人間牧場

〇虻に刺される

 田舎に住んでいるとハチやムカデは勿論のこと、蚊やブトなどの吸血小動物に刺されることはしょっちゅうです。最近はマダニという恐ろしい吸血小動物に刺されて命を落す人さえいるのですから、気をつけなければなりません。今年の夏はやたらと虻が発生しているようで、草刈の最中などは人間の汗と体温が好きなのか、虻が沢山うるさいくらいまとわり付き、作業の邪魔をするのです。

吸血小動物虻
吸血小動物虻

 虫が亡くなると書いて虻と呼びますが、私がそうであったように虻が吸血動物であることは余り知られていないようです。調べてみると血を吸うのはメスの成虫だけのようですが、虻は衣服の上からでも平気で刺すから厄介です。先日半袖半ズボンの軽装で庭の草むしりをしていると、足首に虻が止まりチクリと刺されました。それくらいのことはしょっちゅうあることなので、そのままにしていると、夕方少し腫れて熱を持ちましたが、風呂から上がってかゆみ止め程度の軟膏を塗って寝たものの効き目がなく、腫れは段々酷くなりました。

 ほおって置くこともできず、化膿止めの少し強い塗り薬を塗るとやっと快方に向いつつありますが、足首ゆえ歩くとズボンの裾で擦れるため、歩行もいびつになるなどとんだ災難でした。近所の人に聞くと今年は虻が例年より多いようだと言っていました。また別の人は「台風が沢山来る年は虻が多い」という話を古老から聞いたことがあるそうでした。この70年間生きて来て虻は身近にいる小動物なのに、何も知らず何の疑いもなく生きてきたことを思うと、私も相当いい加減な人間だと思わざるを得ないのです。

 「虻蜂取らず」という諺があります。「虻蜂取らず」の次の言葉に「鷹の餌食」とか「蚊の餌食」と続くようですが、そのことすら余り知りませんでした。虻と蜂の二つを取ろうと欲を出しても、結局は両方逃げられてしまう例えですが、私は今蜂を飼い蜂蜜を収獲して楽しんでいます。蜂に気を取られている隙に今回は虻に刺され、思わぬ結果となりましたが、虻は人間にとって害虫なので、これからは気をつけようと思っています。

  「70年 生きているのに 虻のこと 殆ど知らず 刺され驚く」

  「小さいが メスの成虫 人間の 地を吸うそうだ 危ない危ない」

  「蜂取りや 雑草取りに 夢中なる 虻に刺されて 足首化膿」

  「身の回り 危険な生き物 いっぱいで 田舎暮らしも それなり大変」

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人間牧場

〇年輪塾の役員会

 昨晩はわが家の敷地内にあるゲストハウス「煙会所」で、10月3日に迫った人間牧場10周年の記念行事の打ち合わせのため、年輪塾の役員が集まりました。役員といっても塾頭の清水さん、小番頭の松本さん、筆頭塾生の浜田さん、それに塾長である私の4人だけですが、数は少なくても思いの通じる仲間は嬉しいもので、まだ明るい午後6時に集まると直ぐに本題に入って白熱した討議を行ないました。

DSCN0659 DSCN0660 人間牧場10周年と年輪塾の公開セミナーをセットにした研修会の計画は、既にプログラムも出来上がって事務局の松本さんを中心に申し込みが始まっていて、昨日はその具体的な進め方が議論の中心でした。人間牧場でやるイベントは道も狭く駐車場も限られていて、また中心施設である水平線の家に入れる人数も制約があるので、運営する私たちスタッフは大変ですが、これまでにも色々なプログラムをこなして来てきるので、多分大丈夫だと思うのです。

 昨日は集まった皆さんのために、仕事から帰った妻が芋炊きをにわか作りで用意してくれました。皆さん車で来ていたのでアルコールを飲むことができず、下戸な私に合わせ、ノンアルコールビールで乾杯しました。アルコールゼロでも飲んだ雰囲気になり、みんな饒舌になるから不思議です。芋炊きとおにぎりだけの質素な食談でしたが、芋炊きの味も最高でした。松本さんは早速その様子を写真でfacebookにアップしていました。幾つになっても愉快な仲間たちとの出会いはいいものです。さあ私も性根を据えて準備に取り掛かりましょうか。

