人間牧場

〇全国公研集会分科会のファシリテーター

 山口県山口市で開かれた全国公民館研究集会山口県大会に、県公連から推薦を受けて分科会のファシリテーターという仕事で参加しました。この大会も今回で第38回目だそうで、思い起こせばもう古い話になりますが、公民館主事をしていた若い頃、つまり38年前の第1回公研集会が香川県で開かれた時、何と私が分科会の司会をしているのです。当時はファシリテーターなどという言葉でなく司会者でしたが、午前中3時間、昼食を挟んで午後3時間の合計6時間をたった一人で司会をしたのですから、今では考えられないような出来事でした。

分科会会場の様子
分科会会場の様子

 昨日の分科会は9時に開会し、12時に終る3時間の司会だし、今回私の分科会は2事例の発表の後質疑を行い、参加者200人が6~7人でグループを作って話し合う、今流行のワークショップ形式討議を1時間取っていたので、フアシリテーターとしては大ラクチンで、どおってこともなく進行しました。ただこの分科会には助言者が用意されていないため、ファシリテーターがその役目を含めてやらなければならず、多少気を使いましたが、事例発表と質疑、グループ討議と発表も、思った以上に上手く絡んで、私のまとめの話も最高に盛り上がり、最後に名刺交換で役目を終えました。

 一足早く分科会を終えた仙波さんと長島さんに、私の会場まで迎えに来てもらい、仙波さんの運転する車で、小郡~山陽自動車道~尾道~しまなみ海道~今治~水ヶ峠を経て、無事奥道後まで帰ってきました。仔馬タクシーの社長さんである仙波さんには往復10時間の運転をしてもらい、私は後部座席で居眠りや雑談をしながら、まるで大名旅行のようなリッチな小旅行となりました。仙波さんは地域教育実践交流集会の事務局として、私は実行委員として、また今年度は実行委員長として、お互いこれからも重い役割を果たさなければなりませんが、この2日間長島さんを交えて二人であれこれ話せたことは、全国大会の副産物として、大きな価値がありました。同行させてもらった仙波さんと長島さん、それに大内さんと阿部さんに感謝しています。

  「懐かしい 38年 前のこと 思い出しつつ 壇上座る」

  「おそらくは 全国大会 行くことも もうない思い 感慨深く」

  「壇上に 上がってマイク 持つ途端 勝手に口が 動き饒舌」

  「2日間 約10時間 便乗し まるで大名 有難きかな」 

 

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◯山口県に来ています(その2)

 全大会が終わると小ホールにて、明くる日の分科会打ち合わせがありました。私が担当するのは第7分科会のファシリテーターです。山口県の分科会担当者や発表者を交え、短い45分程度でしたが、おおよその流れを確認し、シャトルバスに乗って交流会が行われるホテルニュー田中に到着し、クロークに荷物を預けて宴会場に入り、午後6時30分から賑やかな交流会が2時間に渡って繰り広げられました。

 お酒を飲まない私は、ウーロン茶を飲みながら名刺交換をしたり、同席した方々と近況報告をしたり、余興に耳と目を傾けながら食事を摂りました。チンドン屋さんや土産物が当たるクジが間延びして延々続き、多少閉塞感も漂いましたが、次期開催県高知県の誘致あいさつで幕を閉じました。私と県公連事務局長、県教委の先生の3人は湯田温泉駅まで歩き、9時半頃新山口駅まで列車で帰り、駅前のホテルにチェックインしました。

 昨日は朝早くから夜遅くまで、とても長〜い一日でした。いつもより少し早めの午後11時40分頃に床につきましたが、旅先といえど、日課は恐ろしいもので、いつも通り午前4時に目を覚まし、持参のタブレット端末で少し短めのブログをとりあえず2本書いています。今日は第7分科会のファシリテーターという大事な仕事が待っているので、食事を済ませたら再び列車で湯田温泉駅まで引き返し、9時前に会場入りしてお役目をしっかり努めたいと思っています。

 今回の全国公民館研究集会は会を重ねること38回です。奇しくも私は公民館に勤めていた頃、高松市で開かれた第一回のこの大会で司会をしています。その時の司会ぶりが評判となって、何と何とその後連続して6回も司会を担当させてもらい、その活動がご縁で私の名前が全国的に知られることとなったのです。いわばおこがましくも出世作となったのですから、因果応報です。故に今日はしっかりと性根を据えて頑張りたいと思っています。

