人間牧場

〇夏の暑さに弱い日本人

 セミの声が賑やかです。梅雨の時期が比較的涼しかっただけに、連日続いている猛暑日や熱帯夜で、毎日嫌というほど大汗をかき、このままだと汗疹ができそうな雲行きです。気象庁は連日高温注意報を出して、熱中症に注意するよう呼びかけていますが、それでも暑さに弱い現代人は、連日救急出動の救急車に乗って病院に運ばれ、死者や意識不明者まで出ているようです。

 先月親父が亡くなったので、熱中症の気遣いはしなくてもすむようになりましたが、気がつけば私も70歳の高齢者なので、他人事ではなく時折暑い畑で仕事をするので、妻からは「暑いから止めて」とか、「水分を十分に取るように」とか言われていますが、現代人はいつ頃からこんなに暑さに弱くなったのでしょう?。考えられる原因は冷暖房に頼る日々の暮らし方のようです。

 私はもうリタイアをしているので、冷房の効いた部屋で仕事をすることはありませんが、たまに講演や会議などで冷房の効いた部屋で過ごすと、寒過ぎて風邪を引いてしまうのです。ゆえに上着を携帯していますが、「何でこんなに冷やさなければならないのか?」と時々首を傾げたくなります。私は冷房嫌いの貧乏性なので、家で冷房は殆ど使いません。息子たちの部屋は時々使っているようです。

 冷房は余り身体には良くないようです。冷房に馴れた暮らしをしていると、外の熱射を想像以上にきつく感じるのは当たり前で、時には熱中症で命を落すことだってあるのですから要注意です。「夏は暑いもの」と原点に立ち返って考え、暑さに強い丈夫な体づくりに日ごろから取り組めば、冷房病にもならなくてすむのです。私のような人間を「やせ我慢」とか「屁理屈言い」というのでしょうが、人はどうであれ「健康は自分が自分に贈る最高のプレゼントである」ことを肝に銘じ、残り少なくなった2015年の暑い夏を、せいぜい大汗をかいて楽しみたいと思っています。

  「冷房も 使わず過ごす やせ我慢 大汗かくが これが自然だ」

  「現代人 冷房馴れて 暑さには 滅法弱く 熱中症なる」

  「冷房が 日本人を 弱くする 戦争よりも 病気が怖い」

  「健康は 自分に贈る プレゼント サプリメントも 助けてくれず」 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇家庭菜園の潅水始める

 このところお天気が続き、家庭菜園の野菜類が水不足で少し元気がなくなり始めました。一度水をやり始めると水を貰うものと勘違いして、自助努力をしなくなり、かえって寿命を縮める結果になるので、ギリギリまで待とうと思っていましたが、ついに痺れを切らして昨日の夕方からとりあえずナスと里芋に水をかけ始めました。

井戸水を野菜に潅水
井戸水を野菜に潅水

 わが家は裏山から流れ出る清水と、親父が井戸の水をポンプアップして菜園に配水できるようにしてくれていて、2本立ての水脈があるので、日常的には清水を利用していますが、ここに来るとさすがに水を汲んでジョロで野菜にかけるのは「焼け石に水」って感じがするので、井戸水を使って野菜の頭から水をかけ始めました。

 今朝ウォーキングを終えて畑を見回りましたが、昨晩水を沢山やったナスも里芋もどこか元気を回復しているように見えました。天気予報だと今週の木曜日か金曜日に少し雨が期待できそうなので、とりあえずそれまでは潅水をしたいと思っていますが、潅水を始める夕暮れ時になると、薮蚊やブトが出てきて身体にまとわりつき、どここことなく刺されるので、用心をしなければなりません。

 水は人間をはじめ生命体にとって命です。野菜は地中の水分を根が吸って成育し、葉を茂らせて花や実をつけます。私たちは野菜の根、葉っぱ、花、実など、それぞれの特徴に応じた部位を食べ、それらを栄養源として生きていますが、夏野菜は身体を冷やし、冬野菜は身体を温めるという特徴を持っていると聞きます。スイカを食べると体が涼しくなるのもそのためです。もう少しの間夏野菜のご厄介になり、体温を下げて欲しいと願い、今日も晩方には潅水をしたいと思っています。