  「役員と 言ってもたった 四人だけ ゆえに深みの あるある議論」

  「酒呑まず ゼロのビールで 乾杯し 呑んだ気分で 四方山話」

  「何もない 妻が作った 芋炊きと おにぎりだけの 質素な食事」

  「まだまだと 思っていたけど 直ぐそこに 準備万端 心は一つ」

10周年記念事業のプログラム
10周年記念事業のプログラム
松本さんがfacebookにアップした芋炊き
松本さんがfacebookにアップした芋炊き

 

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人間牧場

〇あっ!!またやられたイノシシの悪態

 農校生が研修に来るというので、昨日久しぶりに人間牧場へ行きました。西嶋さん宅の前の農道を通って人間牧場へ通じる私道に入ると、道の両側の様子が何やらいつもと違うことに気がつきました。これが一年に何度か荒されるイノシシの仕業であることは容易に想像つきましたが、それにしても酷いもので、まるで耕運機でも掛けたように、雑草はなぎ倒され、土は掘り返されて道にほおり出し無残な姿になっていました。

大汗をかき土のけ作業をする私
大汗をかき土のけ作業をする私
イノシシが無残に荒らした畦畔
イノシシが無残に荒らした畦畔

 さてどうしたものか?と思案をしたものの、農校生が来る時間が近づいていたので、目をつぶって通ってもらう以外ないと、腹をくくりました。2時間ばかりして農耕生が帰ったので、私は倉庫からスコップを持ち出し、コンクリート舗装した道の上に落ちた土を掬って、道の両側に跳ね上げる作業を始めました。昨日の午後は幸いなことに曇天で熱射は余り強くありませんでしたが、それでも湿度が高いのでたちまち大汗が吹き出て、たった一時間弱の時間でしたが、まるで濡れ鼠のようになりました。

 近所の西嶋さんたちもイノシシを捕獲するため鉄砲や罠で対抗したり、電気柵で防備をしているようですが、イノシシは人間が眠っている間の夜に夜襲を仕掛けてくるので、最後は人間の根負けといったところです。この場所は比較的土が柔らかく、イノシシの餌となるミミズがたっぷりいるので、絶好の餌場となっているようで、今年は同じ場所をもう三度もやられ、その都度汗をかきながら補修を繰り返していますが、老骨には中々骨の折れる手作業です。これまで10年間続き、これからもずっと続くと思われるイノシシとのこうした目に見えない戦いも、そろそろ終わりにしたいものです。

  「牧場に 続く私道の 両側を イノシシ昨晩 綺麗に耕し」

  「やり放題 被害届を 出す先も ないまま続く 厳しい戦い」

  「イノシシは 人の寝ている 夜活動 ゆえに手立ても 中々なくて」

  「大汗を かいてスコップ 土を跳ね 綺麗になった 何時まで持つか」

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人間牧場

〇家族でバイキング料理を楽しむ

 今年の夏休みは終業式の日に台風接近で警報が出て、終業式を一日繰り上げるという前代未聞の早い夏休みとなりました。年長の奏心は保育園へ元気に通い、小学校2年の孫希心も宿題やラジオ体操に参加しながら元気に過ごしていますが、夏休み前の7月11日に親父が亡くなって家中が、深い悲しみに包まれゴタゴタしたため、お盆休みも外孫たちは泊まりに来るのを少し遠慮したため、静かなお盆となりました。

かき氷で舌を染めた孫尚樹と奏心
かき氷で舌を染めた孫尚樹と奏心

 

満腹の手合いの孫希心と朋樹
満腹の手合いの孫希心と朋樹

そんなこともあって、孫たちをどこへも連れて行くことができなかったため、8月16日の日曜日、「ふきのとう」というバイキング料理の店を予約して、長男息子家族4人、娘家族3人、次男夫婦2人、私たち夫婦2人の合計11人の大軍団で昼食会に出かけました。この店は野菜中心の料理なので、まるで私たち夫婦が日常食として食べているような料理が沢山並び、子どもたちは食べ放題ということもあって、何度も席を立って色々な種類の食べ物を、腹は大丈夫?かと思うほど沢山食べていました。

 私もどちらかというと魚食や菜食嗜好なので、大いに満足して魚料理はなかったものの野菜系の料理を少しオーバー気味で食べました。さすがに子どもたちのように食後のケーキやフルーツポンチ、ジュース、アイス系は食べませんでしたが、大満足の手合いでした。私たち夫婦は料金ほど食べてはいないようですが、子どもたちを含め押しなべてみると料金に見合ったバイキングでした。支払いは勿論年金暮らしである私たち親の財布からですが、店を出る時孫たちが「おじいちゃん、おばあちゃんありがとう」、子どもたちも「おご馳走様でした」とお礼を言ってくれました。

