〇下手糞ながら私の一芸
私はピアノも弾けず、字を書いても釘折れ字で下手、何をやっても人様が驚くような特技を持っていないのです。ゆえにこれまでピアノが弾けたり字が綺麗な人を見て、歌の文句ではありませんが「もしもピアノが弾けたなら」、「もしもあのように綺麗な文字が書けたなら」、どんなに素晴らしい人生になるだろうと、羨ましく思ったものでした。
しかし六十路を過ぎるころになると、自分の人生ではいくら頑張ってもそれはムリな算段だと腹をくくると、妙に自分の肩の荷物が軽くなり、人に笑われようと私にしかできないものをやって、少しでも自信を持って生きた方が得策だと思うようになりました。
その一つがハーモニカです。今は学校でハーモニカを習わなくなったため、ハーモニカを見たり音色を聞いたりすることが日常的には滅法減りました。幸い私は息子のお下がりのハーモニカを頂いたのを機に、ハーモニカの練習を始めました。もとより音楽は子どものころから大の苦手でしたが、一日5分の反復練習をしたり、妻がテレビショッピングで2本のハーモニカを買ってくれたお陰で、下手糞のそしりを免れませんが、200曲を越る曲を吹けるようになったのですからいやはや驚きです。このことに味を占め、行く先々でハーモニカを吹くと、それが話題になって今ではリクエストが出る程になりました。今も時々書斎で、あるいは人間牧場で人知れずハーモニカをこっそり吹いて一人楽しんでいます。
一芸は時として大きな反響を呼びます。私が大洲市田処で講演の折ハーモニカを吹いたことがきっかけで、何人かがハーモニカを買った話や、こともあろうか300人の記念講演で吹いたペギー葉山の「南国土佐を後にして」を、参加者全員が大合唱した話は、忘れられない思い出です。そのことが縁である篤志家から、ケースに入った4本の立派なミヤタハーモニカをいただきました。これは人間牧場専用の門外不出の楽器として、今も大切に落伍の演目に使っているのです。私は生まれつきがさつな人間で、高尚なクラッシック音楽等分りません。ハーモニカで吹く歌も艶歌や童謡、民謡といった日本的なものが殆どです。でも青春時代に口ずさんだ流行歌などを吹く度に、青春の思い出が鮮やかに蘇ってきます。人はどうであれ、自分流に生きれるきっかけを作ってくれた一本のハーモニカは、下手糞ながら今では私の一芸なのです。
「人前じゃ 恥ずかしいから 吹けないと 言いつつホラと 一緒に吹いて」
「ハーモニカ 今では200を 越えた曲 吹けるのですから 大したものだ」
「ハーモニカ 童謡吹くと 孫たちが 集まり一緒に 歌ってくれる」
「一芸が わが身を助け 大合唱 今も忘れぬ 感動場面」