人間牧場

〇先月の五行歌会

 そこここに人恋しい、秋の気配を感じるようになりましたが、先日松山五行歌会代表の見山あつこさんからぬくぬく通信が届きました。いつものことながら忙しさにかまけ、欠席歌を送ったことすらすっかり忘れていて、一瞬どんな歌を送ったのか思い出せませんでした。先月の私の歌は相変わらずの駄作ながら、16番にエントリーされて、嬉しくも久々に赤文字で「二席」となっていました。一度だけ一席をいただいたことがありますが、私にとってはそれ以来のほんの小さな小さな快挙です(笑い)。二席になった私の先月の歌は次のとおりです。

  この家の
  畳の上で
  死にたいと
  親父真顔で
  私に話す

 ☆印の講評欄には次のような批評が書かれていて一読、納得してしまいました。
 ☆多くの場合、最後は病院のベッドの上でというのが今の現実、家で家族に看取られて最期を迎えたいというお父さま願い、叶うといいですね。「畳の上で死にたい」という言葉で、施設の方がベッドの上に畳を敷いてあげた!という笑い話のようなエピソードもあるとか、「終活」や「エンディングノート」といった言葉に、心揺さぶらされる世代には、他人ごととは思えない歌の内容です。

 ちなみに出席歌の一席は見山あつこさんの次の歌でした。さすが視点が違いますね。
  缶ビールの空き缶に
  ナデシコ一輪
  挿してある
  男所帯の
  そこだけピンク

 ちなみに欠席歌の一席は堀口路傍さんの次の歌でした。
  こどもたちのみらい
  なんて
  明るい響き
  虹色の
  音符が跳ねる

  「久々に 二席の朱文字 目に入る 駄作ながらも 入選嬉し」

  「何しても そこここ奥は 深いな~と 納得しつつ 人の歌読む」

  「気がつけば 親父素材の 歌多い 自分人生 重ねて哀れ」

  「今日辺り 次の駄作を 作ろうと 思っているが 直ぐに忘れる」

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人間牧場

〇東京オリンピック2020年開催決定

 昨日の朝テレビを見ていると、いきなりビッグニュースが飛び込んできました。アルゼンチンのヴェノスアイレスで、日本時間8日午前3時45分から開かれているIOC総会で、イスタンブールとマドリード、それに東京が争っていた2020年の、夏のオリンピック開催都市が東京に決ったのです。第1回目の投票で東京は42票と過半数に届かず、またイスタンブールとマドリードが同数だったため、最下位投票の結果イスタンブールが勝ち上がり、東京とイスタンブールで決選投票した結果、東京60票、イスタンブール36票と、圧倒的多数で東京が選ばれたのです。

 東京は前回破れているため、並々ならぬ決意で臨んだようで、オリンピック誘致に多額の資金を投入し、不退転の決意で望んでいました。外国訪問の途中で安倍総理大臣もアルゼンチン入りしたり、著名なアスリートたちが様々なロビー活動を行ったようですが、高円宮久子様が被災地復興のお礼を述べたりしたことも好意的に受け止められたようです。
 しかし直前になって福島原発の汚染水漏れがIOC委員にどう反応するか、注目されていました。しかし直前に日本政府が責任を持って対処するための、予算投入などの対応が評価され、嬉しい結果となりました。

 1964年に開かれた東京オリンピックは、高度成長真っ只中の、私が高校を卒業した昭和39年でした。物の3cといわれたカーやカラーテレビ、クーラーが普及し始めていましたが、私たちの住んでいる田舎ではまだまだ戦後の貧しかった時代背景を引きずっていて、中学校を卒業した私たちと同年代の若者は、金の卵と持て囃され、集団就職列車に乗って都会の雑踏の中へ消えて行きました。それでもカラーテレビに映し出された東京オリンピックの光景に一喜一憂しながら、女子バレーや体操、重量挙げなどの快挙を眺めたものでした。
 7年後の2020年に、56年ぶりに開かれる東京オリンピックは、願わくばこの目で見たいものだと思っていますが、気力や体力が持つかどうかも気がかりです。3兆円の経済効果があると、早くも取らぬ狸の皮算用をしていますが、次のオリンピックまでに、外国人に物笑いされぬよう日本人がしっかりとした成長を遂げなければならないようです。

