人間牧場

〇蜜蜂巣箱のキットワクワク

 前日のかなり強い雨で、軽四トラックの荷台に積んだまま降ろせずブルーシートを被せたまま、一夜を明かした蜜蜂巣箱用の板を昨日は午前中片づけました。荷解きした板をリヤカーに乗せ東屋まで運び、倉庫を片づけてとりあえず収納しました。材木屋を営む従兄弟からのプレゼントですが、私が思っていた端材とは程遠く、見れば見るほど立派な板に驚くやら嬉しくなるやらでした。

 

貰った蜜蜂巣箱作りの板キット
貰った蜜蜂巣箱作りの板キット

側面板40枚は蜜蜂巣箱の黄金比率だと聞いている、30cmの巾に裁断されてキットになっていて、天板10枚を含めると50枚にもなるのです。近々蜜蜂の入口となる場所を切り取る作業をして、ネジ釘で止めて巣箱に加工する計画ですが、少しだけ心配はこの板が集成材なので接着剤を使っているため、蜜蜂のお気に召すかどうかです。これまでにも天板が足らなくなって、似たような集成材を使いましたが、支障はなかったようなので楽観はしていますが・・・・。

 昨日関奉仕財団のお世話をしている藤原さんから電話が入り、先日訪ねて懇談した関会長さんも私の活動報告に大満足だったそうで、その折手土産に持参した蜂蜜も気に入ってもらえたようで安心しました。蜜蜂一匹が集めてくる蜂蜜の量は僅か小さじいっぱいだと聞きますが、巣箱を作り、巣箱に蜜蝋を塗り、巣箱の前に日本ランキンリョウヘンを置いて誘引し、蜜蜂がせっせと集めた蜂蜜を蜜蜂と格闘しながらいただき、それを精製して瓶詰めしお裾分けする途方もない作業も、元はといえば木の板で巣箱を作ることから始まるのです。

 春がやって来ました。春は養蜂を志す私にとって、とても待ちどおしい季節でもあります。養蜂はワクワク・ドキドキ、時にはその神秘さがゆえにジーンとすることがいっぱいあります。今年もどんなドラマが待っているか楽しみです。既に蜜蜂の師匠からいただいた日本ランキンリョウヘンも、ダイニングの食卓の下で花芽を膨らませながら出番の来るのを待っているようです。

  「雨の中 ブルーシートに 被さって 荷台で一夜 明かした材板」

  「荷を解き 一輪車にて 持ち運び とりあえず倉庫 無事に収納」

  「パトロンと あがめる恩人 手土産の 蜂蜜食べて 美味しかったと」

  「春が来た やることいっぱい あり過ぎて ワクワク・ドキドキ ああ幸せだ」 

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人間牧場

〇確定申告がやっと終りました

 「エッ、今頃?」と思われそうですが、今年も確定申告がやっと終りました。昨日あったことさえ忘れるような年齢になると、この1年間の所得に関するあれやこれやを思い出すのは、愛用しているWriting Calemdarと、講演等に行った先々から送ってもらっている、支払い調書の紙切れですが、これを所得と旅費に分けて一覧表を作ります。若い頃はJTB発行の時刻表と首ったけで旅費を計算していましたが、今はインターネットで検索すると、いとも簡単に旅費の細々が示され大助かりです。

確定申告書類
確定申告書類

 私の場合、講演等でいただいた所得は、殆ど10%の所得税が既に差し引かれて支払われていて、むしろ講演料と旅費込みで所得税が引かれているので、旅費を必要経費として計上すれば還付してもらえ、毎年確定申告後に何がしかの還付金が戻ってくるのです。それにしても不思議に思うのは旅費にまで、10%の所得税がかかることです。旅費から10%差し引かれると旅費が10%足らなくなって赤字になるのです。まあ小さいことなので目くじらを立てることもありませんが、いつか専門家に聞いてみたいと思っています。

 私の場合、身体障害者総合1級の親父を扶養介護していたため、親父のお陰で所得税控除がありました。今年も7月まで存命だったので多少の控除があるものと思われますが、来年はそれもなくなるので、丸々所得税がかかるようです。いつものことながら私の確定申告は、税務に詳しい親友に頼んで申告手続きの記入を手伝ってもらいますが、昨日親友から計算が出来たと連絡があり受け取りに出かけました。今日は認印を押して切手を貼り、投函しようと思っています。現職を退職して11年が経ちました。これまではセミリタイアのような形でしたが、そそそろ年金一本の細々とした暮らしが始まります。しっかりと気を引き締めて暮らしたいと思っています。

