人間牧場

〇八幡浜市日土を訪ねる(その3)

あらし山山荘
あらし山山荘
玄関先で行儀よくお客を迎える福助さんの置物
玄関先で行儀よくお客を迎える福助さんの置物

 退職をしてから松山のマンションと、八幡浜市日土の生家の二居住地を、程よく使って暮らしている親友の清水さんから、月見がてら年輪塾をやるので来ないかと誘われました。清水さんは既に他界した両親が暮らしていた生家を、最近リフォームしたようなので、興味もあって仲間とともに喜んで出かけました。日土は急峻な地形ながらみかん所で、清水さんの家はミカン畑の中に、まるでお城の石垣のようにせり出すように建っていて、折からの台風余波の南風が窓からもがり笛を立てて吹き込んで、残暑を吹飛ばしていました。

観月演奏会
観月演奏会

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 リフォーム工事で板張りフローリングをしたようですが、そこここに古民家の風情が残り、特に玄関の上がり口に、すすけた「福助」さんの置物が座布団の上に行儀よく座って、私たちに無言の教えを示していました。神様や仏様を大事にする篤農家らしい落ち着きがあり、そこここに清水さんの人徳を育んできた足跡を感じました。この日は2時間ばかり清水さんを中心に年輪塾の学びをしたあと、庭先に出て観月会が行なわれました。あいにく月は殆ど見えない曇りでしたが、集落の向うにはまるで北斗七星と見紛うほど行儀よく並んだ、人家の明かりがぼんやりと霞み、とても印象的でした。

一芸もここまでくると凄いこと
一芸もここまでくると凄いこと

 やがて清水さんと近藤さん、兵頭さんの3人がギターやバンジョウ、バイオリン、コカリナなどを使って演奏を始めました。雨ニモマケズ、KINJIRO SONG、私の子供たちへ、私に人生と言えるものがあるなら、おおスザンナ、琵琶湖就航の歌、故郷、カントリーロード、若松一家だバカボンボン、野に咲く花のようにの、計10曲を披露しました。この日のために毎週集まって練習しただけあって、見事な演奏でした。私もご指名を受け手持ちのハーモニカで即興宜しく、月の砂漠と高校三年生の二曲を披露しましたが、お恥ずかしい限りでした。3時間近くに及んだ楽しい交流会も、ぱらつき始めた小雨で水入り中締めとなり、私と松本さんはお暇して帰路につきました。

 いい仲間との語らいは楽しいものです。年輪塾の塾生は一芸に秀でていて、私のような下手糞なハーモニカで、お茶を濁す無芸な人間は、少し肩身の狭い思いがしますが、それでも次までに練習して少しでも腕を磨いておこうと、心を新たにしました。年輪塾で私が提唱する「処」ともいえる「あらし山」が、日土の山奥にできました。また一芸もそれぞれがグレードを高めつつあります。私はこの日清水さんを通じて、辻さんに頼んでいた「二宮金次郎の教え」である、「至誠・勤労・分度・推譲」という掲額を受け取り、雨に濡らさぬよう大事に持ち帰りました。中江藤樹の「五事を正す」とともに大切に使い、日々の暮らしの誡めにしたいと思っています。

  「山奥の あらし山なる 山荘に 仲間が集い 観月楽しむ」

  「処を造る 仲間の想い 凄いこと 田舎に住んでも 心は錦」

  「一芸を 披露するため 集って 練習積んで この日に備え」

  「茫漠と 過ぎ去る日々に 少しだけ 味付けすれば 悔いなく過せ」

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人間牧場

〇砂浜Tシャツ展

 17日から今日までの3日間、道の駅ふたみシーサイド公園の砂浜で、恒例のTシャツ展が開かれています。この3日間はあいにく雨が降ったり止んだりの天気でしたが、雨が小休止することもあって、かなりの人が見学に訪れていたようです。わが家でも孫2人が書いた絵をTシャツにプリントして出店しているので、家族みんなが見学に出かけたようです。私も準備の穴掘りや支柱立てにボランティアとして参加したので、松山へ出かける前に気になり、立ち寄り見学しました。

砂浜Tシャツ展
砂浜Tシャツ展

 実行委員会も実力をつけていて、ファーストフーズのお店も沢山出て、砂浜周辺も今年は昨年より出品枚数も多く、200点を越えているようで、子どものスペースは網で仕切られたり、防波堤の上に展示されたりして見応えのある展示でした。当初目指している500枚の目標にはまだまだ届きませんが、来年が楽しみです。シーサイド公園には他の道の駅にない450mもの砂浜や暖傾斜護岸等がありますが、まだまだその利用は未知数なので、みんなで知恵を出し合って盛り上げて行きたいものです。

