人間牧場

〇忘れちゃならない2011年3月11日

 昨日は朝から晩まで一日中、2011年3月11日午後2時46分に起きた東日本大震災の恐ろしい記憶を、思い出させるようなマスコミの報道があり、日本列島は鎮魂の祈りに包まれました。犠牲となった死者・不明者・関連死者2万1千人や、避難したままの17万4千人のことを思えば、余寒が身に染みる一日でした。東京電力福島第一原発の廃炉作業を含めた復興の道のりはまだ遠く、忘れたいけど忘れてはならない風化への危機感も感じつつ黙祷を捧げました。

 阪神淡路大震災、えひめ丸事故、東日本大震災など、私の人生において忘れてはならない社会的出来事はいっぱいありますが、日々の暮らしの中でいつの間にか埋没してしまうのです。それでも昨日は朝晩の食事をしながら直近起こった東日本大震災のことを夫婦で話しながら、昨年7月あの世へ逝った親父のことに話が及びました。一番身近な人間の親父のことすら次第に話題になることが少なくなりました。私たち夫婦にとってとりわけこの5~6年は、親父の介護を忘れた日は一度もありませんでした。

 ゆえに亡くなって8ヶ月が経った今も、時々親父の夢を見たりオヤッと思うような親父の幻影を見たりするのです。これまでより頻繁に仏壇に手を合わせたり、お墓へシキビを供えたりしていますが、日が経つにつれて思い出は薄れつつあることも事実です。でも決して忘れてしまったわけではなく、母が亡くなって27年が経ちましたが、母の存在も同じように風化せず、心の奥底にちゃんと残っているのです。私たち夫婦が亡くなったら、子どもたちがこれほど思ってくれるかどうかは疑問ですが、折に触れ思い出して話するのも供養の一つと心得て、前を向いて生きつつ、後を振り返りたいと思っています。

  「3・11 あの日あの時 忘れない 心の奥に しっかり刻む」

  「目を閉じて 黙祷一分 大津波 テレビの光景 記憶で残る」

  「亡くなりし 親父のことを 思い出す 勿論母も 心の奥に」

  「人間は はかなきものよ 自然には 到底勝てぬ 自然と共生」

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