人間牧場

〇よもくれ団子の試食観月会

 昨日は中秋の名月でした。大きな災害を日本各地にもたらした台風が北の果に去ってから、日中は幾分残暑が残っているものの、朝晩は一枚羽織らなければ寒く感じるほどひんやりして、絶好の秋日和です。この日を選んでまちづくり学校双海人の特産品開発グループでは、よもくれ団子の試食を兼ねた観月会を催すことになりました。前夜保健センターの調理室を借りて試作した100個余りのよもくれ団子を、実験と保存のために冷蔵と冷凍保存しておいたものを、シーサイドの調理室で蒸気蒸ししたり、袋田さんからいただいた新米コシヒカリでおにぎりを作ったり、それぞれの役割をこなして準備を進めました。

富田さんがfacebookに載せたよもくれ団子クラブの面々
富田さんがfacebookに載せたよもくれ団子クラブの面々

 私はススキを準備する担当だったので、あれこれ文句をいいながら夕日を鑑賞したりして、午後6時30分の開会を待ちました。観月の場所は二転三転しましたが、結局明り取りの関係で恋人岬の付け根の石張り広場で行ないましたが、どこからが団子の試食で、どこまでが観月かも区別がつかないままのまずい運営で、少し心残りのする集会となりましたが、それでも前日作ったみたらし、よもぎ、ひじきの3種類の団子をみんなで試食しながら、アンケートに意見を記入して回収箱に収めました。
 そのうち中秋の名月が雲間から出て、伊予農校生による出し物や、私のハーモニカ、それに俳句ライブを行い、団子を俳句に入れて作った松本さんと井上さんの句を優秀と認め、私が持参した小瓶の蜂蜜を副賞として差し上げました。

投げ込み流家元の私が活けたススキ
投げ込み流家元の私が活けたススキ

 団子は試食しましたが、商品として販売するにはまだまだ改良の余地がありそうです。「今日の団子は何点くらい?」と意見を求められましたが、私は「10点」くらいと厳しい意見を言いました。団子は柔らかいとか硬いとかいう美味しい以前の反応が多く、これでは自信を持って販売することはできないのです。販売してお金をいただくということはそれなりの意味があります。また食べたいという意識になるような商品にするためには、まだ幾つもの段階をクリアーしなければならないことが多いようです。
 特産品がその地域の顔を持つように認知されるまでには、失敗や反対等様々な苦労があるものです。でもそれを乗り越えて行かないといい特産品は生まれません。みんなで努力してみる価値はあるようです。

 

 

 

 

 

 

  「団子食べ お月見をする イベントも どこかちぐはぐ これもまたよし」

  「柔らかい 少し硬いと 味よりも 食感ばかり 意見続出」

  「浜辺にて 月の砂漠を ハーモニカ 吹けどもみんな 団子に夢中」

  「さて一句 ひねるが駄作 ばかりなり それでも商品 蜂蜜二瓶」

月の光とカクテル光線で照らされた恋人岬で熱演の伊予農校生
月の光とカクテル光線で照らされた恋人岬で熱演の伊予農校生
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人間牧場

〇団子は救世主になれるか!!

 私が現職のころ、シーサイド公園で製造販売を始めたじゃこ天が軌道に乗り始めたので、次なる商品を考えようと、世にも珍しい名前の「よもくれ団子汁」という食べ物を作りました。これは私たちが子どものころから食べていた郷土料理でした。まな板の上に頭と内蔵と鱗を取った生イワシを置き、包丁で骨ごと叩くのです。その後叩いたイワシの身はカガスに入れてつなぎに多少の小麦粉を入れ、味付けをしてつみれを作り澄まし汁に浮かせて、豆腐とネギを入れただけのシンプルな漁村特有の料理なのです。冬になると母がよく作ってくれましたが、フーフーいいながら熱々の団子汁を食べると、汗をかくほど身体が温まりました。

