人間牧場

〇地域づくり12月号別冊に寄稿

 先日face bookで、友人の松本宏さんが地域活性化センター発行の、平成25年度地域づくり団体活動事例集の紹介と、私が書いている原稿について書いてくれていました。「地域づくりを担う人材の発掘と育成」がテーマのこの事例集には副基調論文として、私も頼まれて8千字余りの少し長めの文章を書き、7枚の写真とともに6ページに渡って巻末に載っているのです。
 私の今回の原稿は、①私という「地域づくり人」はどのようにして育ったのかという回顧の追跡と、②私が始めた人づくり、それに③ゼロに戻って再起動した人間牧場、④地域を担う人財三者について違った視点で書きました。その全容を記録のつもりでスキャンして掲載紹介します。

地域づくり12月号別冊表紙
地域づくり12月号別冊表紙

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  「拙文の そしり覚悟で 書いた文 活字になると それなり見栄え」

  「この雑誌 全国配布 されるそう 早くも読んだ 一報届く」

  「友人が face bookで 紹介し 書き込み画面 あれやこれやと」

  「人材の 発掘育成 大事だと 誰もが言うが 育てただろうか」

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人間牧場

〇旅の思い出写真

 私は10日前、北九州市の招きで講演に出かけました。その時少し早く現地に到着したので、少し重い荷物を両手に提げながら、門司港界隈を少しだけ散歩しました。しかしその後忙しい日々が続いたため、手持ちのデジカメの中に残っている写真を見ることもなく過ごしていました。昨日やっとその急がしさから開放されたので、デジカメのメモリーカードを取り出して、パソコンに差込み再生してみました。私はこれまで何度も門司港へは行っていて知ってるつもり、見たつもり 、記憶に残っているつもりなのに、始めて見たような気がして、とても新鮮に感じました。

 そこで旅の思い出として何枚かの写真をブログにアップして、記録に残そうと思いましたが時既に遅しで、この写真が一体何処の何という建物や風景だったのかは思い出すことが出来ず、記憶の曖昧さと遅きに失した記録に腹立たしさを感じているところです。それでも写真はしっかりと撮れているので、このままパソコンの中のお蔵入りにはしたくないと思い、訪ねた場所、記憶に残っている風景を4~5枚アップしておこうと思いました。ランダムに取った写真を見ながら、門司港界隈は素敵な街だと思い、いつの日か近い時機を見て、妻を案内してやりたいと思っています。(思っているだけで実現しないかも・・・・。)

対象ロマン漂う門司港駅
大正ロマン漂う門司港駅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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木になるカバンと門司港界隈
木になるカバンと門司港界隈
珍しい小さな開閉式勝鬨橋
珍しい小さな開閉式勝鬨橋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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珍しい向うの風景が見えるビルディング
珍しい向うの風景が見えるビルディング

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帆船の模型展
帆船の模型展
咸臨丸
咸臨丸

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「写真見て 記憶の糸を 手繰り寄せ 首をかしげつ 思い出しつつ」

  「近いうち 妻を誘って 門司港へ 行って見たいと 写真見ながら」

  「デジカメの メモリーカード 一杯に なってしまった 保存の準備」

  「偶然か 咸臨丸の 模型見る 一週間前 ジョン万語る」

 

 

 

 

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人間牧場

〇久しぶりの鳥取県(その2)

 今回の鳥取行きは、若桜鉄道因幡船岡駅の活性化を考える会と鳥取県が主催する、景観まちづくり先進事例研修会でした。八頭町商工会館2回会議室には30人ほどの人が集まっていました。駅の活性化なら話ができるだろうと引き受けましたが、駅を活用したイベントの実践で大切なことや、活動を継続していくために大切なことを、人づくり、拠点づくり、住民総参加の日本一づくりや、足し算より引き算のまちづくりなどの話を織り交ぜながら話して欲しいという、事務局からの要望もあったので、思いつくまま約90分お話をしました。