  「猛暑日が 続いて菜園 元気なく そろそろ水を かけてやりたい」

  「水遣りの 癖がついたら 自助努力 しなくなるから ギリギリ待って」

  「夏野菜 食べると体 冷えてくる 自然の摂理 上手くできてる」

  「わが家では 清水と井戸を 併用し 野菜育てる 知恵を親父が」

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇巷の話題

 地元の漁師を転職してから35年間、職業が地元の役場勤めだったため、町内の話題はその日、晩くても2~3日のうちに自分の耳元へ届いていました。また取るに足らない噂話も月に1回出かける散髪屋や行きつけの呑み屋で疲労ことができていました。10年前現職を退職してからもまちづくりのお手伝いをしたり、道の駅へ時々顔を覗かせるものですから、昔ほどではないにしても大まかな話は耳元に届くし、妻が近くの歯科医院で働いていることもあって、お目出度お悔みの類もそれなりに知っているつもりです。

 一昨日自宅の家庭菜園で収獲したナスを発泡スチロールの箱に入れて、シーサイド公園のじゃこ天の店で働く人たちに持って行ってあげました。おばちゃんたちは大層喜んで、お礼につみれをいただき世間話に話が弾みました。聞けば岡田さんという漁師さんが2~3日前ネットローラーに巻き込まれる大きな事故があったとのことでした。岡田さんは漁業後継者の時代から活発に活動をしているよく知った間柄ですが、一人で漁に出ていて事故に遭ったものの、僚船が異変に気付き助け出して松山の救急病院へ運び一命を取りとめたようです。命があっただけでも奇跡だと不幸中の幸いを話していました。

 上灘漁協ではこれまでにも同じような事故に何人も遭い、尊い命をなくしているだけに心が傷み、私も元漁師ということもあって、決して他人事とは思えないのです。人は絶えず危険と隣り合わせで生きています。何の危険もなく安全という柵の中で生きているような私でも、一昨日は草刈り作業の最中に蜂に襲われ、顔が変形するほど腫れたりもしました。幸い大事には至りませんでしたが、あることない事のないことや根も葉もない噂話は別にして、これからも町の話題を、積極的に人の輪の中には入って、知る努力をしたいと思います。遠い情報はネットで瞬時に入ってきますが、得てして近い情報は遠いものだとしみじみ思いました。

  「遠いこと 知ってはいるが 近いこと 意外と知らず これが世の中」

  「漁船にて 漁師ローラーに 巻き込まれ 幸い命 落さずすんで」

  「世の中は 傍に危険が いっぱいだ 他人事とは 思えぬ毎日」

  「この歳に なると噂も 蚊帳の外 知らないことが 多過ぎますね」 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇私はスイカで生きている

 夏は私の大好きなスイカのシーズンです。妻は体の都合で酒の呑めなくなった私のために、この時期になるとスイカの名産地の一つである双海町東峰の妻の親友赤尾さん宅まで出向き、山スイカを沢山買ってきて、朝な夕な食べさせてくれるのです。私もその熱意に感謝しながら、昨年から自宅の家庭菜園で小玉スイカを作り始めました。昨年は初めてのことだったので作り方が分らず少し苦労しましたが、それでもそれなりのスイカができて楽しみました。

食卓二出された美味しいスイカ
食卓二出された美味しいスイカ

 

収穫したスイカ
収穫したスイカ

今年は昨年の経験を活かし満を持して望みましたが、植えて間もない頃やまぜという南西の突風が吹き、折角植えたスイカの苗が吹き飛ばされ駄目になってしまいました。それでも諦めきれずに敷き藁を敷いて大事に育てたところ驚異的に回復してツルを伸ばし、3本の苗に40個もスイカの実をつけました。ハクビシンに食われないよう周囲や天井に網を張り、テレビで見た地下足袋を吊るすおまじない?もやったところ、近所のおじさんのスイカ畑はハクビシンの被害に遭ったのに、わが家は無傷のまま収獲を向かえたのです。

 7月25日から収獲し始め、毎日のように2個ずつ収獲して朝昼晩の食後のデザートとして食べていますが、味も色も抜群で美味しくいただいています。妻が「お父さんは夏はスイカで生きているようなものだ」といわれるほどで、食べ過ぎを心配するほどです。スイカは利尿作用があって体の熱を冷ましてくれるので、熱中症が気になる猛暑日の続く日々には、最適の野菜なのです。昨日はそろそろつるが枯れてきて熱射で味が落ちそうなので、思い切って全てのスイカを収穫し、倉庫の涼しい場所へ置きました。これも来年のためのテストです。昨日収獲したスイカが保存できるのであれば、少なくともお盆までは嬉しいスイカ三昧の日々が続くようです。有難や有難やです。