  「何となく 肩の荷下りた 心境に 確定申告 今年も終る」

  「旅費にまで 10%の 消費税 理屈に合わぬ 首をかしげて」

  「この歳に なっても申告 親友の 手助けなくば 出来ぬ愚かさ」

  「そろそろと 年金一本 気構えて 質素倹約 生きる手立てを」

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◯春が来た

 先週の日曜日、私はあいにく大分へ出張していて留守でしたが、双海町では恒例の菜の花ウォークが行われ、春を待ちこがれた多くの人たちがウォーキングを楽しんだようです。この日の天気予報は雨でしたが、地元の人が「ボロでねじた(ポロっと降った程度)」と言うように大した雨にもならず、暖かい一日でした。

 私は喧騒の去った明くる日、大洲へ行く途中閏住の菜の花畑に立ち寄りましたが、一人で菜の花を独り占めしながら見るのもおつなものでした。冬から春へ季節が大きく動き始めました。目の覚めるような黄色い菜の花を見ながら、20数年前植えたらいけないというJRに歯むかって、ポケットから種を落とした逸話を思い出しました。もうこんな裏話を知っている人も殆どいなくなりましたが、今ではすっかり愛媛の春の風物となっているのです。

 今日はあいにく朝から雨が降っていますが、運の悪い人がいるもので、まちづくりの視察に10人ほどがやって来ました。この雨なのでリクエストのあった人間牧場へも行けず、結局私設公民館煙会所の囲炉裏に火を入れ、お話会となりましたが、菜の花畑は私が前日タブレットで撮影した画像を見せると、みんな口々に「まあ綺麗」「実物を見たかった」と残念さがかえって募る結果となってしまいました。。

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  「まあ綺麗 画像菜の花 室内で 見ながら雨の 天気を悔やむ」

  「この花も 元はといえば ポケットに 穴あけ落し まるで落語だ」

  「煙会所 囲炉裏囲んで 座談会 雨もまたよし 来た人喜ぶ」

  「菜の花と 夕日のコラボ 面白い 夜の菜の花 楽しむ人も」

 

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〇わが家もやっと遅ればせながら光が~

 何ヶ月か前、NTT関連の人がわが家にやって来て、「この町に光回線が入るのでお宅も如何ですか?」と勧められました。いきなりOCNとか光といった専門用語を言われても、デジタルやメカに弱い私なので、「あいにく留守ですが息子と相談して下さい」と、間違った判断も出来ないのでその場ではお茶を濁しました。後日息子の判断で工事が進められ、先日私の留守に電話下の機材交換作業が行われ、わが家も光回線になったようです。

 息子に聞けば光はその名のとおり、情報処理能力が質量ともに倍化したそうですが、質も量もそれ程ないと思われる私のPC仕事程度では、早いのか遅いのか、重いのか軽いのかさえも分らず、光の恩恵すら分らない、いい加減な人間なのです。まあ余り詮索しなくてもPCのことは息子に任せておけばいいと、安易な考えでいますが、回線利用は自動引き落としでお金がいることなので、チェックしておかなければなりません。

 最近はキャッシュレス社会で、携帯電話もインターネットも、また高速道路を走ってETCゲートをくぐっても、全て口座から引き落とされる仕組みになっていて、気がつけば貯金通帳に、沢山の引き落とし項目が並んでいて、騙されてたり間違っていても分りにくいほど数字が埋没しているのです。私は時代遅れな人間で、日常生活ではカードを殆ど使いませんが、わが家の暮らしを取り仕切る妻は、財布の中に沢山のカードを入れて持ち歩いているようです。便利だし安全だと言いつつ、少し不安も覗かせていますが、時代が変わったことを実感する今日この頃です。