団子作りの実習
団子作りの実習

 じゃこ天用すり身を使った団子汁は冬イベントの度に、じゃこ天のおばちゃんたちが作って売っていますが、大鍋で作る団子汁は絶品で、私の発案で「よもくれ団子汁」と名前をつけました。「よもくれ」とはこちらの地方の方言で、ふざけたことを言う人のことをいいます。さしずめ名付け親の私はよもくれ男の代名詞のような人間で、いつも親父ギャグを連発してよもくれ男を自認しているのです。
 道の駅であるシーサイド公園もじゃこ天や夕焼けソフトクリームなどを世に出しましたが、第3の特産品開発が未だに出来てなく、最近は経営的にも苦戦を強いられているようですが、何か救世主になるような特産品は出来ないものか、まちづくり学校双海人でもあれこれ考えてはいますが、ハモカツバーガーやラヴじゃこ天は世に出したものの、次なる妙案は中々浮かばないのです。

作業風景
作業風景

 そこでクラブ活動を機に特産品開発に乗り出しました。それは「よもくれ団子」です。団子は日本人が昔から日常的に食べている食べ物ですが奥が深く、「何故団子なの?」と言われそうですが、夕日が日本全国にあるように団子も日本全国にあるのです。ゆえに美味い団子を作れば必ずヒットするとにらんで、早速試作に取り掛かりました。奥が深いゆえ職人さんの指導を仰がなければ、一歩前へは進めないのです。
 試作は地域おこし協力隊の川口さんが引き継いで世話をしてくれていますが、完成はまだまだ先になりそうです。軽トラ市で売ったり、失敗を重ねていますが、この失敗を乗り越えて何とか地元特産の商品にしたいものです。みたらし、ヨモギ、ヒジキなどに加えアオサやクロメ、チリメンみかんなども加わるとバリエーションは無限だけに面白いと思っています。

 昨日の夜は、急遽思いついて中秋の名月と団子を組み合わせたお月見会を計画し、まちづくり学校双海人のメンバーに集まってもらい、500円の会費で試食してもらおうと相談がまとまり、製品を試作をしました。私も保健センターの調理室へ出かけ2時間ばかりお手伝いをしましたが、今晩のお月見会が楽しみです。私の役割はススキの準備とハーモニカを吹くことぐらいしか能がないので、人の迷惑にならないようぼちぼちやろうと思っています。
 「団子で1千万」も夢ではありません。「夢はドリームでなくターゲットである」を信じて頑張りたいものです。

  「いつの世も 楽し儲ける 手立てなし 努力をすれば 必ず成果」

  「製品は できても商品 難しい ハードルの次 更なるハードル」

  「ありふれた 団子素材に 特産品 一千万円 目標掲げ」

  「老いてるが まだまだ役に 立つようだ 足手まといに ならぬようにと」 

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人間牧場

〇facebookを始めました

 この2~3日、私の携帯電話に意味不明のメールが頻繁に入り始めました。私は携帯電話では相手から入ったメールへの返信以外殆どメールをしません。しないというよりはやり方を余り知らないとう方が正しいのかも知れません。「1千万円差し上げます」から始まり、「付き合ってください」などなど様々です。貧乏人の私は1千万円も欲しし、男ですから格好いいお姉ちゃんと付き合ってみたいという、金欲性欲が頭を持ち上げそうになるものの、そこは自制心の強い私ゆえ、そこから先へ進んで自分の貯金通帳の暗証番号を教えるようなヘマはしませんが、何とも奇妙で煩わしい情報化社会になったものだと、気分が滅入るのです。