  「菜園で 好物スイカ 昨年に 続き作付け 成果抜群」

  「毎日の ようにスイカを 食べている 三昧な日々 お盆ころまで」

  「来年は もっと上手に 作ろうと 思いも新た シナリオ描く」

  「40個 スイカの一つ ハーロウィン 孫にも夢を お裾分けする」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇中学生の新聞取材

 最近新聞の内容が少し変ったような気がするのは私の思い違いでしょうか?。テレビが出現するまでニュースは新聞一辺倒でした。ところが最近はパソコンやスマホといったデジタル情報に押され、新聞は活字離れ、テレビは視聴離れとなり、特に若い人たちの新聞やテレビ離れは顕著で、新聞さえデジタルで配信される有様です。このままでは新聞の未来はないと、マスコミも危機感を募らせて、子どもや若い世代に新聞に親しんでもらうよう色々な工夫を凝らしているのです。

 学校の教材に新聞を活用したり、新聞作りを体験させているようですが、先日わが家へも地元双海中学校の生徒4人が、先生と愛媛新聞社の記者を伴って取材にやって来ました。聞けば愛媛新聞の紙面を使って10月に伊予市を紹介する大掛かりな特集を組むようです。そのコーナーに「キーパーソン」というのがあって、子どもたちが相談した結果どうやら私が選ばれたようでした。中学生の豆記者4人はいずれも女子生徒で、4人とも小学生の頃から人間牧場で開いている「ふるさと体験塾の」に参加していて、今もジュニアリーダーとして活躍してくれている者ばかりでした。

 自宅の横の東屋で取材に応じましたが、インタビューをする子、写真を撮る子、メモを取る子などしっかりと役割分担ができていて、こちらがハッとするような質問を沢山してくれました。若いころから新聞やテレビには嫌というほど出ていますが、さすがにこの歳になると少し気恥ずかしい気もします。はてさて57歳も離れた初老の私をどのように中学生は料理するのか、その出来栄えがとても楽しみです。ついでに海の資料館や私設公民館煙会所を見学して帰って行きました。お土産に私の取った蜂蜜の小瓶を差し上げました。

  「豆記者が 4人もわが家 やって来て 新聞取材 楽しいひと時」

  「子どもらは 最近新聞 テレビなど 余り見ないで スマホに夢中」

  「新聞の 未来はないと 危機感を 持っているよう 対応ありあり」

  「子どもの目 老いた私は どう映る インタビューに 楽しく応じ」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇どこか懐かしい四万十市への小さな旅(その2)

 PTA主催の講演会は、新築間もない素敵な中村小学校の2階で行なわれました。この部屋は冷房が効いていて、約80人ほどの参加者にピッタリの中会議室といったところです。午後7時から「逞しい子どもを育てるために」というテーマで90分間目いっぱいお話をさせてもらいました。四万十市といえば昨年日本で一番暑い温度を記録したことでも知られていますが、昨日は冷房のお蔭で快適で、寝る人もなく私の話に熱心に耳を傾けてくれました。

DSCN0528 講演会が終ると、かつて頻繁に行き来をしていた旧友の和田さん、篠田さん、乾校長さんが集まって、西土佐出身の人が経営している笑竹という居酒屋で私の歓迎会を開いてくれました。和田さんと乾さんは今年一杯で定年らしく、篠田さんは農林関係の課長として活躍されているようで、昔の懐かしい話から現在の近況、今後の身の振り方などを楽しく話しました。年齢的には一歩も二歩も先を行く私ですが、「これからの生き方がこれまでを決める」という逆転の発想についても体験を語りました。

 テーブルの上には今が旬の鮎の塩焼きや、四万十の天然ウナギの蒲焼、それにカツオのたたき、メジカ(ソウダガツオ)の味噌和えなど、美味しいものばかりでした。私は酒が呑めないので残念でしたが、呑むほどに酔うほどにボルテージは高くなるばかりでした。今回も日帰りの小さな旅だったので、10時30分にお暇して帰路に着きましたが、口屋内の民宿せん母に約束の鮎を貰いに立ち寄ったものの、11時を過ぎてもご主人は火振り漁から帰らず、遅くなるので後ろ髪を引かれる思いでお暇をしました。