研修会のチラシ
研修会のチラシ

 私が下灘駅のプラットホームを舞台にして、夕焼けコンサートを開いたのはもう30年近くも前のことです。最初はオール反対の冷めた状況の中で始めましたが、継続は力とばかりに多くの人たちの協力で、私が退職するまで何とか20年近く続けることが出来ました。このコンサートの成功で無人駅は青春18切符のキャンペーンポスターになったり、コンサートがきっかけで夕日によるまちづくりへと発展した20年間は、いわば第1幕だったように思うのです。私が退職して多くの人に引き継いで今日まで活動しているこの10年間は第2幕目で、地域の老人会、小学校、高校の協力で駅をフィールドミュージアムにしようと、様々な活動が活発に行なわれています。

 さてJR四国が2億円をかけて伊予灘ものがたりという観光列車を製作して、来年夏から予讃線海岸周りに走らせようとしています。多分これは3幕目のような気がするのです。これまでにも夕焼けトロッコ列車や夕焼けビール列車、菜の花トロッコ列車を季節限定で走らせていましたが、いよいよ一歩踏み込んだドラマが始まるのです。これはこの30年の地道な取り組みが産んだ成果だと思うのです。そのためには何としてもこれまで以上に下灘駅を中心にした活動を充実させたいし、上灘駅や高野川駅、串駅、喜多灘駅もそれなりに物語を作り必要があるようです。また高野川から喜多灘まで自転車を積み込み、海岸線をサイクリングコースとして活用する長年の夢も開けてきそうです。

 若桜鉄道も、船岡駅はかつて日本でも屈指の牛市が開かれた場所であるので、牛に特化した活動をすれば新しいイベントや駅の魅力が生まれてくるような気がするのです。基本はわが町がそうであるように、地域の人が頑張る以外ないのです。第3幕目に入った下灘駅も経済にどう結びつけるか、いよいよ知恵の出しどころのようです。
 過疎や地盤沈下に悩む田舎の駅の再興を掲げる皆さんと、願わくばこれからも交流したいものです。偶然でしょうか、一番前の席に座って私の話を聞いていた女子高校生は、来春愛媛大学法文学科に進学することが決っているとのこと、再会を約束して分かれました。超嬉しい~。

  「鳥取の 船岡駅を 活性化 しようと研修 招かれ講演」

  「下灘の 駅え開いた コンサート 早いものだな 30年経つ」

  「前の席 座った生徒 来春は 愛媛大学 入学奇遇」

  「牛の駅 牛一頭を 焼きたいな そんな戯言 やればいいのに」

小さな研修会
小さな研修会
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人間牧場

〇松野町の福祉大会に招かれました

 愛媛県内には偶然にも、町名に「松」という漢字のついた松前町と松野町の二つの町が、合併せずに残っています。松前町は3万人を越えている県下最大の町ですが、松野町は人口が5千人にも満たない小さな町でありながら、様々な紆余曲折を経て現在に至っています。高知県の馬路村が1100人だったり、大川村が500人程の人口規模であることを思えば珍しいことではないのでしょうが、世間を騒がせ揺るがした平成の大合併騒動を思うと、松野町の生き方をどう評価すればいいのか、言葉が見つからないというのが正直なところです。

img573 そんな松野町の社会福祉協議会から、第2回の福祉大会をやるので記念講演をして欲しいと頼まれました。私は呼ばれたら刑務所以外何処へでも行くことをモットーにしているので、スケジュールに多少無理がありましたが、喜んで引き受けました。松野町といえば森の国という名前が示すとおり、高知県と県境を接している、こちらから行くと多少不便なところです。でも今は高速道路が南へ延伸し、三間まで高速道路を通って私の町から行くと、僅か2時間足らずで行けるのですから、いやはや便利な世の中になったものです。
 私はとりあえず9時過ぎに家を出ました。というのも先日長崎県で開かれた九州ブロック社会教育大会の記念講演を頼まれて出かけた折、実行委員長を務めていた江頭さんが、今は故人となっている親友だった土居浄厚さんと親類関係であることを聞いていたので、奥さんにその話を伝えようと奥さんを訪ねました。