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〇今日は山口県へ行きます

 今朝は早起きして、これから山口県で開かれる全国公民館大会に行く予定です。身支度を整えながら台風13号の行方が気になって、PCのお天気コーナーや、タブレットに内蔵している気象クラウドを見てみましたが、台風13号は温帯低気圧になったようで、台風情報から姿を消しているようで、先日鳥取へ出張した折、台風の影響で特急列車がストップし、帰るに帰れず難儀をしたことを思い出しながら、何はともあれ台風の影響も殆どなく旅立てることを嬉しく思っています。

 今朝はこれから奥道後まで走り、松山の親友仙波さんと落ち合って車に同乗させてもらい、しまなみ海道を通って山口入りすることに、昨日急遽決めました。讃岐先生も同行する予定でしたが体調不良で欠席のため、私の席が確保できたらしく、仙波さんのご好意に甘んじることにしました。今日は全体会や終了後の打ち合わせ会、交流会に出て新山口で一泊し、明日は第7分科会のファシリテーターという重い役割が課せられているので、しっかりと役目を果たそうと思っています。

 さっき少し激しい雨が降りました。昔なら天気の行方等分らず不安だらけでしたが、今はPCのお陰で、この雨も間もなく止みそうで、傘も必要ないような雲行きです。妻は早立ちする私が遅れないようにと、昨晩は目覚まし時計をセットして寝たようで、先ほどその目覚ましアラームが鳴り、朝ごはんの準備をしてくれているようです。「携帯持った」「財布持った」「資料入れた」と、いつものように妻にくどくど確認され、最後には常用している「お薬持った」まで点検される始末です。「はい持ちました」。妻に手を振って見送られ行って来ます。帰りは明日の夜遅くになります。

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〇アリとミツバチどっちが偉い

 「アリとキリギリス」という話は子どもの頃からよく聞かされた話で、休まず働くアリに軍配が挙がっていますが、では「アリとミツバチ」はどっちが偉いと尋ねられたら、大方の人はミツバチと答えるでしょう。なぜならミツバチは美味しい蜂蜜を集めて、私たち人間の役に立っているからです。私も6年前からミツバチを飼って蜂蜜を採集しているので、その答えには大賛成です。でもミツバチは「甘い恩恵」を与える代わりに、鋭い毒針で人様を襲う危険な小動物でもあり、私も何度となく刺され痛い目に遭ってきました。

アリ
アリ
ミツバチ
ミツバチ

 「泣きっ面に蜂」なのか、「蜂に刺されて泣きっ面」なのかは分りませんが、傷みは余り感じないけれど刺された患部が赤く腫れ上がり、特に顔などを刺されるとスズメバチほどではありませんが、人様に顔向けが出来ない醜い顔になることもしばしばです。こんな時は刺すこともなく人畜無害のアリの方が愛しく思うのも当然の成り行きです。アリは何にも役に立たないと思っていましたが、最近よくよく観察してみると、例えば動物や虫の死骸に群がったアリは、たちまちのうちにそれらを分解してしまうのです。

 これは自然界のメカニズムで、ミミズと同じように土作りに役に立っていることを実感するのです。この季節は冬野菜の種を播く時期で、耕運機で畑を中耕すると、ミミズやアリが土の中から沢山出て来て、土の分解に役に立っていることを実感しています。昨日は折角立てた畝をモグラの襲撃に遭いました。多分モグラは餌となるミミズを求めて穴を掘っているものと思われますが、目に見えないミクロの世界から考えれば、全ての小動物はそれなりの役目を背負って生きているに違いありません。土を分解するアリと野菜の結実に欠かせない役割のハチは、「どっち?」よりも「みんな偉い生き物なのかも知れません。

  「アリとハチ どっちが偉い 尋ねたら 蜂蜜ハチに 軍配挙がる」

  「菜園で 土を分解 ミミズ・アリ ハチは受粉と 休まず働く」

  「人間は ミクロの世界 無視をして 偉そに生きる エゴの塊」

  「アリとハチ 私の場合 どちらとも 味方の暮らし 見方によっては」

 

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〇セル苗の植え付け

 3日前、白菜とキャベツの苗を買いに大洲のホームセンターへ妻と二人で出かけました。自分で種を播いて苗を作れば安上がりでいいのでしょうが、種の播き時も知らず、加えてそんなこだわりもなく、例年の如く毎年この時期になると苗を買い求めて畑に定植をしています。特に白菜もキャベツも時期が遅くなると巻かないので、昨年の私のスケジュール表に書き込んだメモを見て、210日前後の時期を選んでいます。