  「tokyoと 言った瞬間 歓声が 極まり泣く人 嬉し光景」

  「40年 前に東京 開かれた オリンピックは テレビ観戦」

  「札幌や 長野に続き 4度目か パラリンピック もっと楽しみ」

  「7年後 果たして私 生きてるか 縁起でもない 妻に諭され」

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人間牧場

〇福岡県筑紫野市に招かれて(その2)

 人とまちが輝く地域社会を目指して、公民館がまちづくりの拠点になろうと開かれた推進大会の講師として招かれた私は、「公民館とまちづくり」というテーマで、90分熱弁をふるいました。私にとって公民館は主事として13年間、教育長兼中央公民館長として2年間、合計15年もの長きに渡って携わっているし、まちづくりも産業課や企画調整室、地域振興課で20年間も心血を注いでいるので、まさに十八番の話なのです。でもその35年を90分で話すには少し時間が足らなく、話し足たりない部分が数多くあり、質問タイムも食って終ってしまいました。それでも帰宅してメールを開くと、参加した3人の方から感想のメールが届き、嬉しい反応に安堵しているところです。

周防大島大橋の下をくぐる
周防大島大橋の下をくぐる
思い出の雄由利島と雌由利島を取り持つように走る貨物船
思い出の雄由利島と雌由利島を取り持つように走る貨物船
防予汽船フェリーの甲板にて自画像
防予汽船フェリーの甲板にて自画像

 今年は何故か九州各地へ招かれる機会が多く、これから先11月には北九州市と長崎県へそれぞれ講演に行く予定です。退職して9年目の夏を迎えているというのに、未だに衰えぬ人気(笑い)に私も妻もただただ驚いているのです。今回は筑紫野市へ招かれたついでに、二日市温泉を楽しみ、隣の菅原道実ゆかりの天満宮や国立民族博物館へも足を伸ばそうと思っていましたが、あいにくの雨に見舞われ、加えて9月第1土曜日はわが町の恒例の夕焼けプラットホームコンサートの開催日でもあり、少し気を揉んだのか後ろ髪を引かれたのか、結局博多から新幹線に徳山まで飛び乗って、山陽本線を柳井港駅まで乗り継ぎ、10分間の待ち時間に間に合って、防予汽船のフェリーで瀬戸内海を渡りました。小雨に曇る周防大島大橋をくぐり、民俗学者宮本常一ゆかりの周防大島を右手に走りながら、過ぎ越し人生を感傷的に思いました。

 山口県と広島県と愛媛県の境をなす瀬戸を抜けると、左手に豊田渉さんのふるさと二神島、右手に20年間無人島キャンプで熱い心をたぎらせた由利島を見ました。由利島も今はダッシュ島として乗っ取られてしまいましたが、小雨に煙る由利島は今も私の思い出の島でもあるのです。
 旅の途中新幹線の車内など、夕焼けコンサート会場で準備をしている松本さんと、携帯電話で連絡を取り合いましたが、九州地方の雨は四国愛媛県伊予市双海町には及ばず、何とか開催できたことは嬉しい限りです。今朝メールを見ると私の友人から、「夕焼けコンサートであなたの顔を捜したが見つからなかった」と少し不満の感想が2~3寄せられていました。
 季節は移り、先日の台風崩れの温帯低気圧による長雨の影響か、残暑も余り感じることもなく、穏やかな初秋を迎えています。そろそろ秋蒔きの季節だと、雨に濡れた畑を見ながら、はやる心を抑えている今日この頃です。

