〇朱子学と陽明学
私は戦後間もない田舎の漁村に生まれ育ちました。ゆえに保育園もなく小学校6年間、中学校3年間の義務教育9年間ををふるさとの学校で学びました。高校は宇和島水産高校に進学したため、ふるさとと親元を離れて学びましたが、大学へは行かず12年間で学業を終え、最終学歴は高卒なのです。ゆえに大した出世もせず、知識も大したこともなく69歳を迎えています。もし人間の値打ちや知識が学歴で決るのなら、私は20代までのつまずきで一生を終えなければならないのでしょうが、そこが世の中の面白いところで、どうやら学歴よりも学習歴が人生を決めるようだったと、今になって過去を述懐するのです。
私は若い頃体調を崩して病気になりました。活発だった青年活動が縁で役場に雇われましたが、最初に配属された部署が教育委員会だったことが幸いし、社会教育の現場で沢山の教育関係者と出会うことができました。吉川英治の「人みなわが師」を心に決めてへりくだり、どれ程の人に教えを請うてきたこことでしょう。またどれ程の本を読んできたことでしょう。またどれほどこの目で見てきたことでしょう。この実学は私の今を形作っているし、読んだら書く、聞いたら喋る、見たら実践するという知行合一を今なお実践しているのも、学習のお陰なのです。
人は学ぶと必ず知らないことにぶつかります。知らないことを恥とせず、知ったかぶりせず、知らないことを知るように努力すれば、何倍もの知識と知恵が転がり込んできます。私が主宰している年輪塾でこれから近江聖人中江藤樹を学びますが、中江藤樹を紐解くと必ず「大学」という本が出てきます。大学を学び始めると朱子学と陽明学にぶつかります。朱子学は、大学の教えは「人間社会の全ては権威に従い、永久不変で変えられないもの」というです。ところが同じ大学を、「権威に盲目に従うのではなく、己の責任をもって行動する心」だと王陽明は陽明学で説いているのです。
どちらも正しくどちらも間違いではありませんが、どちらを信じるかは社会や組織それぞれ、また人それぞれなのです。忠義か孝行か二者択一ではなくどちらもよき方に理解して生きなければなりません。「人は逢えば逢うほど逢いたくなり、学べば学ぶほど学びたくなる」これは私が「昇る夕日でまちづくり」とう本を著した時、巻末に書いた私の造語です。これからも私は余命いくばくもない人生を、多くの学習歴を積み重ねながら生きて行きたいと思っています。いやはや学問とは奥が深いものです。学べば学ぶほど問いが多くなるのも学問のようですね。
「大学を 学べば更に その奥に 朱子学ありて 陽明学あり」
「学べども 山々山の 向こうには 山また山の 学ぶことあり」
「学校で 学んだことは 基礎知識 社会で学ぶ ことが多くて」
「さあ今日も 学びの心 大事して 謙虚に人に 社会に学ぶ」