 2年生になる孫希心は先日熱中症にかかり、家を出る時少し体調が悪いようで、どうしたものか心配しましたが、自嘲気味ながら食事も進み一安心といったところでした。夏休みもあと10日ほどになり、孫たちもそろそろ宿題も追い込みのようです。今朝も元気にカードを首にぶら提げてラジオ体操に出かけました。私たち夫婦にとっても今年の夏は親父が亡くなるという青天の霹靂で、夏休みどころではありませんでした。今週末の日曜日には49日の法要もしなければなりません。あと少し頑張って元気で夏を乗り切りたいものです。

  「夏休み 今年はどこへも 行けなくて せめて食事と みんなで出かけ」

  「バイキング 孫たち揃い 大はしゃぎ かき氷食べ 舌が変色」

  「今年夏 晴天霹靂 親父の死 休むどころか ハードな毎日」

  「あと少し 四十九日の 法要を 済ませるまでは 気を抜かないよう」

 

 

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人間牧場

〇蜂蜜の採蜜作業(その2)

 昨日から今年3回目となる蜂蜜の採蜜作業を始めています。プラスチック樽に取り込んだ蜂蜜たっぷりの巣を取り出しながら、高知県馬路村の木下さんに教えてもらった、下に管のついた専用のポリバケツに入れた金網ザルの中へ、細かくちぎりながら入れて行くのです。巣にはまだ生きているミツバチも何匹かいて、これまでにも痛い目に遭って注意をしないと刺されため、厚手の手袋をはめての作業ですが、手袋はたちまち蜂蜜でぬるぬるになりました。

まるで実験装置のような細密道具類
まるで実験装置のような細密道具類
今年もこんな綺麗な蜂蜜が一升瓶13本も採れました
今年もこんな綺麗な蜂蜜が一升瓶13本も採れました

 昨日は前日ほど気温が上がらなかったためそれほど垂れ蜜の落ちるスピードはありませんでしたが、それでも今朝までに1升5合の蜂蜜をゲットしました。今日一日で5合を加えると、今回も何とか2升ほどあり、今年も前回と前々回を加え13升になるようで、ひとまず10升の目標は達成することができました。少し巣箱が軽いので後の三つは時期を待って秋採りしようと思っていますが、今回採蜜した箱も今朝の時点では蜜蜂たちが逃げもせず留まっているようで、ひとまず安心しています。

 昨日NHKテレビ「ダーウィンが来た」という番組を偶然見ました。渡り鳥のクマタカが蜜蜂をエネルギー源にして生きているという話です。日本と東南アジアを行き来するクマタカは、営巣して子育てする時、地面に作ったミツバチの巣を襲い、それを餌として巣立ちまでの一ヶ月間、雛に与えて育てるそうですが、渡りのある時期・ある場所で蜂の巣を襲い、それをエネルギー源にして遠くまで飛ぶという話は、聞いたことがあっても映像といいながら見るのは初めてでした。

 日本蜜蜂と違い木の上枝に営巣する大ミツバチや黒スズメバチの、1mを越す巨大な巣を襲うクマタカの姿や、それを阻止しようと本能的に蜂の巣を巨大化するハチの行き詰る攻防は、さすがNHKって感じでした。それにしてもクマタカより凄いのは矢張り人間です。未熟な私などでも完全防備した雨合羽姿で、あのミツバチの群がる巣箱に平気で手を突っ込み蜂蜜を横取りして、さも自分が蜂蜜を作ったような顔をし採集し食べているのですから驚きです。やはり人間は百獣の王かも知れません。

  「天板を 取って蜂蜜 採集す 息子遠巻き 写真に収め」

  「今回も 2升の蜂蜜 ゲットする 目標超えて ひとまずホッと」

  「クマタカが 蜂の巣襲う 映像を ダーウィン番組 衝撃放送」

  「クマタカも 偉いが人間 もっとだと 蜂蜜横取り する姿見て」 

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人間牧場

〇渡江歌舞伎くずし盆踊り見学(その2)

