〇小さな幸せを幸せと感じながら幸せに生きる
私は5人兄弟です。姉、私、弟、妹、弟の順番の2番目ながら、物心ついた時から長男として長男教育をされて育ちました。「長男がその家に糞をひらないとその家は潰れる」などと、訳の分からない理由をつけ、何かと私の自由を奪ってきたのです。教育とは恐ろしいもので、そのことに色々反抗しながら、長男の務めを曲がりなりにも果たして、現在に至っているのです。皮肉なことに私がそうであったように、私もまた長男息子を束縛し、訳の分からない理由をつけて、私と同じような宿命を押し付け、今では同じ屋根の下で暮らしているのです。
私の兄弟ですぐ下の弟は、松山工業高校土木科を卒業するとすぐに奥村組というゼネコンに就職し、トンネル工事の専門家として、主に関西方面の現場を奈良に居を構えながら単身赴任で渡り歩き、いつの間にか定年を迎え、今は奥さんの実家である和歌山県古座川町でのんびりと余生を送っています。
姉は近所でモータースを営む家に嫁ぎ商売をしていましたが、高齢になる前に廃業して、今は娘家族と同居をして、これまた穏やかに過ごしています。妹は未婚の時農協に勤めていた仕事を、近所に嫁いだこともあって続けていましたが、一念発起して農協を退職し、くじらという海産物の小さなお店を国道沿いに開業し、何とか商売を続けています。
末の弟は姉のモータースで働いていましたが、結婚して一男一女をの子どもに恵まれたものの、奥さんに先立たれ、譲った私の生家で母の手助けを得ながら子どもを育て、結婚した長男とともに不自由なく退職後の暮らしを楽しんでいるようです。
気がつけば、幸せなことに三つ下の弟を除けば、10k圏内の同じ町内に兄弟姉妹が住んでいるのです。その兄弟姉妹も仲が良く、94歳になった親父が私と同居していることもあって、何かにつけ頻繁にわが家を訪ねて来てくれるのです。老いが進む親父もさることながら、老域が近づいた私たち兄弟姉妹にとっても、兄弟姉妹が近くにいることの安心感は、何にも例えられない心強い味方なのです。
私の妻と私の兄弟も仲が良く、妻が祖母や母の面倒をよく見てあの世に送ってくれたことや、母亡き後父の食事の世話等をしてくれる妻に、多いに満足して感謝してくれているようです。姉や妹はやはり女らしい気配りができて、3日にあげずおかず等を持参して、親父の所へ顔を出してくれるのです。姉は101歳の、妹は96歳の義父を近年まで介護しあの世に見送った経験から、妻の苦労が良く分るのです。
親父にとって姉と妹、それに妻という3人の目の届く世話で、何とか自分のことができる余生を穏やかに生きていますが、口にこそ出さないまでも、自分の子どもの4人までが近くに住んでいることを喜んでいるようです。
見過ごしてしまうような何げないことですが、これも小さな幸せでしょうか。小さな幸せを幸せと感じながら生きることも幸せです。
「気がつけば 4人兄弟 それぞれに 同じ町内 住める幸せ」
「幸せは たとえ些細な ことだって 目に見えずとも 気付いて感謝」
「長男が 家に糞ひる これ家訓 次の代でも 拳拳服膺」
「人生の 最後くらいは 穏やかに 家族とともに 暮らす幸せ」