キャベツセル苗
キャベツセル苗
白菜セル苗
白菜セル苗

 買った苗はセル苗といって、ビニールの黒い苗床に6列×12列の穴があり、白菜もキャベツも72本の苗が行儀よく並んでいます。本当は買ったその日に植え返したかったのですが、台風12号の通過後の吹き戻しの風で傷まないようにと思い、風の当たらない倉庫の木陰に置いて水をやり台風の通過を待ちました。今回の12号台風は通過したり直撃した所では強風や大雨に遭いましたが、少し離れた私たちの所は難を免れ、長崎に上陸した後日本海に出て急速に衰え、温帯低気圧になりました。

 昨日は吹き戻しの風も吹かなかったため、昼頃少しぬかるんではいましたが、中耕し畝を立てていたさ畑に入り、白菜72本、キャベツ72本を定植し、元肥に豚糞をやり終えた途端、ザーザーと雨が降って水を遣ることもなく作業を終えました。まだこの時期は温度が高く害虫にやられる危険性が高いので、用意している防虫ネットをかけて農薬を使わずに作ろうと作戦を立てていますが、はてさて上手く行くかどうか多少心配です。

 今のところトマトやナス、ピーマン、オクラ、キューリなどの夏野菜も、朝晩の井戸水を使った潅水のお陰で、まだまだ収獲を楽しんでいるので空いた場所がなく、ホーレンソウなどの種を播く場所が確保できていません。この4~5日で青豆を片付けないと、冬野菜の作付けが遅れる心配があるので、気を引き締めて頑張ってみようとお思っています。季節が夏から秋に変る秋の彼岸ももうそこまで来ています。

 「この時期は 冬の野菜の 種蒔きや 移植の時期で 何かと気揉め」

 「セル苗の 白菜キャベツ 台風が 去った畑に 移植を終える」

 「夏名残 潅水お蔭 野菜類 まだまだ収獲 食卓賑わう」

 「蒸し暑い けれども季節 動いてる 朝晩少し 過し易くて」

 

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◯海と夕日はホスピタル

 双海町に生まれ育ち、双海町で暮らして間もなく72年になります。遠くへ旅して久しぶりに帰っ来た時以外は、海のすぐ側に住んでいるという意識は殆どありませんが、人間牧場や町内の公園などに足を運んで海を見ると、何故か心が癒やされたような気分になるから不思議です。

台風前の静かな瀬戸内海伊予灘
台風前の静かな瀬戸内海伊予灘

 ましてや海に沈む夕日や赤く染まった夕焼けを見ると長年夕日夕焼けにこだわって仕事をしてきただけに、特別な気持ちになるようです。一昨日の夕焼けプラットホームコンサートも昨日の通学合宿夕焼け村も、近づく台風の影響で時折雨の降るあいにくの天気で、諦めていたのに、何と何と神がかりとしか思えぬ綺麗な夕焼けが見えました。

印象的な夕日夕焼け
印象的な夕日夕焼け

 私が特別操作した訳でもないのに、一昨日も昨日もまるで自分が操作したような顔つきで、「どうだ参ったか」と言わんばかりに胸を張る自分の姿に時々気づいて顔を赤らめています。昨日は台風が近づき潮風ふれあい公園から見下ろす海はまるで雪舟の水墨画水墨画を見ているような穏やかさでした。

 ところがほんの数10分後、今度は西の空の水平線辺りが真っ赤に焼けてほんの一瞬夕日が見えました。感動で胸が熱くなり、一緒に見ていた子どもたちにそのことを伝えました。私にとって双海町の海や夕日夕焼けはまさに大きなパワーを与えてくれるホスピタリティーなのです。

「わが町の 海と夕日は ホスピタル 不思議な力 与えてくれる」

「諦めて いたのに夕日 夕焼けが あれこれ自慢 冗舌なりて」

「雪舟の 水墨画のよう 海もまた 心落ち着き 不思議なパワー」

「ああ今日も 生きて生かされ 良かったと しみじみ思い 家路を急ぐ」

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〇31回目の夕焼けプラットホームコンサート

 昨日は31回目の夕焼けプラットホームコンサートが予定されていて、朝から夕方の天気が気になる一日でした。午後4時頃暑かった夏の終わりを告げるように、空が少し暗くなり小雨も降り始めました。そのうち小雨は幸運にも止みましたが、やばいと思いながら午後5時からの開演に間に合うように、駐車場も狭いことから「濡れたら濡れた時のことよ」と安易な考えで単車で行くことにしました。海岸国道を単車で走ると、風もなく初秋の浜風は心地良く最高の走りでした。