いい作品がずらりでした
いい作品がずらりでした

 私も急ぎ足ながら全てのTシャツに画かれた写真や絵、文字を一つ一つ見て回りましたが、それぞれのTシャツに主張があって、とてもいい雰囲気でした。見学者が審査して表彰もされるようですが、孫たちも海の町に住んでいるだけあって、お魚の絵を上手に書いていました。孫たちは隣に用意された空気の入った遊び道具に夢中になったらしく、汗と雨とで泥んこになって帰り、お昼ご飯も外のウッドデッキで食べて楽しそうでした。今年私は出展しませんでした。今朝も雨が降っています、多分展示したTシャツは雨に濡れて洗濯物を干したようになっていることでしょう。まあそれもまた良しです。

「目標は 500枚だと 胸を張る 少しずつだか グレードアップ」

「砂浜を 上手く使って 芸術の 秋を表現 とても爽やか」

「孫たちも 絵を書きプリント してもらい 自画自賛して どうだとばかり」

「今日も雨 まるで洗濯 干し場です 少しだけでも 晴れるといいな」 

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人間牧場

〇八幡浜市日土を訪ねる(その2)

 私が日土の清水さん宅を訪ねるのはこれで3度目です。前回訪ねたのはもうかれこれ5年前ですから、どの道を行けばいいのか少々不安でした。妻が所用でどうしても自家用車を使うため、私は軽四トラックを使うことにしました。午後1時30分にしもなだ運動公園前で松本さんと待ち合わせして、海岸国道378号線を走りました。ゴゼヶ峠の長いトンネルを抜けて保内町へ入り、若松蒲鉾店辺りから谷に沿って日土を目指しました。途中日土東地区に立ち寄ったため、清水さん宅到着は集合時間5分前となってしまい、清水さんを含めた10人ほどの会員は既に到着して、改装なった古民家母屋の畳の間で早速、年輪塾あらし山塾が始まりました。

年輪塾の学習
年輪塾の学習
生きることの意味を話す清水塾長
生きることの意味を話す清水塾長

 まずそれぞれが持参した中国の古書「大学」の素読を順番に行い、清水塾頭が解説する方法で2時間ばかり学習しました。尊徳翁夜話の中から59話、1話、80話、100話、114話、218話、21話、142話、38話、39話、207話、176話、42話をそれぞれ読み出し、さすが塾頭だけあって大学と夜話の相関をたっぷり解説してくれて堪能しました。大学も夜話も難しいと思えば先に進めませんが、自分たちの暮らしに置き換えると案外理解しやすいようです。そのあと宮沢賢治の「農民芸術概論要綱」について議論を深めました。その冒頭に「おれたちは農民である。ずいぶん忙しく仕事をしてつらい。もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい。われらの古い祖父たちの中にはそういう人も応々あった。」とか、「曾つてわれわれの祖父たちは乏しいながら可成楽しく生きていた。そこに芸術も宗教もあった」と述べられています。

 清水さんが言わんとしていることは、この宮沢賢治の文章に凝縮されていると思いました。自分の祖父伝来の家をリフォームして、宮沢賢治の生き方に共鳴するように再起動した清水さんの生き方に、自分自身の生き方を重ねながら、さてこれからの人生をどう生きるか考えました。作家童門冬二が小説中江藤樹の中で「処士」について述べていますが、私は「処士」を「処志」と位置づける運動を興そうとしています。つまり「処」は人が集る寄り所となる場所であり、「志」は「こころざし」です。清水さんは私が私設公民館「煙会所」や「人間牧場」を手に入れたように、「あらし山山荘」を手に入れました。他の年輪塾の塾生も、「処」と「志」を手に入れるよう努力して欲しいと願っています。

  「久方に 日土山奥 あらし山 訪ね私塾の 学び大学」

  「田舎住む 人の殆ど ぶつぶつと やらないことを やれない言いつつ」

  「芸術を 持てば田舎に 住むとても 日々の暮らしが 生き生きできる」

  「私塾にて 処志を育てる 運動を 興した矢先 山荘できる」

 