  「OCN 光と言われ 何のこと? チンプンカンプン 古い人間」

  「通帳に 知らない数字 打ち込まれ 首をかしげて ただただ呆然」

  「世の中は 知らないことが 多過ぎる 時代遅れを しみじみ実感」

  「気にせずに 今まで生きて きたけれど これから先は どうすりゃいいの」

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〇元校長先生からの便り

 もう40年も前、さらにはもう10年も前、2度にわたって教育委員会で仕事をしたことのある、そして現在も教育関係の仕事が多い私ゆえ、そのことを反映して愛媛県内外の教育関係者とは今でも親しくお付き合いをしています。多分一番長い付き合いは愛媛大学名誉教授の讃岐先生ですが、先生からは二宮金次郎のブロンズ像までいただき、多少の重さを感じながら、このブロンズ像とともに同行二人の旅を続けています。

武田廣香元校長先生からのお便りハガキ
武田廣香元校長先生からのお便りハガキ

 先日元由並小学校長だった武田廣香先生から、一枚のハガキが届きました。心温まる文面には、「社会総がかりで取り組む愛媛の教育」を読んだ感想が書かれていました。多分昨年愛媛県松山市で開かれたPTAの研修会の折、私が発言したPTAをPTCAに替えてはどうかという意見が紹介されていたことへの感想でしょうが、嬉しいご意見でした。

 さらに文面を読み進めると、私が代表を務めている公友会の機関紙に投稿していた私と赤石さんの、記事を読んだ感想まで書かれていました。武田先生は退職前も退職後も私が実行委員長を務めているふるさと体験塾へも度々足を運んで、一緒に活動をしてくれているのです。情熱とファイト、それに軽いフットワークがリーダーには不可欠だとも書かれていました。

 何という温かいお便りでしょう。そして何という励ましの言葉でしょう。手にとって読んだ瞬間、思わず胸が熱くなりました。そして私もかくありたいと思いました。ゆえに私信で失礼とは思いましたが、あえて私の人生の年輪に記憶として遺すべく、今日のブログにて紹介することにしました。デジタル万能なこの時代ゆえ、ついつい見落としがちなアナログハガキが、どれほど人々に勇気や感動を与えてくれるか、再認識させれられました。世の中には達人がいるものです。

  「親友の 元がついたる 校長さん ハガキしたため 送ってくれた」

  「現代は デジタル万能 社会ゆえ 時代遅れと ハガキ思われ」

  「一枚の 手書きのハガキ 胸を打つ ハガキのような 存在なりたい」

  「一隅を 照らす人ほど 本物と あらため思う 遠い道のり」 

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人間牧場

◯大分県別府のホテルで朝を迎えました

5日前の3月1日に大分県国東市へ出かけた余感冷めやらぬ昨日と今日の二日間、今度は大分県別府市ヘ来ています。日本一の湧出量を誇る湯けむりの別府は私の大好きな街ですが、昨日は夜遅くの到着だったため、湯煙も見ずに眠り、今朝は逗留したホテルで穏やかで暖かい朝を迎えました。今朝は折角別府に来たのだから、これから朝風呂を楽しもうと思っています。

 今日は午前中大分県生涯学習センターで私の講演が行われ、午後はインタビューダイアローグや分科会が予定されていて、長い一日になりそうです。浅学非才な私ゆえその行方に多少不安を感じていますが、思いを込めて頑張ろうと思っています。

 今日の帰宅はかなり遅くなるものと思われます。お急ぎ用事の方は携帯でお願いします。

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人間牧場

〇蜂蜜のお裾分け

 昨日は日本銀行松山支店の3階会議室で、金融広報アドバイザーの研修会があり出かけて行きました。出かけるに当たって私が採取し息子が手間暇欠けて精製し、瓶詰めしてくれた蜂蜜を少々持参して、日ごろお世話になっている人たちに差し上げました。私の採取している蜂蜜は、日本蜜蜂が集めてくれた百花蜜なので、どの花の蜜か集めてくれた蜜蜂に聞いても答えてくれないので、知る良しもありませんが、身体や喉にいいと言われているので、一緒にアドバイザー活動をしているソプラノ歌手二宮典子さんにも、ほんの少しだけお裾分けしました。二宮さんは喉が命の人なのでと、勝手に思った次第です。