 下灘駅に通じる日喰入口では交通指導員さんが、一方通行の交通整理をしていましたが、私はそこをやり過ごし、共栄製材倉庫まで走って歩道脇に単車を置き、歩いて下灘駅に到着しました。今年の夏の異常渇水を物語るようにドハに植えて順調に、育っていたツツジは無残にも枯れていました。会場には大勢の人が詰めかけ既に小学生が出演して合唱したり、そのうち伊予灘ものがたりも構内に入ってきて、かなり混雑していました。会場には顔見知りも多く、毎年来てくれる親友の高岡ご夫妻や、朝ヶ峠を越え田処からやって来た親友亀本さんの顔も見え、一年に一度の嬉しい出会いが沢山ありました。

 ライブは4部構成になっていて、ライブ1は下灘小学校児童によるJR下灘駅イメージソング「風の福駅で」の合唱、ライブ2は高知県在住のみそきち、ライブ3は愛の葉ガールズしょこらSACKY、ライブ4はプロゲストシカゴプードルなどなどの、楽しい歌声を聞くことができました。雨が心配でしたが熱気が雲を押上げ、茜色の夕焼けがとても印象的に見えました。司会をしてくれたやのひろみさんも、かつてはコバのメンバーとして運営に携わった経験があるので、大いに盛り上がらせてくれました。毎年のことながら夏の終わりや、秋の始まりを感じさせてくれるのも、このコンサートの特徴で、いい一日となりました。

 「年一度 夏の終わりの コンサート 31回 よくも続いた」

 「コンサート 近況確認 する場所に 元気でしたか それなりですよと」

 「心配を 他所に夕焼け お裾分け 感動的とは こういうことだ」

 「30年 前の思い出 蘇る 馬鹿げたことと 反対されて」

オープニングは下灘小学校児童の合唱「風の吹く駅で」
オープニングは下灘小学校児童の合唱「風の吹く駅で」
コンサート会場
コンサート会場
プロゲストシカゴプードル
プロゲストシカゴプードル
愛の葉ガールズしょこらSACKYの歌声
愛の葉ガールズしょこらSACKYの歌声
今朝の愛媛新聞6面総合の掲載記事
今朝の愛媛新聞6面総合の掲載記事

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〇野菜の種の国籍

 「大根の種は地元の祖母井種苗店、その他の種は農協」と決めて、毎年秋播き野菜の種を購入していますが、今年も概ねそのとおり種を購入して準備を進めています。特に大根は冬野菜の中でもこだわって作っているので、発芽や生育の良いものを地元の種苗店で選んでいます。種は10種類にも及んでいますが、ハサミで種袋の上を切りながら、袋の裏に書いている注意書きを読んで見て驚きました。

今年播く予定の種物
今年播く予定の種物

大根の種は量り売りなので出身地がどこか分りませんでしたが、何と何とホウレン草はデンマーク、小松菜はニュージーランド、春菊はアメリカと書いていて、国際色豊かなのに思わずビックリし、中国野菜といわれるチンゲンサイでさえオーストラリアと書いているのには大いに驚きました。種の市場はこのように殆どが日本とは気候の違う外国で育てられたものが輸入されているようですが、「安全性は?」と尋ねられると、まったく蚊帳の外で答えられないのです。

種の原産国が表示されている袋の裏書
種の原産国が表示されている袋の裏書

 ひところトウモロコシの種がハイブリット種、つまり育った作物から種を取ることができないように、コントロールされていることが話題になりました。つまり種は遺伝子組み換えされていて、そのトウモロコシを作ろうと思えば種は永久に特許的に買い続けなければならないのです。私たちは作る野菜の安全性についてはあれやこれやと言いますが、種のことまで言う人は殆どないようで、私自身も余りそのことにこだわってはいませんでした。ふと頭の中に疑問の火種がくすぶり始めたようです。

 TTP交渉の中身など知らされず知る由もありませんが、出来た作物も種も関税や検疫といった窓口を、すり抜けてわが家へやって来たものと思われますが、私たちが毎日口にしている野菜も、元を辿れば母なる国は外国なのです。作られた野菜は愛媛県産とか長野県産と産地表示するよう義務付けされていますが、種の原産地までは表示義務はないため、私すらそのことに何の疑いもなく、毎日自分が作ったと自慢しながら食べていたのです。私たちの体は一体どこの国の国籍なのか、「う~ん」考えると眠れなくなります。「や~めた」です。