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人間牧場

◯野菜の防虫ネット張り

 昨日は心配された雨も降らず、絶好の農作業日和でした。畑はまだジュルくて長靴を履かないと作業ができないので、長靴を履いて定植したキャベツの上に防虫ネットを掛ける作業をしました。まずプラスチックの曲がった棒を均等に立てて、その上に白い防虫ネットを被せるのです。この作業は慣れていないので意外と難しく、少し難儀をしました。

 キャベツや白菜を定植してから、畑にやたらとチョウチョやバッタが増えました。チョウチョはキャベツに止まって卵を産み付け、青虫になって葉っぱを食べ尽くすのです。バッタはその鋭い口で白菜の柔らかい葉っぱを同じように食べ、網目のようにしてしまいます。消毒しない方針なので、防虫ネットは最高の防衛なのです。

 昨年買い置きしていた防虫ネットを畝の長さに切り、4列張ったところで棒がなくなり、残りは次に持ち越しました。さあこれで自衛できたか楽しみですが、昨年は何度か大風で吹き飛ばされました。今年は洗濯ばさみで止める裏ワザに挑戦してみましたが、上手く行くかどうか・・・です。

  「農薬で 消毒しない 方針は 骨が折れるが 安心安全」

  「昨年は 台風大風 吹き飛んで 何度も苦労 今年は裏技」

  「白いチョウ 平和の使者に 見えるけど 野菜にとっては 害虫ですよ」

  「さあこれで 何とか防衛 したけれど 大根・カブは 苦悩暫く」

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人間牧場

〇メダカの嫁入り

 昨日友人宅へ、頼まれていた盆踊りのビデオテープを届けに出かけました。かつては役場に勤めていたこともあって、町内のあちこちへ出かけていましたが、退職後はそれもなくなったため、集落の隅々までは行く用事もなく、あいにく道を間違えるほどでした。アポも取らず昼過ぎに出かけたので、留守かも知れないと思いましたが、幸いにもご夫婦在宅で依頼のテープを渡し、庭先で立ち話をしました。聞けばこの集落も高齢化が進んでいるようで、どの家もお年寄りばかりだと嘆いていました。この集落では少子化どころか子どもは一人もいないそうで、はてさて急速に進む田舎の疲弊を実感しました。

友人からいただいたメダカ
友人からいただいたメダカ

 帰り際友人の家で飼っているメダカを見学させてもらいましたが、火鉢や発泡スチロールを庭の隅に置いて沢山のメダカを飼っていました。差し上げるという好意を甘んじて受け、小さな発泡スチロールの箱に入れてもらい持ち帰りました。わが家の玄関先には大小2つの水瓶が置いてあって、妻がメダカと鮒金を飼っていますが、水替え程度の世話なので、可もなく不可もなしといった感じです。間もなく仕事から帰った妻はメダカを見て大層喜び、早速水瓶に移し込んで餌を与えました。小さな10数匹のメダカは住む場所を替えられたストレスもなく、水瓶の中を元気に泳ぎながら餌を啄ばんでいました。

 私はかつて若い頃、東越という集落で、メダカを飼うために古民家を買い求めてやって来た、川口寿雄さんと入魂となり、メダカの学校づくりや、宇宙メダカに深く関わった時期があるので、メダカについてはかなり詳しいのですが、自分でメダカを買うことはしませんでした。妻はメダカを飼いたいと川口さんから数匹いただいて飼い始めましたが、そのうち熱も冷め多分家で生き延びているメダカはその残党のような感じがするのです。メダカは可愛くて比較的誰でも簡単に飼うことができます。隣のおじさんも卵を産ませて増やしていますが、生き物ゆえに餌をやったり水を替えたりしなければなりません。犬や猫のような世話もないので、せめてこれくらいのことならできるかも知れないと思いました。

  「友人に メダカ貰って 持ち帰る 妻は水瓶 入れて喜ぶ」

  「息子・孫 近くの川で 捕ったエビ 水槽入れて 飼って楽しむ」

  「私など 猫・犬飼わず メダカさえ 飼わず植物 一辺倒で」

  「魚遍 目と高書いて メダカ読む こんな造語を 昔作った」 

 