 会議と会食が終り帰宅途中、少し遠回りをして材木販売業を営む従兄弟の店に立ち寄り、蜜蜂の巣箱に使う板の相談をしました。私が現在使っている巣箱は馬路村産や野村町産、それに私が見よう見真似で作ったものですが、風に吹き飛ばされたりスズメバチやスムシに食い荒らされて随分くたびれてきているので、この際新しいものを子どもたちと一緒に作ろうと思っての相談でした。従兄弟は在社していて、少しの間私の話を聞いてもらい、この春まで小学校のPTA会長もしているので、子どものために一肌脱ごうと言ってくれました。

 お礼に蜂蜜を一瓶差し上げて帰りましたが、キットが出来るのが楽しみになってきました。蜂蜜はこうしてお裾分けという形で次から次へと人に手に渡り、人の心をつないでくれています。子どもたちと一緒に作る予定の蜜蜂の巣箱が今度はどんなドラマを産んで行くのでしょうか。一匹の蜜蜂が運ぶ蜂蜜は僅か小さじ一杯程だといわれていますが、今年は蜜蜂師匠の井上さんから花芽のついたキンリョウヘンも届いていて、春の来るのが待ち遠しいこのごろです。私も今朝妻の焼いてくれた食パンに蜂蜜をたっぷり塗って、元気を一杯いただきました。今日は新居浜~大分と忙しい出張が続きます。

  「ソプラノの 親友歌手の 友人に お裾分けする 蜂蜜一瓶」

  「材木屋 社長に相談 巣箱板 任せてくれと 強い味方に」

  「木の板で 蜜蜂巣箱 誰にでも 作れるように キット組み立て」

  「蜂蜜が 人と人とを 橋渡し 心豊かに 生きる喜び」

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〇マシン油散布

 私たちの地方では、農薬散布のことを「消毒」と言います。子どものころから「消毒」という言葉や作業を見聞きする度に、食べ物に農薬をかけるのに何で「消毒なのだろう?」と思っていました。農薬は食物に群がる害虫を駆除したり病気を予防回復させますが、農薬は人体に悪いものが殆どで、害虫や病気は農薬をかけるとだんだん農薬に馴れて効かなくなり、より強い農薬を使う悪循環を繰る返すのです。

修理を終えた動噴使ってマシン油散布
修理を終えた動噴使ってマシン油散布

 せめて自分が食べる野菜や柑橘くらいは無農薬で作りたいと、自分が家庭菜園で野菜を作るようになって思い始め、どんどん有機肥料を入れて土作りに力を入れていますが、お蔭様にてこの5年間多少虫に食われながらも無農薬で野菜を作れるようになりました。しかし野菜は別として柑橘系は無農薬では中々思うに任せず、害虫や病気に強い甘夏柑主体のため、せめて人体に害のないマシン油をだけでも散布しようと思い立ちました。

 わが家には親父が使っていた消毒用の動噴がありますが、もう30年前のもので、修理のため先日近くの農機具屋に持ち込んみましたが、部品がないので修理不可能のレッテルを貼られてしまいました。妻と相談した結果小さい動噴を8万円もかけて購入し、元の動噴台に取り付けてもらいました。出来上がった動噴は中々のものですが、ハウス建てに来ていた農材スーパーの大将に、マシン油を一缶持って来てもらい、準備を進めていました。

 昨日は無風の上上天気だったので、午後から急に思いつきホースを伸ばしてマシン油を一石タンクに水を張り、30倍に希薄して散布しました。ホースを引っ張る人もおらず自分ひとりでの散布は、雨合羽をきていたこともあって、すっかり大汗をかいてしまいましたが、準備から柑橘や庭木への散布、後片づけを含め、3時間ほどで作業を終えました。はてさてどんな効果があるのか、不安と期待が入り混じっていますが、農作業や庭木の手入れは中々手間が入る仕事で、今更ながら亡くなった親父の苦労が偲ばれてなりません。やっと冬送り、春迎えの準備が整ったようで一安心です。