 私はパソコンでインターネットをやっています。これもやりたいというよりは仕事柄、相手と交信しないと仕事が成り立たないから、仕方なくやっているのですが、私のGメールにも迷惑メールが沢山入ってきます。今は自動的に迷惑メールは選り分けられ、ゴミ箱に捨てられるように、娘婿がセットしてくれているお陰で随分助かっていますが、時々必要なメールまで紛れ込んで、ゴミ箱に捨てる失態だってあるようです。
 最近私の身の回りの仲間が、ツイッターやフェイスブックで交信している話題をよく口にします。その話題の輪に入れない私は、やはり時代遅れだと自認していましたが、娘婿が私のためにフェイスブックを使えるよう立ち上げてくれました。そのことをすっかり忘れていた私のメール、にフェイスブックの情報が入り始めたものの、迷惑メールと勘違いしてゴミ箱行きにしていました。

私もフェイスブックを始めました
私もフェイスブックを始めました

 3日前母の13回忌の法要でやって来た娘婿に、そのことを話したところ、フェイスブックの様々な注意を受けながら、フェイスブックが使えるようにしてくれました。今まではフェイスブックといいながら、顔も名前も伏せていたのに、顔は私の似顔絵、名前も若松進一と入力したところ、どこでどう間違ったのか名前が進一若松と逆さまになりました。急いで娘婿にメールで知らせて、手直ししてもらいましたが、人間牧場からの眺望写真もフェイスブックに載せてもらい、一応体裁は整いました。
 いやはや驚きです。まるで堰を切った川の流れのように、友達が友達を連れて入ってくるのです。娘婿が言っていたfasebookの友だちは100人だとすると友だちの友だちは100人×100人=10000人という事実がやっと飲み込めました。

 Googleで自分の名前を検索すると、自分のfacebookのプロフィールや写真が出てくる事実を、私はしっかりと肝に銘じなければならないようです。親友の松本さんから、「自分が公開しなくても、友だちに自分の写真が勝手に公開されたり、自分になり済ませて情報が勝手に独り歩きする」と、注意を促されたことの意味も少し分りました。
 先日人間牧場へ研修にやって来た人が、私の「講義の様子をfacebookに載せましたので、見てください」と連絡がありました。自分では自分が人様の前で講義をしている写真は中々撮れないものの、facebookをやってない私には探しようもありませんでした。
 皆さんが言うようにfacebookは色々な問題点をはらんでいますが、ブログのようにしっかりと使いこなせるようにしたいものです。

  「私には フェイスブックを 使えない 友の話題に ついて行けない」

  「友だちの 友だち増える いいことに 違いはないが 危ないことも」

  「このところ 妙なメールが 舞い込んで どうしたものか 自己責任で」

  「似顔絵を 載せた途端に 堰を切る いやはや凄い 情報やり取り」

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人間牧場

〇台風18号日本列島上陸

 大型の台風18号は昨日16日の午前8時頃、愛知県豊橋市付近に上陸、関東・甲信・東北を猛スピードで横断して太平洋に抜けました。上陸前から広い範囲で大雨となりましたが、気象庁は8月30日に運用を始めた大雨別警報を、井県・京都府・滋賀県に出して注意を呼びかけましたが、死者3人・行方不明者5人・重軽傷者70人・床下床上浸水1500棟という災害の爪跡を残したようです。
 台風から遠く離れたわが四国伊予市双海町も、一昨日から台風の影響で雨風が強くなり始めましたが、15日の日曜日には心配しながらも、双海中学校の運動会が中止や延期した学校をよそに強行されました。時折降る小雨を気にしながらの運動会でしたが、何とか予定通り出来たようです。私も双海中学校の学校評議員をしているので案内を受け、母の13回忌法要の合間を縫って見学に行きましたが、生徒数90人ほどの小さな学校ゆえに、みんなが主役になる運動会は素晴らしいものでした。

 