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人間牧場

〇雨の日のウォーキング

 日本列島の南岸に秋雨前線が停滞しているため、この2~3日ぐずついた天気が続いています。今朝もパソコンのお天気画面や、タブレット内蔵の気象クラウドなどを見ながら、「今日も一日雨かも知れない」と予感しつつ、少し明るくなった5時30分に、長靴・雨傘の出で立ちでウォーキングに出かけました。こんな日は雨に濡れるとやんちゃなためでしょうか、毎朝決ったように出会うウォーキングをしている人にも出会わず、夜明け寸前の薄暗い雨の中を1人歩きました。

長靴に雨傘の出で立ちで雨の中をウォーキング
長靴に雨傘の出で立ちで雨の中をウォーキング

 私のウォーキングコースは山道なので通る車も殆どなく、道の真ん中をわが道を行くが如く堂々と背筋を伸ばして歩きました。道端の草むらからは、秋の虫の低周波音のような鳴き声がどこからともなく聞こえ、季節の移ろいを感じました。やがていつもの目的地で引き返しわが家近くまで帰ると、犬を連れた近所の人に出会いました。私よりひと回りも若いその人は、最近銀行を退職して悠々自適の生活をしているようですが、日課は犬の散歩ながらその犬が年老いて、歩くのもおぼつかないヨタヨタ歩きに見えるのです。

勢いよく流れ出る裏山の清水
勢いよく流れ出る裏山の清水

 故に犬の散歩に付き合い、自分もウォーキングをしているつもりでしょうが、オシッコやウンコに付き合うため、中々先へ進めないようです。「ウォーキング、犬の散歩で犬が痩せ」という川柳そのままではなく、「ウォーキング、犬も主人も太っ腹」てな感じがして、失礼ながら思わず毎朝にんまりして通りすがるのです。最近は犬も室内で飼う人が増えてきました。この犬も室内と室外兼用の柴犬ですが、家の中で犬や猫を飼ったことのない私には、少し疑問符も垣間見えています。

 今朝大きなミミズが、くねりながら道を横切っていました。カタツムリも背中に貝殻を背負い、同じように横切っていました。「早く渡らないと交通事故に遭うぞ」と、声をかけましたが、知ってか知らずでか、のんびりゆっくりでした。最近まで朝のウォーキングのあいさつは、「一雨欲しいですね」とか、「暑いですね」でしたが、昨日今日は「涼しくなりましたね」とか、「もう雨は要りませんね」に変わっています。あれほど欲しがった雨もうんざりの対象のようです。わが家の裏から湧き出ている清水もこの2~3日の雨で、勢いよく出るようになりました。

  「雨の日も 長靴・傘差し ウォーキング 故に体調 すこぶる元気」

  「濡れた道 ミミズくねくね カタツムリ 早く行かねば 車が来るぞ」

  「雨欲しい その癖今度は 雨要らぬ 吾身の都合 あいさつ添えて」

  「老犬に 引っ張られるよう ノロノロと 元銀行員 今朝もお散歩」 

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人間牧場

〇妻の誕生日

 facebookをやっていると、殆ど毎日のように知人友人の誕生日を知らせてくれるので、ささやかながらメールにて誕生日の祝意を伝えていますが、妻の誕生日は家族や子どもにしか分らないので、それほど仰々しくもなく終ります。今年も若嫁が花束を用意し、内孫から「おばあちゃん、お誕生日おめでとう」と手渡され、外孫からも電話でお祝いの言葉が届くと、ただそれだけで妻は感激するのです。

妻の誕生日に届いたFAX祝意
妻の誕生日に届いたFAX祝意

 私も毎年のことながらささやかなプレゼントをしてやりますが、今年は元愛媛県議会議長の俊成薫さんから、祝意のメッセージがFAXで私宛に届きました。俊成さんとは交遊も深く旧知の仲なので、毎年私の誕生日になると祝意のFAXメッセージが届きますが、今年は妻にまで祝意が届き恐縮してしまいました。俊成さんは筆文字が達筆で、FAXは3枚にも及びました。その中の1枚に「あおいくま」という言葉が書かれていました。

あおいくま
あおいくま

 和顔愛語三百六十五日
 あ⇒あせるな
 お⇒おこるな
  い⇒いばるな
  く⇒くさるな
 ま⇒まけるな
 笑美至福

 プリントされたFAX用紙を妻と二人で読みながら、なるほどと納得しました。妻は9月12日で71歳になりました。私より1歳年下ですが、今のところまあそれなりに体調も良く、まだ現役で近くの歯科医院へパートで勤めています。今年度いっぱいで仕事を辞める予定ですが、長年働き続けてわが家を守ってくれた内助の功は、感謝しても感謝しきれないのです。これまでの人生の徒然に、あせらない、怒らない、いばらない、くさらない、負けないようにと、私を常に励まし誡めてくれました。そろそろ私が恩返しをする番かも知れないと、殊勝にも思いました。