  「柑橘や 庭木についた 病害虫 マシン油を 散布し退治」

  「動噴が 直って戻り 早速に 一人で散布 中々骨が」

  「水2石 マシン油を 30倍 薄めて散布 カッパずぶ濡れ」

  「冬送り やっと終って 春迎え 色々仕事 亡き親思う」

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〇送迎車の中での会話

 昨日と一昨日、私は大分県国東市での講演のため、自宅~国道378号夕やけこやけライン~ゴゼヶ峠トンネル~国道378号潮風めメロディーラインを通って、三崎港からフェリーに乗り、豊後水道を渡り佐賀関港に降り立ちました。このルートは海を渡る時間が僅か70分と短いので大助かりなのですが、そこから先の交通アクセスが少し不便なため、いつも大分の知人友人や主催者が気を使って送迎してもらい、こんなあり難いことはないのです。

 今回もフェリーが到着すると、船着場には国東市教育委員会の車が迎えに来ていて、吉岡さんという若い職員さんの運転する少し太めのワンボックスカー後部座席に乗って、一路国東市を目指しました。大分・別府を過ぎる日出ジャンクションまでは何度も通った見慣れた道ですが、その先大分空港付近までは何度か通ったことはあっても、覚えているほどではありませんでした。送迎者の中での私と運転者との会話は、講演のネタにするべく国東市のことや研修会の趣旨などを聞き出そうとする、私の質問に答える形でした。

 講演と懇親懇談会が終わりホテルに一泊して、早朝6時30分に今度は別の若い職員さんがホテルまで迎えに来てくれました。復路は講演の感想や参加者の反応などを話しましたが、転職し市役所に入ってまだ2年という若い職員さんは、国東市の知名度を上げたり観光客を呼び寄せる術等を、私が観光カリスマであることを知ってか、助言を求めて来ました。また若い職員として街にいささかなりとも貢献したいという熱い胸の内も吐露してくれ、私も様々なアドバイスをしてあげました。

 私も若い頃公民館やまちづくり活動で色々な講師を招きましたが、その度に送迎を志願し、送迎の車の中で講師から色々な話を盗んだばかりか、旅館やホテルなどの宿泊所が町内になかったことをいいことに、わがやへ講師を泊めて講師を骨抜きにするほどしゃぶりました。その成果が今日の自分を作っているのですから、これはもうとてつもなく大きな収穫でした。送迎車の中での講師との会話は本音のぶつかり合いだし、講師の持っている洗練されたネットワークもフットワークも、知恵さえも味方にすることができました。はてさて昨日の若い職員さんにとって、私との会話は如何だったでしょう。

  「佐賀関 片道2時間 目的地 二人で会話 個人レッスン」

  「若い頃 送迎役目 志願して 車の中で 話を盗む」

  「宿がない それさえ味方 講師泊め しゃぶり骨抜き 色々やった」

  「自分では 気づかぬことを 外の人 直感的に 教えてくれる」

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◯大分県国東市のホテルにて(その2)

 今朝は講演旅行先の大分県国東市の海沿いに面した、ホテルヴィラくにさきで爽やかな朝を迎えました。前夜は近くの居酒屋で懇親交流会があったものの、頼まれていた原稿の仕上げが残っていて、どうしても昨晩中に仕上げて送らねばならず、少し早く切り上げさせてもらい、ホテルへ帰ると直ぐに持ち歩いているタブレット端末で何とか送信することができました。今朝は午前6時30分頃に教育委員会の職員が公用車で佐賀関港まで送ってくれるそうなので、これから身支度を整えて待っています。昨日は公民館の活性化について講演を90分行い、夕方からは近くの居酒屋で懇親交流会に参加しました。その模様は帰ってからゆっくりとpcを使ってブログ記事に書こうと思っていますが、帰宅は途中立ち寄らなければならない要件が2〜3件あるので、帰宅時間は夕方になるようです。

 ここまで書いてホテルを出て、予定通り高速道路を走って佐賀関まで送ってもらい、午前9時佐賀関発のフェリーに乗って三崎港に上陸、停めていた自家用車を運転し、保内・八幡浜経由で約一時間走り、国立大洲青少年交流の家に立ち寄りました。運勢委員長をしている関係で、次の7日の月曜日に予定されている運営委員会の提出議案について、所長さんと事前打ち合わせを小1時間所長室で行いました。途中大洲のホームセンターダイキに寄り道して、先日わが家の海の資料館海舟館に里帰りの途中、割れてしまったカラスの修理をするための、瞬間接着剤を買い求め、長浜経由でやっと自宅へ到着しました。

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