 「播く種の 袋裏書 原産の 国名書いて 表示している」

 「チンゲンサイ 中国野菜 思ってた オーストラリア? 表示驚く」

 「TTP こんなところで 初気付き 日本の田舎 実は外国」

 「食べていた 野菜原産 外国産 私の体 殆ど外国」

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〇建築の三要素

 わが家は昭和51年に新築して40年が経つ、屋根は日本瓦、壁は土壁、外壁は焼杉といった純日本家屋です。5年前息子たち家族と同居するにあたって、少しリフォームをしたので古くもなく新しくもないって感じの家で、家族6人が平和に楽しく暮らしています。最近日本の各地で地震災害が頻繁に起きるようになり、わが家は耐震構造ではないので、「もし地震でも起こったらどうしよう?」と多少不安が頭を過ぎります。そうかといって年金暮らしゆえ耐震工事をするほどの余裕はなく、「なるようにしかならない」とか、「なったらなった時のことよ」と、まるで他人事のような割り切り方をしています。

古くもなく新しくもないわが家
古くもなく新しくもないわが家

 建築の仕事に携わっている息子が折に触れ言っている話を要約すると、建築の三要素は「強・用・美」のようですが、最近は特に世相を反映して「強」が求められています。その点わが家は一見頑丈そうに見えますが、現代の住宅に比べると少し危ない感じがします。「用」とは便利さや使い勝手でしょうが、昔風のわが家は襖や障子を取り外し周り廊下を含めると、20帖もの大広間になるため、お客事などにはすこぶる便利です。しかし居間や寝室などは、襖と障子で仕切られているだけなので、余り日常苦痛には感じませんが、個々のプライバシーが守れない難点があるようです。

 リホーム工事の時、思い切って家の全ての畳替えをしましたが、畳屋さんが「これほどの枚数の畳替えをしたのは久しぶりです」と驚くほどでした。最近の家は和室は言い訳程度しかないそうで、家は殆どフローリングでスリッパを履いて過しているようです。和風の家屋といいながら今は洋風の家が増えていて、小さい部屋の殆どにはドアがついているのです。外観も家の中もお洒落に造られていて、まるでメルヘンタッチのような家が多いようです。わが家のように庭が広くどこかしこに庭木が植えられていると、この時期は庭木の剪定や日常の草引きなど、考えもつかないほど労力を取られます。まあこれも「日本美」の表現だと思っていますが、老いの身ゆえに多少不安も感じています。

  「住む家の 三つの要素 強・用・美 どれをとっても 多少見劣り」

  「家の中 襖と障子 畳です ドアなど あるかないかで 純日本風」

  「この時期は 庭木 草引き 忙しく マンション住まい 羨ましくて」

  「菜園の 付いたお屋敷 住んでいる 格好いいが それは大変」

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〇内孫希心の誕生日

 昨日は小学3年生の内孫希心の9歳の誕生日でした。子どもにとって誕生日は子どもの日、クリスマス、お正月などとは違った自分だけの記念日なので、もう1週間も前から指折り数えてその日を、楽しみに家族みんなに言いふらしながら待っていました。内孫2人・外孫2人の誕生日には、妻が前もって何がしかのお祝い金を親に渡しているため、母親が「おばあちゃんから誕生日のお祝いを貰ったからありがとうとお礼を言ってね」と言われても余りピント来ないようです。

孫希心の誕生パーティ
孫希心の誕生パーティ
9本のローソクが並びました
9本のローソクが並びました

 昨晩は私たち夫婦も招かれて息子たちのダイニングで、手づくりのおご馳走やバーズデーケーキが用意され、いつもは帰宅が遅い息子も久しぶりに早く帰宅して、ささやかなパーティが開かれました。昨日9歳になった孫希心は「一生懸命頑張ります」と決意表明し、電気を消して9本のローソクの火を一気に吹き消し、クラッカーを鳴らし、ハッピーバーズディの歌を合唱してやりました。ケーキは若嫁の母親からいただいたチョコレートケーキで、ナイフで切り分けてお裾分けをいただきました。

 希心孫は2日前から風邪を引き、熱はなかったものの少し咳が出ていました。明くる日から学校が始まるのに、夏休みの疲れが出たのでしょうか?、少し心配です。それでも「おじいちゃん、おばあちゃんからはプレゼントを貰ったけれど、おじいちゃんからはまだ貰っていない」と要求されました。すかさず若嫁が、「おばあちゃんから貰ったプレゼントはおじいちゃんとおばあちゃんからよ!!」と助け船を出してくれましたが、ズボンのポケットにあった小銭を少しやると大喜びで、早速自分の貯金箱に入れていました。弟の孫奏心が「僕も~」とせがまれ、結局は小銭で難を逃れました。

  「孫9歳 時の経つのは 早いもの 自分も同じ 日々を生きてる」

  「ささやかな 誕生パーティ 招かれて 歌を歌って クラッカー打つ」

  「いい顔を するのはばあちゃん じいちゃんは 影に隠れて 小銭手渡す」

  「誕生日 指折り数え 待っていた あれこれ貰い 主役の一日」

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