歩計に記録された私の、正月3日間に歩いた歩数です。1日1万歩を目標にしている私としては、かろうじて1万歩を越えた2日を除けばこの3日間は、まずまずの出だしのようで一応ホッとしています。

 正月が過ぎると日没が毎日1分くらいずつ遅くなっていますが、夜明けの時間は殆ど変らず、午前6時のミュージックサイレンを聞きながら歩いている頃でも、まだ東の空は真っ暗でポケットに忍ばせた、LEDの小さな懐中電灯に頼らなければ、自分の存在を人に知らすことができず、足元も見えないくらい真っ暗です。

 そんな中でも何人か毎朝見慣れた人が歩いていて、「おはようございます」「今朝は寒いですねえ」などと、言葉少なにあいさつしながら通りすがって行くのです。そんな中に80歳を越えたおばちゃんがいますが、そのおばちゃんは、道端の道祖神の前を通ると、暗いのに毎朝立ち止まって両手を合わせ祈りを捧げています。

 私もやはり歳をとったからでしょうか、何年か前から同じようにほんの一瞬ですが立ち止まり、風化した道祖神の顔を見ながら、両手を合わせて無心に祈るのです。この道祖神の前には近所の人が供えるのでしょうか、シキビがいつも絶えることなく供えられているのです。日本人の優しい祈る心にホッとしながら、今朝も暗い道をしっかりした足取りで歩きました。

  「三が日 目標どおり 一万歩 越えて歩いた これから先も」

  「真っ暗な ウォーキングコース 黙々と 一人で歩く 健康のため」

  「道端の 道祖神前 立ち止まり 両手合わせて 感謝の祈り」

  「ご近所の 人が供えし シキビ花 優しい心 枯れることなく」 

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人間牧場

〇煮豚チャーシューを作る

 わが家の庭の隅に少し大き目の冷凍庫があります。漁村ゆえわが家には年中を通して、沢山の魚が届きますが、それらは全て食べきれないので、親類縁者にお裾分けします。それでも食べきれないものは内蔵や鱗を取り、下ごしらえして冷凍庫に保存しています。ゆえに一年中魚に困ることはないものの、冷凍庫の中はいつも満杯で、妻は新しいものが入らないのでいつも四苦八苦しています。

外かまど

 昨年息子が友だちからイノシシの肉をいただいて帰りましたが、とりあえず冷凍庫にしまっていたものを年末に取り出し、外に移動用かまどを用意して、煮豚チャーシューを作ることになりました。食料品の豊富な田舎では有害鳥獣駆除で仕留めたイノシシの肉を時折いただきますが、イノシシの肉は少し臭みがあるので、ジビエなどと話題になっていますが、どちらかというと敬遠されがちです。

 一昨年末イノシシの肉を外かまどで煮込んで、煮豚チャーシューを作ったところ、皆さんから好評を得たので、今年も年末に外かまどで煮物を作るついでに挑戦してみました。冷凍したイノシシの肉の塊をまず2~3度茹ではえ、水を使わずお酒と味醂と醤油と砂糖で味付けをして時間をかけ、焦げないようとろ火でじっくりじっくり煮込みました。そのうちいい匂いが立ち込めてきました。

 何度も菜箸で裏表を返したり転がしたりしながら、煮込んで煮汁が無くなる寸前で鍋を火から降ろすと、まあそれは綺麗な琥珀色の煮豚チャーシューが出来上がりました。包丁でそいで肉片を味見しましたが、臭みもなく完璧に美味しいチャーシューが出来上がりました。家族に試食してもらいましたが大好評でした。チャーシューはラーメンによく合います。作ったチャーシューは冷蔵庫に入れてせいぜい楽しみたいと思っていますが、私は残念ながら日ごろは余り肉は食べず魚系なのです。

  「外かまど 鍋にイノシシ 肉塊を 入れて湯ではえ チャーシュー作る」

  「こころ辺 イノシシ肉は 癖ありて どういう訳か 好まれなくて」

  「自作した 煮豚チャーシュー 中々と 自画自賛して 味見楽しむ」 

イノシシ肉の煮豚チャーシュー
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人間牧場

〇2017年元旦の夕日夕やけ(その2)

 昨日の夕方、自宅の庭から見える双海町のシンボル本尊山が、赤く夕映えに染まるのを見計らって、道の駅ふたみシーサイド公園へ夕日夕焼けを見に出かけました。昨日は風も雲もなく海は穏やかで、既に沢山の人が集って西の空で始まろうとしている天体ショーをじっと見つめていました。

 デジカメを持つと何かと手持ち無沙汰になるもので、沈み行く夕日を気にしながら、砂浜に降り座り込んで渚の寄せ来る波を撮ったり、童謡の小路の歌碑に目が向いたり、また周辺の本尊山や上灘漁港の灯台、空に見え始めた三日月、星々、自分の影などにレンズを向けて楽しみました。

 東突堤には人が落ちないよう鉄柵が設けられていますが、砂浜から見るとまるでその鉄柵が音楽の五線に見え、夕日を見ているシルエットの人影が音符のように見えました。まさに夕日夕焼けの遊び心です。2017年元旦の夕景はもう二度と見ることができない、過去のものになってしまいましたが、私の心の中に焼きつけました。

  「元旦の 夕景見つつ 色々と デジカメ納め 記憶を記録」

  「何げなく レンズを向けて あれやこれ 日ごろ気付かぬ ことに気付いて」

  「何げなく 写した写真 パソコンで 画面呼び出し あれこれ思う

  「もう二度と 2017元旦の 夕景を 見ることないと 思えば愛しい」

まるで五線譜のようです
童謡の小路の歌碑
夕日見学者の群れ
夕日とコラボした三日月
砂浜に映った私の長~い影

 

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