双海中学校の運動会
双海中学校の運動会

 昨日は夜来から強風が吹き荒れ、外に置いていた発泡スチロールのトロ箱が、風でゴロゴロと飛び交う音で目が覚め、眠りの浅い朝を迎えました。テレビをつけると朝から殆ど一日中、台風18号関連のニュースで持ちきりでした。特に町全体が冠水した京都福知山の市街地の惨状や、旅番組などで見慣れた京都嵐山にかかる渡月橋は、今にも橋を乗り越えそうな濁流に洗われ、見るも無残な姿をさらけ出していました、秋の観光シーズンの幕開けだっただけに、観光地は出鼻をくじかれた格好だったようです。
 それにしても3・11の東日本大震災以来頻発する、度重なる自然災害の数々は目を覆うばかりです。ゲリラ豪雨や竜巻などの数々は、日ごろ気をつけていても防ぎようがなく、長年築き上げた財産等に目もくれず、唯一自分の命を守ることを最優先する以外生き延びる道はないのです。近畿を中心に50万人以上の人に避難勧告や避難指示が出たようですが、それらの人もまず命だけでも助かったことを良しとしなければなりませんが、人間はそうは言っても一瞬の内に失われた家財を前に、なすすべもない憤りを感じるのも事実なのです。

台風18号の風を受けて勢いよく回るわが家車庫屋上の風力発電用風車
台風18号の風を受けて勢いよく回るわが家車庫屋上の風力発電用風車

 昔は台風と言えば四国や九州が通り相場で、室戸台風や枕崎台風などの記憶が蘇りますが、最近は首都圏などにも被害が及ぶようになってきました。台風が来る度に雨戸等を飛ばないように釘で打ち付け、台風に備えた昔が懐かしいと、九州の人が言っていましたが、これも温暖化の影響でしょうか。
 今回の台風は左程大きくはなかったのに、日本列島の太平洋側の海水温度が高かったため、衰えるどころか発達し続け、南から湿った温かい空気が大量に流れ込み、北の寒気とぶつかって積乱雲が発生し、各地に大雨を降らせたようです。すっかり忘れていた210日や220日を象徴する大雨でした。
 福島第一原発の周辺でも大量の雨が降り、7ヶ所のせきの弁を開けて、溜まった雨水を海に排出したそうです。いずれの排水も放射性物質の濃度は基準以下だったそうですが、どこまで信じていいのか、漁民の怒りももっともだと同乗するのです。はてさてあれ程時化た海も山も、今朝は台風一過の穏やかな秋晴れです。台風被害に遭った人たちにとっては、傷心の秋晴れのようですが・・・・・。

  「台風を ものともせずに 運動会 終ってみれば やってよかった」

  「耳慣れぬ 特別警報 近畿圏 50万人 避難勧告」

  「風車羽根 風にあおられ 今までに ないほど回り 発電充電」

  「台風と 言えば四国や 九州と 決っていたが 次代変わりて」

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人間牧場

〇母の13回忌法要(その2)

 私の家のお寺は下灘にある臨済宗東福寺派の長楽寺です。先年住職が亡くなり、跡を継いでいる息子さんも病気がちで、仏事一切は慶徳寺の山口住職が兼務をしているため、13回忌法要は山口住職に頼みました。山口住職さんは、私が度々講演に出かけた大分県本匠村(合併して現佐伯市)出身であったり、双海史談会のメンバーであったりするので、何かと入魂な間柄で、昨年は達筆な人柄を見込んで「恩」という字の掲額を書いてもらいました。また住職の奥さんは双海町更生保護女性会の会長さんでもあり、子ども体験塾の実行委員のメンバーでもあるので、共々の間柄なのです。

 法要の読経が終ると、和尚さんは私のリクエストに応えて「絆」をテーマに即興で説教をしてくれました。孫たちも読経の後のしびれが切れた時間でしたが、みんな静かに聞いてくれました。ある女性が震災で行方不明になった母親の捜索を何日もした挙句、瓦礫に埋まって手だけしか出ていない姿の中で、「この手は私の母です」と取りすがり、掘り出したら本当にお母さんの遺体だったそうです。顔や姿形ならいざ知らず、手を見ただけで自分の母親だといえる人が果たしてい何人いるだろうと、涙の出るような感傷感動的な話をしてくれました。私も日ごろ人前でお話しする機会があるだけに、とても参考になるお話でした。

