〇幸せは皆身にあり
先日仲間5~6人と「将来どんな暮らしがしたいか?」という話で盛り上がりました。私は現職をリタイアして9年間が過ぎていますが、仲間たちも既に再雇用の時期も終わり、リタイアしている人が多いため、これはといった夢や目標を持たず日々を何となく暮らしている人が意外と多いことに驚きました。中でも特異だったのは一番若いAさんで、昨年60歳の定年を迎えたばかりですが、親も既に他界し子どもがいないため、自由の身とあって彼の夢は、東南アジアのどこかの温かい国に行ってマンションを買い、メイドを雇ってのんびり好きなゴルフや旅行を、奥さんと二人でやりたいそうです。実現すれば羨ましい限りですが、人の幸せには夢であっても茶々を入れることが好きなBさんが、テレビで見た海外移住の知られざる謎について質問を投げかけていました。
その質問はおおよそ次の5つでした。
①東南アジアの国々は物価が日本の3分の1か5分の1のようだが、歳をとって外国の食べ物
は好みに合わず、健康を害する元になる。日本料理の食材は外国では日本以上に高い。
②病気になった時日本のような手厚い医療が受けられるかどうか疑問である。
③夫婦が一緒に死ぬことはできない、一人残された時どうするのか。
④人生の終わりを異国で迎え、異国のお墓にほうむられることを考えたことがあるか。
⑤友だちがいない、言葉が通じない人生は淋しい。
~とまあ色々な話が出ました。ある外国人が「日本人の妻を娶り、日本料理を食べ、穏やかな日本の四季の中で暮らすことが夢」と言っていたことも話題に上りました。
私たちは貧乏な時代に生まれ育ちました。お米のご飯を腹いっぱい食べたい、電気製品や車など文化的製品に囲まれて、一戸建てかマンションに住みたいなどと、時代時代の流行の中上昇志向で、気がつけばそれらをことごとく手に入れて生きているのです。この上メイドを雇い外国で誰にも束縛されず暮らしたいという、少し思い上がったAさんの願望に、疑義を述べていたBさんの考えももっとものような気がするのです。
「幸せって何だ?」と尋ねられたら、多分私たちは気がついていないだけで、もう十分幸せ過ぎるのではないかと思うのです。亡くなった尊敬していた元町長さんが結婚式の祝辞で、「幸せは『みなみ』にあり」と言っていました。「みなみ」とは方角の南ではなく皆身、つまり自分の心の中にあるようです。
最近Aさんのような夢を抱いて東南アジアへ移住した人の中には、「こんなはずではなかった」と夢破れて日本に帰り、蓄財やふるさとまでなくして生活保護を受けて暮らしているというショッキングな話も聞きました。私もその話を聞いてもう十分幸せであることを実感した次第です。
「Aさんが 俺の夢はと いう話 東南アジアで セレブな暮らし」
「Bさんが、その夢待った 茶々入れる どっちに軍配 あなたはどっち」
「穏やかな 日本で余生 暮らしたい 家族とともに 仲間とともに」
「幸せは 皆身なんだと その昔 町長さんが 結婚式で」