  「35年 勤め骨身に 染み込んだ 公民館と まちづくり語る」

  「筑紫野市 近く道実 社あり 温泉さえも 見向きもせずに」

  「新幹線 電車に船を 乗り継いで 意外と早く わが家へ帰る」

  「今頃は 夕焼けバック コンサート しているだろう 思いながらも」

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人間牧場

〇福岡から帰りにお寿司を食べました

 家から車で1時間以上もかかる防予汽船の船着場三津浜港まで、妻に迎えに来て貰ったので、途中回転寿司屋に立ち寄って、寿司でも食べようという相談がまとまりました。私は外食が嫌いなため、願わくば家で食べたかったのですが、準備や後片付けをしなければならない妻のことを思うと、それもありかなあと思ったのです。
 寿司屋はそそそろ終わりに近づく9時頃でしたが、土曜日とあって待ち時間が出るほどの盛況の中を、運よく椅子を確保することができ、空腹と安堵感も手伝って私が8皿、妻が7皿+茶碗蒸しを食べました。いやあ美味しいかったです。

 今日は予約どおり帰れないと思っていたので、予約通知どおり、ブログ書きを休養日として、これ以上書かずに終りたいと思います。お休みなさい。

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人間牧場

〇今夜から福岡県へ出帳します

 福岡県筑紫野市の存在は知っていますが、まだ行ったことがありません。今回は公民館連絡協議会推進大会の講師としてお招きを受けています。「博多からJRに乗り、すぐ近くの二日市という駅で降りてください」と、文書をいただいているので、ネットで少し調べて今夜出かける予定です。帰宅予定もはっきりしない気ままな旅ですので、お急ぎの方は携帯でご用件をお願いします。そのようなことなので明日のブログは久しぶりにお休みとさせていただきます。

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〇よっこらしょ!!と何とか一人で(その2)

 軽四トラックに積んだステンレス製の櫓は高さ1mですが、ほぼ1m真四角で頑丈なステンレスの鋼材を使っているため、3人がかりでも持ち上げるのも困難なほどの重量です。積み込む時は従兄弟夫婦に手伝ってもらい、荷台の囲いを降ろして何なく積み込みましたが、持ち帰って降ろすには、私一人の力ではどうにもならないのです。あいにく手助けする人もなく、知恵を絞れば何とかなると、一度自宅へ立ち寄って息子が転勤の度、荷物を運ぶために使っている、少し大きな座布団を2枚、倉庫から持ち出して人間牧場へ向かいました。

ステンレス製の立派な櫓
ステンレス製の立派な櫓

 人間牧場までの山道は前日の大雨であちらこちらに落石が見られ、落石を見つけるその度に車を止めて、落石を取り除き進みました。人間牧場では4WDにギアーを切り替え、既に置いているステンレス製タンクの傍へ後付けして車を留めました。荷縄を解き、トラックに傷をつけないよう大きな座布団を敷いて、一寸ずりをしながら慎重に降ろしました。少し難儀をしましたが作戦は成功し、怪我をすることもなく予定の場所に降ろすことができました。タンクと並べて置いた姿を見ながら、さて足元土台をコンクリートでどのように設置するか、思いをめぐらせました。

ステンレス製の水槽
ステンレス製の水槽

 基礎の掘り方やコンクリート練り込み工事は、体力的にさして難しいことではありません。しかし幕板を張り、コンクリートを練り込んで、仕上げを水平にするには水平器などが必要であり、余り自信がないのです。やはり土木業者に頼む方が無難なかも知れないと、少し弱気になっています。まあとりあえず水道屋さんにも相談してどうすればいいか、禍根を残さないようじっくりと考えたいと思っています。
 降って湧いたステンレスタンク設置工事に一喜一憂しながら、当分はワクワク・ドキドキしそうです。

