人間牧場

〇予讃線海岸周りの鈍行列車(その2)

 

上灘駅前の桜
上灘駅前の桜

 久しぶりに16人の子どもに公民会職員を加え、18人で乗車した予讃線海岸周りは、現在一日12往復の列車が伊予~大洲間を走っていますが、朝晩の通勤通学帯に集中しているため、昼間の便はいたって不便で、中には3時間近く一便もないことだってあるのです。それでも並行路線といわれる内山線が開業した後も細々ながら残っていて、欲を言ったらバチが当たるほど感謝しているのです。
 私が下灘駅で夕焼けコンサートを始めてやった頃には、既に海岸線は消える宿命を辿っていました。それを宿命から運命に替えたのは、何と言っても夕焼けコンサートがきっかけだったように思うのです。今ではすっかり有名になった下灘駅や夕焼けコンサートですが、このコンサートの真のねらいは夕日夕焼けではなく、JR予讃線海岸周りの存続だったのです。

朝の上灘駅界隈
朝の上灘駅界隈
列車に乗った子どもたち
列車に乗った子どもたち

 

夕焼けコンサートに続いて、列車を一両丸ごと貸切り、「コスモス鉄道ふたみ号2001年の旅」というシンポジウム列車を走らせたのは、今から23年前でした。100人のまちづくり人を乗せて上灘駅を出発した列車は、向井原駅でスイッチバックして、中山を通って内山線に入って大洲まで行き、そこで再びスイッチバックして長浜経由で、出発した上灘駅まで帰るという壮大なものでした。内子と長浜では引込み線に列車を止め、内子では町並み散策、長浜では車内シンポを開くなど、今思うと双海町がまちづくりのアイディアで最も輝いていた時代だったのです。時たまこの列車に乗る度に当時のことがつい昨日のことのように思い出されるのです。昨日は上灘から大洲へ往路、今日は大洲から上灘へ復路それぞれ走りましたが、途中車窓に美しい瀬戸内海のきれいな海が、また悠久の時を越えて流れる肱川が見え隠れして、のんびりした気分になりました。

長浜駅で対向列車を待つ下り列車
長浜駅で対向列車を待つ下り列車

 

 去年の初秋私は、松本さんや富田さんに誘われて、夕日ビール列車に乗りました。気心の知れた友人たちと伊予から長浜までトロッコ列車に乗り、ビールを飲みながら沈み行く夕日と秋風を楽しむのです。目的地長浜駅の駅舎で、私は頼まれて創作落伍をやりましたが、大盛況でした。
 松本さんや富田さんたちは下灘駅をフィールドミュージアムにしようと、地元の人を巻き込んで一生懸命やっています。お隣長浜でも魚屋の浜屋さんたちが、水族館ですっかり有名になった長浜高校と提携して、まちづくりの機運を盛り上げようとしていることも、嬉しい最近の出来事です。
 海岸周り列車が大好きな私は、一年に何度かこの列車が訳も分からなく恋しくなって、たった一人リュックを背負って乗車するのです。寅さんや、山田洋次さん、永六輔さんと出会った頃の思い出やそれらの人の顔を思い出しながら・・・・・。

  「予讃線 海岸周りの 汽車に乗る ジーゼル音に 声も消されて」

  「そういえば 色々なこと 思い出す あれこれ全て 過去となりぬる」

  「マッチ箱 見たいな列車 乗客が まばらに乗りて 各駅止まる」

  「一年に 何度か乗りぬ この列車 わが思い出を 忘れぬために」 

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