〇人間牧場は今桃源郷です
人間牧場に春がやって来ました。昨日はジュニアリーダー研修会があるので、人間牧場へ一週間ぶり行きました。海岸線閏住の菜の花もいよいよ終盤に近づき、心ない人たちが写真を撮るために花畑の中へ入ったと思われる、無残にも踏み潰された幾筋もの足跡が見え、心が痛みました。下浜から池久保までの狭い道沿いには、目立ちませんが今を盛りと真っ赤なツバキの花が咲いていて、蜜を吸うメジロなどが飛び交っていました。近く遠くウグイス等の小鳥のさえずりも聞こえ、道端の草も日増しに緑を濃くして、いよいよ春本番です。
一週間ぶりの人間牧場は、下灘駅付近から遠望すると真っ白く見えるほど、今は10本ほどのスモモの花が満開を迎えていました。ロケーション風呂の直ぐ横からジャガイモ畑の下にかけての光景は、まさに桃源郷といった表現がピッタリするほどでした。
花の匂いも爽やかで、人間牧場で冬越しした種蜂たちが、忙しそうに飛び交って蜜を集めていました。先に到着していた子どもたちも、この綺麗な白い花を見て「綺麗、綺麗」を連発していました。スモモの木を人間牧場へ植えて、早くも6~7年が経ちましたが、梅の花といいスモモの花といい、果実を収穫することを目的に植えたはずなのに、梅もスモモもこうして花を楽しむことができるのですから、まさに一石二鳥ならぬ一木二花果です。
私たち人間は、「いま」と「ここ」と「自分」しか「行動」が起こせない悲しい運命を持っています。幾ら思っても、今が過ぎれば過去になり、明日を思っても今しかできません。また思ったところでここ以外ではできないし、さらに自分しかできないのです。
まさに「いま」+「ここ」+「自分」+「行動」=自分力のような気がします。人間は等しく時間が与えられています。私がこの花を「いま」、「ここ」で、「自分」が見て美しいと感じ、それを「綺麗だね」と人に伝えたり、デジカメに撮って記録に残す行為を行なうことそのものが時間的資源の有効活用なのです。私はこれからもそんな思いで「いま」「ここ」「自分」の存在を意識しながら生きて行きたいと思っています。流行り言葉で言うなら、「今でしょう」「ここでしょう」「自分でしょう」となるようです。
「牧場の スモモ満開 春が来た 桃源郷と 言うに相応し」
「実目的 植えたはずだが 花が咲き 一石二鳥 いやはや嬉し」
「いまとここ 自分だけしか 起こせない 悲しき運命 ゆえに意識し」
「また一つ 歳をとるかや 春が来た 昨年もまた 同じ思いで」