 渡江歌舞伎くずし盆踊りのルーツは江戸時代に遡る伝統的な民俗芸能です。日本全国で行なわれている盆踊りの殆どは、誰でも盆踊りの輪の中へ入って踊りに参加できますが、この盆踊りは歌舞伎役者に見立てた踊り手以外は、次々に繰り広げられる路上歌舞伎くずしの場面を見て楽しむもののようです。ゆえに少し食腸気味なところもありますが、それ以上に空想の世界をリアルにかき立てられました。

今朝の朝刊に載った渡江の歌舞伎くずし盆踊り
今朝の朝刊に載った渡江の歌舞伎くずし盆踊り

 5分間の休憩を挟んで1部30分、2部30分、3部30分の踊りの3部の中ほどまで楽しんだ私たちは、遠方からの見学なので帰らなければならず、少々後ろ髪を引かれる思いで早々にお暇することにしました。何年か前西予市のおらが自慢グランプリの応募作品審査委員長を2年間務めた私は、グランプリと準グランプリに輝いた各地を訪ねて歩きました。渡江歌舞伎くずしはその時の準グランプリだったので、妻を伴って一度だけ見学をさせてもらい、私も妻も感動の連続でした。ゆえに今回も妻を連れて行ってやりたいと思いましたが、あいにくお盆で親父や先祖の仏事があるため、出かけることができませんでした。

 妻はそのときお世話になった人たちの事を忘れず、出かけに手土産まで用意してくれました。幸いその人たちとも再会し、交遊を暖めることが出来ました。岐路の途中道を一本間違い、とんでもない場所に入ってしまって引き返すハプニングにも見舞われました。また折角持参したデジカメにメモリーカードを入れるのを忘れて撮影できませんでした。幸いタブレットを持参していたので、思い出のスナップ写真だけは何とか残すことができました。浜田さんと道中色々なまちづくり話ができたこともいい機会でした。帰りは宇和インターから大洲インターまで高速道路を走ったお蔭で、11時前には帰宅し浜田さんもその先を帰路に着きました。来年も行きたい見たい民俗芸能でした。

  「宇和海に 面した地区の 盆踊り 仲間と二人 見学に行く」

  「よう来たと 笑顔出迎え してくれた 友と一緒に ジュース乾杯」

  「200年 よくも続いた 盆踊り 感心しつつ 心ほのぼの」

  「ハプニング これもいつもの ご愛嬌 過ぎてしまえば 何のことなし」

 

 

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人間牧場

〇綺麗な宿り花

 8月8日に立秋が過ぎ、お盆のころになった今朝辺りは、2~3日前に降った雨の影響でしょうか、暑さも幾分やわらいだ感じがして、何となく秋の気配を感じています。そろそろ庭木の手入れも本格的にしなければと、親父亡き後を憂いていますが、親父の死のショックが余にも大き過ぎて、49日の法要が済むまでは手につかないというのが正直なところです。それでも大きな剪定用のハサミを使って、折に触れ少しずつ始めています。

名も知らないジャスミンに似た美しい花
名も知らないジャスミンに似た美しい花

 昨日の朝妻が、「お父さん、ツツジの木の上に咲いている花は綺麗だけれど何という花?」と尋ねられました。よく見ると車庫横のツツジにまるでカズラのように絡みついたつるに、まるでジャスミンのような小花が無数に咲いていました。私のような浅学な知識の人間に、この花の名前を聞かれても、「分らない」としか答えられませんでした。家の裏で蜜蜂を飼っている私としては、蜜源である花の少ないこの時期は、たとえ雑草花でも、貴重なので、暫くの間はこのまま取らずに置いておこうと思っています。

 それにしても宿り木ならぬ宿り花が、こんな時期にこんなにいっぱい咲くなんて、凄いことだとただただ感心しています。私たちはいつの間にか、朝顔やアジサイ、ツツジ等、花を見るのが目的で植えた花は大切に育てますが、ホタルブクロやアザミ等名もないような野の花は楽しまれることもなく、雑草と一緒に草刈機で刈り取られてしまうのです。これも人間が生きていく上で仕方のないことかも知れませんが、野の花の美しさにも少し目を向けて見たいと思いました。今朝家庭菜園で朝露に濡れた、キューリの黄色い花やナスの紫の花を見つけました。野菜の花もまた美しいものです。