松野町福祉大会
松野町福祉大会

 残念ながら家は鍵がかかっていて、あいにく留守のようでしたが、お兄さんの土居一誠さんが福祉大会に来られていて、そのお話を伝えることが出来ました。私は福祉大会が午後からだったので、松丸駅の駅舎の中にある温泉のロビーに行き、たむろしていた地元のおじさんたちと様々なお話をして、講演のネタを拾いました。世間話のネタは床屋と風呂屋へ行けば聞けるという話を聞いていましたが、その通りとてもいい講演のネタを拾うことが出来ました。
 「12時に会場へお越し下さい」と事務局から指示されていたので、そのとおりの時間に行くと玄関先で協議会の会長さんや事務局長さんが迎えに出てくれていました。驚いたことに親友の芝さんや和田さん、原田さん、是沢さんの4人も私が来ることをかぎつけて、講演を聞きにやって来ててくれていました。何というありがたいことでしょう。
 私の講演は地元目黒にこにこ会の活動紹介のあと、午後2時10分から始まりました。「福祉のまちづくりについて」という演題でしたが、沢山の参加者が熱心に耳を傾けてくれました。

 

  「松野町 遠い町だと 思ったが 高速道路 僅かな時間」

  「合併を ぜずに残った 松野町 何故か活き活き スモールでいい」

  「友人が 4人も会場 陣取って 私の話 熱心に聞く」

  「田舎ゆえ 楽しいですと いいつつも 過疎と高齢 将来不安」

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人間牧場

〇二人の内孫と早朝ジョギング

 同居している長男は設計の仕事をしていて、毎日帰宅は10時頃です。ゆえに土日を除けば夕食は若嫁と孫と3人で食べているようです。夕食が終ると私たち夫婦が孫2人を風呂に入れてやります。長男家族と同居し始めてから間もなく3年になりますが、一緒に風呂に入るとまず長男の希心を腰掛に座らせ、頭を洗ってやります。体を洗い終わると次は奏心の番で、同じように頭・体の順に洗うのですが、孫たちは頭を洗う前にまず、「お願いします」と行儀よく私に気持ちのよいあいさつしてから始めるのです。
 その後孫たちは数を数えたり、壁に貼っている99の掛け算を暗唱したりしながら温まるのです。私たち夫婦との裸の付き合いもすっかり板につき、その日あったことなどを饒舌に喋ってくれるのです。

私と早朝のジョギングをする孫二人
私と早朝のジョギングをする孫二人

 昨日の朝午前6時に起きてきた孫たちは、私の書斎へ朝のあいさつにやって来て、「おじいちゃんジョギングをしよう」と誘ってくれました。書いていたブログを一時中断し、手袋をして一緒にジョギングに出かけました。私は毎日朝6千歩程度のウォーキングをしていて、体力的には少し自信がありましたが、6歳と4歳の孫の走るのについて行けず、先行する孫たちから、「おじいちゃん早く早く」とせかされる有様でした。自宅を出て上灘保育園~老人憩いの家~川向こう農道~高村真珠~双海中学校~自宅までの約1km強の道を走りましたが、孫たちは平気なのに私はフーフーの手合いでした。
 孫が私を誘うのには何か魂胆がありそうです。クリスマスが近づいてきたので、欲しいものをゲットしようと私を誘導しているようにも見えました。

 昨日はウォーキングを始める最初の日だったので、100円硬貨を二人の孫にそれぞれ渡し、貯金箱に入れさせました。そういえば私たちがまだ下灘に住んでいた頃、私はまだ幼かった嫌がる長男と長女を毎朝連れ出し、保育園まで毎日ジョギングをしていました。そのお陰で元気に育ったと自負していますが、長女や長男は今でもその頃の記憶を嫌だったと話すのです。
 今回は孫たちが進んで私に走ることをねだったので、押し付けではありませんが、いつの間にか69歳の体力下り坂である私を追い抜き、孫たちは元気に私を追い抜くどころか、かなり差をつけられてしまいました。妻が言うように私にとってジョギングはもう年寄りの冷や水かも知れませんが、折角誘ってくれる孫たちと、今朝もこれから走ろうと思っています。年寄りの冷や水にならぬように・・・・・。

