人間牧場

〇双海史談会設立10周年郷土史講演会

講演会のチラシ
講演会のチラシ

 坂本竜馬といえば高知県が生んだ明治維新の英雄です。ゆえに没後100年を越えた今でも根強い人気がありますが、坂本龍馬以外にも明治維新には、様々な秘話があって、後に上灘村・高岸村・高野川村の戸長を務めた大洲藩士中村惇も知られざる人物なのです。双海町史談会では設立10周年を記念して、「明治維新秘話ものがたり・大洲藩士中村惇(あつし)の事積」を出版している、双海町出身の武智利博先生(伊予史談会名誉会長)を招いて、中村惇をテーマにした講演会をすることになりました。

講演をする武智利博先生
講演をする武智利博先生

 昨日は午前9時に地域事務所3階の大ホールに関係者が集り、椅子を並べたり看板をかけたりして準備をしました。私も役員の末席を汚しているので役に立たないとも思いつつ少しだけ手伝い、そのうち講師の先生と別室で久しぶりに再会し、言葉を交わしました。今回は公開講座としてチラシを新聞折り込みしたため、また先生の人脈もあって予想を越える多くの人が集まり、満席状態で講演会が開かれました。先生は高校の校長先生をされていたこともあり、ノンフィクションな史実を丹念に研究していて、興味をそそるお話をいっぱい聞くことができました。

 

講演会場風景
講演会場風景

1862年、坂本龍馬脱藩。その2年後の1864年8月、田中光顕(のちに明治政府で宮内大臣等の要職を歴任)ら5名も土佐藩から脱藩を企てました。田中光顕らは、黒森峠~岩屋寺~久万~三坂峠~麻生を通過。その後松山に行かず郡中へ入りました。何故脱藩の道に郡中の道を選んだのでしょう。そして郡中に入った一行は、庇護してもらえる長州に向うために、船を調達しなければなりません。地元の協力者の存在に脱藩の成否がかかるのです。当時郡中の郡奉行であった大洲藩士中村惇は、土佐からの脱藩者にどのように接したのでしょう。チラシに書かれていたキャプションが興味をそそり、先生の話しに傍耳を立てて聞きました。

 講演会終了後先生を囲んで、近くの割烹灘で簡単な昼食会が持たれ、私も参加しましたが、残念ながら午後1時に高知県日高村から視察を受け入れることになっていて、その後の総会にも副会長ながら出席も出来ず早退して、不義理を囲ってしまいました。双海町が伊予市・中山町と合併するほんの前、改訂双海町誌を編纂する仕事を、当時教育長をしていたこともあって編纂委員長を務め、中尾先生たちと一緒に大事業をなし終え発刊することができました。その余韻を受けて設立した史談会ですが、早くも10年が過ぎました。これからも双海という郷土をキーワードに、みんなで勉強して行こうと思っています。

  「早10年 時の流れに 驚きつ 記念事業の 机並べる」

  「いや凄い ノンフィクションの 裏話 坂本龍馬と 比較をしつつ」

  「丹念に 調べ研究 した資料 読みつつ話し 耳を傾け」

  「沢山の 人が集まり 講演会 これも講師の 人徳広さ」

 

[ この記事をシェアする ]