  「つつじの木 覆ったつるに 無数花 宿り花とでも 言うのでしょうか」

  「蜜蜂は こんな小さな 花でさえ 見つけ蜜源 一生懸命」

  「何の花? 聞かれたけれど 分らない 名もなき花も 綺麗と誉める」

  「キューリ・ナス 果菜の花も それぞれに 露を含んで 美しく咲く」

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人間牧場

〇町民会館の解体工事始まる

 旧双海町という自治体は過疎地域に指定されていました。指定されると作成した過疎計画に沿って過疎から脱却するため、過疎債という国の有利な資金恩恵を受けて、様々な施設や設備を整備できたのです。町ではさらに農林省の定住促進などの補助を得て農林漁業者トレーニングセンターや基幹集落センターなどを建設し、多くの町民が利用してきましたが、ここに来てこれらの諸施設設備が幾分くたびれて、耐震基準に適合しなくなったのです。

解体中の基幹集落センター
解体中の基幹集落センター

 

教育長室はここにありました
教育長室はここにありました

長年町民に愛され利用されてきた基幹集落センターもその一つで、最近はその後の計画もないまま使用禁止になっていましたが、跡地を駐車場にする案がまとまり、このほど解体工事が始まりました。足場が組まれ囲いで囲われた通称町民会館は、私にとって思い出の多い施設でした。特に双海町最後の教育長として勤務したのはこの施設でした。正面玄関の入口にある一部屋を教育長室としてあてがわれ、35年間勤めた双海町役場職員としての最後の2年間を過ごしたのです。

 この町民会館は各種会合の他、町が推進する結婚改善運動でも大いに使われました。私はこれまでに驚くなかれ537組もの結婚披露宴の司会をしていますが、その殆どはこの2階大ホールでした。多くの若者がこの会場で結婚式を挙げ、人生のスタートを切ったのです。外から遠目でしか見えない2階大ホール内を窓越しに見ると、華やいだかつての思い出が鮮やかに蘇って来ました。間もなく施設の解体は終わり新地になることでしょうが、この施設での思い出は私の脳裏から一生離れることはないでしょう。

 私は冷房が嫌いでした。ゆえに教育長2年間だけでしたが、自分だけの時は一度も冷房をかけることなく、毎日大きな窓をいっぱい開けて、外の風を取り込んで過ごしました。窓辺に置いた手づくりの竹の赤トンボが風に揺れ、まるで生きているように見えました。窓を開けているので通りすがりの人がよく声をかけてくれたものです。人間牧場で開いている私塾年輪塾の塾頭をしてくれている清水さんと、初めて出会って経済談義に花を咲かせたのもここ、小番頭の松本さんや中尾さんと一緒に仕事をしたのもここでした。懐かしい。懐かしい。ああ懐かしい。

  「耐震に 適合しない レッテルを 張られ建物 取り壊わされて」

  「あの部屋で 結婚披露 司会した 指折り数える 数の多さよ」

  「あの部屋で 最後の仕事 したっけな 思い出彼方 夢のまた夢」

  「この写真 もう二度と 撮れないと 思うと何故か 胸がつまりて」

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人間牧場

〇BE-PAL9月号で下灘駅紹介

 かつて私が下灘駅のプラットホームを使って夕焼けコンサートをやったころのJR下灘駅は、フーテンの寅さんシリーズ「殿様と寅次郎」という映画の舞台になって、そこそこ知られてはいたものの、山周り内山線の開業で予讃本線の座を奪われて特急も走らなくなり、構内は列車が対向する線路があったものの取り払われ、線路を外した枕木だけが残った淋しい雰囲気で、並行路線ゆえ廃線も時間の問題とささやかれていました。

 img740 img741「弱者の足といわれる海岸周りを残したい」、そんな思いから駅のプラットホームを使った奇抜と思える夕焼けコンサートを思いつき、大方の反対を押し切ってやったコンサートが意外な方向へと発展し、隠し味だった夕日も有名になり線路も残ったのですから、これほど嬉しいことはないのです。最近は「夕日ビールトロッコ列車」や「伊予灘ものがたり」という観光列車まで走って、何かと話題の多い駅になったのは、今年30周年を迎える夕焼けコンサートは勿論のこと、多くの人の熱い思いに他ならないのです。