  「おじいちゃん ジョギングしよう 誘われる 妻は冷ややか 年寄り冷や水」

  「クリスマス 近づく魂胆 見え見えだ それでも孫と ジョギング楽し」

  「四歳と 六歳の孫 いつの間に 私追い抜き 置いてけぼりに」

  「歩くこと 自信はあるが ジョギングは フーフー言いつ 心臓パクパク」

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人間牧場

〇初冬の山仕事

 師走に入ると日本列島のあちらこちらから、初雪の便りが届くようになりました。人間牧場界隈はまだ秋の名残があちらこちらに見られますが、流石に梅林の梅の木はもう全ての葉っぱを落とし、冬の風情です。昨日は夕方から人間牧場で地域おこし協力隊の作戦会議を開くというので、それまでの時間を有効に活用しようと、妻に山仕事用の弁当を作ってもらい出かけました。
 昨日の主な山仕事は、人間牧場のそこここにある樹齢50年といった杉の木の枝打ち作業です。この杉の木は昔母がみかん畑にしていた頃、季節風からミカンを守るために防風垣として植えたものです。ゆえに胸の高さの辺りからその痕跡を示すように枝分かれしていて、林材として活用できないのです。

 人間牧場を造り始めた9年前、景観や見晴らしを考え、この杉の木を切ろうかどうしようかと迷いましたが、木はいつでも切れるから切ってからでは遅いと意を決し残しました。その結果人間牧場のあちこちに緑陰を作っていますが、そのことが牧場の農場の作物生育に悪影響を及ぼしているところもあるので、昨日は思い切って枝打ちと芋畑の杉の木を一本切ることにしました。
 先日枝木や雑木を焼却処分するため焚き火をしましたが、その折誤って長年愛用してきた剪定鋸を火の中へ入れて燃やしてしまったため、園芸組合へ出かけ剪定鋸を替え刃も含め3千円で新調しました。折り曲げた脚立を一本の梯子にして、コンニャク畑とコンニャク畑にする予定の場所の木に登り、順次枝打ちをしました。

 長年枝打ちをしていないので、枝打ちした枝は半端な量ではなく、何日か後にはまた焼却処分しようと思っています。そのうち浜田さんがお願いしていたガソリンタンクを、わが家から持ってやって来たので、早速芋畑の杉の木を伐採することにしました。チェンソーに混合油とオイルを入れて、エンジン全開で切って行くと、音を立てて倒れました。浜田さんが手伝ってくれることをいいことに、枝を落とし幹は薪用に小切りをしましたが、最後は調子に乗り過ぎてチェンソーの刃を外してしまい、夕方薄暗くなった頃工具箱を倉庫から取り出し、修理をしてどうにかその日の作業を終えました。コンニャク畑のコンニャク芋も掘りましたが、何とかキャリー一杯分はゲットしたので、大きいものを使い、小さいものは再び土に戻して植え替えようと思っています。遊びの農業ゆえ実に楽しい一日の山仕事でした。

  「地下足袋と 作業帽子の 出で立ちで 山仕事する 中々似合う」

  「申年の 男木登り 得意にて 新調鋸で 枝打ち作業」

  「迷ったが 芋の生育 妨げる 杉の木一本 チェンソーにて」

  「手作りの 山弁持ちて 山仕事 初冬一日 のんびり楽しく」

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人間牧場

〇やっと水槽設置工事が終わりました

 人間牧場の水道水は、近所の西嶋さんに無理を言って、大きなタンクから引かせてもらい使っていますが、水平線の家の屋根裏に、ステンレス製のドラム缶タイプの水槽を一つ設置して、とりあえず8年前活動を始めたものの、この水は流しとトイレ、それに風呂に使うと水が足らなくなって、トイレまで使えなくなることから、節水をしたり炊事に使う水はポリタンクで運ぶ等の工夫をしていました。その後風呂専用の小さなタンクをウッドデッキ下に設置しましたが、水不足解消にまでは至りませんでした。