 片道150キロ、往復300キロは日帰りにしては少し遠い距離です。松野~三間~大洲~長浜を経由し日付の変った今日の午前1時前に無事わが家へたどり着きました。和田さんとは西土佐村役場時代から手紙を交換したり、一緒に私の講演会に同行したりした親しい友人です。篠田さんは中村市で開かれ結婚披露宴の司会をしたご縁で今も時々お米をいただくなど交遊が続いています。乾さんは若いころ派遣社会教育主事として3年間派遣された折知り合い社会教育で今もご縁をつないでいます。3人三様懐かしく、かけがえのない人たちです。

 また行き帰り立ち寄った民宿せん舟の3人も私にとっては若いころ結婚披露宴の司会をするなど思い出に残る人たちです。11月には幡多農業高校へ講演に出かける予定が組まれていて、民宿の美空ちゃんの通っている高校だけに今から楽しみです。昨日は講演会でアドリブながら木になるカバンの忍ばせているハーモニカを取り出し、ペギー葉山のかつての大ヒット曲「南国土佐を後にして」という歌謡曲を、下手糞ながら臆目もなく披露してし、大きな大きな拍手をいただきました。これも忘れられない小さな四万十の旅の思い出です。皆さんありがとうございました。

  「若いころ ご縁いただき 今もなお 忘れることなく お座敷お声」

  「結婚の 披露宴では 高知まで わざわざ出かけ 司会数組」

  「県民歌 南国土佐を 後にして 下手糞ながら ハーモニカ吹く」

  「四万十は どこか懐かし 味がする 狭いカーブを 思い出しつつ」 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇いただいた一幅の掛け軸(その2)

 先日年輪塾の塾頭を務める親友の清水和繁さんがわが家に見えられました。先日行なわれた年輪塾の修学旅行で、中江藤樹のふるさと近江小川村を訪ねた時、同行してもらった大洲藤樹会の辻喜千治会長さんが自ら画いて6年前、中江彰先生に差し上げていた一幅の掛け軸を、辻会長さんも了解され、年輪塾にいただいて帰ったと報告を受け、塾長である私が受け取ることにしました。

清水塾頭が持ち帰った一幅の掛け軸
清水塾頭が持ち帰った一幅の掛け軸

 私はこれまで生きた70年間に、自分の生き方を決める様々な場面に出くわし、それらを手に入れてきました。小学校2年生の時下灘小学校の校庭にあった二宮金次郎像の上に上がって、時の校長に叱られたことがきっかけで、金次郎の読んでいる本が中国の古書大学であることを後に知りましたが、大阪梅田の古本屋で大学という古本を手に入れ、年輪塾では尊徳翁夜話を学び、金次郎の七代目の子孫中桐万里子さんにも出会うことができました。また私の金次郎狂いを見て、愛媛大学名誉教授の讃岐先生から二宮金次郎のブロンズ像まで頂きました。

 昨年末、大洲藤樹会の辻会長さん直筆の「五事を正す」という桐板に書いた掲額をいただき、今回は藤樹に縁の深い「孝経」の一節を書いた掛け軸までいただいて、この上ない喜びでした。無知文盲に等しい私が曲がりなりにも人の道を外さず生きてこれたのは、こううした多くの人を巻き込んだ人間ドラマだったような気がするのです。辻会長さんの書かれた掛け軸は中江藤樹の坐像絵まで添えられ、孝経の一説が分り易く書かれています。

 「仲尼閒居したもう。曾子侍坐せり。子曰く参先王至徳要道有って、以いて天下を順にす。民は用いて和睦す。上下怨みみ無し。女之を知るや。曾子席を避けて曰く、参敏からず。何ぞ以て之を知るに足らん。子曰く、それは孝は徳の本なり。教えの由って生する所なり。復り坐れ。吾女に語げん。身体髪膚は之を父母に受けたり。敢えてそこない傷らざるは孝の始めなり。身を立て道を行い名を後世に揚げて、以って父母を顕すは孝の終わりなり。それ孝は親に事えるに始め、君に事えまつるに中ごろし、身を立つに終る。大雅に云く。璽の祖を念うこと無からんや。厥の徳を聿べ修む。」