  「三人で 積んだステンの 鋼材を たった一人で 知恵だし降ろす」

  「今年の 目玉工事に なりそうな タンクの設置 これから大変」

  「地震にも 強い工事を しなくっちゃ 自分一人じゃ 自信がないな」

  「昨日今日 相次ぎ従兄弟 手助けを さりげなくして 有難きかな」

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人間牧場

〇記録的な豪雨に見舞われる

 昨日の朝、私の住んでいる双海町は記録的豪雨に見舞われました。記録を聞いていないので記録的と表現するのがぴったりするほど、バケツをひっくり返したような大雨でした。この土地に住んで40年が経ちましたが、これまで経験したことのないような豪雨で、降る雨と裏山に染み込んだ雨水に加え、容量を超えて染み込まなくなった雨水がいたるところから噴出し、庭も畑も一面池のようになりました。わが家は裏に急斜面な山があるものの、水道さえ切れば下へ流れて行きますが、下の田圃等はそろそろ稲刈りをする準備のために、水を切って干し揚げていたものの、一辺に満水となって稲穂は水を含んで風雨に晒され、お辞儀をしたように稲穂を地面につけていました。聞くところによると、このままだと4~5日もすれば稲穂から芽が出る可能性だってあるようです。

 私は妻が用意してくれた雨合羽を着て麦藁帽子を被り、降りしきる雨の中を、鍬を持って庭や畑のあちこちを見回り、行き場を失って溜まった雨水を逃がすために水切りをして、少しでも下へ流そうとしました。また雨の度に心配になる、裏山に通じる農道を上って、かなり長い側溝の掃除をしました。日ごろは水の流れない側溝も、昨日ばかりはまるで小川のように音を立てて流れていました。
 一段落して自宅近くへ帰ってみると、隣の大野さんの家の裏山の側溝から溢れ出した水が、わが家の畑に流れ込んでいました。上に上がって水元をたどると、亀田さんの裏山が少し崩れて濁った水が出始めていました。大野さんと二人で懸命に水道を広げながら切って、何とか水を掃かせましたが、保育園前の市道も柳の谷から流れ出た雨水でまるで川のようになっていました。

 そうこうしている内に雨は少し小ぶりになりましたが、もう1時間もこんな雨が続いたら、大変な災害になっただろうと安堵の胸を撫で下ろしました。テレビで天気予報を、パソコンで雨雲の行方を見ながら不安な一日を過ごしましたが、台風が温帯低気圧になって前線を刺激した雨は、夕方になると東に去り、西の空が明るくなり久しぶりに太陽の顔を拝みました。
 昨日も栃木県では竜巻が発生し、前日ほどではないにしても各地で、異常気象による被害が相次いだようです。わが家も雨が上がった後突風が吹いて、閉め忘れていた煙会所と海舟館の間の扉が風で閉まったショックで、ガラスが割れてそこら一面に飛び散りました。竜巻被害に比べると大したことはありませんが、それでもわが家にとって、怪我をしなかったことは幸いですが、被害甚大でした。
 今日は曇っていますが、時折雲間から残夏の太陽が顔を覗かせ、天気は回復傾向にあり、妻も若嫁も空を気にしながら、溜まった洗濯物を目いっぱい干して、久しぶりの太陽の光を楽しんでいるようでした。

  「記録的 豪雨といえる 大雨が 降ってあちこち 水浸しなる」

  「雨合羽 長靴履いて 鍬を持ち 水道切るは 何年ぶりか」

  「突風に あおられ庭の ガラス戸が 一枚割れて ガラス飛び散る」

  「太陽は やはり恵みと 早速に 妻嫁揃い 洗濯物干す」

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人間牧場

〇ハモの骨切り体験(その2)

 ハモの調理には流し台と大量の水が必要なですが、カルチャースクールの5~6人だといつも用意しているポリ容器で、人間牧場まで運べばいいと思っていました。ところがこの計画をかぎつけた地域事務所の松本さんと公民館の赤石さんから、相次いで参加の旨の相談がありました。松本さんからは森ゼミの「双海町で?を探す旅」という研修プログラムを受け入れていて、双海町のまちづくりを勉強している研修生を参加させたいと、また赤石さんからは通学合宿にボランティアスタッフとして参加している大学生も、参加させたいと相談があったのです。

 ならば人間牧場の収容能力では無理だし、天気予報も雨なので、思い切って下灘コミセンの調理室を教育目的で借りることにしました。運よく調理室は空いていてラッキーでした。しかしハモの調理には電気調理台だけでは湯引きもハモ汁も満足に出来ないため、人間牧場へ食器類をとりに行ったその足で、急遽戎井ガス店に前日お伺いして、屋外へプロパンガスを設置してもらうよう頼みました。25人のメンバーに膨れ上がった調理実習は、昨日10時から早速始まりましたが、使い慣れていない調理室なので調理器具の在り処も分らぬまま難儀をしました。