水平線の家の西側に設置した水槽タンク
水平線の家の西側に設置した水槽タンク

 資金がふんだんにあるのなら、大きな水槽を金をかけて造ればいいのでしょうが、金をかけないことがステータスだし、それ程余裕もない貧乏人なので、給水関係の仕事をしていた従兄弟に頼んで、要らなくなったタンク類を物色していました。屋根裏のタンクもウッドデッキ下のタンクも、全て従兄弟が無償でくれた物ですが、今回の少し大き目のタンクも無償でいただいたものなのです。このタンクは2年前に手に入れ人間牧場の屋外に置いていましたが、そのうちそのうちと、資金が出来るまで待っていました。夕日徒然草の売り上げや諸々でやっとその目鼻がついたため、地元の水道屋さんに頼んで設置することになりました。

まるで工場のプラントのような水槽
まるで工場のプラントのような水槽

 従兄弟に相談したところステンレスでタンク台まで造ってもらい、この上ない禍福となりました。先週の土曜日に息子が立会い、大栄建設に前もって工事してもらっていた土台に、藤岡工業に据付けて配管工事をしてもらいました。私はあいにく北九州へ講演に出かけていて工事に立ち会うことが出来ませんでしたが、一昨日のコンニャク作りで、始めて出来上がった水槽水を使いましたが、いや早立派な出来栄えに大満足の手合いでした。これで長年悩まされ続けてきた水不足も一応解消し、安心して活動が出来ることとなりました。冬の間にタンクの周りを板で囲い水温の上昇を防ぐ手立てをしたいと次なる作戦を練っていますが、年次計画で進めてきた人間牧場の整備も、これで一応整ったことになりました。さて次はどんな夢をターゲットにしようかと、見果てぬ夢を考えている今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「水不足 悩み続けて 早8年 一気解消 出来そう気配」

  「金かけず 知恵と工夫で あれこれと 思い巡らす 楽しからずや」

  「さて次は どのような夢 描こうか あれやこれやと 考えメモに」

  「長男と 時々意見 合わぬのも 当然だとは 思っているが」

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人間牧場

〇念願叶ってコンニャク作り(その2)

 

コンニャク作り講習会
コンニャク作り講習会

 昨日コンニャク作りに集まったのは、カルチャースクール生4人と地域おこし協力隊員3人、それに友人の稲葉さん、脇谷さんと指導をする西岡さんと私の11人でした。皆さんはコミセンで待ち合わせをして10時頃人間牧場へ到着しました。早速西岡さんが立ち話でコンニャクの話をしてくれましたが、コンニャクの芋を見るのも、この芋がコンニャクになることも知らない参加者は一応に驚きながら、言われるがまま作業をこなしてくれました。
 こんにゃくはアルカリ性食品、ダイエット食品ともいわれていますが、畑に植えたコンニャクイモはあの悪態のイノシシでさえ見向きもしない灰汁の強いもので、ゴム手袋をしないと手がかゆくなってしまう代物です。茹で上がった芋の皮を丁寧に剥き、分量を量った水と一緒にミキサーに入れてすり潰して行きます。それを皆が交代で交ぜるのですが、これが中々骨乗れる力仕事で、皆が交代でやりました。

ご飯と味噌汁、コンニャクで楽しい車座の会食
ご飯と味噌汁、コンニャクで楽しい車座の会食

 やがて西岡さんのGサインが出たところでお湯で溶いた炭酸ナトリウムを入れて凝固させるのです。それを四角い型枠に入れたり、丸いお椀に入れて形を整えながら、沸いたはがまのお湯の中へ入れて再び30分ほど煮込むと、小さかったコンニャクは段々大きくなってはがま一杯になりました。二つのはがまとも一杯になりながら、何とか茹で上がりました。
 私はその作業をしながらもう一方のかまどで味噌汁を炊き、最後は1升のかまどご飯を慣れた手つきで炊きました。予定の12時より10分ばかり遅れましたが、味噌汁もご飯も申し分なく炊きあがり、早速みんなが車座になって食事会となりました。勿論出来立てのコンニャクも薄く刺身風に切って食卓へ出し、みんなで試食しましたが、とても美味しくできたようです。