 これから少しずつ学習に励み、詳しい孝経の教えをしっかりと学習し、人に語れるようにしなければなりません。今回私は在宅介護をしていた親父の介護のため、そして死期が近づく予測の中、断腸の思いで予定していた修学旅行を断念しました。結果的にはその判断が正しかったようで、修学旅行中に親父は亡くなり、死に目にも会うことができました。満足の行く孝行はできませんでしたが、孝行とは何かを考えるいいきっかけとなりました。清水さん、辻さん、中江さんの深いご配慮に感謝します。

  「塾頭が 一幅掛け軸 持参して 孝行談義 花を咲かせる」

  「大学や 金次郎像 掲額に 掛け軸増えて 嬉しい限り」

  「世の中にゃ 徳高き人 多くいて 浅学この身 恥ずかしきかな」

  「また一つ 石段の上 見つけたり 歳を重ねて 身の程知らず」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇友遠方より来るあり(その1)

 昨日から早くも8月です。親父の死亡や葬儀のゴタゴタで、今年の7月は忙しくてほろ苦い忘れることのできない一ヶ月となりました。親をあの世に見送るということが、長男たる私にとっていかに大変なことかということを、身を持って体験しました。天井目標となるべき親父の享年98歳までには、まだまだと思える27年もありますが、親父の最後を見届けながら自分自身のこれまでの生き方とこれからの生き方を、自分自身に問いかける日々が今も続いています。

手土産にいただいたポケットサイズの小さな本
手土産にいただいたポケットサイズの小さな本

 そんな矢先の数日前、年輪塾の塾頭である清水さんがわが家へやって来ました。主な用件は先日私が参加できなかった、滋賀県への年輪塾修学旅行の報告でしたが、親父の祭壇に線香を手向けてもらった流れで、祭壇の置かれた部屋で座卓を囲み、2時間ばかり色々な話をさせてもらいました。清水さんと知り合った日はもうかなり年月が経っているのではっきり覚えてはいませんが、彼がJAえひめからえひめ地域政策研究センターへ研究員として出向してからお付き合いは始まりました。当時私はえひめ地域づくり研究会議の代表運営委員を務めていたので折に触れ交流交遊し、彼が5年間の任務を終え出向元へ帰った後も、また私が代表運営委員を辞してからも私的な関係は続き、年輪塾の塾頭をお願いしていることもあって、私の最も親しい親友として公私にわたり付き合っています。

 清水さんは一旦役職定年を迎えた後も再任用で古巣に止まっていましたが、今年の春に全ての職を辞し私と同じ自由人となって、今は一応失業扱いでハローワークに顔を出しています。これからの人生をどう生きるか模索していて、自由人の先輩である私の生き方にも興味を示しているようでした。親父が亡くなった私と職を失った彼とでは随分立場や内容は違いますが、それでも「これからの人生をいかに生きるか」という点では一致していて、お互いが熱を帯びた話を気がつけば2時間もしてしまいました。

 清水さんは博学で、年輪塾の塾頭として存分の働きをしてくれています。特に二宮金次郎の学習の折は、名高い尊徳翁夜話233話を毎週彼が開設しているあらしやまネットで塾生にデジタル配信し、個人学習や集合学習の道筋をつけてくれました。私塾年輪塾がここまでしっかりと運営ができているのは、塾頭の清水さんと小番頭松本さん、それに筆頭塾生浜田さんの力に負うところが大きいのです。清水さんは私のところへ、中江彰さんの出版物と共に一幅の掛け軸を持参してくれました。

  「友が来る 祭壇飾る 居間座り 二時間ばかり あれやこれやと」

  「二人して これから人生 どう生きる 考えながら 意見述べ合う」

  「人により 生かされ生きる ゆえなりて 友の存在 有難きかな」

  「手土産に 小さな本を 二・三冊 勉強足りぬ 私励ます」

 

 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇庭木の剪定

 親父が亡くなって3週間が過ぎました。毎日在宅介護して親父を中心にした暮らしをしていた私たち夫婦は、内心ホッとした感じもしていますが、どこか空しさもあって、昨日は親父の隠居にある冷蔵庫に、念仏に来てくれる親族に呑んでもらうためのビールを冷やしていましたが、念仏が終ってビールを取りに行った誰かが、親父の台所の電灯を点けたまま消し忘れていて、そのことに気がついた私が寝る前に消しに行きましたが、まるで親父が生きていた時のような錯覚をしてしまいました。