 

13回忌法要のお墓参り
13回忌法要のお墓参り

 読経と説教が終ると全員揃って、住職さんとともにお墓参りに出かけました。親族揃ってのお墓参りは久しぶりだし、未来ある孫たちにも仏事全般を体験させたことは何よりも大きな収穫でした。人はどこかから産まれ生き、どこかへ去るのでしょうが、先祖に思いを馳せながら連綿と続く人間のルーツを、一瞬ながら垣間見ることが出来たのです。
 和尚さんと「跡取り」について色々な雑談をしました。わが家には親父・私・息子・孫と4人の長男が現在もひとつ屋根の下で暮らしています。親父は祖父から跡取りとして育てられたようです。その親父は私を跡取りとして育てました。私も少々心もとないながら長男を跡取りとして育てています。お陰様でまだまだ独り立ちできないながら、家族で同居の道を選んでくれました。その息子に託すのは長男孫の教育です。こんな文明の発達したの世の中で、跡取り教育などとは古臭いと思われますが、戦後日本人が忘れてしまった跡取り教育をもう一度復活させなければと、人はどうであれわが家では思っている今日この頃です。

  「説教を しびれ切らせて 聞く孫に よくぞ聞いたと 頭撫でやる」

  「手見ただけ これは私の 母ですと 言える人間 いるのだろうか」

  「わが家には 跡取り4人 ちゃんといる これでひとまず わが家安泰」

  「海見える 墓地にお参り やがて俺 親父とともに ここに埋まる」

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人間牧場

〇修行と称する大掃除

 ことのほか暑かった今年の夏も終わり、人間牧場にも爽やかな秋風が吹き始めました。昨日は西予市明浜町から7人のお客さんを迎えて賑やかでしたが、これでやっと一段落したので、浜田さんの提案で一行が帰ってから、水平線の家の板間掃除をすることにしました。私と浜田さんは1年に二回程度のこの掃除を「修行」と名付けてやっていますが、修行といいながら宗教的な意図はまったくなく、施設を美しく保ち使う人に心地よく感じてもらうための、ささやかな掃除というシンプル作務なのです。

水平線の家板間の掃除とワックス塗り作業
水平線の家板間の掃除とワックス塗り作業

 掃除はまず板間に置いたすべての物を、ウッドデッキに出す作業から始めます。広いと思っていた畳25畳の板間もいつの間にか小道具類が増え、少し狭さを感じていますが、流石に全てを外に出すと広く感じるもので、置物の幾つかを処分して広く使えるようにしたいものです。
 荷物を出したら箒と掃除機で板間のゴミを掃除し、前回使った刷毛と小皿を棚から取り出して、ワックスで刷毛を柔らかくしながら、二人の持分を決め板目に沿って塗り始めました。板間を這うように塗っていく作業はかなりハードで、大汗をかきました。こうしてワックスを塗っておくと板間が汚れにくくなるのです。

 昨日は30度を越す夏日だったため、ワックスの伸びが良く少量のワックスですみました。少しの間ワックスが乾くまで風を入れました。私はその間、下の芋畑に下りて電気柵周辺の草刈りをしました。公民館の宮栄館長さんや赤石さんの見回りのお陰で、今年は何とかまだイノシシの被害に遭っていませんが、これから先はイノシシのシーズンだけに気になるところです。電気柵の下を草刈機で撫でるように草を刈り、再び大汗をかいてしまいました。浜田さんと二人で馬路村産魚梁瀬杉の切り株を所定の場所に置き、修行作務を終えました。