  「今年は 妻誕生日 FAXで 祝意が届き 恐縮千万」

  「あおいくま 妻は私に このことを いつも誡め 導いてくれ」

  「内孫と 外孫祝意 何よりも 嬉しそうです 妻誕生日」

  「また一つ 歳をとったか 誕生日 目出度くもあり 目出度くもなし」

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人間牧場

〇久しぶりの恵みの雨

 今年の夏は、台風の影響以外は殆ど雨が降らず、しかも高温注意報が連日出るなど、厳しい暑さに見舞われました。ゆえに朝晩は家庭菜園に出て井戸から配水した水で野菜に潅水をするなど、かなり難儀をしましたが、ここに来てやっと朝晩しのぎやすくなりました。野菜への潅水から解放されたものの、今度は冬野菜の苗植え付けや、種蒔きの準備で連日大忙しです。

植えた冬野菜も雨で活き活き
大根も貝割れ葉から本葉が出てきました
植えたキャベツや白菜の苗も恵みの天で元気に育ち始めました
植えたキャベツや白菜の苗も恵みの天で元気に育ち始めました

 トマトやピーマンは時期を過ぎて役目を終えたので、竹垣とともに引き抜いて一輪車リヤカーに積んで果樹園の甘夏柑の根元に緑肥として還元していますが、抜いた雑草も一緒に運ぶため、日中の30度近くになる残暑で大汗というべきいい汗をかいています。210日頃に播いた種は既に芽吹き、大根は貝割れ葉の中から本葉が出て、今朝は雨に濡れて倒れるほどに伸びています。

 昨日から日本列島の南に秋雨前線が停滞し、大雨ならぬ小ぶりの雨がシトシトと降っています。一昨日やっと植え終わったキャベツや白菜の苗も今朝までの雨をたっぷり吸って、元気よく成長を始めたようで、何はともあれほっと一息といったところです。ハウスミカンを栽培している農家の小西千鶴子さんが、「水はお金で買えるが雨はお金で買えない」と教えてくれました。確かに雨は自然の成り行きに任す以外手立てはないのです。

 こちらでは「値千金」の雨も、台風がらみの豪雨災害に遭った東北や北海道では、今なお難儀を強いられ、憎い雨と思っていることでしょう。県内のミカン産地では早くも極早生ミカンの取入れが始まったと、昨晩のテレビニュースで報じていました。ミカン農家も今年の夏は干ばつに翻弄され、潅水作業に追われた夏でした。過ぎたるは及ばざるが如し、不足と過不足、毎年日本のどこかで、水で難儀する人たちがいるのです。勿論少なからず私もその一人です・・・。

  「水金で 買えるが雨は 買えません 金言名言 農家主婦弁」

  「種を播き 苗植えた後 千金の 雨がシトシト 朝を迎える」

  「この雨も 被災の人には 恨めしい 不足過不足 ないよう願う」

  「播かぬのに 種の芽吹いた すぐ横に 雑草無数 芽吹き憂鬱」 

 

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人間牧場

〇野菜の苗の定植

 毎年のことですが210日を過ぎ、220日を迎えるこの頃になると決ったように、苗物を作っている親友の水口マリ子さんから、「苗の準備が出来たので、取りに来るように」と電話が入ります。今年も私が山口へ出張中の16日に電話が入ったようなので、明くる日の午前中軽四トラックにキャリーを積んで出かけました。マリ子さんは出かけてあいにく留守でしたが、若奥さんが対応してくれてキャベツ、白菜、ブロッコリー、カリフラワー、などなどの野菜の苗を沢山いただいて持ち帰りました。

いただいた大量の野菜の苗
いただいた大量の野菜の苗

 はてさてこの野菜の苗をどこに植えるか、思案する暇もなくとりあえず、トマトやピーマン、青豆といった夏野菜を雑草とともに引き抜き、牛糞を万遍なくふって耕運機で耕しました。この作業は30度もある残暑の中ゆえ大汗をかき、とりあえず土曜日の午後半日で何とか、畝立てまでの作業を終えました。昨日は午前中中学校の体育祭と来客で手を取られたので、午後から植え付けを始めました。今年は畝幅が少し狭かった感じもしますが、ビニールハウスのトマトの残骸も取り終わり、畑はすっかり秋モードに変身しました。