組合長の見事な包丁捌きに見入る参加者
組合長の見事な包丁捌きに見入る参加者

 実習に先立ち若松組合長さんに、ハモにまつわるお話をアドリブでやっていただきました。若松組合長さんは前日まで東京で開かれた魚食フードフェスティバルに、ハモの普及のため松本さんや富田さんと一緒に参加していて、東京での出来事も織り交ぜながら話してくれました。やがてデモンストレーションとして、一番大きなハモを参加者の見守る中調理をし始め、組合長の見事な手さばきにみんな感心しきりでした。私は骨や粗を持参した大きな南部鉄釜に入れ出汁を作りました。沸騰した出汁から浜田さんが丁寧に灰汁を取り、ハモ汁とハモ飯の用意に専念しました。

 やがて4班に分れそれぞれの調理台で悪戦苦闘が始まりました。何せ参加した人の殆どは包丁を持った経験が殆どなく、ましてやハモの表面のぬめりに翻弄され、傍で見ていると危なかしくてもどかしさを感じましたが、組合長さんとあとで手伝いに来てくれた吉野理事さんの、懇切な手助けで何とか骨切りまで、手を切ることもなく終えました。外の強火ガスコンロで湯を沸かし、少量の塩を入れた熱湯の中に3~4秒くぐらせ、釜揚げしたハモの短冊を、用意した氷水でしめて、見事な真っ白いハモの湯引きが出来上がりました。

  「6人の つもり始めた 鱧調理 25人に 膨れ上がって」

  「台風の 余波雨の中 出漁し ハモゲットして 調理実習」

  「魚では 調理しにくい ハモあえて 骨切り挑戦 悪戦苦闘」

  「ハモ湯引き ハモ汁加え ハモ飯と 三昧料理 アバウト作る」 

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人間牧場

〇天災は忘れた頃にやって来る

 人間はいい加減なものだとしみじみ思います。数日前までは1ヶ月間も、雨らしい雨が降らず、加えて連日の猛暑でくたくたになって、会う人毎に「雨が欲しい」と言っていました。柑橘地帯では渇水対策本部が設置され、雨乞いまでしたというのに、このところの思わぬ長雨にたたられると今度は、「もう雨は要らぬ」と、これまた会う人毎に恨み節とも取れる会話を交わしながら、雨の止まぬ空を見上げながら恨めしそうに過ごすのです。
 確かに今年の天気は異常続きです。山口や島根の水害や昨日埼玉・千葉で突如として起こった竜巻の被害は異常気象としかいいようがありません。

 昨日テレビを見ていると、午後2時過ぎに埼玉県と千葉県で竜巻と見られる激しい突風が起こり、住宅の屋根が飛ばされたり、窓ガラスが割れたり、あの強靭なコンクリート製の電柱まで根こそぎ倒れる様子がリアルに映しだされました。アメリカの竜巻の様子等を映画や映像で見たことはありますが、日本でも同じような被害が起こったのです。
 気象庁によると上空の寒気は平年並みだったものの、大気下層に温かく湿った空気が流れ込み、不安定な状態で、強い竜巻をもたらすことが多い積乱雲「スーパーセル」が発生した可能性が高かったようです。

 私はテレビや新聞で、スーパーの安売りセールならぬ、「スーパーセル」という言葉を初めて知りました。数キロから100キロ程度の幅で回転する積乱雲で、被害をもたらすような激しい竜巻はスーパーセルに伴うものが多いようです。普通の積乱雲は降雨などによる下降気流と上昇気流が同じ場所にあり、一時間程度で消滅しますが、下降気流と上昇気流が異なる場所でできるため、数時間持続するのです。内部に反時計回りの渦「メゾサイクロン」を持ち、被害はより大きくなるのです。
 大雨や津波はある程度予想され、避難や防ぎようもあるのでしょうが、竜巻は避難や防ぎようが今のところないようです。