 来月初めの10月2日には、鳥取県鳥取市から藤原さん一行20人ほどが人間牧場へ研修のためにやって来ます。また子ども体験塾のメンバー40人もお祭り前収穫祭にやって来る予定で、人気沢山といったところです。水平線の家の掃除ができたので、ススキの穂が出揃う月末頃にもう一回今年最後の草刈りをしたいと思っています。
 加齢とともに体力的には衰えつつありますが、七年間も続いている浜田さんの修行と称する助っ人には、ただただ感謝するばかりです。

  「修行だと 言って板間に ワックスを 汗をかきつつ 二人塗りつ」

  「手間暇を かけて掃除を した後の 清しい気持ち これぞ本懐」

  「夏終わる 感謝の心 込めながら そこここ掃除 秋はそこまで」

  「掃除終え 二人でゼロの ビール飲む 蜜蜂入り 上の機嫌で」

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人間牧場

〇ハモの骨切り講習の成果はまだまだ先のようです

 先日愛媛新聞カルチャースクールの生徒さんたちを招いて、下灘コミセンの調理室をお借りし、若松下灘漁協組合長さんを講師に迎え、ハモの骨切り講習会をやりました。今までは誰に教えてもらうでもなく、親父のやっていたのを、見て見よう見真似でやっていたので、本格的なハモの調理は見るのは初めてとあって、組合長さんの見事な腕前に感心をしていて、記憶が薄れない近いうちに真似をして、練習しようと思っていましたが、肝心の暇とハモを手に入れることが出来ませんでした。

 ところが昨日の夕方、親類の伯父さんからあがりのハモ(漁獲して船の水槽に泳がせるものの、水温が高く死んだもの)を取りに来いと連絡がありました。急いで軽四トラックで取りに出かけましたが、何とその量たるや沢山で、トロ箱二つもいただきました。ハモを貰って帰宅したのが午後6時でしたから、それから鱧を三枚に下ろすのに、何と3時間もかかってしまいました。氷に埋めているハモを捌くのは容易なことではありません。目釘を打ち、砥石で研ぎ澄ました包丁で捌いていくのですが、捌いても捌いても一向に片付きませんでした。

 組合長さんは料理講習で腹開きをしていました。開いたハモの背びれを丁寧に取り除いていましたが、そんな丁寧な作業をしていたら深夜までかかるとあって、昨日も相変わらず自己流の背開きで作業を進めました。頭と内蔵と骨を取り除き、水洗いした身を一本一本骨切りするのですが、時間が進みにつれ手も少し疲労したのか骨が十分に切れなかったり、時には切り過ぎて短冊のようになって、〇□▲×+÷=と気分が滅入って、講習の成果を試すどころか投げ出したくなりました。

 骨切りしたハモを行儀よくアルミパレットに並べ、途中友人宅にお裾分けで配ったこともあって、片付け終ったのは午後10時を回っていました。妻はタッパにラップをかけたり、ジップ袋に小分けをして冷凍保存していましたが、私の鱧料理の腕前は結局上がらず終いでした。この次は活き締めしたハモを素材に、近いうちにもう一度ハモ料理に挑戦しようと思っています。
 今日は西予市明浜からピザ釜講習の一行が人間牧場へやって来ます。妻の提案でハモのスープを作りふる舞ってあげたいと思って、今朝から準備を進めています。今日も台風の行方を気にしながら暑い一日になりそうです。

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人間牧場

〇新米が届く

 昨日の夕方、親友の西岡栄一さんが突然、30kgのお米の袋を担いでわが家の玄関先にやって来ました。西岡さんはつい最近スズメバチに襲われ、8ヶ所も刺されて病院で手当を受けたそうですが、今は元気を回復しているようでした。今年は私もムカデに刺されアナフラッキシーショックで呼吸困難となり、救急車で運ばれた苦い経験があるので、人毎とは思えないのです。西岡さんは腰の具合も悪いと聞いていましたが、30kgの米袋を軽々と担ぐ当りはさすが日ごろ鍛えたお百姓さんって感じで、逞しく思いました。

 