キャリーに詰め込んだ野菜の苗
キャリーに詰め込んだ野菜の苗

 野菜の苗の定植を全て終えたのは午後6時でした。初老の私には少々ハード過ぎた感じもしましたが、「お父さん疲れているようなので、これを呑んだら」と、息子がギンギンに冷えたノンアルコールビールの蓋を開けプレゼントしてくれました。そのビールの美味しかったことは言うまでもありませんでした。昨夜は風呂に入って汗を流し夕食を済ませた後、マッサージ機で身体を揉み解し少し早めに床に就きました。お陰様で今朝は身体も元気も十分回復したようで、ひとまず一安心です。

 このところ、畑のあちこちにモグラが出没し、折角植えた苗や播いて生えた芽が、無残な姿になっているのも見受けられるようで、心を痛めています。多分牛糞や豚糞などを使って有機栽培を心がけているためミミズが発生し、そのミミズを食べにモグラが出没しているようなのです。毎年のことながらモグラを捕獲する知恵もなく、早速ホームセンターへ出かけ捕獲機の品定めをしなければならなくなりました。上手く捕獲できる保証はありませんが、またまた厄介な出費です。

  「春と秋 野菜の苗を 大量に いただく故に 猫の手借りたく」

  「夏野菜 雑草ともに 引き抜いて 牛糞ふって 耕運機かけ」

  「畝立てて 定規当てつつ 苗植える 性格そのまま 少しゆがんで」

  「菜園に モグラ出没 首ひねる どうしたものか 土中ゆえに」

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人間牧場

〇VHSは古くなりにけり

 私は若い頃から公民館活動やまちづくり活動に関わってきたので、新聞・雑誌のような印刷物に掲載されたことや、ラジオ・テレビで紹介されたことが沢山あります。その殆どは忙しさにかまけて、段ボール等に無造作に入れられ倉庫の隅で誇りを被っています。「暇ができたら整理をしよう」と思ってはいるのですが、退職して12年にもなるというのに暇など一向にできず、多分私が死んだら、このままゴミとして処分される運命にあるようです。

弟が保存していたVHSテープ
弟が保存していたVHSテープ
親友から貰ったVHSデッキ
親友から貰ったVHSデッキ

 先日友人が私の所へやって来て、「弟が撮影した今は途絶えている盆踊りのビデオテープが、どこかにないか探して欲しい」と頼まれました。早速町内に住む弟に電話をかけ、ビデオテープを保存しているかどうか、駄目元で聞いてみました。明くる日弟は自分が撮影した盆踊りの古いVHSのテープを持って来てくれました。背表紙には「昭和54年8月20日・盆踊り」と書かれていました。昭和54年といえば今から37年前ですが、ビデオテープは見つかったけれど、VHSテープをテレビに映す機器は残念ながらどこにも見当たらず、多分私の友人の家庭にもないものと思われます。

 ところがところがです。その2日後偶然にも私の親友である清水さんが、頼んだ訳でもないのに、ビデオデッキを私の所へ持って来てくれたのです。何というタイミングの良さでしょう。早速一両日中に友人にビデオテープが見つかったことを知らせたいと思っていますが、必要であればビデオデッキも一緒に貸してあげたいと思っています。それにしても平成になってからだけでも28年が経ちました。あれほど持て囃されたVHSなど使う人は殆どなく、今やDVDが主流の時代になっているのですから、VHS主流の昭和も、勿論昭和19年生まれの私も古くなったものです。

 やっとガラ携が使えるようになったと思えば、今度はそれさえも時代遅れとなって、スマートフォンが主流の世の中になり、5歳の子どもさえ遊び道具に使っているのですから驚きです。情報化が進めば進むほど私たち昭和に生まれた人間は、住み辛くなることは確かです。長生きすることも大事ですが、適当な時に住み辛いこの世におさらばするのも、選択肢の一つかも知れません。嘆かわしい時代に生まれ育ち、生きなければならなくなったものです。

 

  「友人に 頼まれテープ 聞いてみた 弟きっちり 大切保存」

  「つい昨日 ようだと昭和 思うけど 平成だけでも 28年」

  「VHS 今時それすら 見る機器も 見当たらなくて 困ったものです」

  「長生きも 大事だけれど 適当な 時期にこの世に おさらば一考」

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