半日かけてたった一本の松の木の剪定
半日かけてたった一本の松の木の剪定

 親父といえば夏のこの時期になると、庭に自分が植えた庭木の剪定をしている姿を思い出しますが、今年からはその役目が私にバトンタッチされました。葬儀や仏事のゴタゴタで、庭木の手入れなど手につきませんが、そろそろやらねばと昨日、蜂蜜の採蜜作業が一段落したので、見よう見真似で松の木の剪定に取り掛かりました。雑木はどこを切ってもどこからでも芽を吹きますが、松の木はそういう訳には行かず、業者さんに頼もうかとも思いましたが、自分でできることは自分でしようと、思い切って一番大きな松の木に脚立を当て、腕抜きや軍手をはめて剪定を始めました。

 松の木はその手入れに手間がかかって厄介だし、松くい虫の心配もしなければならないので、殆どの家の庭から松が姿を消しつつあるようですが、常緑の風格は松の木に敵う庭木は見当たりません。昨日の日中は35度近くまで温度が上がる猛暑で、炎天下の作業は大汗をかいてしまいましたが、何とか半日で下手糞ながら1本の松の剪定を終えることができました。上手くできたかどうかは今後の芽吹きを見ないと分りませんが、まあそれなりといった感じでした。今日は高さ5mもある大物のクロガネモチの木に挑戦です。くれぐれも怪我のないよう、親父の意志を継いで行こうと思っています。

  「親父死に 庭木の手入れ 委ねられ 親父の苦労 今更ながら」

  「松の木は 何と手間暇 かかるのか 半日かけて たった一本」

  「脚立たて 登って剪定 する姿 妻が言うには 親父そっくり」

  「熱中症 ならぬようにと 水を飲み 炎天大汗 かきつつ剪定」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇スイカのハーロウィン

 昨年に引き続き私は家庭菜園でスイカ作りに挑戦しました。植えつけて間もない頃、やまぜと呼ばれている南西の突風にあおられ、無残な姿になりましたが、それでもその後順調に回復して、小玉スイカの実を20個余りつけてくれました。実をつけてから25日~30日が食べごろと、知人に教えてもらっていたので、7月25日に2個収獲して包丁を入れましたが、スイカは完熟していて、冷蔵庫で冷やして食べてみましたが、味も食感も抜群で大満足の手合いです。

孫にプレゼントした未熟のスイカ
孫にプレゼントした未熟のスイカ

 

ローソクに火をつけると効果抜群
ローソクに火をつけると効果抜群

私はスイカが大好きなので、夏になると東峰の赤尾さん宅へ妻は何度かスイカを仕入れに行き、食べさせてくれていますが、昨年からは私の作ったスイカも家族みんなが喜んで食べてくれています。草が生えないよう敷き藁をしたり、ハクビシンやカラスに狙われないよう、周りに網を張ったりしなければならない難儀な作業もありますが、来年はもっと大事に育てたいと、リベンジを誓っています。今年はテレビで見て試験的にやってみた、スイカ畑に地下足袋を吊るしたお蔭でしょうか、今のところ有害鳥獣の被害にも遭っていません。

 スイカ畑でこぶし大ほどの未完熟スイカを見つけました。孫希心にプレゼントしてやると大喜びで、早速お母さんとハーロウィンに挑戦したようで、一昨日の夜妻と二人でお披露目に招待されました。部屋の灯りが消されスイカのくり抜きに突き刺した、ローソクに火がつけられると、まあ凄くロマンチックな雰囲気になり、孫たちも大喜びの手合いでした。特に口の部分のギザギザからこぼれる光がダイニングテーブルの白い部分に写る姿は大成功でした。田舎ゆえできる楽しい遊びの空間でした。

  「今年も スイカ作りに 挑戦し 難儀はしたが それなり成果」

  「鳥獣の 被害も遭わず 食べごろの スイカ毎日 美味い美味いと」

  「畑から 未熟のスイカ 取って来て 孫に渡すと ハーロウィン作る」

  「ダイニング 電気を消して 灯り付け 怪し雰囲気 みんな喜ぶ」

 

[ この記事をシェアする ]