西岡さんから届いた新米
西岡さんから届いた新米

 西岡さんは役場を退職してから農業を手広くやっていますが、お米も沢山作っていて、先日までの渇水や思わぬ大雨でかなり苦労があったそうですが、稲刈りも一段落したので今年もこうして新米を届けてくれたのです。
 早速刈りだち、つき立ての新米を今晩当たり妻に炊いてもらって、味わおうと思っています。この時期は新米に加え秋刀魚も北国の親友から届き、加えて梨やブドウといった果物も美味しい季節なので、ついつい食欲が進むのか、妻の体形も若干肥え気味といった感じで、何とか痩せたいと思う女心でしょうか、昨夕も食事が終ってから一緒にシーサイド公園周辺までウォーキングに出かけました。

 明後日は母親の13回忌で兄弟が集まる予定なので、新米をと思っていますが、法事の料理は既に料理屋さんに頼んでいるし、うどんも振舞う準備が妻の手によって進んでいるようで、試食は少し後になりそうです。今年取れたお米のことを新米と言いますが、初めて仕事につく人のことも新米というようです。初々しく輝いて見える姿は炊き立ての新米ご飯と同じようなことからこの呼び名がついたのかも知れませんが、新米の美味しいご飯に梅干しを乗せ、シンプルに漬物とお味噌汁で秋の味を楽しみたいと思っています。

  「新米の 入った袋 軽々と 担いで親友 玄関先に」

  「新米の 炊きたてご飯 梅干しと 漬物それに 味噌汁あれば」

  「新米と 新米因果 関係は 分らぬ私 やはり新米」

  「新米が 出回る季節 なりにけり 食欲の秋 妻太る秋」

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人間牧場

〇愉快な仲間たち

 私には40年を超えて連れ添っている妻さえも驚くほど、沢山の仲間がいます。その仲間たちも私と同じように、毎年確実に一つずつ歳を重ねているので、少し元気が足りず多少物足りなさを感じていますが、多分その人から見れば私も、ギラギラと輝いて生きててた昔と比べれば、どことなく物足りなさを感じているに違いないのです。でも歳をとると友だちの誰もが思慮深くなり、視野の狭くなった私に多くの示唆を与えてくれるのです。

年輪塾の愉快な仲間たち
年輪塾の愉快な仲間たち

 そんな愉快な仲間の中で今一番輝いているのは、私塾年輪塾のメンバーです。昨日は今じゃすっかりアジト?になった松山市駅近くの「ふじ」という居酒屋に集まり、5人だけの「打ち合わせ会」と称した呑み会をやりました。酒を止めて13年になりますが、お茶一辺倒の呑み会にもすっかり慣れて、刺身、しめ鯖、鶏から揚げ、フライドポテト、焼きそばなど、次々出てくる夕食兼料理に舌鼓を打ちながら、大いに盛り上がった話をしました。

 テーマは11月16日に迫った年輪塾のジョン万次郎公開セミナーの進め方についてです。奇しくも11月16日はジョン万次郎が帰郷した記念日に当たります。松本さんが作って持参した資料案を基に、お酒を飲みながらみんなで意見を戦わせました。5人寄れば文殊の知恵です。今回も色々な話が出て多いに盛り上がりました。宮本常一、二宮尊徳に続く第3期目の先人を、ジョン万次郎に選んでからこの2年、ジョン万次郎のふるさと土佐清水へ2回も足を運び、ジョン万次郎研究家青野博さんの指導の下、様々なことを学んできました。いよいよ今回は最終章のまとめの学習会です。

 私はこれまでにも10年で40回の、フロンティア塾など多くの学習を試みてきましたが、年輪塾も塾頭や小番頭、筆頭塾生のお陰で、何とかここまで進めてきました。フロンティア塾が10年間学習したように、年輪塾もとりあえず一つの目安を10年と私的には定めていますが、後4年をどう乗り切るか、いよいよ真価が問われそうです。私にとってジョン万次郎は元漁師という境遇もダブルため特別な思いがありますが、元慶應義塾大学教授の川澄哲夫先生を招いた公開セミナーを、今から楽しみにしています。