 極端に暑かった夏、局地的ゲリラ豪雨に見舞われた夏も、やっと終わりに近づきましたが、はてさて私たちの住んでいる日本は、四季があって自然の美しい国といわれています。でもこうも災害が起こると、いつわが身に降りかかるかもしれない不安に、おののいて暮らさなければならず、首を傾げたくなるのです。
 「備えあれば憂いなし」というけれど、「天災は忘れた頃にやって来る」のです。二度も大きながけ崩れに遭って、大きな被害を経験したわが家ゆえに、竜巻の事故も人事とは思えないし、被害に遭った人の心情を垣間見るのです。ああ悲しきかな災害の国日本です。

  「降らぬのも 困るけれども 降り過ぎも これまた困る 自然身勝手」

  「昨日まで 一雨欲しいと 言っていた 今日はまた雨 空を見上げて」

  「竜巻は アメリカ大陸 そう思い 安気していた いやいや日本も」

  「電柱が 根こそぎ倒れ すさまじい 命あるだけ まだまだましと」

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人間牧場

〇今年の夏も終わりました

 今年はことのほか寒かった冬を超し、ことのほか暑かった夏を過ごしましたが、残暑は残っているもののやっとの思いで、汗疹を出しながら厳しかった夏も終わりました。朝夕鳴いていたヒグラシや、やけっぱちに鳴いていたセミの声も、台風15号が温帯低気圧になった雨にかき消され、今朝は静かな9月の朝を迎えています。
 暑いといいながら冷房の嫌いな私は結局、書斎の冷房を1回もかけずに夏を乗り切ったのですから凄いとしかいいようがありません。その分扇風機はフル回転で、寝る時まで扇風機のご厄介になりましたが、それも今となっては懐かしい思い出となりました。

 昨日妻と二人で松前町のエミフルへ買い物に行きました。田舎者の私は人出の多い場所は苦手なため、どうやらエミフルへは、今年になって始めてのようでした。ニトリとダイキの中間点に車を止め、小雨の降る中をお店に入り妻の買い物に付き合いましたが、目的はダイニングルームのデスク上のビニールシートを替えようという話になり、ニトリで小物と柱時計を含め2~3点買った後、ダイキで計り売りのビニールシートを買うことにしました。幾つかの花柄デザインの中から妻が気に入った物を選び、店員さんに2m50cm切ってもらいました。12時になったのでエミフル内の中華料理レストランで食事をしました。昨日は雨模様のためレストランも混雑気味で、少し待ち時間を余儀なくされましたが、私は黒ゴマ坦坦麺、妻はラーメンセットを注文し、汗をかきながら美味しく食べました。

ダイニングのビニールシートを替えました
ダイニングのビニールシートを替えました

 少し洋服や食料品の店で買い物をして、早々午後2時には帰宅しました。私はテレビを見ながら横になり少しウトウトしていましたが、妻は買って来たビニールシートを古いシートと取替えながら、ダイニング周辺の掃除をしていました。夕焼け村の講義が予定されていて、夕方出かけなければならないので、少し早めの夕食準備が出来たと妻が呼びに来てダイニングへ入りました。卓上のビニールシートを替えただけで室内の雰囲気は一変し、卓上に並べられた料理までがどこか違って見えました。
 料理に加え8月中ずっと食卓に並んでいるものに、私の大好物である赤いスイカがありました。妻が言うのにはスイカも昨晩の夕食で最後のようでした。ビールも飲まない私にせめてスイカぐらいはふんだんに食べて欲しいと、妻はせっせとスイカの産地である東峰へ通い、私のためにスイカを食べさせてくれたのです。ありがたいと思いながら、夏の終わりを感じました。

  「エミフルは どこか世界が 違ってる 田舎育ちの 私にゃ不向き」

  「ダイニング ビニールシートを 替えただけ どこかお洒落な 気分になりて」

  「冷房を かけずこの夏 乗り切った 扇風機様 ご苦労様で」

  「食べ収め スイカ来年 夏までは デザート何を 食べればいいか」

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