 昨日息子が愛読しているBE-PALという雑誌の中から、絶景!各駅停車の旅という特集記事で下灘駅が紹介されているのを見つけました。下灘駅は今や何もないことを売りに、知る人ぞ知る人気スポットに成長していますが、この記事は下灘駅だけでなく周辺の見所や味処も紹介していました。私のような年高齢な人間には文字が小さ過ぎて多少読むのに難点がありますが、リポーター女性が紀行文風に面白くまとめていました。今日にでも天気が回復したらヒマワリの咲く下灘駅へ出かけてみようと思っています。

  「あのころは 廃線間近と ささやかれ 何の変哲 なき駅だった」

  「コンサート 駅を救った 救世主 みんなの汗と 知恵の結晶」

  「全国版 雑誌やテレビ しょっちゅうで 今や抜群 人気度高い」

  「キャンペーン ポスター何度 出ただろう 旅先で見た 感動忘れじ」

 

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人間牧場

〇夏、あれやこれや

 天地を焦がすような猛暑が続き、そろそろ一雨欲しいと思いつつ家庭菜園のナスと里芋に、薮蚊やブトに悩まされながら、潅水を始めて一週間が経ちました。その願いが天に通じたのか、今日はウォーキングから帰った朝6時過ぎから雨が降り出し始めました。4日前の夕立以来のお湿りで、今日は潅水をする必要もなく、少しのんびりとした朝を

仲間がfacebookにアップした夕焼けビールトロッコ列車の盛り上がり
仲間がfacebookにアップした夕焼けビールトロッコ列車の盛り上がり

迎えています。

一昨日わが家から見えた綺麗な夕日
一昨日わが家から見えた綺麗な夕日

 上天気が続いた昨日までは、毎日のように綺麗な夕日がわが家からも見え、連日デジカメで写真を取り続けています。ありふれ感のある夕日の写真をブログ記事やfacebookにアップしても、誰も振り向いてくれないだろうと思い、パソコンにフォトストックしていますが、8月10日に双海の仲間が貸切で運行した、夕焼けビール列車の記事や写真が載る度に、案内を受けながら乗れなかった残念さが胸を過ぎり、次回は必ずと思いを新たにして、ストックした夕日の写真を見直しています。

 4日前の8月8日は立秋でした。暦の上では秋が始まり、あいさつ状も「暑中見舞い」から「残暑見舞い」へと言葉を変えなければならず、朝夜が明けるのが遅くなり、夕暮れも少し早くなって「秋来ぬと目にはさやかに見えねども~」の感じがしています。妻の兄の奥さん、つまり私にとっては義姉にあたる身内が、四国ガンセンターで子宮胎ガンという少し重い病気で入院していて、昨日はその手術日でした。私は午後から講演予定が入っているので、とりあえず朝7時に家を出て、四国ガンセンターへ8時30分に着き、病室で9時からの手術をする義姉の病室へ入りました。

 手術前の重苦しい空気が漂う病室で、義兄や息子と義姉を元気付け、やがて車椅子で手術室へ向う義姉をエレベーターまで見送りました。手術医師の話で手術には5時間~7時間かかるらしく、病室で何をするでもなく雑談しながら待ちました。12時近くになったので私は講演会場へ向かうため、一旦病室を離れました。手術が終わるころに妻も病院に駆けつけ交代する予定でした。講演が終わり自宅へ帰ると孫希心が一人留守番をしていました。孫希心も熱中症で体温が高く、鼻血まで出て最悪でしたが、やがて帰った若嫁が近くの病院へ連れて行き、点滴をしてもらって、少し病状が収まったようでした。

 夜遅く帰った妻に聞けば義姉の手術は7時間以上にも及んだとのこと、夫たる義兄も2度にわたってガンセンターで手術を受けるなど、あれこれと難儀が続いています。親父の終末も重なり妻の疲労困憊ぶりも気になるところです。せめて私だけでも元気で家族に迷惑をかけないようにしなければと、思いを新たにした朝でした。お盆が近づき町中が少しざわつき始めました。明日は迎え火を焚いて先祖を迎えなければなりません。今朝も妻はお料具膳と重ね団子を作り、仏壇に供え般若心経を唱えています。

  「乗りたいと 思っていたが トロッコに 乗ることできず 少し消沈」

  「天地焼く ほどの太陽 今日はなく 雨シトシトと 畑を濡らす」

  「ガン手術 する義姉病院 朝早く 出かけて見舞い 頑張れ激励」

  「あれやこれ 気揉めすること 多過ぎて 妻の疲労も 極限のよう」 

 

 

 

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