 私は子どもの頃から今に至るまで、コンニャクが大嫌いです。多分それはかまどの灰を使って灰汁を作り、祖母がその灰汁でコンニャクを固めるのに使っていた姿を見て、「何て不潔な!!」何て感じたからかも知れません。今は灰汁など使わず炭酸ナトリウムを使うので隔世の感がするのです。昨日は恐る恐る食べてみましたが、作り立ての刺身コンニャクを、妻が用意してくれていたみがらし(酢味噌)や醤油をつけて食べると、コンニャクのことを別名山河豚というように、フグ刺に似た食感を味わうことができました。
 参加者に2個ずつ土産として持ち帰り、残りは近所へ初物として配って喜ばれました。私にとってもコンニャクを人間牧場で作るのは初めての体験だっただけに、少し緊張し少し興味津々でした。勿論参加者はコンニャクイモがコンニャクに変身する姿を始めて体験して驚きの連続だったようです。
 願わくば次回は年末ころに、西岡さんの力を借りず自分の力でコンニャクを作ってみたい気分になりました。

  「七十年 生きてはきたが 知らぬこと まだまだ多く これでは死ねぬ」

  「この芋が 何でコンニャク なるのだろう ハテナ?はてな?の 一日でした」

  「コンニャクを 嫌いと思い 生きてきた 昨日で少し 方向転換」

  「コンニャクを 山河豚 誰が言ったのか? 食感そう言や 似てる気もする」 

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人間牧場

〇小さな小さな下灘駅の花祭り

 昨日は前日までの講演小旅行や地域教育実践交流集会が終って、ホッと一息といった感じの一日でした。前もって人間牧場の水槽据付工事を藤岡工業にお願いしていたものの、仕事が忙しいようで中々着工していませんでしたが、「12月3日にカルチャースクールで水道を使いたいので」と期限を切ったところ、私の留守中の11月30日に工事をすることになったようです。運よく息子が休みだったようで現場に出かけ立ち会ってくれ、出張中の私に、帰路途中の新幹線の中、高速船の中へ頻繁に電話がかかってきました。席を立つこともできず、声を殺して相談を仕合ながら工事を進めたようですが、息子がその工事の模様を写真に撮ってくれていました。忙しかったのかその写真も、タンクをユンボで吊り込んで設置している写真のみのようでした。

一列に並んで合唱する下灘小学校の子どもたち
一列に並んで合唱する下灘小学校の子どもたち

 さて工事後の様子はと気になっていますが、今日3日には愛媛新聞カルチャースクールのフィールドワークを、人間牧場で予定しているので、後回しにしてとりあえず先に片付けなければならない細々をやりながら、face bookを見ていると、松本さんの投稿にヒットし、午後から下灘駅で花祭りをやる旨の記事を見つけました。午後一に予定していた赤石公民館主事さんとの、今夕の打ち合わせも午前中で終っていたので、「今からでも間に合う」と思い、出かけて行きました。
 いつもは人影の少ない駅界隈ですがこの日は小学生と高校生、地元の老人会などが集まり、小さな小さな花祭りが開かれていました。いつもは夕焼けコンサートの会場となっている広場には、遅蒔きしたコスモスが綺麗に咲いていました。

P1050939 西下老人会長さんのあいさつや窪松山駅長さんのあいさつで集会は始まりましたが、老人会の人たちがぜんざいとおにぎりのお接待をしていて、私もご相伴にあずかりました。中々の味で勧められるままお替りまでしてしまいました。前日の雨が嘘のように昨日は穏やかな天気で、小学生たちの歌声やリコーダーの音色がとても爽やかでした。俳句会や輪投げビンゴ、高校生の発表等、小さな小さな花祭りは、時折出入りする列車が醸す旅情も手伝って、とてもいい雰囲気でした。
 私はシーサイド公園で人に逢う予定があったので一足先に失礼し、会場を後にしました。下灘駅をフィールドミュージアムにする運動は、猛暑の中花を咲かせるために水をやったり、駅周辺を掃除をしたりする小さな善意に支えられています。夕焼けコンサートを初めて開いてから30年近くが経ちました。来年いは「伊予灘物語」という観光列車も走る予定です。さあもう一分張り、語り部となって下灘駅物語を語りましょうか。