年輪塾公開セミナーのチラシ
年輪塾公開セミナーのチラシ

 「気の合いし 仲間居酒屋 集まって 時の経つのも 忘れ談笑」

 「飲み放題 3千500円 元は取る 私は飲まぬ ゆえに折り合い」

  「一番の お勧めしめ鯖 絶品で 板長さんの 確かな腕前」

  「この二年 ジョン万勉強 したゆえに どこか大きな 気風漂う」

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人間牧場

〇切手を貼って投函せず手渡された一枚の葉書

 今朝双海地区公民館の赤石主事さんが、仕事に行く前にわが家へ一枚の絵葉書を持ってやって来ました。赤石さんとはこの5年、私が子ども教室実行委員会の委員長をしていることもあって、地域事務所の松本さんとともに最も親しく、最も濃密に付き合っている人の一人です。私が13年間公民館主事として、また中央公民館長として2年間、合計15年間公民館も深く関わっていたり、今も県公連の専門委員をしていることもあって、公民館に対する思い入れは人一倍持っているつもりなので、公民館職員の育成は本業をリタイアしているとはいえ、私の大きなテーマでもあるのです。つまりいい公民館活動なしではいい地域づくりはあり得ないし、職員の良し悪しで公民館の良し悪しも決まるのですから、当然いい職員を作るために力コブが入るのです。

 赤石さんは北九州出身のある意味よそ者です。愛媛大学で学んだきっかけで伊予市役所職員となり、幾つかの職場を経験した後、双海地区公民館の公民館に5年前配属されました。その時から私との付き合いは始まりましたが、やる気がみなぎっているものの若さゆえ、未経験者ゆえ、またよそ者ゆえ少しから回りしながら年数を重ねてきました。その間知り合った愛媛県内の公民館主事仲間も増えて、福島の子どもたちを愛媛に迎える活動にも中心メンバーとして参加し、自立・自律の気風を養いながら現在に至っています。
 前向きなそうした生き方が評価され、県公連から指名主事に抜擢されて、様々な広域的な活動に参加しているようですが、5年前の比べると雲泥の差だと目を細めるのは私一人ではないと思うのです。

 公民館主事は土日が殆どなく、夜の集会も多い職場です。子ども三人はまだ小さいゆえ、子育てや家庭との葛藤もあると思うのですが、私がそうであったように、小学生の自分の子どもも参加させたりして一生懸命社会教育に同化しようと頑張っています。
 公務員は辞令一枚でどこへ異動するか分りませんが、私がそうであったように、その場所で命をかけて働き、新しい職場に異動しても前の職場を忘れることなく、竹が節を重ねるような生き方をして欲しいと願っています。その見本は彼の身近にいる松本さんかも知れません。
 この5年で赤石さんは随分成長しました。自分の成長は仕事の成果に繋がります。これからも多くのことを学んで欲しいと願っています。

 そうそう、赤石さんが今朝わが家に持参した絵葉書は、夕焼け村のへの協力お礼状でした。短い文面には、「夕日のお話が双海町の子どもたち全員に行き渡るまでこれからもご講演をお願い致します」と書かれていました。お世話になった人にお礼状を出す、たった一枚の葉書ですが、たかが一枚されど一枚です。葉書は受け取る人をハッピーな心にしてくれます。これからも感謝とチャレンジ精神を忘れることなく頑張ってほしいものです。

  「手渡しで 届いた葉書 お礼状 感謝の気持ち 伝わり嬉し」

  「何につけ どうせやるなら 前向きに やれば成果は ついて来るなり」

  「五年間 思いを込めて 仕事した 自分気付かぬ 成長ありあり」

  「石の上 五年も座ると マンネリに なるから余程 性根を据えて」 

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