  「なんちゃない こんな小さな 駅でさえ その気になれば 何でもできる」

  「小学生 一列並び 歌歌う 水平線に 音符のように」

  「コスモスの 花揺らすよう ジーゼルカー 爆音立てて 次駅目指す」

  「夏の日に 黙々水を やる人の 姿美し この目焼きつき」

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人間牧場

〇第6回地域教育実践交流集会

 11月30日と12月1日の2日間の日程で行なわれた、第6回地域教育実践交流集会の第1日目は、北九州市へ出張していたため、歓迎ワークショップや13分散会への出席は叶いませんでしたが、19時からの交流会には間に合いました。聞けば参加者は180人ほどにもなり、夜の交流会も100人近くの参加があったようです。交流の家のレストランで開いた懇親会は、美味しい沢山の料理が食べきれないほど並んでいました。私はこの日朝飯と昼飯を食べ損なって、腹ペコで交流の家に辿り着いたため、とりあえず船盛刺身を食べ、野菜サラダや隣近所の席の女性が注ぎ分けて持って来てくれる、おでん等に舌鼓を打ちました。

 中には1年ぶりの再会の人も沢山いるので、酒の飲めない私は多少戸惑いながらも名刺交換や近況報告、世間話に花を咲かせました。特に島根県からやって来た大畑伸幸校長先生とは旧知の間柄なので、その後の取り巻き人間の消息を聞きながら過ごしました。
 やがて恒例のチャリティーオークションになると、交流会の司会で大いに盛り上げてくれた西山博さんと武智理恵さんからマイクを受け取り、私と松本さん、浜田さんの年輪塾トリオでオークションを始めました。酒の力を借り、皆さんが持ち寄ってくれた酒やお菓子、焼き物、お土産類を片っ端からセリにかけました。これは私の得意中の得意な分野なので、辺り構わず売りさばき、お金を集めた松本さんの話によると5万7千円も売り上げがあったというのですから驚きです。

 

松本さんがface bookに投稿したインタビューダイアローグの写真
松本さんがface bookに投稿したインタビューダイアローグの写真
進行役の私と吉見香奈子さん
進行役の私と吉見香奈子さん

 その夜は会場を和室に移した二次会も大いに盛り上がり、12時近くまで飲んでいたようですが、私はこの二日間の旅の疲れもあるし、明くる日の出番もあるので、11時前に自分の部屋に引き上げ、風呂に入って12時に床に就きました。
 昨日の朝はいつものように午前4時に目が覚めましたが、パソコンもないのでブログを書くこともできず、とりあえず日課のハガキを3枚書いて、持参していた童門冬二著中江藤樹を朝読しました。今頃は朝のあけるのが遅く、6時過ぎに少し明るくなり始めましたが、大洲地方特有の濃い霧が立ちこめ、霧雨も降っていました。午前7時に朝の集いに出て早めに食事を済ませ、午前8時からミーティングルームでインタビューダイアローグの打ち合わせをしました。僅か5分の打ち合わせは、一人1回3分以内の発言に押えることだけ登壇者4人に頼みました。

 やがて讃岐先生の開会のあいさつに続き、私と吉見香奈子さんが進行役となり、島根の大畑さん、大分の縄田さん、高知県の池田さん、愛媛県の今井さんを相手に、時には優しく、時にはどぎつく、時には笑いながらインタビューをしました。私と吉見さんの相性も打ち合わせをしていない割には上手く行き、また4人の登壇者にはとてもいい話をしていただきました。「私たちみんな子どもでつながっている」というテーマによくアプローチできたように思います。
 北九州市からトンボ帰りし、交流集会で大切なインタビューダイアローグの進行役までこなす八面六腑の忙しさも、69歳の私には少々きつい日程でしたが、疲れも感じず何とか無事役割を終えました。さあまた次のプログラムが待っています。早速今日は明日の仕込を始めましょうか。

 

  「69 年齢なれど まだ元気 前向き生きる パワー全開」

  「インタビュー ダイアローグも 完璧に 98点 及第点か?」

  「これ何ぼ マイク片手に 競り市を 年輪塾が セリ市仕切る」

  「目を丸く するほど多忙 極めてる 無理は出来ぬが ムリせにゃ出来ぬ」

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